私の絵画館47:ショー子ちゃんと黄色いダリヤ
絵のモデルは福岡県在住だったショー子ちゃんです。
その飼い主さんである獣医さんが、長年相方がお送りしていたポストカードの原画を見たいと、昨年秋、個展をしている大分県飯田高原にいらして下さいました。ゆっくり絵を見ていただき、たくさんお話もお聞きしました。★ 続きは題をクリック ↑
絵のモデルは福岡県在住だったショー子ちゃんです。
その飼い主さんである獣医さんが、長年相方がお送りしていたポストカードの原画を見たいと、昨年秋、個展をしている大分県飯田高原にいらして下さいました。ゆっくり絵を見ていただき、たくさんお話もお聞きしました。★ 続きは題をクリック ↑
私が通う牧場にツルマルツヨシくんがいます。元競走馬・誘導馬として活躍していた馬で、今は宮崎でのんびり余生をすごしています。
その馬主さんが2年前に亡くなられました。ふつう馬主さんがいなくなった馬は生き続けることが難しい。それが現実です。★ 続きは題をクリック ↑
ある日キャンパスに散歩に行くと、途中の斜面の草が刈られていました。咄嗟に、あの子たちは大丈夫かしらん?と思いました。
そこは2ヶ月前の雨の夕方、あの子たちの姿を見た場所でした。
私が折り返して帰ろうとした時、5~6m先に見なれない動物が立っていました。その姿を見た瞬間、私の頭のなかではふだんよく使う動物の名前が浮かんでは消え、ぐるぐるかけめぐりました。★ 続きは題をクリック ↑
「山羊のみた夢 2」
六月のある日、新聞に山羊のことが書いてありました。敗戦後の食糧難の時代に、エサ代がかからず栄養価の高い乳が飲めるということで、山羊を飼うことが奨励された時期があったとか。けれどまもなく、大量に乳をとることのできる乳牛に変わり、山羊は激減したとありました。
時々牧場に草を食べに来てくれる黒山羊を思い出し、なるほどなあと思いました。★ 続きは題をクリック ↑
兵庫県にあるJR朝霧駅は、残念なことに花火大会の事故で有名になってしまいましたが、私が通勤していた頃は、まだ直接海辺に続く階段はありませんでした。★ 続きは題をクリック ↑
いつの間にか、何故か、今私は4匹の猫たちに囲まれて暮らしています。
生まれつき胃腸が弱かったり魚アレルギーのため魚を食べさせられない等、それぞれ問題点のある猫たちですので、世話は大変ですが、十二分に可愛くいとおしい存在です。★ 続きは題をクリック ↑
以前、キャバリアという種類のブリーダーをしておられる方からの依頼で→「モモちゃんとひまわり」(2011年8月10日:)という絵を描きました。
前の飼い主から虐待を受けていたモモちゃんは、新しい飼い主さんにもなかなか心を許しませんでした。何ヶ月もしんぼう強くあたたかく接し続けた結果、ようやく心を開くようになりました。
それでも、モモちゃんは死ぬまで、家族以外には身体をさわらせなかったそうです。それだけに、特別な想いがあり忘れられない子でした、とお聞きしました。★ 続きは題をクリック ↑
今、宮崎の桜は満開です。
今年は花が咲き、咲ききって散るまでの速さが、例年以上のように思われます。美しいさくら色をゆっくり愛でるひまもなさそうです。
そんな春が、いつからか、私にとっても哀しい季節になりました。けれど沈みがちな気分になる時でも、いつものように“こんなふうになったらいいなあ”と思うことをできるだけ口に出して言うようにしています。そうすると思ったことが実現する可能性が高くなると思うからです。★ 続きは題をクリック ↑
宮崎の冬は、それなりに寒い。
いくら南国とはいえ冬は寒いのだということを、<外>から来た人のほとんどは知りません。
25年前の3月末に引越してきた時、私たちもそうでした。南国で、3月も終わりだというので、かろうじて持って来た暖房は、
小さな電気ストーブだけでした。★ 続きは題をクリック ↑
人の考え方は皆ちがう。そんな当たり前のことを、よりしみじみ思うようになったのは、絵を通していろいろな方と接するようになってからだと思います。
以前、ひめつる日々草と犬ちゃんを絵に描いた時。
ああ、できた、きっと喜んで下さるだろう。そう思って画像でお送りしましたが、翌日かかってきたお電話の声は、何だか怒っていらっしゃるようでした。★ 続きは題をクリック ↑