本紹介2 A Walk in the Night

本紹介2 A Walk in the Night (1989年4月20日)の表紙絵で、南アフリカの街角を描いています。

 

 →「たまだけいこ:本(装画・挿画)一覧」で全体をご覧になれます。

表紙絵は当時上映されていた反アパルトヘイトのために闘った白人ジャーナリストルス・ファースト親娘を描いた映画「ワールド・アパート」(→」(「『ワールド・アパート』 愛しきひとへ」[「ゴンドワナ」 18号 7-12ペイジ、1991年]に映画評を掲載しています。) の一場面をモデルに水彩で描いています。宮崎医科大学、旧宮崎大学農学部、教育学部などの英語のテキストとして使いました。
南アフリカの作家アレックス・ラ・グーマ(1925-1960)の第1作目の物語です。アパルトヘイト政権下では、発禁処分を受けていました。南アフリカ第二の都市ケープタウンを舞台にした作品で、オランダ系と英国系の入植者に侵略され、厳しい状況の中で生きることを強いられているカラード社会の一面が生き生きと描かれています。アフリカ人、アジア人、ヨーロッパ人の混血の人たちで、人種によって賃金格差がつけられたアパルトヘイト体制の下ではカラードと分類され、人口の10%ほどを占めていました。ケープタウンに多く、その人たちは特にケープカラードと呼ばれていました。
ラ・グーマはアパルトヘイト体制と闘った解放闘争の指導的な役割を果たしていましたが、同時に、大半が安価な労働者としてこき使われ、惨めなスラムに住んでいる南アフリカの現状を世界に知らせようと物語も書きました。きれいな海岸や豪華なゴルフ場のイメージで宣伝活動をして観光客を誘致し、貿易を推進して外貨獲得を目論む政府にはラ・グーマは脅威でした。他の指導者と同じように何度も逮捕拘禁され、1966年に英国亡命の道を選びます。その後、キューバに外交官として受け入れられますが、1985年に解放を見ることなく還らぬ人となりました。
作品論→「アレックス・ラ・グーマ 人と作品4 『夜の彷徨』上 語り」(1988年)と→「アレックス・ラ・グーマ 人と作品5 『夜の彷徨』下 手法」(1988年)は下に載せてています。

作家論は→「アレックス・ラ・グーマ 人と作品1 闘争家として、作家として」(「ゴンドワナ」 8号 22-26ペイジ、1987年)、→「アレックス・ラ・グーマ 人と作品2 拘禁されて」(「ゴンドワナ」 9号 28-34ペイジ、1987年)、「アレックス・ラ・グーマ 人と作品3 祖国を離れて」(「ゴンドワナ」 10号 24-29ペイジ、1987年)に掲載しています。(玉田吉行)

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アレックス・ラ・グーマ 人と作品4 『夜の彷徨』上 -語り-

「ゴンドワナ」11号(1988)39~47ペイジ

 

時代を越えて
<南アフリカ人として、南アフリカの大地に生を受けながら、白人でないという理由だけで、人間としての扱いを受けなかったラ・グーマ。ラ・グーマの一生は、人間を取り戻すための闘いであった。
貧しく虐げられながらも、更に拘禁され、祖国を離れることを強いられても、すばらしい両親の深い愛に包まれ、よき伴侶に支えられつつ、ラ・グーマは断じてひるまなかった。
祖国を離れて、疲れ果て、解放の日を見ることなくこの世を去ってしまったが、その生き様は時の流れの中に葬り去られることはない。慈愛を言葉にくるんで残していった数々の作品の中に、ラ・グーマの魂は生きつづけるだろう>
前回までの伝記的な部分を私はそう結んだが「慈愛を言葉にくるんで残していった数々の作品の中」から、今回は、先ず何よりも『夜の彷徨』を取り上げたい。執筆順で行けば『夜の彷徨』以前に既に発表されていた短篇や新聞記事などを最初に扱うべきなのだろうが、敢えて『夜の彷徨』を取り上げたいと思う。その理由は、この作品が、結果的にはラ・グーマの作家としての実質的な出発点となったし、ある意味では既に出ていた短篇や記事の集大成でもあったからだが、さらに言えば、この作品が世に出たこと自体に、時代を越えた何か因縁のようなもの、言葉を換えて言えば、ラ・グーマの執念にも似た思い入れのようなものを感じないではいられないからだ。
私は、ナイジェリアで出されたテキスト (写真①)を黒人文庫 (神戸市外国語大学図書館)から借り、ハーレムのリベレーション・ブックストアでノースウェスタン大学出版のテキスト (写真②))を買い、門土社から大学用のテキスト (写真③))を送ってもらい、いともた易くこの作品に接することが出来たのだが(のちに改訂版を出版―写真④)、人々を愛し、解放を願い続けたラ・グーマの思い入れがあったにしろ、もし、歴史の偶然、いや何かそれを越えた必然とでもいうべきものがなかったら、この作品は決してこの世で日の目を見ることはなかっただろう。(写真②~④は追って掲載します。)

 写真①

 『夜の彷徨』は、1962年にナイジェリアのイバダン大学で、ムバリ出版社によって出版された。1956年以来、逮捕、拘禁が繰り返される中での執筆自体が驚きに値するが、厳しい官憲の目をかい潜って草稿が無事国外に持ち出され、ナイジェリアで出版された事実は、一種の奇蹟とも言えるだろう。如何にしてラ・グーマが原稿を守ったのか。ラ・グーマより一つ歳上の友人で、亡命して今はアメリカのピッツバーグ大学にいる詩人デニス・ブルータスに登場を願おう。(本誌7号でも紹介した)

私は最近アレックス・ラ・グーマ夫人に会ったことがある。夫人の話によると アレックス・ラ・グーマは自宅拘禁中にも小説を書いていた。彼は原稿を書き終えると、いつもそれをリノリュームの下に隠したので、もし仕事中に特捜員か国家警察の手入れを受けても、タイプライターにかかっている原稿用紙一枚しか発見されず、その他の原稿はどうしても見つからなかったのである。(コズモ・ピーターサ、ドナルド・マンロ編、小林信次郎訳『アフリカ文学の世界』南雲堂、1975年, 191~192ペイジ)

幸いなことに、1960年にラ・グーマが再逮捕されたとき『夜の彷徨』の草稿はほぼ完成されていた。ラ・グーマは原稿を一年間郵便局に寝かせておくように、と妻ブランシに指示を与えてから拘置所に赴いた。一年後、郵便局から首尾よく引き出された原稿は、ブランシ夫人の手から、私用で南アフリカを訪れていたムバリ出版社のドイツ人作家ウーリ・バイアー (本誌7号参照))の手に渡り、国外に持ち出されたのである。ラ・グーマの機転、ブランシ夫人の助力、ウーリ・バイアーの好意、どれひとつが欠けても、おそらく『夜の彷徨』の出版はかなわなかっただろう。それだけに「その本に対して何ら望みは持っていませんでした。ただ、自分にとっての習作のつもりで書いただけでした。ですから、現実にうまく出版されたときは驚きました」と言うラ・グーマの感慨がよけいに真実味を帯びて迫って来る。
シャープヴィルの虐殺で始まった60年代、「ソウェト」を体験した70年代を経て、間近に21世紀の鐘を聞こうとする今、発禁の書『夜の彷徨』が、生まれた地南アフリカで蘇ろうとしている。前号で紹介したセスゥル・エイブラハムズ氏のもとに、ケープタウンの出版社から同書再版依頼の手紙が届いており、しかも出版の可能性は高いという。時代を越えた人間の魂の力を思わずにはいられない。

