小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~⑤:「心臓は・・・?」(2021年1月)
続モンド通信 26(2021年1月20日)
小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~⑤:心臓は・・・?(小島けい)
一本の道がある
生まれる前に 歩いた道である
昔、ぽつりぽつりと書いていた詩の一節を、ふと思い出しました。
それはきっと<心臓>という臓器の話を聞いたからだと思います。人間の身体を毎回一つずつ取り上げる織田裕二さん司会の番組で、前回は心臓でした。
脳と心臓はこれまで、脳が指示を出して心臓はそれに基づき動くもの、と考えられてきました。
ところが、一方的ではなく互いに影響しあう存在ではないか、というのです。
もう何年も前ですが、韓国ドラマで。心臓移植を受けた人が、提供してくれた人が生きていた頃想っていた人物と出逢い、惹かれていく、という物語がありました。
それを見た時は、本当にそういうことが起きるのかしらん?と思いましたが。
研究論文の中にはアメリカで実際にあった話として。ある男に殺された人の心臓をもらった少女が、移植後殺される恐い夢を何度も見るようになり、その夢に現われる男の似顔絵を書いたところ、その絵がもとで真犯人がつかまった、という例が紹介されていました。
そこまでではなくても、若い男性の心臓をもらった中年女性が、それまではほとんど食べなかった油っこいフライドポテトなどを好んで食べるようになり、調べてみると、それは心臓を提供した若者の好みだった、という場合もあるそうで。
最近では、脳から心臓への一方通行ではなく、心臓から脳へも何らかのメッセージが送られているらしい、とわかってきているとか。
私自身子供の頃、数回だけですが。ある場面に出くわした時<私は前に、この場面に出会ったことがある・・・・>と感じたことがありました。
大人になってからは、きっと夢と現実がごちゃまぜになってしまったからだろうと深く考えたりしませんでしたが。
<心臓>という不可思議な存在が体のなかにあるのだから、理屈にあわない何かを感じたとしても、それはそれでいいのではないか。
今私は、そんなふうに思っています。
ちなみに、これまでに描いた三百枚以上の絵の中で、一枚だけ、夢のなかでできた、絵があります。
それが「月に眠る」です。
ある夕方、いつも通る自転車道の横にある小さな公園で、見事に色づいたイチョウを見ました。
その夜、夢のなかで見た絵がこれでした。イチョウの木々のもと、深々と眠るラブラドール・レトリーバーの三太。天には細い三日月がありました。
「月に眠る」
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