三太
宮崎県串間市出身のラブラドール、怒ることを知りません。絵のカードやカレンダーになっています。

三太「眠り」(3号)↓

三太「春」(SM)↓

「私の散歩道2011」表紙↓

三太「月に眠る」(6号)↓

三太「椿山」(4号)↓

夏の朝


夏の朝:「私の散歩道2020~犬・猫・ときどき馬」7月


三太と海:「私の散歩道2017~犬・猫・ときどき馬」8月

宮崎県串間市出身のラブラドール、怒ることを知りません。絵のカードやカレンダーになっています。

三太「眠り」(3号)↓

三太「春」(SM)↓

「私の散歩道2011」表紙↓

三太「月に眠る」(6号)↓

三太「椿山」(4号)↓

夏の朝


夏の朝:「私の散歩道2020~犬・猫・ときどき馬」7月


三太と海:「私の散歩道2017~犬・猫・ときどき馬」8月

小島けいの名前でオムロプリントという印刷・広告会社からカレンダーになっています
毎年東京ビッグサイトで開催されているデザイン・フェスタに絵やカードを出品していましたら、長崎のオムロプリントという印刷・広告会社からお誘いがありました。
企業向けのカレンダーですが、東急ハンズやロフト、旭屋や成田空港などでも売られているほか、ウェブ上でも販売されています。→「クリカレCreators’ Power Calendar」http://www.creators-debut.com/shopping/shop2.html

長崎の企業に採用された2011年度のカレンダーの表紙
卓上カレンダーで、北京オリンピック開催の年でもありましたのでパンダの絵の「トレカ」がついています。トレカの裏面にはプロフィールが紹介されていて名刺代わりになっています。


「私の散歩道2019~犬・猫・ときどき馬」6月

別のクリカレ用パンダ:「私の散歩道2020~犬・猫・ときどき馬」6月

カレンダーに使われています。↓

→「私の散歩道2010」1月
花はどれもいとおしいと思いますが、なかでも一つだけ、と言われれば、水仙かも知れません。
三十年前の二月十一日、産前休暇に入ったばかりの私は、朝の新聞記事のなかに「淡路の水仙峡」という文字をみつけました。
かなり大きなお腹でしたが、とりあえずはまだ子供のいない身軽さで、何の計画性もなく、昼前にでかけました。
明石海峡を船で渡り、岩屋というところからバスで洲本へ。そこから水仙峡までまたバスで30~40分。
ところが、最後に乗ったバスが、途中で止まってしまいました。詳しくは忘れてしまいましたが、一本道が通れるようになるまで2時間以上も待ったでしょうか。
冬の日暮れは早く、ようやく水仙峡にたどりついた時は、もう夕闇がせまっていました。
けれどそのおかげで、観光客はみなひきあげ、茶店の歌謡曲も終了。最終のバスに乗ってきた数人だけが広い畑にちらばり、海へと続く水仙の花々を満喫することができました。
いつのまにかすっかり暮れてしまった静寂のなか、色で描くならレモン色の涼やかな、それでいてどこか優しい水仙の香りにつつまれ、そうっと畑に身をしずめたままひとときをすごしました。
それ以来、水仙は私にとって特別の花になりました。
子供が産まれた後に引っこしたマンションは、ドアから北風が吹きこむ、というので、急きょ内側にもう一枚ドアを作ってもらいました。
殺風景な木のドアの一面に、私はあの日の水仙峡を描きました。
次の転居でその絵は散逸してしまいましたが、今度はたくさんの方たちにみていただけるよう大きなスケッチブックに描きたい、と思っています。
門土社のメールマガジン「モンド通信」に収載されています。→『水仙』(No. 18:2010年2月)
絵のカードやカレンダーや本の表紙絵にもなっています。↓




「私の散歩道2011」2月


コロちゃんと水仙:「私の散歩道2012~犬・猫・ときどき馬」1月


ベティと水仙:「私の散歩道2014~犬・猫・ときどき馬」1月

→『ティアラを掘り出せ』(横浜:門土社総合出版、装画/水仙、1994/3/1)
本紹介2 A Walk in the Night (1989年4月20日)の表紙絵で、南アフリカの街角を描いています。
→「たまだけいこ:本(装画・挿画)一覧」で全体をご覧になれます。
<本の解説>
表紙絵は当時上映されていた反アパルトヘイトのために闘った白人ジャーナリストルス・ファースト親娘を描いた映画「ワールド・アパート」(→」(「『ワールド・アパート』 愛しきひとへ」[「ゴンドワナ」 18号 7-12ペイジ、1991年]に映画評を掲載しています。) の一場面をモデルに水彩で描いています。宮崎医科大学、旧宮崎大学農学部、教育学部などの英語のテキストとして使いました。
南アフリカの作家アレックス・ラ・グーマ(1925-1960)の第1作目の物語です。アパルトヘイト政権下では、発禁処分を受けていました。南アフリカ第二の都市ケープタウンを舞台にした作品で、オランダ系と英国系の入植者に侵略され、厳しい状況の中で生きることを強いられているカラード社会の一面が生き生きと描かれています。アフリカ人、アジア人、ヨーロッパ人の混血の人たちで、人種によって賃金格差がつけられたアパルトヘイト体制の下ではカラードと分類され、人口の10%ほどを占めていました。ケープタウンに多く、その人たちは特にケープカラードと呼ばれていました。
ラ・グーマはアパルトヘイト体制と闘った解放闘争の指導的な役割を果たしていましたが、同時に、大半が安価な労働者としてこき使われ、惨めなスラムに住んでいる南アフリカの現状を世界に知らせようと物語も書きました。きれいな海岸や豪華なゴルフ場のイメージで宣伝活動をして観光客を誘致し、貿易を推進して外貨獲得を目論む政府にはラ・グーマは脅威でした。他の指導者と同じように何度も逮捕拘禁され、1966年に英国亡命の道を選びます。その後、キューバに外交官として受け入れられますが、1985年に解放を見ることなく還らぬ人となりました。
作品論→「アレックス・ラ・グーマ 人と作品4 『夜の彷徨』上 語り」(1988年)と→「アレックス・ラ・グーマ 人と作品5 『夜の彷徨』下 手法」(1988年)は下に載せてています。
作家論は→「アレックス・ラ・グーマ 人と作品1 闘争家として、作家として」(「ゴンドワナ」 8号 22-26ペイジ、1987年)、→「アレックス・ラ・グーマ 人と作品2 拘禁されて」(「ゴンドワナ」 9号 28-34ペイジ、1987年)、「アレックス・ラ・グーマ 人と作品3 祖国を離れて」(「ゴンドワナ」 10号 24-29ペイジ、1987年)に掲載しています。(玉田吉行)
パソコンが壊れてサーバーの中のブログのデーターが消えてしまいました。
新たにブログを作ってもらって再開です。

渋谷出身の猫ノアです。
雨の日の大都会の駐車場でずぶ濡れになりながらあらん限りの声を振り絞って泣いていたところを長女に助けられ、飛行機で運べるようになったある日、今の家に姿を現わしました。すでにいっしょに暮らしていたラブラドールの三太とすぐに仲良しになり、日当たりの良い居心地のいい居間を占領しているというわけです。

三太は悪性腫瘍で去年の年明けにいなくなってしまいました。今は三太がなくなったあとしばらくして拾われてきた猫のアリスとその子供のピノコとジョバンニと、今ひとつしっくりいかない間柄ながら、いっしょに暮らしています。

「私の散歩道2018~犬・猫・ときどき馬」1月