Netscape Navigator での閲覧に関して、当サイトではスタイルシートを読み込まず、文書構造のみ表示させるように設定しています。視覚情報も再現したい方は、Internet Explorer で閲覧していただくようお願いします。詳しくは、Site Guideの推奨閲覧環境をご覧下さい。
かつて掲載された「つれづれに」のログが時系列順においてあります。 ホームページ開設から2004年度分まではこちらからどうぞ。
今日で3月も終わりです。久しぶりですが、結構色々とありました。後期の入試やら新学期の準備やら。何とかホームペイジの書き換えも終わり、授業のプリントの準備も終えました。教育文化学部の大学院修士課程と、公立大の前期の選択英語Cは3コマとも初めての授業ですので、始まっても準備に追われそうです。選択科目ですので、どんな選択をしてもらえるのか、少し楽しみです。医学科2年生は、最初の時間に4人が模擬授業をやって選択してもらっていますが、残念ながら今年で最後になりそうです。統合後は、英語は1クラス50人でということになっていますから。今回は、ちょっといかさまの手を使って何とか4クラス分割にこぎつけたのですが、大幅な非常勤講師の削減を言われていますので、来年度は無理なようです。今回の統合は、あまり形のよくないリストラですから。 本格的に各クラスの専用ホームペイジを授業で使い始めて1年がたったわけですが、本当にいいのかどうか、難しいところです。確かに資料の蓄積とかわかりやすさとかの面ではすぐれているとは思いますが、授業で伝えたい中味そのものは、最終的には受ける側の問題だからです。受け入れる気持ちがないのにいくらいいものを用意しても何の意味も持たないからです。ぼそぼそと話しても、多くを盛りこまなくても、受けての動機や聞く容量が大きければ、充分に伝わるものです。あまり多くはありませんでしたが、哲学やアメリカ文学の授業では(ぼそぼそとしか話していませんでしたから大抵の人は退屈そうにしていましたが)、僕には話の内容が心に沁みてきた記憶が今でも残っています。プリントをもらったこともなく、映像を使うということもありませんでしたが。 ま、もう1年、やってはみるつもりですが。今回は実質的に8クラスのペイジを毎回書き換えるわけですから、それはそれで大変です。それに授業の合間に面接をしますから、授業が始まると戦争のようです。ま、傍目から見たら、あいつ暇そうやなあと映るかもしれませんが。学校の方も、入試、国際交流、評価関係と結構会議もあります。全学の会議はすべて木花キャンパスで行なわれています。今年は、教育文化学部といっしょに卒業生用のニューズレターも発行の予定です。夏休みまでに、前期・後期と医学科・看護学科・教育文化学部の大学院と、看護学科編入の試験の準備もあります。7日の授業の開始まで、いわば嵐の前の静けさといったところです。 南アフリカ概論の講義録を軸に小さな本を出すことになって、その準備をしています。お金ばかりがかかる出版を引き受けて下さる横浜の出版社の關さんのお陰ですが、64ペイジ600円台ブックレットの予定です。前期の授業が終わる前に出ればいいなあと思っていますが、どうなりますか。仕上げないといけませんが、授業が始まるまでに間に合うでしょうか。出たら、買って下さい(?!)5年間で千冊くらいでれば、ご迷惑をかけないですむそうです。他に南アフリカ概論の授業はないでしょうから、日本では奇跡に近い出版ですし、主題教養の授業を本にするのも多分最初でしょうから、今後も出版が継続されるように、何とかうまく行けばいいなあと思います。応援してもらえれば嬉しいです。 木花キャンパスから見える加江田の山に山桜がかすんで見えます。もうすぐ、見上げると山藤の淡い紫の色が鮮やかに目に入ってくるようになります。 新入生が、もうすぐやって来ます。山桜が霞んで燃えている、春になった 我鬼子
