本紹介10 『まして束ねし縄なれば』
日本語訳『まして束ねし縄なれば』の表紙絵です。NHK衛星放送のアンゴラの風景を元に描きました。
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<本の解説>
南アフリカの作家アレックス・ラ・グーマ(1925-1960)の第2作目の物語Alex La Guma, And a Threefold Cord(玉田吉行註)(1991年4月14日)の日本語訳 『まして束ねし縄なれば』(1992年10月16日)の表紙絵です。NHK の衛星放送で放映されたアンゴラの風景の一場面をモデルにして水彩で描いたものです。
ラ・グーマの2作目の英語で書かれた物語で、アパルトヘイト政権下では、発禁処分を受けていました。舞台は南アフリカ第二の都市ケープタウン郊外のスラムで、オランダ系と英国系の入植者に侵略され、厳しい状況の中で生きることを強いられているカラード社会の一面が生き生きと描かれています。カラードはアフリカ人、アジア人、ヨーロッパ人の混血の人たちで、人口の10%ほどを占めていました。ケープタウンに多く、その人たちは特にケープカラードと呼ばれていました。
ラ・グーマはアパルトヘイト体制と闘った解放闘争の指導的な役割を果たしていましたが、同時に、大半が安価な労働者としてこき使われ、惨めなスラムに住んでいる南アフリカの現状を世界に知らせようと物語も書きました。きれいな海岸や豪華なゴルフ場のイメージで宣伝活動をして観光客を誘致し、貿易を推進して外貨獲得を目論む政府にはラ・グーマは脅威でした。他の指導者と同じように何度も逮捕拘禁され、1966年に英国亡命の道を選びます。その後、キューバに外交官として受け入れられますが、1985年に解放を見ることなく還らぬ人となりました。
第2作の作品論は→「アレックス・ラ・グーマ 人と作品6『三根の縄』南アフリカの人々1」[「ゴンドワナ」16号(1990年)14-20ペイジ]と→「アレックス・ラ・グーマ 人と作品7『三根の縄』南アフリカの人々2」[「ゴンドワナ」17号(1990年)6-19ペイジ]でどうぞ。
作家論は→「アレックス・ラ・グーマ 人と作品1 闘争家として、作家として」(「ゴンドワナ」 8号 22-26ペイジ、1987年)、→「アレックス・ラ・グーマ 人と作品2 拘禁されて」(「ゴンドワナ」 9号 28-34ペイジ、1987年)、「アレックス・ラ・グーマ 人と作品3 祖国を離れて」(「ゴンドワナ」 10号 24-29ペイジ、1987年)に掲載しています。
アレックス・ラ・グーマ(小島けい画)
1987年に『アレックス・ラ・グーマ』の著者セスゥル・エイブラハムズさんにラ・グーマの話を聞くために亡命先のカナダまで行きました。その時の訪問記は→「アレックス・ラ・グーマの伝記家セスゥル・エイブラハムズ氏を訪ねて」(「ゴンドワナ」 10号 10-23ペイジ1987年)、その英語訳は→Cecil Abrahams – My Visit to La Guma’s Biographer(未出版)に、英文インタビュー記事は→TAMADA Yoshiyuki Interviews Cecil Abrahams(未出版)に掲載しています。その次の年のラ・グーマの記念大会に招待され、50人ほどの北アメリカに亡命中の南アフリカの人たちの前で話をしました。招待講演者のブランシ婦人にも初めてお目にかかりました。
テキストの日本語訳は→本紹介10『まして束ねし縄なれば』で紹介しています。(玉田吉行)