Netscape Navigator での閲覧に関して、当サイトではスタイルシートを読み込まず、文書構造のみ表示させるように設定しています。視覚情報も再現したい方は、Internet Explorer で閲覧していただくようお願いします。詳しくは、Site Guideの推奨閲覧環境をご覧下さい。
かつて掲載された「つれづれに」のログが時系列順においてあります。 ホームページ開設から2004年度分まではこちらからどうぞ。 2005年度分はこちらです。
『アフリカ文化論(一)ー南アフリカの歴史と哀しき人間の性』がやっと仕上がりました。夏に一応仕上げてはいたのですが、前書きと結論の部分がしっくり行かなくて、時を待っていました。結局、それぞれ三分の二を削り、代わりに2つの章を加えて、何とか落ち着きました。本は98年のAfrica and its Descendants 2 - Neo-Colonal Stage以来です。次は、科学研究費のテーマ「英語によるアフリカ文学が映し出すエイズ問題 −文学と医学の狭間に見える人間のさが」をまとめたエイズに関する本です。 授業が終って成績を出し、息つく間もなくEMP講座が始まりました。タイからの人2名を迎え、慌ただしく前半が済みました。前期の入学試験を終えて、今度はカリフォルニアから小児科医を迎えて後半のEMP講座、両方ともよく出来る人たちで面白かったのですが、招待する側、講座を主催する側は大変でした。5年生だけにしておけば人数も含めてぐっと楽にやれたのでしょうが(動機付けとかの点で5年生と4年生には差があったように感じました)、来年のことも考えて4年生にも参加してもらいました。それから後期の試験。そのあと、今後に向けてのフィードバックのための報告書の作成(アメリカではフィードバックの目に見える証拠がないと次回はないとのこと、考えれば当たり前なんですが、フィードバックするのは結構時間と労力が必要。そのアンケート、原稿集めもなかなかきつかったです。貴重な春休みを取られた4年生、5年生もそれなりによくやったと思いますが、癒えぬまま4月になだれこみました。 心の平衡感覚を保つのは、難しいです。何とか形だけ新学期の準備は済ませて授業も一周はしたのですが、まだ心の余裕が持てないままです。 EMP、ENPの具体的な計画とプログラムの内容を考えたとき、やっぱり実際にソンクラ大に行って臨床実習に参加している6年生を見てこないとなあ、と感じました。1992年にハラレに行って以来、何となく外国へ行くことを回避していたみたいなのですが、心を決める方が自然に思えましたので、19日から横山さんとタイに出かけることにしました。パスポートも急いで作りました。帰ってきた頃から、本当の新学期が始まりそうです。 気がつけば加江田の山の山桜もとっくに終ったようで、切り通しの坂道の皐月が目に鮮やかです。皐月も色鮮やかに、新入生にこんにちは 我鬼子
『アフリカ文化論(一)ー南アフリカの歴史と哀しき人間の性』に手を入れるつもりでしたが、連休が終わりかけています。本は仕上がりませんでしたが、茄子、胡瓜、ピーマン、獅子唐、朝鮮の激辛ピーマンの苗を増やし、草を敷いて、酢をまきました。去年まで夏野菜も虫に食われたまま、畑に出る時間もなく結局すべて食われてしまいましたが、今年は何とかなりあそうです。茶の栽培に農薬を使わず酢を使っている人がいると聞いてやってみたわけです。水虫にも酢が一番のようで、結構な殺菌作用があり、虫が嫌がるようです。去年は高い木酢とか竹酢を使ってみましたが、直接葉にかけたら、枯れてしまっていました。今年は、3倍ほどに薄めて直接葉にはかからないように噴霧しました。うまく行くといいんですがねえ。耕さないやり方も含めて、これからの指針にもなりそうで。 起きたときは降っていた雨も、三太の散歩に出かけるころにはすっかり止んでいました。あざみあざやかにあさのあめあがり、山頭火の詠んだ句が浮かびました。 本こそ仕上がらなかったものの、久し振りに韓国の映画も観て何やら気分も変わったようです。10週間ほど、またばたばたしそうですが、EMP、ENPもやりながら、何とか夏休みまでこぎ着けたいと思います。雨上がりの薊を、摘んで帰る 我鬼子
