私の絵画館:「レオンくんと古城」(小島けい)

                                 続モンド通信6(2019年5月20日)

私の絵画館:「レオンくんと古城」(小島けい)

 

最近私の携帯には、毎晩いえ時には日に何度も決まった相手から電話がかかります。その相手とは、猫の“のらちゃん”です。

名前の通り元のら猫のその子は、4年前の5月頃突然娘のところにやってきました。そして家の外からどのように察知するのか、行く部屋行く場所の一番近い窓から、大きな声で必死になき続けました。しかもそのなき声は、今まで聞いたことのないような低くて太いダミ声でした。

東京で猫は飼えないから、と聞こえないフリ?をし続けていた娘でしたが。このままでは隣り近所から通報され殺されてしまうにちがいないと心配になり、目立たないところにエサを置くことにしました。“

すると少しずつですがなく回数が減り、いつのまにか玄関のドアの前で寝ているようになりました。ひどい雨の日、ずぶ濡れになっているのを見かねて箱を置くと、その中にもぐり込み安心して眠りました。

ある時試しにドアを開けてみると、最初は恐る恐る少しずつ入ってきましたが、そのうち家にあがりこみ長い時間くつろぐようになりました。

そうして<完全家猫>の座を獲得し“のらちゃん”となりました。

不思議なことに、あれほど低くて太い大きなダミ声だったのが、大切に可愛がられているうちに、ふと気付けば少し高めのかわいいか細いなき声にかわっていました。

保護された時が推定1歳でしたので、これまでの<のら生活>ではいろいろ大変なことも多かったと思うのですが、今やおしゃべり大好きな猫となり、<電話かけて!>とせがむようになりました。その電話を受けて私が話しかけると、じっと聞いていてそれなりにいろいろ返事をしてくれます。

今でも時折、自分で携帯にタッチして一人でニュースを聞いていたり。のぞき込んでタッチして自撮りの写真をとったりするそうですので、そのうち電話も一人でかけたい時にかけてくるようになるのではないか?!と、ひそかにその日がくるのを待っているこの頃です。

モデルは、チャイニーズ・クレステッドのレオンくんです。とても珍しい犬種だそうで、私自身も実際にはまだ会ったことがありません。

長い毛のもち主ですので、カットのしかたでずいぶん印象もちがってくるようです。いずれにしても<高貴な雰囲気>は動かしがたく、気品ある美しさには、やはりドイツの古いお城があうのではないか。そんなふうに思い、小さく描き入れてみました。



私の絵画館:「パンダ」(小島けい)

                             続モンド通信7(2019年6月20日)

私の絵画館:「パンダ」(小島けい)

少し前、上野動物園のシャンシャンが2歳の誕生日をむかえたと話題になっていましたが。
私がこのパンダの絵を描いたのは2009年<花のカレンダー>を全国発売していただいた時です。
花の絵に加えパンダの絵も描いて送って下さい、と言われました。それまでパンダをきちんと見たこともありませんでしたが、慌てて2枚のパンダを描きました。
そのうちの一枚、この絵が<カレンダーにもれなく3枚入るパンダトレカ>となりました。青空を背景とするもう一枚の絵も私は好きでしたが、他のクリエイターさんたちと重なっていないからでしょうか、こちらが私のトレカとして選ばれました。
大好きな笹の葉のなかで小枝にのって遊んでいるパンダの子供を、想像して描きました。無邪気でのんびりした様子が、今も愛らしいなあ・・・と思います。

(「2019年小島けいカレンダー「私の散歩道ー犬、猫ときどき馬」6月に収載)



私の絵画館:「ナミブ砂漠」(小島けい)

                           「続モンド通信8」(2019年7月20日)

私の絵画館:「ナミブ砂漠」(小島けい)

<気配>

私は40年以上前に、モンゴルのゴビ砂漠に行きましたが。そこは<月の沙漠>の歌にあるような砂漠とは、全くちがいました。
砂丘というよりは草原でしたが、背たけの低い草の緑はあまり目立たず、むき出しの土地がどこまでも広がっていました。
観光客が泊まるパオだけは用意されていましたが、それ以外は見わたす限り何もありません。その<360度何もない>ということに圧倒された記憶だけは、遠い昔ですが、今も何故か覚えています。
一方、ナミビアのナミブ砂漠は、ゴビ砂漠とは全く対照的です。世界最古の砂丘といわれるこの場所は、オレンジ色と影の対比が美しく、一度描いてみたいと以前から思っていました。
この砂漠らしい<砂漠>には、ふつうラクダが描かれるのでしょうが。ずっと前に見た二頭の一瞬の姿が忘れられず、暑い砂漠に登場してもらいました。

