私の絵画館14:梅の季節に
昨年の夏、一枚の葉書が届きました。大切な方の訃報でした。“私の高校に来ませんか”と新卒の私に声をかけて下さった元校長先生です。
私たち、教員の一部と生徒達は、鉄夫という名前から親しみをこめて「鉄ちゃん」と呼んでいました。また短気でせっかち、怒るとひどく怖いので「馬場鉄」とも恐れられていました。あらゆる方面に博学で、集会においても、生徒達は鉄ちゃんの話を毎回楽しみにしていたくらいです。★ 続きは題をクリック ↑
昨年の夏、一枚の葉書が届きました。大切な方の訃報でした。“私の高校に来ませんか”と新卒の私に声をかけて下さった元校長先生です。
私たち、教員の一部と生徒達は、鉄夫という名前から親しみをこめて「鉄ちゃん」と呼んでいました。また短気でせっかち、怒るとひどく怖いので「馬場鉄」とも恐れられていました。あらゆる方面に博学で、集会においても、生徒達は鉄ちゃんの話を毎回楽しみにしていたくらいです。★ 続きは題をクリック ↑
家から南の山の方へある程度入ったところに「椿山」があります。
こちらが椿山、という気楽そうな看板につられ、すぐそこら辺にあるのだろうと思い一人で向かったのですが、山の入り口で改めて「ここから○Km」とあり、なんと!と思ってしまいました。★ 続きは題をクリック ↑
2008~2012年:大分県飯田高原→九州芸術の杜ギャラリー夢
2013年~:東京都世田谷区祖師谷「ルーマー」→Cafe &Gallery Roomer
記録を残していない年もあります。
2023小島けい個展→「小島けい個展2023」
2022年個展→「小島けい個展2022」
2021年個展→「小島けい2021年個展案内・開始・終了・ご報告2021 Water Painting Exhibition」
2019小島けい個展→「明日2019年個展が始まります。」
2018小島けい個展→「2018年個展のご報告」
2017小島けい個展→「2017個展報告・11月の絵画館①~⑤」
2014年個展→「個展が終わりました。告」
2012年個展→「2012年個展報告」
2011年個展→「2011個展、ありがとうございました。」
2010年個展→「<ギャラリー夢>に行ってきました!」
2009年個展→「小島けい個展 2009に行きました。」
(2008年に初めて個展をしましたが、報告は2009年からです。)
その朝、十月の軽井沢に人影はなく、別荘の点在するあたりは、静まりかえっていました。
一面の霧のなか、小径を散策していた私たちに、遠く馬の蹄の音が聞こえてきました。
足音は確実に近付いてきており、霧のむこうにその距離を測ろうとした瞬間、五、六メートル先に突如として白馬があらわれました。馬には、まっ赤な乗馬服を着た若い女性が乗っていました。★ 続きは題をクリック ↑
母は私が二十七歳の時に亡くなりました。十一月でした。
忌引きは一週間程ありましたが、母のいなくなった家に居ることがつらく、確か五日目くらいに出勤しました。
通勤の電車が特急待ちで止まるホームに、大きな山茶花の木が一本ありました。
その朝、ドアが開いたちょうどその前に、白い山茶花は、こぼれんばかりに咲いていました。★ 続きは題をクリック ↑
今までに何枚も絵を描いてきましたが<夢のなかで出来上がった絵>というのは、この一枚だけです。
以前、自転車でいつも通る道沿いに、小さな公園がありました。さして楽しそうな遊具があるわけでもない、殺風景な公園でしたが、ある秋の日、数本あるイチョウが見事に色づいていました。
もえるような黄金色に輝くイチョウを、描きたい!と思いました。その木の下には、深々と眠るラブラドールの“さんた”。★ 続きは題をクリック ↑
さやちゃんは、家で生まれた五匹の中で、一番の美人さんだと思います。同じくらい美人のMちゃんはおっとり型ですが、さやちゃんは明るくて活発。気の強さでは雄のきいちゃんと争っていた程です。「デルフィニュムとMちゃん」(モンド通信No. 22:2010年6月)の時にも触れましたが。★ 続きは題をクリック ↑
高速道路の下のトンネルに、その驢馬(ろば)はつながれていました。名前は「パオンちゃん」と、私が勝手に名づけました。
驢馬(ろば)の鳴き声を聞いたことがありますか。
「パホパホ、パオーン」と、それはもう大きな声で鳴くのです。★ 続きは題をクリック ↑
子猫の名前はジョバンニです。
もう27、8年前になりますが、一度だけ、小さな娘と二人だけで映画を観ました。神戸の三ノ宮でみたのは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」です。今のジブリ作品にも劣らない美しい映像だったと記憶しています。ただ、何故か主人公の少年たちの顔が“猫”でした。★ 続きは題をクリック ↑