ねじ花が咲き始めました、そんなつもりでいましたが、よく見ると盛りを過ぎて半分は枯れかけています。昨日の夕方に、たくさんのとんぼが舞っている光景をみかけましたが、今朝もたくさんのとんぼがすいすいと飛び回っていました。赤くないので、あきあかねではなさそうな。 先週はよじ登って木をゆすり、山桃の実を集めて、シロップとゼリーを作ってもらいました。きのうは、猿(ましら)の如く木によじ登って実を集めました。こんなことばかりやって、今年はもう57歳だそうです。夏休みに入ったら、また、山の通草の様子を窺いに出かけることになりそうです。 このペイジはなかなか書き換えが出来ませんが、毎日何個かの書き換えをやっています。授業のページと英語科のEMP、ENPの書き換えで手一杯です。俳句が出てこない、というのもこのペイジが書けない理由ではありますが。 EMPが正式な科目として動き始めています。4人で担当していますから、実際には特別にたくさんの授業を受け持っているわけではないのですが、新しいプログラムを軌道に載せるまでは、何やかやあるようです。やりかけたものを途中でやめるわけにもいきませんので、このまま行くようですね。 梅雨が明ければ厳しい暑さ、あと一月で前期も大体終わり、5年生のEMPが終われば一息です。沈んだままの、つくつくぼうし 我鬼子
8月も下旬、アクセス制限のかけてある授業のペイジやEMPのペイジは継続的に書き換えてはいましたが、このペイジは長いこと書き込みが出来ませんでした。 秋になりました。ずーっとまとまった空間が取れずにいました。特に年明けから先週辺りまでは、なかなかきつかったです。 今は、沈んでいます。 どうやら、何もしない空間がとても大事なようです。何もといっても、かろうじて息くらいはしてはいるんですけどね。ま、実質的にはずーっと何もしていないといわれれば、そうなんですが。 きっと、少し充電出来れば、本を仕上げる気持ちがわき、10月にまた後期を迎えられるんだ、と思います沈んだままの、つくつくぼうし 我鬼子
朝、三太と散歩をしていたときに、からす瓜の花が地面に落ちているのが目にはいりました。白い花が、一面に散っていました。見上げるほどの大木から落ちてきたものです。去年も一昨年も、朱の実がほとんど見つかりませんでした。花が咲いた頃に台風が来て落ちてしまったからでしょう。そう言えば、大雨のあとの断水騒ぎから、まだ一年しか経っていなかったようです。忘れてしまうほど昔の出来事のように思えていたのですが。 今年は朱い実が手に入るでしょうかねえ。 『アフリカ文化論(一)ー南アフリカの歴史と哀しき人間の性』がやっと仕上がりました。一年以上も引き摺ったままでした。(一)としたのは、この後もあるという意味です。次は、エイズか、コンゴかになりそうです。 それにしても、9月になってしまいました。いいときと悪いときの差が激しくて、沈み始めると止まりません。自分で自分を持て余します。今回は、そんな沈みきった底の辺りで、本が仕上がり、EMPの報告書が出来ました。今は少し上向きですが、また沈んで行くでしょうね。何とか、新学期が始まる頃は少しは上向きの方が、有り難いんですが、さて、どうなりますかねえ。 来週くらいには、通草の様子を見に山に出かけられるといいんですがね。からす瓜の花が、ぼっとり落ちている 我鬼子
はや10月の半ばです。日曜日に今年も山に行き、まだ色づく前でしたが通草をたくさん採ってきました。長いこと続いた神戸元町でのグループ展が今年で最後らしく、原点に戻って通草と烏瓜を奥さんが出しますので、僕が木に登ったわけです。 後期も始まってまたばたばた過ぎる毎日が始まっています。何だかこうして日が過ぎて行くようです。白髪もずいぶん増えました。もうとめようがないようです。木に登って、今年も通草をどっさり 我鬼子
久し振りに特に何もしないでいい週末です。後期も一月経ってやっと落ち着いたということでしょうか。 もう随分と前に隣のお家の山茶花の花が咲いたと思ったら、すでに散っています。玄関の植え込みに水仙の芽が出始めているのに気がついたのがもう何日も前です。大根も萵苣も菠薐草も順調に芽を出して大きくなっています。萵苣は植え替え途中ですので、植え替える必要があります。去年は6月頃まで虫にやられないで生きていました。 4月に急遽ENP, EMPをカリキュラムに入れましたので、上級生と接する機会も増えました。特に看護学科の4年生は、国際保健論を一コマ担当することになって重ねて接する機会が持てています。一年の時に全体では授業を担当しませんでしたので、少し罪滅ぼしの意味もあったのかも知れません。上級生と接すると、やっぱり1, 2年生と違って、自己意識の高さみたいなものを感じます。目的を持って授業を選択しているせいもあるのでしょうが、入学してから3年半を過ごした証みたいなものでしょうかねえ。 今年は卒業後病院に就職する予定の人も多いようで、卒業後もENPを通して継続的に繋がりが広がって行くといいですね。医学科はかつて学生だった解剖学の澤口くんがEMPの授業を担当してくれたり、タイからきた学生と終了後も継続的に遣り取りがあったりと、少しずつ繋がりが広がっています。自分たちがしてもらったことを次の世代に返してゆく、そんな自然な関係が出来ていくといいですね。 僕自身はどうもそういった関係に縁が薄くて、根無し草のようにふらっとどこかに行ってしまう傾向があるようなんですがね。ここにも水仙の芽かよ、も疾うに過ぎて 我鬼子