<巣立ちの後に>

この頃の私は、<子供たち>が巣立ってしまった寂しさを感じています。今どこで暮らしているのだろう?と空っぽになった場所を見ては、思ってしまします。
2,3ヶ月前だったでしょうか。アトリエのベランダで、しきりに鳥のなき声がするようになりました。窓の外を見ても姿は全く見えませんが、声だけは確かにするのです。
ところがそのうち、家の猫たちが朝ご飯の後、そそくさと2階に上がっていくことに気が付きました。そしてある程度の時間をすごすと<やれやれ、今日のご用事が終わりましたよ>という満足気な顔で階段を下りてくるのです。
2階で何をしているのだろうと見てみると、アトリエの窓の外を、網戸越しに食いいるように見ています。猫たちの後で私も一緒に外を見ていると、しばらくしてベランダのすぐ横に付けてあるBSの丸いアンテナに、一羽の鳥がバサッバサッと音をたてて飛んできました。口には細長い枯れ草をくわえています。そして、その位置から再び羽を広げてま上に飛び上がりました。

鳥は雀の3~4倍の大きさで、ほっそりとした姿です。初めて見る鳥でした。
草は巣作りに使うのでしょう。鳥は毎日何回も草をくわえて運んできました。その度に必ずアンテナに止まるので、猫たちは間近に見る実物の鳥に色めきだち、今にも網戸を破りそうな勢いです。
アンテナから次に一体どこに飛ぶのかしらんと、鳥が遠くへ出かけた後ベランダに出てみました。するとベランダの屋根の端の方に直径10cmほどの丸い穴が空いています。2・3年前新しいクーラーに替えた時、その穴の横にあらたに管を通したようで。不要となった以前の穴は、簡単には防いだはずですが。それがはがれ落ちてしまったのでしょう。
鳥はその穴から天井部分に入り、巣作りをしているらしく、枯れ草のはしが板のすき間から何ヶ所もはみ出して垂れていました。
それから毎日、猫たちと私は折をみては窓の外を観察しました。鳥はあいかわらず、外から帰ると必ず一度アンテナに止まり、まわりを確かめてから数10cm上の巣穴へ入りました。
そのうち天井あたりから幼いなき声がひんぱんに聞こえるようになり、親鳥の動きも俄然活発になりました。バッタのような虫をくわえて帰ってきては、すぐまた再び飛びたちます。
ある時、巣の中の声が異常にけたたましくなり、大騒ぎしているので見てみると、穴から追い出された1羽のスズメが、あわてて逃げ出していきました。不法侵入者を家族総出で追いはらったのでした。
そうこうしているある日、親鳥とそっくりな形の小さな鳥が、巣からおりてきてアンテナに止まり、次に向かいの家の屋根に飛んでいきました。
卵からヒナにかえった子供たちが、とうとう外へ飛べるようになったのです。私は嬉しくて、下絵用のノートにメモ書きを残しました。6月25日でした。

 

その直後、九州南部では恐ろしいほどの大雨となり、やむなくアトリエの窓にもシャッターをおろしました。
数日後大雨が一段落して、そおっとシャッターを開けましたが、その時、鳥たちはもういませんでした。雨が止むのと同時に、巣立ったようでした。

子供が巣立つと寂しいとは、時々耳にしますが。
小鳥たちの巣立ちに少し寂しさを感じつつ、猫たちと私の特別な<今年の春>が終わりました。
もうすぐ、夏です。



私の絵画館:「りんちゃんとすずちゃんとメキシコ」(小島けい)

                             続モンド通信9(2019年8月20日)

私の絵画館:「りんちゃんとすずちゃんとメキシコ」(小島けい)

トイ・プードルのりんちゃん・すずちゃんの飼い主さんは、長い間メキシコで暮らしておられました。

そこで、絵の背景には<メキシコの太陽>と<ウチワサボテン><柱サボテン>を入れて、とのご希望でした。

知っているようで、実はあまりよく知らないメキシコでしたので、それから<メキシコの太陽>やサボテンがはえている大地の色などを、いろいろ調べました。

そして何回かラフ・スケッチのやりとりをした後、完成したのがこの絵です。

飼い主さんはこの絵をとても気に入って下さり、ご自分の行きつけのお店何軒かにも、この絵を使った個展の案内ハガキを、置いていただけるよう手配して下さいました。

今年ももうすぐ、大好きなりんちゃん・すずちゃんと飼い主さんにお会いできます。九月がとても楽しみです!



私の絵画館:「旅する子猫―2―サントリーニ島」(小島けい)

                          「続モンド通信10」(2019年9月20日)

私の絵画館:「旅する子猫―2―サントリーニ島」(小島けい)

ずっと以前は、小さなザック一つと竹かごのバスケットだけで、アラスカの氷河やゴビの砂漠、そしてパリにも行きましたが。

いつからか家を空けることが至難の技となりました。それはごく自然の流れで、子供たちだったり、犬だったり。そして今は猫たちという大切な存在を、第一に考えてのことでした。

そこで、私が旅に出るかわりに、行ってみたいなあ・・・・と思う街を、子猫たちに旅してもらうことにしました。

それは、モロッコの青い街<シャウエン>から始まり、今年で6作目となりましたが。 この絵は、旅する子猫シリーズの第2作目。青い海と白壁の家並が美しい、ギリシャの<サントリーニ島>です。



私の絵画館:「子猫の四季 <秋>」(小島けい)

                            続モンド通信11(2019年10月20日)

私の絵画館:「子猫の四季 <秋>」(小島けい)