今朝、いつものように三太と散歩をしていましたら、山肌に葡萄色のむべの花が咲いているのが目に入ってきました。 昨日は、日帰りで横浜にでかけました。 2月から準備をしていたお陰で、何とか新学期の準備が出来たようです。8日(金)の看護学科1年生の授業からです。始まりますと、8クラスの授業の準備と各クラスのホームペイジの書き換えに追われそうです。何とかそれまでに、門土社の關さんが勧めて下さっている「南アフリカ概論」の講義録の小冊子を完成させようと思っていましたが、今しばらく時間がかかりそうで、授業をやりながらの作業になるようです。十七年間続けてきた個人面接も続けられたらと考えていますが、修士のアフリカ論特論と公立大の選択英語Cは初めての授業でもありますので、時間的に余裕がなくなりそうです。嵐の前の静けさといったところです。 金曜日から、新入生との新しい毎日が始まります。むべの花も咲いている、新入生よこんにちは 我鬼子
今朝は、通草の花をみつけました。秋に淡い薄紫か濃い薄紫かの実をつけますが、今年はなどんな秋になるのかなあ。 授業が始まりました。選択の医学英語、2年生しか想定していなかったのですが、1年生の受講者がたくさんあって、教務課の人もあたふた。しかし、ガイドブックの記載に従ってきた1年生の行動は当たり前で、大変迷惑をかけることになってしまいました。本当に申し訳ありません。水曜日の授業の時には、シラバスをプリントして見てもらえるように準備しますので、それを見て、取るかどうかを決めて下さい。本部の教務課には連絡をして、科目登録の番号をあらたに作ってもらうようになっていますので。 実際には色々ありますね。みんなのことを第一に考えていますから(これは、あやしい)、出来る限り期待に添える(これは、もっとあやしい?!)準備はしますので、どうかご勘弁のほどを。 月曜日は2年生の選択必修のクラス、日本語支援教育専修の選択クラスがありますが、どうなるでしょうか。後期の授業が終わった辺りから準備をしたんですけどねえ通草も咲いていた、慌ただしく、それでも心から新入生よこんにちは 我鬼子
また、慌ただしい新学期の始まりでしたねえ。 椿もほぼ終わり、菫も元気がなくなりました。山藤が茂みのうえに、淡い彩りを見せてくれています。クラスサイズも大きく、たくさんの授業、その合間に日程調整を入れてきてのたくさんの会議、ま、これだけ数が多いと少々の人数の変化は、気にならないというところでしょうか。そんなわけで、医学英語が90人というのも、すんなり日常の一空間におさまりそうな気配です。横山さんがいれば、半分ずつに分けられるんですが、何しろテヘランですからねえ、あきません。(一年生のみなさん、ごめんなさい。謝ってばっかりですね) 連休の1週間の一休みまで一踏ん張り、あとは連休明けから夏休みまでの10週間ほど、せわしい日々が続きそうです。 面接も来年度の入試の準備も始めました。 庭にこしらえた小さな畑にでる余裕が持てないのですが、大根は白い花を、ブロッコリーも黄色い花を咲かせています。虫の勢いが強くて夏野菜もすべて葉っぱを食われてしまいますので、自然な虫対策が出来るようになるまで、この時期は地面を草で覆って、蚯蚓や微生物に地中を耕してもらって糞の飼料で土地を肥やしてもらうことにしましょう。 山から採ってきた通草の実から芽を出していた蔓から、まだ芽が出ていませんが、枯れてしまったのかなあと心配しています。北に植えた渋柿の一本も枯れてしまいましたが、もう一本にはきれいな若葉が吹き出しています。見上げれば、だらりと山藤が垂れていたよ 我鬼子