短い新聞記事
『夜の彷徨』をラ・グーマが書こうと思った直接のきっかけは、ふと目にしたケープタウンのある新聞の短い記事である。その記事には「某チンピラが第6区で警官に撃たれ、パトカーの中で死亡した」とあった。
既に書いたように、ラ・グーマは55年に嘱望されて左翼系週刊紙「ニュー・エイジ」の記者となり、57年には、コラム欄「わが街の奥で」を担当し始めていた。従って、ラ・グーマはジャーナリズムの最先端にいたわけで、報道の実状を充分に知っていたのである。
白人支配の国では、白人の利益にしたがって報道も厳しく規制されており、白人層に関心のない黒人社会の記事は当然なおざりにされる。白人記者は充分調査もしないで、人づての資料をもとに黒人社会についての記事を書く。アパルトヘイトの壁によって黒人杜会と厳しく隔てられているので、白人記者が生きた黒人社会の実態を報道することは不可能である。ラ・グーマの見た記事も、おそらく警察からの発表をそのまま、埋め草用にでもと編集長に担当記者が送った類のものであろう。
ラ・グーマは充分その記事について調べたわけでないが、第6区の只中で現実を見据えながら人々とともに生きていたから、「某チンピラ」が如何にしてパトカーの中で死んでいったかを手に取るように理解することが出来た。その辺りの経緯をラ・グーマは次のように述懐する。

私は、この男がどのようにして撃たれ、如何にしてパトカーの中で死んでいったのか、そしてその男に一体何が起こったのか、と、ただ考えただけでした。それから心の中で、虚構の形で、とは言っても、第6区での現実の生活がどんなものであるかに関連させた形で全体像を創り上げてみました。こうして私はその悲しい物語『夜の彷徨』を書いたのです。

もの語り
『夜の彷徨』は、ラ・グーマの最初の小説だと言われてはいるが、本当は、祖国の解放を願うラ・グーマの、人々を語った「もの語り」と言う方が適しい。
もの語りは、主人公の青年マイケル・アドゥニスと友人ウィリボーイ、それに警官ラアルトの3人が中心になって展開されるが、息を飲んで片時も目を離せないほどスリリングな事件が起きるわけでもなく、登場人物の内面を深く掘り下げて分析している風でもない。むしろ、ケープタウン第6区のごく普通の人々の、ありきたりな生活の一断章、といった趣きが強い。しかも、現状のアパルトヘイト体制が続く限り、この物語に終章はない、そんな思いを抱かせるもの語りである。
それらの特徴は、伝記家セスゥル・エイブラハムズ氏が強調するように、歴史の記録家、真実を伝える作家を認じ続けたラ・グーマの思いがそのまま反映されたもので、エイブラハムズ氏とのインタビューで、ラ・グーマは次のように言う。

本当のことを言えば、形式的な構造とか言った意味で、意識して小説をつくろうと思ったことはありません。私は、ただ書き出しから始めて、おしまいで終わったというだけです。たいていはそんな風に出来ました。ある一定の決った形をもつというのは必要だとは思いますが、これまで特にこれだけは、と注意したこともありません。短い物語でも長い物語でも、私はただ頭の中で物語全体を組み立てただけです。自分ではそれを小説とは呼ばず、長い物語と呼ぶんです。頭の中でいったん出来上がると、座ってそれを書き留め、次に修正を加えたり変更したりするのです。しかし、小説が書かれる決った形式という意味で言えば、私のは決して小説という範疇には入らないと思います。

そこには、しかし、南アフリカのケープタウンの、アパルトヘイト下に坤吟する人々の生々しい姿が描き出されている。

アパルトヘイトの中で
もの語りには、黒人白人を含めて様々な人物が登場するが、ラ・グーマはただ慢然とそれらの人物を並べたわけではない。歴史を記録し、世界に真実を知らせたいと願う作家らしい透徹した目がそこには光っていて、それぞれの人物に見事にその役割を演じさせている。
もとより白人の利益に基づいて築かれたアパルトヘイト社会での黒人の生き方は、限られる。諦めて法に従うか、アウトローを決め込むか、或いはその法と真向うから闘うか。
諦めて法に従えば、屈辱と貧困と悲惨な生活が待ち受けている。アウトローを決め込めば、盗むか、襲うか、乞うか、たかるか、そんなたぐいの生き方しかない。
法と闘えば、国外に逃れるか、拘禁されるか、或いは官憲の目をかいくぐって地下に潜むかしか道が残されていない。
法と闘う人物像はラ・グーマののちのテーマとなるが、このもの語りでは、特に、諦めて法に従っていたがやがてアウトローの世界に足を踏み入れるマイケル・アドゥニスと、すでにアウトローを決め込んだウィリボーイにラ・グーマは焦点を当てている。
「法」によって厳しく規制されたアパルトヘイトは体制下の日常生活で、黒人が白人と係わりを持つ局面は、主として3つ考えられる。
1つは職場である。専ら白人のために存在する経済機構のなかでは、白人対黒人の関係は、常に主と従、であり、その一線を越えようとすれば、黒人は職を失うしかない。その時黒人は、又、新たに職探しをするか、或いはアウトローの仲間入りをするかの二者択一を迫られる。
2つ目は「法」に忠実に従い体制維持をはかる当局で、黒人に対するその態度は実に高圧的だ。だが、黒人には忍従するしか術はなく、もし反抗すれば投獄、である。
3つ目は、落ちぶれ果てて黒人街に住むようになった白人である。ヨーロッパ入植者とアフリカ人、アジア人との混交が何世代にもわたって行なわれてきたケープ社会ではよく見かけられる現象で、ラ・グーマは特に、2つ目に相当する白人警官ラアルトと、3つ目の落ちぶれ果てた白人アンクル・ダウティを取り上げて、典型的な白人像を描き出そうとしている。

マイケル・アドゥニス
アドゥニスが、同じアパートの住人アンタル・ダウティを瓶で撲り殺したのは、安ワインの勢いをかりたはずみには違いないが、本当の原因はもっと深いところにあった。幼い頃から長年の間に積もり積もった白人への怒りや憤りが、今は老いぼれ果てた弱者にむけられて一気に爆発したのである。ラ・グーマはその白人への怒りや憤りがどんな風にしてアンクル・ダウティに向けられたのかをさりげなく描き出してはいるが、よく見ると、先に記した黒人の接し得る3つのタイプの白人の典型を実に巧みにわずか数時間のもの語りの中に織り込んでいる。
1つ目は職場の白人である。作品の中に実際に登場しているわけではないが、その白人の様子はアドゥニスの会話を通して読者に知らされる。アドゥニスは口うるさい職場の白人に口答えをして馘にされたばかりで、立ち寄った安レストランに居あわせたウィリボーイにその怒りをぶちまける。

あの白人野郎は運がよかったぜ、俺はそんなに文句を言ったわけじゃねえんだからよ。奴はこうなるのをずっと望んでやがったのさ。人がションベン行くたんびにぶつくさ言いやがって。なんてこった、あいつの言う通りにしてりゃ、一寸手を休めるかわりにションベン漏らしてたぜ。そうさ、あいつ、俺がションベン行くとこをつかまえて小言を言いやがった。それで、くたばっちまえ、と言ってやったんだ。・・・・・とにかく、俺は奴に、このろくでなしボーア人め、と言ってやったんだ、そしたらあいつ、支配人呼びやがって、奴ら給料払ってから、とっとと失せろ、と言いやがった。あのボーア人野郎、今にカタをつけてやる。(ムバリ出版刊テキスト3~4ペイジ)

