アフロアメリカの歴史と音楽

1回目の課題の講評です。

後期の登録は35名で、一回目の課題の提出は28名(2名が英文)、普段は20人から25人程度、前回は18人でした。

ある水準を超えてるので満点、少し工夫すれば満点(S、S、ここまで秀)、少し工夫すればS(A、A、ここまで優)、少し工夫すればA(B、B、良)、工夫の必要あり(C、可)

全体的にはまずまず書けていたように思います。ただ調べたのをまとめたもの(単なるレポート)、本を読んでの感想もありましたが、しっかりした仮説を設定してきっちりと論理的に述べられているのもあったと思います。ある内容を伝えるにはある一定の容量が必要で、絶対量が少ないのもありました。それぞれの人数です。↓

満点 1

S 3

S 6

A 6

A 6

B 1

B 5

C

3年前に学士力科目を2コマ持ったときは、どちらも300人ほど来てました。学士力が2年生からしか取れないという制約もあって、工学部の学生が前期に300人学士力科目を取れなかったので、退職前にやっていた南アフリカ概論を復活してもらえないとかと頼まれました。恐らくそれでも足りないやろと考えて、農学部の一番大きな部屋(276名定員)で以前やっていた南アフリカ概論と、新たにアフロアメリカの歴史と音楽を持つことにしました。

アフロアメリカの歴史と音楽で、定員を超えたからと断った学生がいたのは申し訳なかったと今も思っています。

後期、南アフリカ概論が98名、この科目が35名の登録なんで、少しは学士力発展科目を取る環境がよくなったんやろな。

 

 

アフロアメリカの歴史と音楽

12月26日11回目の授業で、残り年明け3回です。1月16日(木)は金曜日の時間割

前回の話に関連する映像の続き→1954年の最高裁の判決と前後の世界情勢→1957年のリトル・ロック高校事件(「アーカンソー物語」)→1962年ミシシッピ大学・1963年アラバマ大学事件→1963年のワシントン大行進、残りの時間で「招かれざる客」。

<次回は>

* 「招かれざる客」の続き。時間があればサンフランシスコの旅番組を紹介。

次回は年明けに。

冬休み、いい骨休めになるよう祈ってます。

アフロアメリカの歴史と音楽

初回に配った課題についてのプリントの訂正→①提出期限、2回目は1月の1回目:1月19日。19日→9日

②★英語の授業の課題なので、英語で書いて下さい。→日本語でも英語でも

12月19日10回目の授業でした。

来週と年明け3回で終わりです。1月16日(木)は金曜日の時間割

南北戦争、再建期、反動の辺りをA Short History of Black Ameicans②を読んで確認しました。映像は南北戦争直後(映画「ジェーンピットマンの生涯」)、KKK(「ルーツ」と1987年のドキュメンタリー)、ビリーホリデイの「奇妙な果実」、南北戦争直後の選挙演説(「ルーツ」)、最後にゴスペルの女王マへリア・ジャクソン(「クロマティのゴスペルの世界」と「真夏の夜のジャズ」)。

次回は公民権運動(1957年のリトル・ロック高校事件、1963年のミシシッピ大学・アラバマ大学事件、ワシントン大行進、残りの時間で映画「招かれざる客」。

マーチン・ルーサー・キング

「招かれざる客」(1967) GUESS WHO’S COMING TO DINNER

シドニー・ポワチエ

【解説】「アメリカ上陸作戦」のウィリアム・ローズのオリジナル・シナリオを、「愚か者の船」のスタンリー・クレイマーが製作・監督した。撮影は「手錠のままの脱獄」のサム・リーヴィット、音楽は「真昼の衝動」のデヴォル。出演は、これが遺作となった「おかしな、おかしな、おかしな世界」のスペンサー・トレイシー、「いつも心に太陽を」のシドニー・ポワチエ、「去年の夏突然に」のキャサリン・ヘップバーン、そのほか、キャサリン・ホートン、セシル・ケラウェイなど。

サンフランシスコ空港で飛行機から降り、タクシーに乗った若いカップルが、人目をひいた。だが、人々のぶしつけな視線など気にしないかのように、黒人青年と白人女性は親しげに語り合っていた。青年はジョン(シドニー・ポワチエ)といい、世界的に著名な医師。女性の名はジョーイ・ドレイトン(キャサリン・ホートン)。2人はハワイで知り合い、互いに愛し合う間柄となったのである。ジョーイの母クリスティ(キャサリン・ヘップバーン)は、娘の婚約者が黒人であることを知り、驚いたが、娘の嬉々とした様子に、動揺は次第に喜びに変わっていった。だが、父のマット(スペンサー・トレイシー)は、そうはいかなかった。新聞社を経営し、人種差別と闘ってきたマットも、自分の娘のこととなれば、話はちがってくるのだ。ジョンは、学界でも有数な人物であり、近くジュネーブの大学院に迎えられることになっているということは、マットも知ってはいるのだが、黒人と白人との結婚には、想像を絶する困難がある。結婚を許しながらもマットは割り切れなかった。ジョンのジュネーブ行きの時間が迫っており、2人はその前に、互いに両親の了解を得たがっていた。息子の見送りと嫁に会うため、ジョンの両親プレンティス夫妻が空港に着き、ジョーイは出迎えたが、夫妻は嫁が白人であることを知り愕然とした。やがて、夕食の時が訪れた。ジョンとジョーイ、ドレイトン夫妻、プレンティス夫妻。そしてドレイトン夫妻の友人であるライアン神父。母親同士は結婚には賛成だったが、父親同士は反対し、とくに、マットは頑固だった。だが、そのマットも、若い2人のどんな困難にも立ち向かおうとする真剣さとその情熱に、かつての自分の青春を見、その尊さに気づき、2人の結婚を認めた。一同はそろって、夕食の席に着くのだった。(http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD8577/index.html

来週、また。

アフロアメリカの歴史と音楽

12月12日9回目の授業でした。

年末までに2回、年明けに3回です。1月16日(木)は金曜日の時間割

前回の南北戦争前後のの続きで、南北戦争とリンカーン、再建期、反動(「隔離すれども平等」)の話を一気にしました。

残りの時間でクロマティのゴスペルの世界の続き。メンフィス(教会のスピリットオブメンフィス)とニューオリンズ(ゴスペルラジオ局とザイオンハーモナイザー)の映像で時間切れでした。

次回は南北戦争→占領政策・再建期→反動の流れを映像で辿りたいです。

音楽は、ゴスペルの女王マへリア・ジャクソンと時間があれば、ビリーホリデイの「奇妙は果実」かな。

南北戦争→占領政策・再建期→反動は出版社のメールマガジンに連載して、このブログにも載せています。読んでおくとわかりやすいと思うよ。↓

「アフリカ系アメリカ小史②奴隷解放」「モンド通信 No. 68」(2014年4月10日)

「アフリカ系アメリカ小史③再建期、反動」「モンド通信 No. 69」(2014年5月10日)

来週、また。