昨日今日と雨にやられましたが、一昨日はきれいに晴れていました。温泉に行く途中の海が碧く、すでに夏の色合いでした。温度とか空の色とかの加減で夏の色になっているのでしょうね。もやーっとして入道雲でも出ていれば、真夏です。 公立大の選択と教育文化学部の専修が初めての科目と思っていましたが、選択の医学英語が加わりました。慌ただしく4月が終わりました。すでに何人かの人とは面接をしました。看護学科の授業が60人と多いのですが、目が輝いているようで、やっていて楽しくなります。 4月4日に、久し振りに横浜で門土社の關さんとお会いしてから、3冊の本を併行して書き始めました。大体の大枠は出来ていますので、いかに削っていくかの作業です。基本的には著者負担ですので、書けば書くほど自分のくびを絞めることになるんですが、どうもそういう方向に流れていっているようです。 連休はまだ3日もあると考えられるといいのですが、あと3日しかない、としか思えません。空の碧さよ、水平線の広がりよ 我鬼子
あと3日しかない、としか思えなかった連休が思わぬ展開となりました。生身の体、何が起きるかわかりませんね。 午前中、庭の畑に出て生ごみを埋め、草を花切り鋏で刈り込んだまではよかったのですが、中に入ってしばらくすると、瞼の上を虫にやられているのに気がつきました。また蚊にやられたかなくらいに考えていましたが、時間が経つにつれて腫れ上がって、瞼が塞がってしまいました。 3冊の本を、それにあと2本、来週からの授業にも備えてなどという考えも、突然すべてが停止してしまいました。結構きついなあと思いながらやっていましたので、休めということかなとすっかり観念したというわけです。 4日、当番医を捜して宮崎市内へ、人を見ないで書類をみながら診断など出来るものかと不満だけが残る病院行きでしたが、時間の経過とともに何とかおさまってきているようでした。行けないかも知れないと覚悟をしていた6日の医学科1年生の医学英語の授業も、辛うじて終えることが出来ました。 きっちりと入試の会議もありましたし、月曜日からのたくさんのクラスの準備も何とか済んだかな、と思いながら少々暗い気持ちで帰って来ました。 そして、土曜日、日曜日とが過ぎて、今度は夏休みまでの長丁場が始まります。入試の作業も既に始まり、たくさんの会議や面接を授業の合間にと考えると、本どころか、授業自体も大丈夫かなと考えてしまいます。ずいぶんと前から準備はしていたんですけどねえ。くっきりと見える、新緑の山山 我鬼子
雨が降りました。沖縄はかなり以前に梅雨入りしたようで、もうすぐこの辺りも梅雨入りですかねえ。 連休の一息も虫騒動でむなしく過ぎ、夏休みまでの長丁場が始まりました。月曜日40人と5人、火曜日63人、水曜日50人と50人、木曜日27人と59人、金曜日88人と61人、50人くらいが一塊になると、少し気を遣います。終わると、ほっとしますね。おそらく、一人一人の望むことが違うからでしょうね、当たり前のことですが。 毎日毎日、目の前のことにとらわれがちで、近視眼的になっていけません。躁と鬱を繰り返しながら、何とか過ごしてはいるのですが、やっぱり自分を持て余します。一番厄介なのは、自分自身のようですね。雨が落ちて来た、梅雨が始まるのか 我鬼子
台風が来て、秋になりました。 久し振りの更新です。9コマある授業のペイジを更新するのに追われて、このペイジの更新までは手がまわりませんでしたと言うのが本音のところです。7月の3週目まで授業があり、そのあと450人分の成績を出しました。千ほどの課題を2週間ほどかけて読みました。これだけコマ数が多いと、結構きつかったです。授業の総括も、何人かの返却希望の学生への返事も講評も、まだ終わっていません。 本来ならそのあと一息つくところを、そのまま「南アフリカ概論」の仕上げに入りましたが、案の定、何日かでぴたっと進まなくなりました。庭の草刈りをしたり、韓国の映画ばかりを見ていました。ヤフーの動画で見始めたのですが、何を思ったのか、DVDで韓国語を覚えようと思いついて、やり始めました。日本語の字幕を消してはある場面を見て、また字幕を消す、それの繰り返しです。