どうあがいてみても、カタのつかないことは、誰よりも本人が一番よく知っている。だからこそ、尚更その怒りや憤りが治まらないのだ。
その怒りと憤りは、帰途路上で出会った2人の白人警官によって倍加される。
前方に警官の姿が見えたとき、アドゥニスはよけようと思ったが、結局はよけ切れなかった。そんな場面をラ・グーマは次のように描く。

マイケル、・アドゥニスが酒場の方に向きを変えたとき、2人の警官がこちらにやって来るのが目に入った。2人は平たい帽子にカーキ色の上下、腰には磨きのかかったガンベルトに革ケース入りの重い銃を下げて歩道をこちらにやって来た。2人とも、まるでうすら赤い氷の中から彫り出してでもきたかのように、固く凍りついた表情をしており、厳しくて冷たそうな目が、青いガラスの破片のように鋭く光っていた。2人は自分たちのコースを変更しないで、海を行く駆逐艦のように歩道の人の流れを押し分けながら、並んでゆっくり決然とした足どりで歩いていた。
2人はそのまま進んでやってきた。アドゥニスは避けて自ら脇によろうとしたが、うまく逃れるまえに、2人はいつものように造作ない巧みなやり口で側面にまわり、アドゥニスを挾み打ちにしてしまった。(9~10ペイジ)

マリファナはどこだ、と警官は尋問した。初めから犯罪者扱いである。アドゥニスがその嫌疑を否定すると、今度はポケットの中を見せろ、の命令である。2者のやりとりの場面が続く。

「その金はどこで盗ったんだ」その質問は洒落っ気もなく恐ろしいほど本気で、口調にやすりの表面のような硬さがあった。
「盗ったんじゃないっすよ、だんな (この糞ったれのボーア人め)」
「じゃあ、通りから消え失せろ。二度とこの辺りをうろつくんじゃねえぞ。わかったな」
「わかりやしたよ (この糞ったれポーア人め)」
「わかりやした、だけか。お前、誰と話してるつもりなんだ」
「わかりやした、だんな。(このブタ野郎ボーア人め、くだらん銃なんぞぶら下げやがってこの薄汚ねえ赤毛しやがって)」

だんな (bass・・・・・・アフリカーンス語で、英語のmaster, sirに相当する)をつけさせるのは、かつてのアメリカ南部の白人が黒人にsirをつけさせたのと同じである。白人優位社会の象徴のようなもので、そのカラー・ライン(人種の壁)は想像以上に厳しい。
これらのやり取りは、人通りの中、白昼に堂々と行なわれた。尋問のあとで2人の警官はアドゥニスを後に立ち去ったが、1人は肘でアドゥニスを押しのけてからゆうゆうと歩いて行った。「アドゥニスの心の中に痛みが渦のように絡み合って、激しい怒りと憤懣と暴力的な感情が膨らんでいった」(11ペイジ) と表現されたアドゥニスの屈辱感がみごとに伝わって来る。
とは言っても、アドゥニスにとって、これが初めての経験とは思えない。これまでにこんな辱めを幾度となく味わった、と考える方がむしろ自然である。
そんな積もり積もった白人への怒りが、馘にされた職場の白人と、路上で辱めを受けた白人警官に触発されてとうとう、酒に溺れた、死にかけの白人アンクル・ダウティに向けられたのである。
従って、アンクル・ダウティを殺したあとのアドゥニスの反応は、済まないことをした、という類のものではなかった。死体を見て気分が悪くなり、壁に向かって戻したあと、いわばショックで酔いが醒めたような感じとなり、「ああ、こんなつもりじゃなかったのに。こんな老いぼれ、殺るつもりじゃなかったんだ」(20ペイジ)と口走っている。続いて、たいへんなことになる、こんなつもりじゃなかった、逃げた方がいい、サツは白人が殺られちゃ黙っちゃいねえ、こんなつもりじゃなかった、誰か来る前に逃げないと、などと千々に心を乱しながらも、死体を視つめながら「そうさ、奴はカラードの俺たちと一緒に住む権利などなかったんだ」と、はや自分の行動を逆に正当化することを考え始めている。おそらく、それだけアドゥニスの白人への怒りや憤りが強かった、ということになろう。
この事件が、結果的には、偶然尋ねて来たウィリボーイを巻き添えにし、アドゥニス自らも意に反して、チンピラ連中の仲間入りを余儀なくされる引き金となる。
ラ・グーマは、第6区で出会った様々な青年をもとに、アドゥニス像を創り上げたが、中でも、本誌8号で紹介した黒人少年ダニエルのイメージが特に強かったと、次のように語る。

私はケープタウンで育ったアドゥニスのような少年をたくさん見てきました。私が少年のころ、ダニエルという名の親しい友だちがいて、2人はよく一緒に遊んだものでした。しかし、その子が黒人だというので、集団地域法のためにめいめい違うところに住むことになりました。何年かたって、お互い大きくなったとき、私はダニエルと再会しましたが、そのときダニエルはもういっぱしのちんぴらで、すっかり街にたむろする札付きのごろつきになっていました。ダニエルが私のむかしの友だちだったので、よけいに胸が締めつけられる思いでした。2人があまりにも違った方向に進んでしまった事実をしみじみかみしめることになったのです。ダニエルは私に強烈な印象を残した青年の一人でした。他に、私と一緒に学校に通ったダニエルと同じような友だちもいます。必ずしもその友だちみんながみんな犯罪者になってしまったわけではありません。多くは、これからどうなるのかもわからず、何とか生計を立てながら、ただその日その日を生きて行くだけ、そんなごく普通の人たちでした。その人たちこそ『夜の彷徨』に出て来る本当の意味での登場人物なのです。

ラ・グーマは「私にとって写実的表現とは単なる現在の投影ではないのです・・・・・・写実的表現によって読者に真実を確信させ、何かが起こり得ることをほのめかす必要性があります。その目的は読者の心を動かすことなのです」と語ったことがあるが、アドゥニスに関するラ・グーマの写実的表現によって、アパルトヘイトのなかで、法に従うアドゥニスのようなごく普通の青年が、如何にた易くチンピラ仲間になって行くかを、読者はたしかに思い知らされる。

ウィリボーイ
ウィリボーイは、すでにアウトローを決めこんだ青年である。アドゥニスが、自分を馘にした白人への怒りを口にしたとき、ウィリボーイは、次のように息巻いてみせる。

「そうだろう。白人んとこで働いてりゃ、そんなこたしょっちゅうさ。俺は白人んとこで働いたりなんぞしねえよ。もちろんカラードんとこでもさ。仕事なんぞ、糞食らえだ。仕事、仕事、仕事、仕事なんかやってどうなるってんだ、俺はやらねえぜ」(3~4ペイジ)

「いや、俺は働かないぞ。いままでだって、これっぽっちも働いたこたねえよ。働いたって、働かなくたって、何とか生きてけるもんよ。俺が飢え死にしたっとでも言うんかい。仕事。けっ、仕事なんぞ」(4ペイジ)

アウトローを決め込んだウィリボーイではあったが、体制は見逃してくれなかった。こともあろうに、仕事なんぞ・・・・・・と息巻いて見せた相手アドゥニスに僅かな金の無心に行って事件に巻き込まれ、殺人犯の濡れ衣を着せられてしまったのである。

白人警官から不意に呼び止められたとき、本能的にウィリボーイは逃げ出した。長年の経験から無実を言い張ることのむなしさを、肌で感じ取っていたからである。
ラ・グーマは逃げ回るウィリボーイに過去を回想させながら、ウィリボーイがなぜチンピラになったのか、一体どんな家庭に育ったのかを読書に告げる。

