小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~④:「再び、8月のパリで」(2020年12月)

「続モンド通信 25」2020年12月20日)

1976年の8月を、私はパリですごしましたが。ひょんなことから、翌年の8月も、パリですごすことになりました。

 

もうすぐ夏休みという頃、三番目の兄が突然<パリに行く!>と言いだしました。大人ですので、ふつうなら何の反対もしませんが。当時兄は、いくつかの病気で薬を何種類も飲んでいました。そのような人が長旅に出れば、体調の悪化は目にみえていました。

けれど、言いだしたら後には引かない。走れば倒れるまで走り続ける性格は、その時も健在でした。昔、交換留学生としてノルウェーに滞在した帰り。パリに立ち寄ったけれど、お金がなくて全く楽しむことができず、みじめだった。少しはお金を自由に使えるようになった今行かなくては、悔しくて死んでも死にきれない。これが本人の言い分でした。

誰も止められず<それなら私が先にパリに行って、待っててあげるよ>となったのです。

私がパリに着いて数日後。案の上、体調の悪化した兄が、空港に到着しましたが。現地のガイドはその様子を一目見ると、即座に帰国の手続きを進めてしまいました。いわば<強制送還>です。兄は必死の思いで、空港のカウンターの方に事情を説明し、このままでは帰りたくない!と訴えました。

気の毒に思ったその方は、キャンセルされてしまった<ホテルニッコー>の代わりに、乗務員がよく利用する街のプチホテルを紹介してくれました。おかげで、兄は何とかパリに滞在することができました。

ただ、外国で病気をすることの大変さを、私はいろいろ実感しました。ある時も<シップと酢を買ってきてほしい>と頼まれた私は、薬局をさがして街のなかを歩き回りました。そんな時、ちょうど向こうから来た日本人留学生に<パリ在住の方ですか>と話しかけられ、結果、薬局の場所をおしえてもらうことができました。

歩いて行くには遠いとのことで、タクシーをつかまえようと、広い道路でこちらに向かって走ってくる車に手をあげていると、スーッと一台の車が止まりました。行き先を告げて、急いで後部座席に乗り込むと、背広の上着とカバンが置いてあり、運転手は慌ててそれらを前の座席に移動しました。片言で話をしているうちに目的地に着き、お金はいくら?とメーターをさがすと、見あたりません。その様子を見ていた運転手は笑って、初めて<この車はタクシーではないよ>と教えてくれました。そして、<お金はいらないから、気が向いたらこの住所に手紙を書いてネ>と、名刺をくれました。

薬局のことしか頭になかった私は、止まった車がタクシーではないことに、最後まで気付きませんでした。ゆっくり思い返せば、パリッ!とした白ワイシャツを着て、カバンもビジネス用の大きめの物でした。何より顔つきも精悍な感じで知的でした。パリの運転手の中にはそんな人もいるかもしれませんが、少なくとも私の乗ったタクシーの運転手さんたちとは、少し雰囲気が違ったような・・・?

とにもかくにも、その人が<いい人>でほんとうによかった・・・・と、ずうっと後になって思いました。

紹介された街のなかのホテルより、私が泊まっているホテルニッコーの方が新しくて快適というので、私が兄とホテルをとりかえてすごしたり・・・など、様々なことがありましたが。

一週間後、兄は一応満足した様子で、帰って行きました。

プティホテルの屋根裏部屋から(1992年11月ジンバブエの帰りに)

最終更新日: 2020年 12月 25日 8:45 AM   カテゴリー: エセイ
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