本当にこれでわかるようになるのかしらん、と思うことも多いです。こんなことなら、小さい頃に近くにいた在日2世の人たちから習っておくんだったなと思いましたが、誰も韓国語をしゃべっていなかったような。さてどうなりますか。 それでも、今日、何とか「人間の悲しき性 ー南アフリカ概論」が仕上がりました。 後期の準備もやりながら、月末までに "AIDS Stories Depicts an African Crisis" というタイトルで、ケニアの小説 Nice People と Tha Last Plague" がエイズの事情をどう描いているかについて、書こうと思っていますが、そちらの方もどうなりますか。 また、通草探しの季節になりました。葛も咲いて、秋になった 我鬼子
また、授業が始まりました。四ヶ月、ばたばたしそうです。 昨日は農学部(42名)と農学部・教育文化学部のアフリカ文化論(156名)がありました。ホームペイジもまた再開ですが、まだ更新出来ていません。ずっと追われっ放しもきついので、ぼつぼつと思っています。 医学科の一年生の授業ではホームペイジを使わないことにしました。あまり使う人もいない割には、する方の負担が大きいような感じがするからです。することに苦痛は感じませんが、どこかを殺がないともたないような気がしています。膨張するしかないのが資本主義らしいですが、縮小しないともたないのなら、ま、自衛手段もやむを得ないと思います。 気がついたらすでに秋も半ば、本当は「移り来てお彼岸花の花盛り」の山頭火の句をもじって、彼岸花についての句を詠むつもりでしたが、今になってしまいました。秋半ば、彼岸花もとっくに過ぎて 我鬼子
折角、本も仕上げて英文も何とか書き上げたつもりが、まだ引き摺ったままです。なかなかすっきりしません。 金曜日は、久し振りに木花キャンパスの体育館でバスケットをしました。宮大の体育館でと言っていた以来です。(統合後は初めてと言う意味です) 獣医学科を卒業して北海道にいる藤井くんが友だちの結婚式とかで宮崎に来て、元のメンバーに招集をかけたらしく、何年か前にタイムスリップしたみたいでした。 普段は5、6人で細々とやっていると聞いていたのに、いきなりオールコート、何年か振りで息が切れるどころか、心臓がばくばく、息が苦しかったなあ。もう56歳、20代、30代の人とバスケットをすること自体に無理があるとは思いますが、教育文化学部英語科で日本語支援専修でも一緒にやることになった平瀬さんが僕よりも年上、ついつられて再開したという訳です。相変わらず、シューットが入りませんがねえ。ジャンプでタイミングを取るジャンプシュート、肝心のジャンプそのものがもうあきません。身長はバスケットするには足りないしねえ。 プレイをしていた一人の熱田くんから、日本語支援専修に入ることになりましたのでよろしくお願いします、と言われてしまいました。 パキスタンの地震も大変です。今回の台風では、家でも水が出なくなり、台風の前には無力でした。何をやってもたいしたことは出来ずにと日頃思ってはいるのですが、こんなことが重なるとますますなさけない思いが募りますねえ。 風が冷たくなって来ました。もう台風は来ないようなので、大根の種を蒔くつもりでしたが、種も蒔けず終い、この連休辺りが通草の盛りでしたが、山にも行けませんでした。通草も、採りに行けずに秋の暮れ 我鬼子
11月も半ばになってしまいました。 今年は例年より秋の訪れが遅かったようで、2週間遅れくらいで山に行ったのですが、何とかきれいな通草が手に入りました。猿(ましら)の如く木に登って、絵に描ける鮮やかな実だけを大事に採って来ました。 大根も萵苣も菠薐草も葱も芽を出して大きくなっています。リーフレタスとブロッコリーだけは苗を植えました。うまく収穫できるかはわかりませんが、今のところ順調に育っています。寒さのお陰で何とか虫にやられないで済むかも知れません。 何日かかかって柿も干しました。陽に干すだけで得も言えぬ色艶が出るのですから、不思議です。新しい年まであとわずかとなりました。 いつも家の中から音だけを聞いていたのですが、今日は外に出て、大学祭打ち上げの花火を見ました。寒空に、祭りの後の花火が儚げに 我鬼子