ウィリボーイは再び考えた。俺が一体何をやったと言うんだい、俺はなんにもやっちゃいねえよ。ウィリボーイの心臓は高鳴った、母親が、このやんちゃ坊主が、と見下ろしながらつっ立っていたからである。ウィリボーイは7歳だった。いつも夕刊を売り歩いた。親方が、売り上げの中から、2, 3 ぺンスほど支払ってくれたが、その金は決して家には持って帰らず、いつもひとかかえの魚とポテトチップスに消えてしまった。ウィリボーイはその朝も何も食べていなかった、あとで食べたのもわずかにミルク、砂糖なしの粥を碗に一杯と古いパンを一枚きりだったから、夕方には腹の虫がないてないて仕様がなかった。ぼろアパートの部屋に戻った時、ウィリボーイは魚の臭いをぷんぷんさせていたうえ、新聞の稼ぎを出せなかったから、母親は顔をぴしゃりとやって、このやんちゃのろくでなし、とウィリボーイを罵った。母親が何度も何度もびしゃびしゃっとやったから、頭が肩の上でだらんとなって、顔がひりひりと痛んだ。ウィリボーイは痛くて泣いた。
母親はほんのちょとしたことで腹を立ててウィリボーイを鞭で打った。母親が、父親に撲られる腹いせに自分を撲りつけているのをウィリボーイはよく知っていた。父親の方は、毎晩酒に酔って帰ってきては母親を撲り、厚い皮ベルトでウィリボーイに襲いかかった。母親は部屋の隅にうずくまって金切り声を上げ、もう堪忍して、とすすり泣いた。母親の番が終わると必ずウィリボーイに順番がまわってきた。時には部屋からうまく逃げ出せることもあったが、夜中遅く戻って来ると、父親は酔いつぶれて高いびき、母親は泣きながら眠り込んだあと、という場合が多かった。父親から逃れられない母親は、ウィリボーイに鞭を振るってその仕返しをやっていたのである。ウィリボーイは今、屋根の上にへばりついていたが、再び「このやんちゃのろくでなし」という母親の声を聞いた。
逃げないと、逃げないと、撃たれたくねえよ、奴に撃たさないでくれ、とウィリボーイはつぶやいた。(78ペイジ)

しかし、ラアルトはウィリボーイを逃さなかった。無情にも、追いつめられてポケットからナイフを構えたウィリボーイを、ラアルトは撃った。救急車も呼んでもらえず、パトカーの後部席に放り込まれたウィリボーイは、再び母の声を聞く。

「このやんちゃ坊主め」と母親が叫んで顔をびしゃっりと叩いたので、ウィリボーイは体じゅうに痛みが走るのを覚えた。カーキ色のシャツの汚いぼろ袖で出てくる鼻をふき、太くて短いつま先でもう片方の足の甲をこすりながら、稜ない部屋の戸口の脇柱にもたれて、泣いた。(84ペイジ)

そして、パトカーの中で意識が薄れかけた時、夢うつつをさ迷いながら、ウィリボーイは口走る。

「助けて、神さま、助けてくれ。ああ、かあちゃん、ああ、かあちゃん。神さま、助けて下さい。助けて下さい。死んじゃうよ。死んじまうよ。助けて下さい、助けて下さい。ああ、神様、お助け下さい。お助け下さい。お助け下さい。どうか、お助け下さい。神さま、神様。おかあさん。助けて。助けてよ」(86ペイジ)

ラ・グーマによれば、ウィリボーイもアドゥニスと同様、少年時代の友人の一人がモデルであると言う。

ウィリボーイは、私の少年時代の友人の一人を典型的なかたちで描いたものです。その少年は私と一緒に育った友だちで、若いころ私にギターの弾き方を教えてくれた少年のひとりです。街角ででしたがね。たぶん、私がその少年より少しだけもの知りだったからでしょう、私のことを教授、と呼んでいましたね。

アウトローを決め込んで、つっぱり続けたウィリボーイが、最後には自らの恵まれなかった子供時代をうらみもせず、むしろ母親の名を呼びながら死んでいく姿は、ことのほか読者の哀れを誘う。若く貴い命を、なんとむなしく散らして行くことか。今はちんぴら仲間に入ってしまったアドゥニスが、やがては、このウィリボーイと似通った運命を辿ることになるのだろうか。おそらく読者は、そんなやるせない思いをいだかないではいられない。(つづく)
(大阪工業大学嘱託講師・アフリカ文学)

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アレックス・ラ・グーマ 人と作品5 『夜の彷徨』下 -手法-

「ゴンドワナ」13号(1987)14~25ペイジ

 たたかいの中で
繰り返し述べて来たように、ラ・グーマの作品はすべて、闘いのなかから生まれた。あらゆる人間があたりまえの人間として暮らして行ける統合民主国家を願うラ・グーマにとっては、政治闘争も、記者活動も、文学活動も、人間を取り戻す、同じレベルの闘いだった。
ただし、ラ・グーマが時の試練に耐え得るすぐれた文学作品を生み出し得たのは、セスゥル・エイブラハムズ氏も指摘するように (本誌10号18ペイジ)、ラ・グーマが文学的感性を備え、読者にメッセージを伝え得る文学手法を心得たすばらしい芸術家でもあったからである。ラ・グーマ自身が、政治闘争と創作活動の違いをはっきりと意識していたのは、次のインタビューからも窺える。

- それでは、小説の中で表現しようとされている価値とは一体どんなものなのですか。
ラ・グーマ できる限りもったいぶらずに人びとの威厳、基本的な人間精神を表現したいと思っています。政治宣伝やうたい文句は避けなければいけません。私も政治的なかかわりはあります。作家活動でも政治活動でも、人の威厳を擁護してはいますが、2つは違った活動なのです。(本誌7号21ペイジ)

現実を見据え、現実に根ざした生き方をするラ・グーマの目には、社会の中の、歴史の中の、そして文学者としての自分の立場や役割が見えていた。「アパルトヘイト下の南アフリカの著作」の次の一節を読めば、様々な人々の努力にもかかわらず、アパルトヘイトの壁によって、本来文学が果たすべき役割を充分に果たしていない現状をしっかりと把握していたことがわかる。

南アフリカではどの作家も人生を平静に全体としてながめることは出来ない。作家は自分自身の経験から、見たり知ったりしたことを書けるだけである。しかも、それは全体像の一部でしかない。白人作家の中で、いままでに、リアルでしっかりとした黒人像を何とかでも創造しえたものはいないし、その逆もまたしかり、である。白人、黒人のどちらの側にも通用する黒人・白人関係を描出し得た白人作家も黒人作家も今のところ出てはいない。
ナディン・ゴーディマは微妙な、明快な語り口で、白人の自由主義者が黒人の世界を如何に見ているかを読者に語りかけるのに成功しているし、黒人が白人観察者の目にどう映るのかを正確に描き得てはいるが、黒人の体内に入り込んでそこから外側を見ることは出来ないのだ。同様に、ピーター・エイブラハムズの小説の中の白人は戯画的で、堅くてぎこちない。その白人たちは血肉の欠けた繰り人形のように唐突に、ぞんざいに喋ったり、振るまったりする。
アラン・ペイトンの『叫べ、愛する祖国よ』に登場する黒人牧師は、黒人の習慣を身につけてはいるが、一種の宗教的ミンストレルにでも登場しそうな、おセンチな善良白人である。アパルトヘイト社会では、そんな創作上の失敗はどうしても避けられないのである。(本誌9号33~34ペイジ)

