私の絵画館35:子猫とイチョウ
今年も九月、大分県飯田高原にある“九州芸術の杜”で、個展をしました。昨年より3点多く、74点の絵を展示しました。相変わらず、絵や絵のカード等展示物を送るだけでも大変でしたが、その後、私たちがギャラリーの2階で宿泊する10日間の食べ物を準備することも、やはりかなりのものでした。高原では、まわりにお店がなく仕方のないことですが・・・。★ 続きは題をクリック ↑
今年も九月、大分県飯田高原にある“九州芸術の杜”で、個展をしました。昨年より3点多く、74点の絵を展示しました。相変わらず、絵や絵のカード等展示物を送るだけでも大変でしたが、その後、私たちがギャラリーの2階で宿泊する10日間の食べ物を準備することも、やはりかなりのものでした。高原では、まわりにお店がなく仕方のないことですが・・・。★ 続きは題をクリック ↑
美人の姉妹猫、まりりんとぷりんは、四国の松山市在住です。
出逢いは昨年9月21日。個展会場である大分県の飯田高原は、その日もまた激しい雨でした。
平日でもあり、雨でもあり、ということで美術館に来られるお客様はとても少なかったのですが、この雨のおかげでお会いできたのが、愛媛県の松山市から観光に来られた若いご夫婦でした。★ 続きは題をクリック ↑
子象が義足をつけて、嬉しそうに草の上を歩いたり、横たわり草の感触を楽しむように体をすりつけたりしていました。
7ヶ月で地雷を踏み、右足をなくしたモーシャという子どもの象が、初めて義足をつけて歩いた場面でした。★ 続きは題をクリック ↑
「やさしいライオン」という絵本があります。
ずいぶん久しぶりに、ホコリのかぶったその本を読んでみました。内容もすっかり忘れていましたが、それはあたたかくて、悲しくて、そして最後にひと筋の希望のようなものを感じました。32頁の短いお話ですが、読んでいくうちに、泪がでました。
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昨年九月の大分県九重での個展は、雨ばかりの毎日で大変でしたが、それでもたくさんの嬉しい出会いに恵まれました。
ピースちゃんとその飼い主さんとの出逢いも、そのひとつです。
土曜日の午後、白い犬ちゃんを抱いた若い女の方を館長さんが案内して来られました。★ 続きは題をクリック ↑
アトリエで絵を描いていると、いつも午後4時をすぎた頃、1階から三太の呼ぶ声がきこえてきました。散歩の時間だよ、という催促です。
集中して描いている時でも4時をすぎると、いつ呼ばれるか気が気ではなく、落ちついて描いていられなくなります。そして案のじょう、その少し高い一声がきこえます。
“ワン!!”★ 続きは題をクリック ↑
すっかり春になりましたが、私の部屋のテレビは、全く画面が消えたままです。
昨年の十一月の中頃、その冬一番の木枯らしが吹きました。その後、パッタリテレビが映らなくなりました。北西の風が吹いて映らなくなったのだから、東風(こち)が吹けばアンテナが元に押しもどされて、また映るにちがいない。
家族にそう話すと『そんなアホな』とか『なかなかおもしろい考え方やねえ』と言われました。★ 続きは題をクリック ↑
ある日、京都の泉屋博古館へ行きました。
数ある青銅のコレクションの中で、私はヨウ鐘に線で描かれたひとつの小さな竜に心惹かれました。時代も国も遠く離れているのに、それは『エルマーの冒険』というお話に登場する、金色の羽をもった青と黄色の縞模様の竜と、ひどく似ていました。★ 続きは題をクリック ↑
絵のモデルは、大分県に住んでいたゴールデン・レトリーバーのロンくんです。
一昨年の個展の時、ふらりと入ってこられた年配の男の方とお話しました。
ほんのひと言ふた言お話しただけで、あっ、関西の方だ、とわかりました。
“わしは姫路におってなあ-。”
“私たちは明石に住んでいたんです。”
と、ひとしきり関西、それも極く狭い範囲の話で、もり上がりました。★ 続きは題をクリック ↑
「シンディ」は元気いっぱいの女の子。
生まれた時は、薄い白色の膜がかかっているようなこげ茶がかったあずき色という不思議な色をしていました。
成長していくうちにお母さんの「チェック」と同じ白馬になるのだそうで、確かに少しずつ白色がふえていきました。★ 続きは題をクリック ↑