私の絵画館11:三太と銀杏
今までに何枚も絵を描いてきましたが<夢のなかで出来上がった絵>というのは、この一枚だけです。
以前、自転車でいつも通る道沿いに、小さな公園がありました。さして楽しそうな遊具があるわけでもない、殺風景な公園でしたが、ある秋の日、数本あるイチョウが見事に色づいていました。
もえるような黄金色に輝くイチョウを、描きたい!と思いました。その木の下には、深々と眠るラブラドールの“さんた”。★ 続きは題をクリック ↑
そんなことを考えながら眠りについた夜、私は夢を見ました。イチョウのはるか上には細い三ケ月がありました。
それがこの絵でした。
ところで、モデルになった“さんた”については、何年も前に書いたこのような文章があります。
ラブラドール・レトリバーのさんたは、1999年12月4日、生後45日で家に来ました。
予想よりずっと小さく、か細い子犬でした。
一緒に暮らし初めてもうすぐ8年になりますが、いまだかつて、私たちはさんたの怒った顔を見たことがありません。闘争心がまったくなく、ほかの犬からいくら吠えられても嫌そうに避けるだけです。
4年前から、猫のノアと一緒に暮らすようになってもそれは変わらず、熟睡中に、通りすがりのノアに耳をパクッと噛まれても、「ギャイン!」と言うだけで、場所を変えて、また寝てしまいます。
また、人にとても気を遣っているようで、あくびの途中で私たちと目が合うと、そのままで一瞬止まり、あくびを止めてしまいます。喜怒哀楽といいますが、さんたには「怒」が抜け落ちてしまったみたいです。
ラブラドールは何でも食べる癖がある、と聞いてはいましたが、その習性を一手に引き受けてしまったのがさんたではないかと思います。
普通、犬ならば、食べて良いものと悪いものくらい嗅ぎ分けるだろう、というのは人間の勝手な思い込みで、少しでも形のあるものはとにかく食べてしまいます。
いつかも、近くに置いてあったラジカセに足を乗せたら、CDの蓋がパカッと開いたらしく、中のCDを取り出し、「カリッ、パリパリ」とほおばった様で。少し離れたところで電話中だった私には、何をかじっている音か、想像もつきませんでした。慌てて行ってみると、CDが3分の1ほど消えていました。これくらいなら翌日のウンチの中にキラキラ光るブルーの欠片が混じるくらいで済みますが、とんでもない出来事もありました。
生後5カ月の頃、家の中でさんたが何かをくわえ、それを私たちが追いかける、という遊びが流行っていました。その日、さんたは畳に落ちていたマスクを目ざとく見つけ、くわえて逃げて行きました。やばいと思って追いかけているうち、マスクをくわえて部屋を出たはずのさんたが、別の入り口から、ボールをくわえ、にこにこしながら入ってきました。「マスクは?」と、必死に探しましたが、見つかりません。けれど、まだ、さんたの習性を本当には理解出来ていなかった私たちは、マスクを飲み込んだという事実を信じることが出来ず、とりあえず様子をみることにしました。
2週間後、突然もどし始めたさんたを病院に連れていくと、レントゲンに写る胃の中にはやはりマスクがありました。獣医さんは内視鏡で何とか取り出そうと試みてくれましたが、胃の下方に蓋をするような形になっていて、無理でした。そして、やむなく開腹手術に切り替え、ようやくマスクは取り出されました。簡単に取れなかったのも道理で、マスクはそれまでにさんたが飲み込んでいた輪ゴムやら紐やら髪の毛やら、さまざまなものとがっしり絡み合っていました。
以来、命には代えられないと、さんたはリビングのテーブルの脚に紐で繋がれることになりました。ただし、力が強くて、興奮するとテーブルを引っ張りながら移動してしまいますので、重いピアノの椅子も置き、両方の脚に括ることにしました。
8歳になったさんたですが、油断は出来ません。
今朝も、テーブルに置いたお皿の上の納豆(タレ付き)を一瞬の隙に食べられてしまいました。
→2011年用カレンダー「私の散歩道2011~犬・猫・時々馬~」の11月の「三太とイチョウ」もどうぞ。
執筆年
2010年
収録・公開
→「三太と銀杏」(No. 27:2010年11月9日)