アパルトヘイトと闘いながら、作家として自分が一体何をすべきなのかを、ラ・、グーマは肌で感じ取っていた。19661966年、ロンドンに亡命した直後、ロバート・セルマガから、「今のところ南アフリカではアパルトヘイトの壁によって大多数の作家が普遍的なものを描き得ていないのだから、多くの批評家たちが指摘するように、事態が解決されるまで、文学は一時中断させたままにしておくのが一番よいのではないか」と問われたとき、ラ・グーマは次のように答えている。

・・・・・・作家たちはいままで南アフリカ一般の状況を描こうと努めて来てはいますが、違った人種グループと現に南アフリカに住む人びとについては殆んど語られて来ませんでした。たとえば、カラード社会やインド人社会について多くは語られて来なかったと思います。そして人種がそれぞれ隔離された状況の中であっても作家には果たさなければならない務めがあると思うのです。少なくとも、現在起こっていることを世界に知らせて行かなければなりません、たとえ隔離された社会の範囲の中でしかやれなくとも。(本誌9号33ペイジ)

前号の「語り」の中で取り上げたマイケル・アドゥニスもウィリボーイも、作家としてラ・グーマが、先ず何よりも描きたい人物像、どうしても書かなければならない人物像だったのである。セルマガによる同じインタビューの中で、マイケル・アドゥニスについてラ・グーマは語る。

マイケル・アドゥニスを私は典型的なカラードの人物像にするように努めました。第6区で暮らしている間に、私はアドゥニスのような人物と遊びましたし、出会いもしました。人生に於けるその境遇のせいで、機会が与えられないせいで、そして自分の膚の色のせいで、全く発展的なものも望めず、何ら希望がかなえられることもなく、否応なしにマイケルのような状況に追いやられてしまう若い人たち-アドゥニスが本の中でやるような経験を個人的に私はしたことはありませんが、そんなことが私のまわりで行なわれるのを見て来ました。そのお蔭で、私はそういった人物像をた易く創り上げて書くことが出来ました。

黒人と白人の狭間で
そして、たたかいのさなかに、特にケープタウンという地に生まれ育った自分が最大限何をなし得るのかについてもラ・グーマは自分なりの答えを見出していた。
オランダ東インド会社の役人や船員たちが喜望峰に到着して以来何世代にもわたって黒人と白人との混交が行なわれて来たケープタウンでは、南アフリカの他の地域に比べて、ヨーロッパ人、アジア人、アフリカ人との混血の人口が非常に多い。ラ・グーマ自身にもヨーロッパ人とアジア人の両方の血が流れており、著作では自らをカラード (Coloured)と呼ぶ。84年に政府が3人種体制が敷かれてからは自分たちへのカラードの呼称を嫌い、敢えて黒人 (Black))を使う傾向があることを本誌十号で紹介したが、その事実は「カラード」の置かれた微妙な立場を象徴していて興味深い。その人たちはインド系の人々と共に、人口比から見ても、圧倒的多数の黒人と少数派の白人の中間層に位置し、少数だが富をほしいままにして豊かな生活を楽しむ白人と貧しく抑圧され続ける多数派黒人との2つの大きな勢力の言わば狭間にいる。
しかも、ラ・グーマは、国民党が政権を握る以前の比較的締めつけの穏やかなときに少年時代を過ごしており、黒人とも同じ地域に住み、一緒に遊んだ経験がある。さらに、同じアフリカーンス語を話すオランダ系の白人アフリカーナーとも接する機会が多かった。つまり、ラ・グーマは、歴史的にも、社会的にも、厳しいアパルトヘイトの壁のわずかな隙間から、黒人の側も、白人の側も同時に、ほんの辛うじてではあるが、垣間見ることの出来る立場にいた、ということである。そして何より、ラ・グーマ自身がその立場をむしろ有利な地点と把えていたのは注目に値しよう。セルマガとのやり取りが私たちにそんな姿勢を伝えてくれる。

セルマガ この本『夜の彷徨』は、南アフリカの事態が個人と、そして肉体的な意味ばかりか精神的な意味でも現在進展している事柄に影響を及ぼす状況をありのままに取り扱っています。同時に、あなたはアフリカーナー社会出身の警官のような人物像も描いています。今まで一緒に生活したことがないアフリカーナー警察官の人物像を創作したり、その人物像を実際あなたがなさっているようにリアルに個人に仕立て上げたりするのはどのくらいむずかしいとお考えですか。
ラ・グーマ そうですね。私は、ケープカラード社会がアフリカーナーや元々その土地に住んでいたアフリカ人たちの血が交っている人々から成り立っているというのは有利な点だと考えています。カラードの人たち自身の文化背景は大部分、アフリカーンス語と英語です。ですから、その観点からのむずかしさはさほど感じませんでした。

「『夜の彷徨』の舞台設定には何か特別重要な意味合いがあるのですか。」(本誌7号19ペイジ))と聞かれたとき、ラ・グーマは「まず何より第6区はよく知っている場所だということです。私はそこで生まれ、そこで暮らしました。しかし、同時に閉所恐怖を暗示し、抑圧的な雰囲気を醸し出したいとも考えました。」と答えたあと、「小説『夜の彷徨』では第6区のイメージ、第6区の雰囲気を創り出すことに努めました。そこで、その目的のために言葉を選び、文章を組み立てました。」(同20ペイジ) と付け加えた。
選び出した言葉で、組み立てた文章で、ラ・グーマはどんなイメージや雰囲気を創り出したのか。そして、それらのイメージや雰囲気から何を描き出しているのか。

シェイクスピア
イメージを創り出すのに、ラ・グーマは慣れ親しんだイギリス文学の古典、シェイクスピアを借用した。
エピグラフに用いたのはハムレット、である。

余はお前の亡き父の霊だ。
定めの時までは夜の闇をさまよい歩き、
昼は猛火につながれて断食の苛責に苦しみつつ、
ひたすら生前犯した罪業の
焼き浄めらるるを待つ身だ。
ウィリアム・シェイクスピア 『ハムレット』第1幕第5場(三神勲訳)

しかも、ラ・グーマはそのセリフを、落ちぶれ果てた末カラード人街に住むようになった白人アンクル・ダウティに朗唱させた。

アンクル・ダウティ かつては、イギリス、オーストラリア、南アフリカなどを巡業して回った元役者のアイルランド系老人で、カラードの妻はすでに亡く、年金の大半は安ワインに消える。世話してくれる者もなく、アル中に冒された痩せさらばえた体は、後はもう死を待つばかり、そんな設定である。
ケープタウンには、プア・ホワイトと呼ばれる人たちがたくさんいる。白人社会で、経済的に失敗したり、人種的考えを受け入れられなかったりするなど、何らかの形で白人社会からはじき出された末、カラー・ラインを越えて、カラード社会に流れて来た人たちである。大抵は、カラードの妻か愛人と一緒に移り住み、飲んだくれて荒んだ生活を送っていて、カラード社会から蔑みの目で見られる場合が多い。アンクル・ダウティもそんなひとりである。モデルとなったある老人を回想してラ・グーマは言う。

その人は元役者で、第6区の一室に住むようになったある老人です。その老人がある朝死んでいるところを大家のおかみさんに発見されました。そのことを私は物語の中の人物像の仕上げに使いました。実を言うと、その老人は私たちの親戚筋にあたります。母親の又従兄弟か何かで、他に行く所がなくなった末第6区に流れ着きました。その人は部屋を一部屋借りていました。いつも酔っ払っていた少しくずれた老人でしたが、特別に何かをしたわけではありません。ただそこにいたというだけなのです。そしてある日、老人は自分の部屋で死んでいるのを発見されました。