道端の思わぬところで、色鮮やかな通草と烏瓜を見つけました。今年の通草と烏瓜は終わったと思ってましたので、思わぬ収穫でした。 それにしても、もう十月も終わりです。先日「いろいろとお忙しいようで休まる暇もなく1年が過ぎ、また新しい1年を迎え、そしてあっという間に1年が過ぎて・・そんな日々が繰り返されるのでしょうかね。」というメイルをもらったんですが、まさにそんな感じで月日が過ぎて行くようです。 二日間、何もしないで時間がすぎました。結局、萵苣の植え替えも出来ませんでした。折角大きくなりかけている端の方の何十枚かが虫にひどくやられていますから、このまま放っておくと、植え替える前に全部食われて芯だけになってしまいそうです。虫が食べるということは、ま、安全ということなんですが、全部食われてしまうと人の口には入らないということでもあります。虫を退治して、人が食べることになるんでしょうね。後ろめたい存在ですねえ。色鮮やかな、通草を持って 我鬼子
西風、北風が吹いて、すっかり寒くなりました。もう12月です。 昨日久し振りに温泉に出かけたとき、海岸線に吹き付ける西風で自転車がなかなか進みませんでした。12月になったのかと実感しました。 今年は十月に種を蒔いて、順調に育つ予定ってたんですが、ほとんど見事に虫にやられて、今は骨だけの残骸が無惨な姿をさらしています。いまから、もう一度種まきをし直すか、今年はあきらめるか、のようです。虫の勢いが出て来た時に、庭の畑にでる時間がなかった、ということでしょう。 明石にいた時に家の柿の木が実って渋柿を干すようになりました。こちらに来てもこの時期に大きな渋柿が出回りますので、毎年干すようになりました。陽に干すだけで何とも言えない甘みと艶が出ます。雨にやられたり暖かすぎると黴びることがありますが、雨にあたったらドライヤーで乾かすなどして、ま、何とか順調に仕上がっているようです。 医学科の6年生は卒業試験も終わり国家試験に向けて、準備の段階に入っています。看護科の4年生も今週で授業が終わり、国家試験を残すだけとなります。日本語支援専修は修士論文の最後の仕上げの段階です。 しかし、何やかや言いながら、それもそのうち終わって、卒業してゆきます。それあと、簡単に会えなくなるのが実際のようです。 そのあと修士、博士の2次試験と前期の入試があり、外国から講師を迎えての後期EMPがあり、それから私費留学生の入試と後期の入試が続きます。毎日ばたばたしながら日が過ぎてゆき、一息ついたら、また新入生です。 何一つ出来ないまま一年一年が過ぎてゆきますが、白髪だけは確実に増え続けているようです。西風が吹いた、柿を干す 我鬼子
烈しい雨です。前庭の植え込みの沈丁花が、蕾をつけています。二月末の前期入試の始まる頃には、芳香が辺り一面に漂います。 先週の金曜日に授業が終わり、授業の準備とホームページの書込みがない分だけ、ゆっくりしています。あと一週間と少しだけというところで、三年半無事故だったノートパソコンの調子がおかしくなりました。週に7コマともパソコンを使って授業をしていましたので、準備が大変でした。ビデオとカセットテープの頃の再現となりました。それはそれで良さもあり、パソコン主体の今のやり方を考え直してもいいなあと思いました。映像ファイルを使ったりパワーポイントを使ったりするのはいい面もありますが、要は使い方次第ではないかという気もします。一度考えてみたいと思っています。 一対多の形式を取らざるを得ないと思っていますが、グループワークやペアワークや発表形式などを工夫すれば、授業に参加する側がもっと主体的に授業に参加出来るかも知れません。いつもそんなことを考えながら、医学部も十九年が過ぎようとしてます。そんなつもりではなかったんですが、白髪も増え、もうその勢いを食い止めることは出来そうにありません。 二週間ほど、寝だめをして、また一月からあと一踏ん張りすることにしましょう。まだ、入試も、二年目のEMPの仕上げもありますから沈丁花も、蕾をつけて歳の暮れ 我鬼子
