小島けいのジンバブエ日記8回目:ルカリロ小学校

2 小島けいのジンバブエ日記8回目:「9月17日(快晴)ルカリロ小学校」(小島けい)

 <ジンバブエ>は南半球に位置します。そのため8月が学校の冬休みです。

ゲイリーの三人の子供たちは、休み中お母さんのフローレンスと一緒にハラレにやってきました。そして一夏(一冬?!)、私たちの子供(二人)と楽しく遊んですごし、九月の新学期に間にあうよう田舎に帰って行きました。

私たちは9月から学校にもどったウォルターとメリティに会うため、大きなバンを借り、ゲイリーの田舎の「ムレワ」を訪問しました。

土埃の舞うムレワのショッピングセンター(日本のように建て物があるわけではなく、赤茶色の土の広場の両側にいくつも店が広げられているという場所です。)からでこぼこの細い道をたどると、ゲイリーの家に着きます。さらにもっと奥の丘の上に、二人の通うルカリロ小学校がありました。 若いジャカランダの木が二本、入口あたりにアーチのように植えられていて、その向こうに小さな建物がコの字型に建っています。

車が止まると、中から一斉に子供たちが、その後から先生たちが飛び出して来ました。そして、差し出される手、手、手。握手ぜめです。

ルカリロ小学校の子供たち

資金不足のために床や壁や屋根のない校舎を見学した後、広場で盛大な歓迎会です、私たちは村を訪れた初めての外国人なので、村人たちも三三五五集まってきました。

村人たちも総出です

アフリカ特有のダンスから始まり、クラス毎の合唱、英詩の暗唱と、会は延々と二時間以上続きました。最後は「イシェコンボレリアフリカ」の大合唱。それに対し、相方がお礼の言葉を述べて、会は終わりました。

音楽の先生と歌う女子生徒たち

けれどその後には、各クラス、さらには全体の記念撮影が待っていました。この国では、ショナ人たちが写真を撮る機会は、ほとんどありません。彼、<迷カメラマン>の大活躍です。

ほぼ300人全員での記念撮影

 撮影会の後、ゲイリーの家にもどりました。幾つものインバ(小屋)で出来た彼の家から、遥か向こうの山裾までがゲイリーの土地です。つい百年前までは、この土地で自給自足の生活が可能だったそうです。

1980年に独立はしたのですが、白人優位の経済機構は変わらず、ほとんどのショナ人は以前と同様に、街へ出稼ぎに行かなければ暮らしていけなのが、現状です。

ゲイリーの家族といっしょに

丘を背景に、子供たちいっしょに

最終更新日: 2020年 2月 19日 7:07 午後   カテゴリー: ジンバブエ
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