ラ・グーマはアンクル・ダウティに、先号の「語り」で書いた黒人が接し得る3番目の白人、つまり「落ちぶれ果てて黒人街に住むようになった白人」の役割を演じさせたのだが、実際には、それ以上の役割を担っている。ラ・グーマによって描き出されたダウティはハムレットの父親のように、まさに亡霊である。その現われ方はこうだ。

廊下の隅にある便所の戸が開いた。そしてひとりの男が宙を掻きむしるようにそこから出て来て、終始壁伝いに、木を切る鋸のような音を立て息を切らせながら、自分の部屋の方に向かって進み始めた。その男は年寄りで、足元がおぼつかなく、ずり下ったズボンのせいで進みにくそうだった。シャツがパジャマのようにズボンからだらりとはみ出していた。その老人はやっとの思いで息をしながら、大きな蟹のように、壁を伝ってゆっくりと進んだ。(21ペイジ)

ハムレットの父親の亡霊がわが子に語りかけて消えたように、ダウティはアドゥニスに『ハムレット』の一節を朗唱して、「そりゃ、わしら、わしらのことじゃ、まるで亡霊じゃよ、夜の闇をさまよい歩くことを運命づけられた、な。シェイクスピアじゃよ。」と眩きかけたあと、殺されて消える。実際に登場する時間は極めて短かいのだが、亡霊アンクル・ダウティは「夜」と「彷徨」の強烈なイメージを残して舞台を去って行く。
ラ・グーマが表題 ( A Walk in the Night)に使った「夜」(Night)と「彷徨」(Walk)のイメージは、幾重にも交錯しながら物語全体をおおい、ラ・グーマが意図したように、舞台となったケープタウン第6区の「抑圧的な雰囲気」を見事に醸し出して行く。

「夜」の象徴性
亡霊のさまよう「夜」(night)は闇 (darkness))あるいは暗黒 (blackness))を連想させ、物語全体を通して二つのことがらを象徴的に浮かびあがらせる。一つは第6区の劣悪な環境である。もう一つは警察国家である。

劣悪な環境は目に見えてわかる現象であるが、その現象を生み出した最大の原因はアパルトヘイト体制である。南アフリカの国土はさほど広くはないが、金、ダイヤモンドをはじめ鉱物資源も豊かで自然も美しい。その豊かな富が平等に分配されていれば、そんな現象が表面化することはない。
片方には、機上からでも一軒のプールが識別出来る程の豪邸に住み、何人ものメイドを抱えて優雅な生活をしている少数派の白人たちがいる。その人たちの生活が優雅であればあるほど、言い換えれば、富が一方に片寄れば片寄るほど、搾取される多数派のアフリカ人はそれだけよけいに、惨めな生活を強いられることになる。
体制側にいる白人たちは自分たちの優雅な生活を守るために、黒人に土地は譲り渡したくないし、安価な労働力も手放せない。その結果、大都市やその近辺には数々のアフリカ人居住地区、カラード居住地区が生まれた。ケープタウンの第6区も古くからあるカラード居住区である。老朽化した住宅ばかり、もちろん廃水施設も充分でない。それらの街は、おきまりの穢ない、騒々しい、臭いスラムを形成する。職のない若者たちが昼間から街角にたむろする。犯罪の数も増え、無法者がまかり通る。アドゥニスの殺人も、ちんぴら仲間フォクシィたちのもくろむ強盗も、おそらく極くありふれた日常の、ほんの街角のひとコマに過ぎないのだ。
全編を通してラ・グーマは、その環境のひどさを物語の背後に見え隠れさせているが、殺人の舞台となったアドゥニスやダウティの住むアパートの様子を一部次のように描く。

アパートの床には埃がすぐに溜った。すり切れてそげ立った廊下を住人たちが泥靴を引きずって歩いたあとには、両側の小さな床板の隆起に沿って、埃の小さな土手が出来た。あるいは水がこぼれたり誰かが小便をしたりすると、濡れた箇所が残り、天井や服の縫目から出た埃が宙に舞ってそこに集まり、乾いたときには黒ずんだしみが残る。こぼれ落ちたパンくずや油脂などが踏みつけられて広がると、見えないほど細かい粒となり漂っている埃を吸い寄せた。床板のそり上がったところ、うまくかみ合っていない継ぎ目の突き出たところ、ビクトリア朝しっくいの花飾りや浮彫り細工のあるところ、雨で湿ってふやけたあと次は熱気で乾いてひびの入ったモルタル、すべてが埃を吸い寄せるもとになった。そして湿ってくると腐ったところでは忌まわしい生命が生まれ、細菌がつき、黴が生える。暑くなったり風通しが悪くなるとものが腐り始める。そして、かつては丸ごとあったものや新しかったものが萎びたり腐ったりした。その腐った嫌なにおいが貧しい人たちのアパートじゅうに広がっていた。
隅っこの暗がりやこちらからは見えないが割れ目になっている所では、暑くてにおいがひどくなったり、湿って滑りやすくなる頃には、ダニに南京虫、蛆虫になめくじ、光沢のあるこげ茶色の堅い羽のごきぶり、細い足で死をもたらす小さな灰色の怪物のような蜘蛛、爪や毛に病気を宿し、埃をかぶったような黒い目をした鼠たちが怪しげに動き回っていた。(33~34ペイジ)

そして、ラ・グーマは殺人現場となったアパートの一室、アンクル・ダウティの部屋の様子をも詳しく描き出す。

その老人は少し酔っており、安ワインと汗、それに吐いたにおいを漂わせ、吐く息もくさかった。
部屋は開けたばかりの墓のように暑くむっとしており、片方の壁側には鉄製のベッドが置いてあり、洗たくされていないシーツがかけられていた。その隣には、テーブルとして使う背もたれのない椅子が一つあって、上には吸い殻とマッチの燃えかすで一杯になった欠けた灰皿と強い赤ワインの滓がべっとりついたグラスが一個載っていた。部屋の隅には、壊れかけの戸棚があり、ひびが入り蝿の足跡で汚れた鏡が掛かっていた。戸棚には手埃のついた本が少し積んであり、上に埃が積っていた。別の方の隅っこには、ワインの空瓶が何本もボーリングのピンのように転がっていた。(22ペイジ)

終章の第19章でラ・グーマは、物語の締めくくりに、主な登場人物の真夜中すぎの様子をそれぞれ少しずつ紹介するが、その中に、今は主人亡きアンクル・ダウティの部屋の様子に触れる次の件がある。

暗い部屋の幅木の下の割れ目から、ごきぶりが一匹、用心深そうに現われ、細い髪の毛のような触角をあちこちに振りながら障害物はないかと暗闇の中を探っていた。障害物が何もないのがわかると、ごきぶりは関節で直角に折れ曲った脚で前に進み、床を横切り、床板のはしがそり返ったところを越えた。それからごきぶりは何かねばねばするものに出くわした。それは殺された老人の部屋にこぼれた酒と吐物の混った味がした。その老人の死体はとっくに運び出されており、部屋は警官によって鍵がかけられていた。そして今、部屋にはごきぶりだけがいて、そこには腐敗と死の臭いが漂っていた。ごきぶりはねばねばしたところで暫く立ち止っていたが、どこかで床がきーっとなると、かさかさと小さな音を立てて慌てて逃げていった。しばらくして部屋が再び静かになると、ごきぶりはまた戻って来て貧り食い始めた。(89ペイジ)

