新作です:子猫と銀杏(2012/7/28)

 後ろ姿の子猫二匹と銀杏です。



新作です:ももちゃんちの子犬(2012/7/21)

 ももちゃんちの子犬とたんぽぽとマーガレットです。

 ももちゃんちの子犬とたんぽぽとマーガレットです。



額に入りました(2012/7/10)

 クーちゃんとハイビスカスです。

 詳しくは→新作です:クーちゃんとハイビスカス(2012/6/29)でどうぞ。

 天満とカサブランカです。

 元の絵は→新作です:天満とカサブランカ(2012/6/5)でどうぞ。

 芍薬です。

 元の絵は→新作です:芍薬(2012/5/9)でどうぞ。

 チューリップです。
 

 元の絵は→新作です:チューリップ(2012/3/28)でどうぞ。

 椿です。

 元の絵は→新作です:椿(2012/3/12)でどうぞ。



新作です:バーニーと水仙(2012/7/10)

 宮崎のバーニーと水仙です。バーニーはニューファンドランド犬です。



新作です:クーちゃんとハイビスカス(2012/6/29)

 横浜の鸚鵡(おうむ)のクーちゃんとハイビスカスです。鸚鵡を描いたのは初めてで、今年のカレンダーの題は「犬・猫・馬ときどき鳥(鸚鵡?)」です。



新作です:てんまとカサブランカ(2012/6/5)

 宮崎市のてんまとカサブランカです。



額に入りました(2012/5/31)

 チェリーちゃんたちとチューリップです。

元の絵は→新作です:チェリーちゃんたちとチューリップ(2012/5/9)でどうぞ。

さくらちゃんと桜です。

元の絵は→「新作です:さくらちゃんと桜(2012/4/15)
でどうぞ。



新作です:チェリーちゃんたちとチューリップ(2012/5/9)

 北九州市のチェリーちゃんとハッピイちゃんとチューリップです。

 

  チューリップは→新作です:チューリップ(2012/3/28)もどうぞ。



玉田吉行の「花萬朶 HanaVander」

 小島けいのブログを更新している玉田吉行の→「ノアと三太」に「花萬朶 HanaVander」を紹介したいと思いますので、この画面をお借りします。門土社(横浜)のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に2012年6月から連載中です。一覧のあとに最新号>を載せています。一覧です。

「花萬朶 HanaVander」一覧

花萬朶6「アフリカ系アメリカ史、アフリカ史点描」(2012年11月5日)
花萬朶3「CDを配る」(2012年8月1日)
花萬朶2「虫を殺して」(No.46  2012年6月10日)
花萬朶1「高校と大学の狭間で」(2012年5月30日)

最新号です:

アフリカ系アメリカ史、アフリカ史点描

                           玉田吉行

 こんなに生き永らえるとは思ってもいませんでしたが、あと二年半足らずで大学を定年退職だそうです。
 アフリカ系アメリカ人作家リチャード・ライト(Richard Wright, 1902-1960)の作品を理解したいという思いからアフリカ系アメリカ人の歴史を追い始めてから三十年年余り、宮崎医科大学に来て、アフリカ系アメリカ人の祖先の土地アフリカの歴史と医学に目を向けるようになってから二十五年余りの歳月が流れたようです。

