イラン通信 過去ログ

 過去に掲載したイラン通信の第1回から第5回までを掲載しています。
・第1回 ・第2回 ・第3回 ・第4回 ・第5回 

2005年3月24日 「ノウルーズ(1)」

イランは春分の日に新年を迎えます。ペルシア語でnow ruz(新しい日)と呼んでいます。正確には太陽が黄道を通過する時間で毎年異なります。今年は20日の午後4時が「年明け」でした。春爛漫の中で迎えるまさに新春です。先日、大晦日の様子を見に近くの町まで行ってきましたのでそれについて報告します。ノウルーズ前の1週間は年末の買い物客でかなり混み合います。知らずにタクシーで出ましたが、ものすごい渋滞です。この日は込んでいると言うより、もはや歩行者天国と化していました(写真左上)。新年を迎えるに当たって人々は掃除に精を出し、服を新調し、新しい靴を買い求めます(写真右上)。この時期至る所で絨毯を洗って干している風景が目に入ります。ノウルーズには親戚や親しい友人の訪問がありますから、食材もかなり必要です。皆肉や果物など文字通り山のように買い込み店もかき入れ時です(写真下二枚)。ここら辺は日本と変わらない風景といえますね。日本では正月飾りとして門松(しめ縄)や鏡餅などを飾りますが、イランではhaft sin(7つのスィーン)という縁起物をそろえて飾ります。これについては次回。

2005年3月31日 「ノウルーズ(2)」

haft sinとは、ペルシア語の綴りがスィーン(s音)で始まるものを7つ飾るというものです。
serke=酢
sib=リンゴ
sir=ニンニク
sekke=貨幣
samanu=サマヌー(麦焦がしのお菓子)
sabze=麦の新芽(草の意味)
senjed=ナナカマド
これらのほか、クルアーン(コーラン)、鏡、燭台、卵、金魚などの縁起物も飾られます。イスラム化以前のゾロアスター教徒の間では、haft shinといって/sh/の音で始まるものを揃えます。いずれにしてもこれらはイランの古来から伝わる風習です。最近では忙しい人々のために「ハフトスィーンセット」も売ってありました(写真左上)。金魚(あるいは水だけ)を鉢に入れて飾ります。これは生命が原初水から発生したこと、金魚はその最初の生命を象徴するものとされています(写真右上:金魚すくいではない)。サブゼは麦を発芽させたもので新年の再生と実りを表しているそうです(写真中段左)。水をやって大切に育てたあとは、粉に引いてパンを焼いて食べ、、、ません。実はノウルーズの終わる13日目(スィーズダベダル)は屋内に居ることは不吉とされ、みな郊外に出てピクニックなどを楽しみますが、その時一緒にこのサブゼを持っていき戸外に捨ててくる習慣があります。このサブゼ、悪運を全て引き受けてくれると言われています。サマヌーという小麦粉を焦がして甘く味付けしたお菓子ですが、昔は日本でも似たようなのがあったそうです(写真中段右)。年配の方はご存じかもしれませんね。写真は近所のかたから正月前に頂いたものです。なんとも表現のしようがない(今まで食べたことがないという意味で)癖になりそうな味です。卵は色づけされたものが八百屋などで売られています(写真左下)。イランではよく乾物ナッツ類(ホシュキバール)が食されます。特にシャベヤルダー(冬至の日)や正月など、家族や知人が集まってむしゃむしゃぽりぽりやりながら四方山話に花を咲かせます。イランの食事についてはまた別の機会に書きますが、どうしても野菜類が少ないのでビタミンやミネラルが不足しがちです。特に冬季はそうですが、それを上手く補う生活の知恵なのかもしれません。ホシュキバールの正月バージョンでは、干し柿のようなものや甘いものが入っています(写真右下)。一部の役所を除いてみな2週間正月休みをとり、新聞も見事に2週間休み。いいのか悪いのか。どっちにしても日本では考えられませんね。

2005年4月5日 「ノウルーズ(3)」

ノウルーズ前の様子、おまけでいくつか。たまに子供連れの買い出しも(写真左上)。サブゼをしっかり持っています。ハフトスィーンは新しい食布(ソフレ)に飾ります(写真右上)。イランでは子供もよく働きます。家族経営のレストランやバーザールなどでも小学生とおぼしき子供が働いているのをよく見かけますし、この日も写真のように大人を相手に商売する姿が(写真左下)。「品はたしかですよ!」などと一丁前に言うのを聞いて、このおばさんにやにや笑っていました。最後は番外編です。よく見ると怪しげなロゴが、、、(写真右下)。