アフリカ系アメリカ人作家リチャード・ライトが『ネイティヴ・サン』(1940)を書いたとき、シカゴの黒人居住地区サウス・サイドの環境のひどさを象徴的に表現するために、冒頭部に鼠を登場させた。ライトは、異常に繁殖した鼠が我が物顔に街中を走り回るのを見て、黒人の赤ん坊が就寝中にかみ殺された、という新聞記事を思い出し、鼠を冒頭部に使うことにしたらしい。作品では、登場するとすぐに主人公の黒人青年ビガー・トーマスの手で殺されごみ箱に捨てられてしまうのだが、丸々と太った鼠は狭く、騒々しく、穢ないキチンネットと呼ばれる部屋の、ひいてはサウス・サイド全体の劣悪な環境のイメージを、強烈にまず読者に植えつける役割を演じていた。
そして、鼠を殺すまでの家族のどたばた劇はこれから始まる慌ただしく騒々しい大事件を暗示していた。
さらに、殺されて厄介ものとしてごみ箱に捨てられた鼠は、死刑を言い渡されてアメリカ社会の厄介者として社会から葬りさられるビガー・トーマスの運命をも暗喩していた。
ライトの描いた鼠のように、暗闇の中で、アンクル・ダウティの死体から流れ出た血とアドゥニスの吐物を貧るごきぶりは第6区の劣悪な環境を象徴して余りある。この場合、「夜」のイメージから抽き出された闇(darkness)のイメージは、穢なさ、むさくるしさ (dirtiness, sordidness)から忌まわしさ (disgust)にまで広がって行く。
さらに、終章で物語の締めくくりに描き出されたごきぶりの存在は、アパルトヘイト体制が続く限り穢ない暗がりの中で生きることを余儀なくされる黒人たちの運命をも暗喩している。
劣悪な環境のテーマは次作『三根の縄』(のちに『まして束ねし縄なれば』に)にひきつがれ、さらに克明な形で描かれることになる。

警桑国家は「夜」のイメージが象徴的に引き出すもう一つのことがらで、暗黒(blackness)を連想させる。特に取り上げたちんぴらとの係わりの中でラ・グーマは、先の「劣悪な環境」よりむしろ、この「警察国家」に力点を置いている。
優雅な生活を守るアパルトヘイト体制を維持するために取らざるを得ない形態、それが警察国家である。一人一票制を認めれば体制は崩れ、今のような優雅な生活はない、そんな危惧をぬぐえない白人たちは、不合理を百も承知で力の制圧を強行する。遠くはシャープヴィル、ランガの虐殺、ソウェトの暴動、近くはベンジャミン・モロイセ氏の処刑など、歴史がそれを裏づける。誰でも理由なく逮捕でき、無期限に拘束できるという何とも理不尽な非常事態宣言が今も続いている。デモに参加する黒人たちに容赦なくシャンボック鞭を振るう警官の姿は、海を越えて日本にも映像として伝わって来ている。
南アフリカの黒人が日常生活の中でどれほど警察と深く係わっているかをセスゥル・エイブラハムズ氏とのインタビューの中でラ・グーマは語る。

私たちは南アフリカでいつも警察と背中合わせで生きています。黒人たちは絶えず警察に苦しめられています。パス法でなければ、酔払っているとか、他の社会的問題などによってです。統計を見れば、囚人人ロの多さでは南アフリカが世界でも指折りの国だというのがわかります。南アフリカの黒人たちの生活で警察は大きな役割を演じています。ですから、私が作品の中で係わるように、社会問題に係わろうとすれば誰でも、警察を抜きに考えることは出来ません。私の作品に警察のことがよく出てくるのも結局は、私が意図したというよりはむしろ、避けられないから、ということになると思います。

ラ・グーマは体制のそんな担い手の典型としてアフリカーナー白人警官ラアルトにその役割を凝縮させた。

ラアルトはウィリボーイが血を流して苦しんでいるのに、救急車を呼ぼうとする部下を制して、警察署行きを命じた。しかも、署に戻る途中で、切れたタバコを求めてポルトガル人の経営するコーヒーショップに寄り道をしている。急かせる部下には「なあに、時間はたっぷりあるさ。あの野郎はまだ死にかけちゃいねえよ。ここの連中はしぶといのさ。おい、あの店んとこで止めてくれよ。」と言って車を止めさせた。
『遠い夜明け』の中で、脳損傷の兆候が出ているからすぐ病院に、という医師の勧めを無視して、はるかかなたのプレトリア中央刑務所に護送せよ、の命令を下した構図と同じである。(本誌11号27ペイジ)

ラアルトのウィリボーイを追いつめる執念は異常だった。大騒ぎする群衆に目もくれなかった。発砲を制止する同僚の声も届かなかった。ウィリボーイが隠れて見えなくなったときも、そんな遠くには行っていない、必ず近くに潜んでいるさ、と動じる気配も見せなかった。屋根の上にウィリボーイの気配を感じたとき、ラアルトは貯水タンクの陰で、待った。屋根から飛び降りて足を痛めたウィリボーイが追いつめられてナイフを抜いた時、ラアルトは至近距離からウィリボーイを撃ち倒した。容赦はなかった。まさに獲物を追い詰めるハンター、だった。
ラアルトの異常な行動をみて、アフリカ系アメリカ人のあるリンチ場面を思い出した。うなだれて木に吊るされた黒人を十数人の白人たちがながめている姿が写真には写し出されていた。目の光り方が異様だ。白人たちは、黒人のリンチを見物に、まるでピクニックにでも出かけるように、女子供を連れて出かけた、という。その人たちは、見せしめに黒人をなぶり殺しにすることをむしろ楽しんでいる、そんな風に映る。
ラアルトの場合も捕物をむしろ楽しんでいる風だった。妻との不仲で心が晴れなかった故もあるが、相方の若者アンドリースが「今夜はいやに静かですね。」と言ったとき「静かだな、何か起こってくれりゃいいが。ブッシュマン野郎の汚ねえ首に手をかけてこの手で締め殺してやりてえよ。」と吐き捨てるように答えている。
ラ・グーマは「あなたの使う隠喩的表現には、人間的なものを非人問的なものに同化してしまう傾向があります。ただの叙述的描写のためですか、それとも何か特別な意味を表わすためですか。」と聞かれた時、「私の場合、小説の中では人間らしさを失なった白人を扱っています。ただし、個人的に非人間的な感情はありません。私はまた、肉体的にも精神的にも疎外の問題を取り扱っています。」(本誌7号20ペイジ)と答えている。

「非人間的」ラアルトは、無防備の群衆に向けて無差別に発砲をしたシャープヴィルの警官をほうふつさせる。又、無邪気な少年を撃ち殺したソウェトの一場面を思い出させる。『アモク!』や『遠い夜明け』の映像で再現されたシーンが強烈に目に焼きついているだけに、その思いは強い。

警察国家、官憲の横暴のテーマは『三根の縄』に一部分引き継がれ、第3作『石の国』で刑務所を舞台に、真正面から取り扱われることになる。

「彷徨」の象徴性
亡霊アンクル・ダウティはまた、「彷徨」のイメージを残して去って行く。
サミン氏が「あなたの小説、ことに『夜の彷徨』と『季節終わりの霧の中で』では、登場人物がよく場所を変えて動きます。そこにはどんな意図があるのですか。」と尋ねたとき、ラ・グーマはその意図について語る。