Rライト ライト

 最近になって、英語によって書き残された文学作品を手がかりに、アフリカ系アメリカの歴史とアフリカの歴史を点描して、その時代を精一杯に生きてすぐれた文学作品に書き残して伝えようとした先人たちの思いをすくい取りたいと考えるようになりました。
 アフリカ系アメリカとアフリカの歴史を辿りながら見えて来たのは、アングロサクソン系を中心にした今も続く欧米人の傍若無人な歴史と、その中で斃れたり、傷つけられて来た多くの人たちの姿でした。その過程で出会ったアフリカ系アメリカ、南アフリカ、ケニア、ジンバブエの英語によるすぐれた文学作品を点描して、先人から少しでも学び取り、現代のひとや社会が抱える様々な問題への提言のひとつでも思いつけばと考えています。
 歴史を垣間見た結論から言えば、アフリカやアフリカ系アメリカの問題に対する根本的な改善策があるとは到底思えません。英国人歴史家バズゥル・デヴィドスンが指摘するように、根本的改善策には大幅な先進国の譲歩(経済的譲歩だけでなく、精神的な意味での譲歩も含めて)が必要ですが、残念ながら、現実には譲歩の兆しも見えないからです。しかし、大幅な先進国の譲歩を引き出せなくても、小幅でも先進国に住む私たちの意識改革を促すような提言を模索し続けることは出来そうです。たとえ僅かな希望でも、ないよりはいいのでしょうから。
 文学しか頭になかったせいでしょう。「文学のための文学」を当然と思い込んでいましたが、アフリカ系アメリカの歴史とアフリカの歴史を辿るうちに、その考えは見事に消えてなくなりました。ここ五百年余りの欧米の侵略は凄まじく、白人優位、黒人蔑視の意識を浸透させました。欧米勢力の中でも一番厚かましかった人たち(アフリカ分割で一番多くの取り分を我がものにした人たち)が使っていた言葉が英語で、その言葉は今や国際語だそうです。英語を強制した国(いわゆるコモンウェルスカントリィズ)は五十数カ国に及びます。一九九二年に滞在したハラレのジンバブエ大学では、九十%を占めるアフリカ人が大学構内では母国語のショナ語やンデベレ語を使わずに英語を使っていました。南アフリカからヨーロッパ人入植者が大量に押しかけて来たのが一八九四年ですから、僅か百年足らずの間の激変です。ペンタゴンで開発された武器を個人向けに普及させたパソコンのおかげで、今や九十%以上の情報が英語で発信されているとも言われています。まさに、文化の侵略の最終段階の様相です。

ZmU4 ジンバブエ大学教育学部棟

 聖書と銃で侵略を始めたわけですが、大西洋を挟んで三百五十年に渡って行なわれた奴隷貿易で資本蓄積を果たした西洋社会は産業革命を起こし、生産手段を従来の手動から機械に変えました。その結果、人類が使い切れないほどの製品を生産し、大量消費社会への歩みを始めました。当時必要だったのは、製品を売り捌くための市場と更なる生産のための安価な労働者と原材料で、アフリカが標的となりました。アフリカ争奪戦はまことに熾烈で破壊的で、世界大戦の危機を懸念してベルリン会議を開き植民地の取り分を決めて一時は戦争を回避したものの、結局は二度の世界大戦で壮絶に殺し合いました。
 第二次戦後の二十年ほどの間、それまで虐げられていた人たちが解放闘争や独立闘争を激しく展開しましたが、結局は復興を遂げて巻き返した西洋諸国と米国と日本が新しい形態の支配体制を築き上げました。開発や援助を名目に、国連や世界銀行などで組織固めをした多国籍企業による経済支配体制です。
 アフリカ系アメリカとアフリカの歴史を辿っていたら、そんな構図が見えて来ました。奴隷貿易、奴隷制、植民地支配、人種隔離政策、独立闘争、アパルトヘイト、多国籍企業による経済支配などの過程で、虐げられた側の人たちは強要されて使うようになった英語で数々の歴史に残るすぐれた文学作品を残して来ました。時代に抗いながら精一杯生きた人たちの魂の記録です。
 文学作品を理解したいという思いから辿り始めた歴史ですが、今度は歴史の中に刻まれた文学作品から歴史を描いてみようと思います。
先人から少しでも何かを学び取れれば、嬉しい限りです。(宮崎大学医学部教員)



新作です:芍薬(2012/5/9)

 芍薬です。

 2009年カレンダー→「私の散歩道2009」の6月もどうぞ。