本紹介19『汝が心告れ』
本紹介19押川昌一著『汝が心告れ 押川昌一戯曲集』(1995/1/3)の表紙絵です。表紙絵に子供たちと犬のいる田舎家とからすうりを描いています。
→「烏瓜(からすうり)」もどうぞ。
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「汝が心告れ」は、「馬車道の女」に続いて出版されました。
「汝が心告れ」が、長野県に学童疎開をされた作者の体験がもとになっているということで、今回は農家の絵を、とのことでした。
田舎の大きな農家といわれ、私は熊本県にある母の実家を思いうかべました。
私がその家を訪れたのは、小学生の頃、一度だけです。
祖父が危ないという知らせを受け、両親は私をつれて、夜行列車で兵庫県の西宮から熊本へむかいました。
翌朝その家に着くと、広くてほの暗い座敷に、やせこけたおじいさんが、うすく横たわっていました。
断片的な記憶のなかで一番覚えているのは、初めて会う祖父のことではなく、五右衛門風呂でした。
釜でやけどをしないよう恐る恐る入りましたが、何より恐かったのは、猫が戦利品としてお風呂のすぐ横に置いていった、ねずみの死骸でした。
危篤ということであちこちから親戚が集まりましたが、祖父は叔父がおみやげに持ってきたアイスクリームを口にするうちに、少しずつ元気を取りもどしていきました。
医者である叔父によれば、単なる栄養失調ということでした。
母は毎日懸命に料理をし、祖父はそれをゆっくりおいしそうに食べました。
数日後、私たちが帰る前日には、母が作った特大のいなりずし(田舎の大きなうすあげにあわせてご飯をつめたので、普通の三個分はありました。)を二個、きれいに食べるまでに回復しました。
祖父はその後、すっかり回復し、数年間元気にすごしたと聞いています。
実際にその家ですごしたのは、その時一度だけですが、二十数年後、私は父と家族といっしょに、その家の前に立ちました。母はすでに亡くなっていました。
住む人のないまま、年月はすぎていましたが、門構えだけは、かろうじて残っていました。
その時撮った一枚の写真をもとに、この絵ができました。