私はただ南アフリカの人々の経験を語りたいのです。選択の余地はありません。人は自らの労働力の切り売りを余儀なくされます。アフリカ人は決してひとところに落ち着くことは出来ません。その場面で他の人物を紹介し、隠された、最下層の南アフリカの姿を示すのもひとつの文学上の手法なのです。細かな部分では自伝的なところもあります。(本誌7号20ペイジ)

3人の主な登場人物は絶えず場所を変えて動く。
アドゥニスは、バスを降りて先ず安レストランに寄り、食事を済ませたあと居酒屋に立ち寄る。それからアパートに戻り、殺人を犯してしまう。事件の後、部屋に居ることが出来ずインド人のコーヒーショップに出かけ、最後は「ジョリー」の店で、とうとうチンピラ仲間に加わってしまう。
ウィリボーイは、安レストランでアドゥニスに会ったあと、暫く街を歩き、金の無心にアドゥニスを尋ねて事件に巻き込まれる。慌ててとび出したウィリボーイは、裏通りからジプシーのシビーン(もぐり居酒屋)に行くが、口論の末たたき出されてしまう。そして暗がりを歩いているときラアルトに発見されて逃げ回ることになる。
ラアルトは、パトロール中にジョリーの店により店主から5ポンド巻き上げ再びパトロールを続ける。そして、ダウティの殺人騒動に出くわし、死体の確認を終えてパトロールに戻った時、ウィリボーイを発見する。それから、追い詰めて仕留めたウィリボーイを警察署に護送中に、既に書いたように煙草を求めてレストランに立ち寄る。
ラ・グーマは「彷徨」のイメージについて更に詳しくエイブラハムズ氏に語る。

私がこの本のタイトルを『夜の彷徨』にした理由の一つは、カラード社会では所詮南アフリカの人種差別に反対する闘争と関連した形でしか人は自分たちの存在を見出せない、ということがいつも心の中にあったからだと思います。その人たちは、さまよい、耐え忍び続けていました。そして、自分たちが貢献する社会の一市民として受け入れられ、一市民であると自認出来るようになるまで、こうして夜の闇をさまよい続けていました。私は、光を見つけ出そうと、夜明けを見ようと、そして何か新しいもの、何か自分たちの限定された社会での経験を越えたものを見ようともがき続ける人物像を創り出そうと努めました。

3人の他にもう一人ジョーという、「彷徨」のイメージを備えた人物が居る。ジョーはアウトローを決め込んだタイプの人間ではあるが、ウィリボーイのように街にたむろして悪事をたくらむちんぴらではない。人畜無害で、岸壁辺りで漁師や釣人たちが捨てていく魚介類を漁って何とか生き延びている浮浪者である。しかし、腹をすかしている自分に、夕食でもとわずかな金を与えてくれるアドゥニスのやさしさを理解する心を持ち合わせている。その証拠に、インド人のコーヒーショップで会ったアドゥニスがちんぴら仲間と親しげに接するのを見て、あとからわざわざ追いかけてきて、あいつらの仲間には入るな、とアドゥニスに渾身の説得をする。

たぶんあんたは大変な問題をかかえこんでいるんだろう。僕なんかよりでっかいのを。僕が言ったように、誰にもみな悩みはあるよ。でもああいう連中は誰もあんたの悩みの手助けなんかになってくれたりはしない。なぜって、あいつら自身がたくさん問題を抱えているからだよ。あんたは悩みを一つ増やすだけだよ。どう言っていいかわからないけど、問題から逃げても、又別の問題が起こる。あの連中のように。あいつら、はじめに起こすのは小さな問題だけど、それから逃げて、又別の問題をおこす、結果的には問題を増やしながら絶えず逃げてばかりいる。全く、わからないよ。(64ペイジ)

ジョーは、言いたいことが喉のところまで出かけていたが、なかなか出て来なかった。うまく言葉にならなかったのである。
アドゥニスの方は、心の中ではジョーの言うことがわかりすぎるくらいわかってはいたが、出て来た言葉は「おまえさんに一体どんな悩みがあるってんだい。」という反発だった。そして「お前さんの家族はどうなってんだい」と問い返す。
ジョーは、自分たちを捨てていった父親や家族のことを話し始める。

僕にはわからないが、たぶん父親にもたくさん悩みがあったんだろう。父親には仕事がなかった。長いこと仕事からあぶれてた、だから食べるものがなかったことが多かったよ。僕と弟マティは朝になると古くなったパン切れをもらいに家々をまわったもんだよ。昨晩のおかずをもらうこともあった。でも家族みんなには到底足りなかった。年老いた母親は食物に決して手を出そうとはしなかったよ。大抵は食物を小さいもの同士でわけて食べた。また、家賃も払えなかった。しばらくして母親は、出て行けという手紙を受け取った。家主は何通も手紙を送って来た。どの手紙にも、きれいに出て行けと書いてあった。それから何人かが紙切れを一枚持って部屋まで入って来て家具を輔道に全部積み上げてからドアに鍵をかけて行ってしまった。もしまた部屋に入ったら、ぶちこんでやるぞと言ったよ。(65ペイジ)

ジョーは更に続けて言う。

年老いた母親は、メアリ、アイザック、マティ、それに僕と一緒に積み上げられた家具のそばにただ座って、泣いた。それから暫くして言ったよ、結局、田舎に戻ってばあちゃんと一緒に暮らすしかないね。中古屋に家具を売って、みんなは戻ったよ。」(65ペイジ)

ジョーは、しかし、母親について戻らなかった。幼な心に、田舎に戻ることは逃げることだ、と考えたからである。勿論、小さな子供であるジョーにこれから先食べて行くあてなどあろうはずがなかった。
それから幾歳月が過ぎ去ったのか。元の生地すらわからないほどに汚れた服を着て、原形すらとどめていない靴をはいたジョーが、ちんぴらの仲間入りなどして自分の悩みから逃げてはいけない、と全身全霊でアドゥニスを諭す。そんな情景を生み出すアパルトヘイト体制とは一体何なのか。
アンクル・ダウティが亡霊なら、アウトローを決め込んで若く貴い命を散らすウィリボーイも、ちんぴらの仲間入りをしてやがてはウィリボーイと同じ運命を辿るアドゥニスもやはり亡霊である。そして、黒人を追いつめることに異常な執念を燃やすラアルトも、今日もまたあてどなく岸壁をさまよい歩くジョーも又、たしかに亡霊である。その亡霊たちは、アパルトヘイト体制が続く限り、各人各様に、「夜」を「彷徨」することを運命づけられているのである。
劣悪な環境と警察国家を浮かびあがらせた「夜」のイメージは、その亡霊たちがさ迷う南アフリカの国そのものを暗に象徴している。又、「彷徨」のイメージは、その国でさまようことを運命づけられた人々の姿を見事に暗喩している。
ラ・グーマは、真実を世界に知らせようと、後世に歴史を伝えようと、1960年代にこの作品を書いた。あれから4半世紀が過ぎ去ったにもかかわらず、南アフリカの事態が基本的なところで何ら変わってないのは残念な限りである。
ラ・グーマが死んで、もうすぐ3年になろうとしている。
今年の8月には、カナダで、アレックス・ラ・グーマ/ベシィー・ヘッド記念大会が開かれる。異国の地で、南アフリカの同僚や後輩が企画したものである。ブランシ夫人が特別ゲストに招かれる。
私も参加して、是非その大会の模様をお伝えしたい。(宮崎にて)
(宮崎医科大学助教授・アフリカ文学)

最終更新日: 2009年 3月 19日 9:24 PM   カテゴリー: 南アフリカ, 本(装画・挿画), 絵画
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