「低気圧、全国的に荒れもよう」という見出し通り、お昼から西風が強くなり、小雨も混じって寒い一日でした。 12月になってしまいました。お昼から西風に逆らいながら自転車をこいで清武まで、医学部の室内楽部の演奏会に出かけました。指揮者の寺野くんの最後の演奏会でした。毎日、特に後期は2年生も3年生も結構大変なのに、合間をぬっての練習を続けての演奏会、その成果が出て、すてきなひとときでした。僕の部屋に近い教室で練習していますので、練習の音が聞こえてきますし、帰りがけにはその部屋のそばを通りますから、余計にそんな思いが強いです。それに、OBも含め医学科は大体顔と名前が一致しますから、尚更なんでしょう。 あと3週間すれば冬休み、今年は初めての地域枠推薦入試の面接が年末にあります。いつも採点と重なって面接の機会がありませんので、初めての面接です。 先日、国富の方が小ぶりで少し淡い野の竜胆を届けてくださいましたが、それももう枯れかけています。 一月に入ればまたセンター入試、二月、三月には前期、後期の入試、また新入生を迎えます。西風を、漕いでチェロを聞きに行く 我鬼子
今年も終わります。碌なこともせず、ただ生き永らえただけ、そんな思いが募ります。 何かやった気になって振り返って見れば、何もやっていない自分に気づくだけです。 白髪も増えました。二十代の初めに半分ほど白髪になりました。助けを得て一時は白髪もほぼ消えていたのですが、今回はどうやら過ごした歳月の証のようで、抗う術はもはやなさそうです。 落ち込んでは何とかやり過ごし、気持ちを持ち直しては生きながらえて来ましたが、気持ちをもち続けられるかどうか、自信がありません。 そんな心のうちとは関係なく、また季節が巡り、入学試験が終われば新入生も入ってきます。 十年一日の如く生きることの、何と難しいことか、容赦なく歳月が過ぎ去ってゆきます。何も出来ず、また一歳、生き永らえただけの年の暮れ 我鬼子
旧暦の七草、七草粥を食べる雅びた生活とはほど遠い毎日です。 やたら寒い毎日が続いています。暮れから返却希望の課題を返す作業がはかどらず、何とかやっと目処がついた所です。出来れば、あとで苦しまないように、2度目の課題がどっと来る前に、課題に目を通して、成績が出せる状態にしておきたいと思ってはいますが、どうでしょうか。 あまりにも同じ作業が続くので、数年前に翻訳し終わたグギさんの Writers in Politics の原稿を印刷したら、B5版にぎっしり詰まって126ペイジもありました。ケニアと韓国とアフリカ系アメリカの歴史を扱った評論で、翻訳するのに3〜4年かかったような。韓国もケニアも歴史から調べてやり始めないといけないような状況でしたので、荷の重い作業だったと思います。ただ、改訂版が出たので、おそらく日の目を見ないことになると思いますが、随分と昔の話しのようで、僕にもようわかりません。ただ、折角仕上げているので、出版社には完成原稿で渡そうとは思っています。グギさんは、思いのかけをはき出して膨大な量の書き物がありますので、主だった作品に目を通すだけでも大変でした。それに、ケニアの本を日本で手に入れるだけでも、ま、大変です。 年末年始は、鬱の傾向が強かったようですので、実際には、韓国映画、今回はシム・ウナの恋愛世代と、実在の人物チャン・ボゴの壮大な映画「海神」ばかりを見ていたように思います。白夜以来、何だかもめたとかで映画には出ていなかったというシム・ウナを久し振りに見たわけです。