2005年4月5日 「スィーズダベダル」

 通信第2号で書きましたが、今日はイラン暦ファルヴァルディーン月(1月)の13日、スィーズダベダルの日です。公式にはruz-e tabi’at(自然の日とでも訳しますか)と呼んでいるようです。イランでは日本のような「花見」は無いようですが、気温もぐっと上がり一斉に緑が芽吹くこの頃人々は戸外にピクニックに出かけます。自宅の窓から見える公園にも家族連れが大勢来ているのが見えます。何となく陽気につられて散歩がてら行ってきました。
 「サラーム、ハステナバシー(ちわー、お疲れ様でっす)」「こんにちはー」「写真とっていいですか?」「おおー、どうぞどうぞ。」「サッカー日本に勝ちましたね。おめでとう」「ありがとう、次はきっと日本が勝つよ。一緒にご飯食べない?」待ってました。さっきからジュージェキャバーブ(若鳥のキャバーブ)を焼く匂いがたまらない。しっかりご馳走になります。ちゃんとインスタント写真のチェキも準備してきました(これがあるとみんなとすぐに友達になれます)。子供達はボール遊びをしたり、親たちは世間話をしたり、写真にはないですが水パイプをくゆらせたり(私にも回ってきました)、タハテ(バックギャモンの一種)をしたり。大学教師や新聞社の編集長をやっている方もおられ、また会いましょうとアドレスを交換して夕方近く帰りました。この近くに住む親戚同士とのことで思わぬ楽しいひとときを過ごし、私にとってはイラン古来の言い伝え以上にむしろ良いことがあったようです。
 よく言われることですが、イランの人々はお客さんをとても大事にします。事実、この国に住んでいると度々このような経験をします。もちろんいいことばかりではありませんが、実際の人々とその暮らしはアメリカのいう「テロリスト国家」とは無縁といえるでしょう。米国による経済制裁、激しいインフレに失業率30%という経済状態ながらなにより家族を大切にし、かつしたたかに生きています。長かった2週間の正月休みを終えて、明日からやっと普通の生活にもどります。(それにしてもこの時季に正月というのは、日本人の私にとってはなんとも間の抜けた感じがしました。やはり正月はパリッと適当に寒くないと)

2005年4月8日 「イラン食事情」

 イランの食べものといえばキャバーブ(肉の串焼き)が有名です。主として2種類(羊と鶏)です。こちらに来た当初は物珍しさもあってまあ美味しく頂いていましたが、3、4日すると飽きてきます。さてここからが大変です。イランで外食をする場合、普通キャバーブ以外には、、、キャバーブしかありません。テヘランなどの都市部ですと、まあ中華などもありますが、地方に行くとこれはもう難行苦行です。まさに「外食文化果つるところ」(上岡弘二編『暮らしがわかるイラン』)であります。
 長期でイランに来て外食だけですませようとすれば、これは間違いなく病気になります。付添えの香草などはありますが、とにかく野菜をとることが難しい。肉を多くとりますし、食事にはヌーシュアーベ(「飲み物」の意)といって必ずコーラなどの炭酸飲料が付いてきます。しかもかなり甘い。当然のごとく心臓病や糖尿病などの生活習慣病が社会問題となっています。
 違う視点からいくつか紹介します。時季はもうだいぶ過ぎましたが、まずは冬の風物詩ラブー(写真左上)。街角にこの砂糖大根を煮たのが出始めると冬が来たなあと感じさせます。イランに来て初めて食べましたが、自然な甘さでかつなかなかの健康食です。ホレシュトゲイメ(レンズ豆と羊肉コマのトマト煮)は昼食によく食べられます(写真右上)。日本人に合う味だと思います。このホレシュトは種類が豊富ですが、残念ながら家庭料理なのであまり街中のレストランでは見かけません。
 イランの飲み物といえば普通「チャイ」すなわち紅茶です。小さめのグラス1杯で10円くらいです。コーヒーのことは「ネスカフェ」と呼んで何だかあまり美味しくないインスタントしか飲むことができませんが、最近はこじゃれたカフェをごくたまにですが見かけます(写真中段左)。本物の豆で入れるコーヒーで、イランではさすがにちょっと高く感じます(150円くらい)。とはいえ、こちらに来て初めて日本で飲むのと同じコーヒーを飲むことが出来ました。おこげはイランの食事ではご馳走になります(写真中段右)。電気炊飯器もわざわざおこげが出来る仕様となっています。写真は結婚式の食事の最後に出されたものです。
 アーブグーシュト(「肉汁」の意)は庶民の食べ物で(写真下)、羊のスネ肉、ジャガイモ、ひよこ豆などを煮込んだものです。どちらかというと下町でよく見かけ、テヘランでもいわゆる山の手の人たちは見下して食べないそうです。ところが、実にうまい。ナーンをちぎって一緒に食べます。まあ確かに下世話な食い物といえばそうなのですが。羊肉の匂いがダメな人にはちょっと厳しいかもしれません。

(追伸:第二回のサマヌーの話。読者の方から日本では「はったい粉」という名前だとご教示頂きました。ありがとうございました。)