年が明けましたね。年末から本格的にβで録ったものをDVD-Rにする作業を始めました。八十年の半ばにビデオデッキを買った頃からためたものですから、結構な量になります。既にデッキの製造が中止されていますので、今あるデッキが壊れたら、多分万事休すです。 それ以前のもので今となっては貴重なビデオは1983年にNHKで放送されたバズゥル・デヴィドスンの「アフリカ8回シリーズ」です。1982年に辛うじて現職の高校教員をしながら大学院を終えましたが、まだテレビもビデオも持っていませんでしたから、放送があったことも知りませんでした。それに、まだアフリカに関してはほとんど知りませんでした。 大学に場所を求めて高校を辞めたものの、大学は夜間、院は教員の再養成というあるようなないような資格では、先行きの目処は全く立ちませんでした。先輩の世話で、最初の年は大阪工大の夜間の非常勤3つ、月48000円(16000×3)が総収入でした。しかし、年間22〜23回の授業以外は自由な空間でしたので、それまで読めなかった本をじっくり読みながら、少しずつ書きためました。 宮崎医科大学に決まったのが、5年後です。1985年にミシシッピでのシンポジウムが縁で知り合ったソルボンヌ大のファーブルさんと話をしたいと英語を話そうと決めたのも、その時知り合ったケント州立大の伯谷さんのお誘いで南アフリカの作家のアレックス・ラ・グーマの発表をすると決めたのも、その年です。その頃から、英語の授業でもアフリカの問題を取り扱うようになりました。 大阪工大では、LL教室を使わせてもらいました。補助員だった3人の学生と仲良しになり、色々と助けてもらいました。3人は。当時のドキュメンタリーや、ビデオショップの映像やらを録画してくれましたが、それが英語の授業や南アフリカ概論(来年度は「アフリカ文化論T」)やアフリカ文化論(来年度は「アフリカ文化論U」)で役に立つとは思ってもみませんでした。「アーカンソー物語」や「ジェーンピットマンの生涯」や「黒い弾丸オーエンス物語」などは、今となっては貴重な映像です。特に、アパルトヘイト政権に許されて朝日テレビが1987年に取材して放映した「ニュースステーション」の特別番組は、極めて貴重な映像です。 88年に宮崎に越してきた頃に劇場で放映されていた「遠い夜明け」。原作者のドナルド・ウッズがNHKのインタビューを受けていますが、それも貴重な映像です。 宮崎では英語放送を手に入れるのが難しかったのですが、衛星放送がついてからは状況が一変しました。開局当時に放映された「ルーツ」も今となっては貴重です。第1部は一昨年に30周年版のDVDがでましたが、第2部は出てませんので、これも貴重です。その辺りは、DVD-Rになっています。 89年に南アフリカの作家ミリアム・トラーディさんを招いて医大で講演会をした時のニュース映像、90年のマンデラの釈放前後英語放送、94年のBSE騒動が起きた時のBBCの特別番組、95年のエボラ出血熱騒動時のニュース、96年(?)の脳死者からの臓器移植騒動のニュース、最近では数々のエイズに関する特別番組と、二十年以上に及ぶ録画の軌跡は、宮崎での十九年の足跡と重なります。 2年くらいはかかりそうな作業が続きます。βと、DVDで年が明ける 我鬼子
もう2月になりました。暖かい日が続いています。長野から雪が解けて外出が楽になりましたというメールが届いたりしています。何日か前から、家の近所の沈丁花が甘いかおりを漂わせ始めました。入試の頃に、いつもああ沈丁花だなあと思います。 成績も何とかつけ終わり、今年度も再来週からのEMPと入試が終われば、終了です。EMPも2年目、4月からは看護学科、看護部も加わり、授業そのものよりも、調整役で色んな所と交渉する方が大変でした。卒業してゆく人たちが、病院や大学などを通じて繋がってゆくのが、何より心強いです。授業などしていても、すぐには目に見える成果が出るわけではないので、卒業した人たちが今度は後輩に授業をやってくれたりすると、嬉しい限りです。 今年は首をすくめるほど寒い日がないまま、春になるのかな。暖かい冬、沈丁花のかほり漂い始めて 我鬼子
タイのソンクラ大から小児科医のビーチャイさん、カリフォルニアのアーバイン校から小児科医のファイザルさんを迎えてのEMPが終わりました。来年度はソンクラ大からの希望者が四十名を越えたそうです。アーバインからも学生が二人医学部に来てEMPにも参加してくれるそうです。こちらからは六人がソンクラに行く予定です。 看護学科にも6月にJICAの支援を受けて中東から現役の看護師5名が来て一ヶ月滞在することになりました。色んな国の人が来て仲良くなり、やがてはその輪が広がっていくといいなあと思います。EMP、ENPはその繋ぎ役として役割が増していくような気がします。 今日は前期の入試がありました。明日からは採点ですが、また新入生の季節です。沈丁花も盛りを過ぎ、白木蓮が咲き始めました。このまま、肩をすくめるような寒さがないまま、春になりそうです。はや、白木蓮も咲き出した 我鬼子