韓国系アメリカ人の話で、96年のロスのアフリカ系アメリカ人の暴動の話が出て、ずっと前に授業でそんなことも取り上げたことがあるような、そんな思いが頭をかすめました。 4年生・5年生向けの短期英語研修の準備で気を遣っています。タイのソンクラ大学でのクリニカル・クラークシップに向けての英語の研修ですが、ソンクラ大学からもカリフォルニア大アーバイン校からも人を招いて、英語による症例報告や発表の仕方を学んだり、自信を持って自分の意見を言えたりするように色々とやるつもりですが、さて、どうなりますか。 医者、病院の職員、看護学科、卒後研修の人たちも巻き込んだ形の英語実践プログラムの話まで出て、今でもすることばかりなのに、またすることが増えそうです。 どこで見つけたのかはわかりませんが、未だ見ぬ受験生が掲示板に書き込みをしてくれています。すでに入学した人たちのここ2、3年の様子からは想像し難いような、希望に満ちた書き込みです。追い込みをしている激励の書き込みをしませんか。出て見上げれば、寒空にオリオンもくっきり 我鬼子
もう2月です。節分を祝う余裕もない毎日のようです。 昨日の医学科の授業で今年の授業は終わりです。成績を出すのに時間がかかりそうですが、今年はそのあとすぐに医学科4年生、5年生のためのEMP講座があります。4月のタイソンクラ大学でのクリニカル・クラークシップに向けての短期の英語研修です。4名が参加予定ですが、折角の機会を利用して力をつけてもらえるようなプログラムになればいいなあと考えています。幸い、学校が重点経費をつけてくれましたので、ソンクラ大学から2名、カリフルニアアーバイン校から1名の医師を招聘してケーススタディなどのプログラムが実施できそうです。臨床の人も基礎の人も全学挙げて協力してゆこうという体制です。やがては、病院も看護学科も医学科も含めた形で実際に英語が使えるための方策を模索し、実施できたらと考えています。 どうも、あまりにも前向きすぎでいけませんねえ。突き進んでいるうちはいいんでしょうが、疲れます。まだ、ちょっと走り始めただけなんですけどね。 修士や博士課程や私費留学生の試験も、前期後期の試験の合間にあって、問題作成や採点と時間を取られるようです。 そんな俗世とはかかわりなく、入試のころに芳香を漂わせる沈丁花が蕾をつけて、咲き始める時を待っています。 ま、日頃ろくなことをしないで生きてますから、少しはお役に立たないといけないんでしょうね。 4月に入ってくる新入生の準備も始めないと。 今年のように、途中で切れかけることのないように、気持ちの余裕が持てるといいのになあ、ほんと。沈丁花のかほりも漂う頃に、すぐ 我鬼子 我鬼子
3月になりました。 昨日は久し振りに温泉に行って来ました。途中で見た海はすでに春の海でした。庭の畑の大根も薹が立ち、花が咲くのも時間の問題です。季節は同じように巡って来ているのに、何だか追われ追われて毎日が過ぎて行くようです。 2005年度の授業が終り、そのままタイの人たちを迎えての初めてのEMP講座、そのあと前期の入学試験と採点、合否判定と慌ただしく毎日が過ぎてゆきました。ほっと一息したら、明日からまた、カリフルニアアーバイン校から人を迎えてのEMP講座の後半です。 今回のEMP講座は教育戦略経費をつけて下さった名和さんや総務課の人たちや基礎や臨床の人たちの協力があって実現したのですが、報告を兼ねて録画したケーススタディのDVDを名和さんの所にお持ちしたら、ありがとうとお礼を言われました。学校の存続をかけて毎日徹夜の作業をしておられる人からそう言われると、ま、成り行きとは言え、やってよかったなあとちょっぴり思います。 7日(火)から第二弾が始まります。 三太が庭に出るとお前は山羊なんかと言いたくなるほど、草を食べてばかりいます。夏に買った電動の草刈り器を持ち出して、草を刈らなくちゃあ。陽溜まりに、草を食んだ三太が寝そべって 我鬼子