 <小島けい個展―2019->は、今年も無事に終えることができました。ご来場下さいました皆様に、心より御礼申し上げます。

今回から期間をこれまでの2週間から1週間に致しましたが、とても充実した日々となりました。短かくなった分、お会いできなかった方たちもおられますが、次の機会を楽しみに、と思っております。

 

楽しかった個展のご報告は、また次回に詳しく・・・・。

一昨年の個展の後、私はオーナーの映子さんに、来年は<子猫の四季>という題で4枚の絵を描いてきますね、とお約束しました。この絵はその<秋>です。

春は白木蓮、夏は白い百合、冬には赤いやぶ椿でと考えた時、秋はやっぱりイチョウだ!と思いました。そして、この絵ができました。



私の絵画館:「アフリカの犬」

                            続モンド通信12(2019年11月20日)

私の絵画館:「アフリカの犬」(小島けい)

この絵には元になった絵があります。

そこに犬は登場していませんが、<土壁の家の窓から外を見ている女性>の絵です。

もうずいぶんと昔。私が神戸で伊川寛という先生の教室に通っていて、まだ油絵を描いていた頃。当時は、教室以外では、描きたいものを描きたい大きさで描いていました。そのために美しい瞳が印象的なアフリカの女性を、30号の大きなキャンバスに油絵で描きました。

最近では、飾る場所も考えて大きさを決めますが。確かに30号の絵はどこにでも置くわけにはいかず、明石の実家に住んでいた時は、玄関にドン!と置いていました。

そして宮崎に来てからは、借りていた家に置き場所はなく、大きな壁がある相方の研究室に置いてもらっていました。

最近<ジンバブエ日記>を書くようになり、ふとこの大きな絵を思い出しました。開けられた窓の下を、私たちがアフリカで借りた家にいた犬<デイン>のような犬が歩いている完璧な<番犬>だったデインではなく、もっと優しげな犬です。アフリカの日常に、なにげなくあったような風景となりました。

ちなみに<デイン>の犬種は、ずっとわからないままでしたが、ケニアの保護区で密猟を取り締まるために活躍している<ブラッドハウンド>ではないか。最近見た映像から、そんなふうに思っている最近の私です。



小島けいのジンバブエ日記11回目:「空港にて」(小島けい)

小島けいのジンバブエ日記11回目:「空港にて」(小島けい)

 

ハラレの借家

10月3日

ハラレ最後の日。家主の老婆の突然の帰国で、時間的にも精神的にもすっかり狂ってしまいましたが、とりあえず18時40分二台のタクシーで、慌ただしく借りていた家を出発。空港に向かいます。
ジャカランダで薄紫に染まる街並みを見ながら<やれやれ・・・>と思ったのもつかの間。私たち二人が乗ったタクシーの運転手は道をよく知らないようで、どうも変な方向から空港に向かい、普通の倍くらいの時間がかかってしまいました。当然、子供たちの乗ったタクシーとはすっかり離れてしまいました。

 

ジャカランダで薄紫に染まる街

 そうしてようやく空港にたどり着きましたが、タクシーを降りた瞬間、そこには目を疑うような光景がありました。ハラレに到着した日はお昼頃で、小さな空港は閑散としていましたが。目の前の夜の空港には、どこからこれだけの人が集まったのかと思うほどの人々が押しよせて、空港の外の方まで人であふれています。

 

ハラレ国際空港

 先に着いたはずの子供たちとアレックスとジョージはどこ?と捜しますが、あまりにも多くの人、人、人でなかなか見つけられません。そうこうしているうちに私たち二人は大きな流れのなかに飲みこまれ後からずんずん押されて、気がつけば手続きの場所まで来てしまいました。もしかしたら中にいるかもしれないと思い、とりあえず長い時間をかけて手続きをすませ、空港内に入りました。そして再びごった返す人々の中にび四人をさがしますが、見つけることができません。

 

ジョージ

 やはり子供たちは手続きもできず、ゲートの外で私たちを待ち続けているにちがいないと、もう一度人々の間・彼方に目をやり捜し続けていました。すると、はるか向こうの建物の端の方で、茫然と立ちすくみ、私たちを必死に目で捜している四人を発見!
大きなトランクを持ったままでは動くこともままならないので、私だけが迎えに行くためもどろうとしますが、係員から<一度入ったら出ることはできない!!>と強く止められます。<飛行機に乗る子供たちがまだあそこにとり残されているから>といくら説明しても、<No!!>というだけで、ラチがあきません。
飛行機の搭乗時間も迫っていました。このままあの四人が私たちを見つけられなければ、子供たち二人はアフリカにとり残されてしまう!!その恐怖が走った瞬間、私は混雑する人ごみの流れに逆らいジリジリと戻り始めました。ゲートが近付くと、係員に見つけられないよう身をかがめしゃがんだまま、どんどん中に入ってくる人々の足の間を逆行してゲートをすり抜け、ようやく四人のところにたどり着くことができました。
そうして、何とか無事に子供たちの手続きも終え、最後まで子供たちを守ってくれた信頼できる友人アレックスとジョージにお別れの挨拶。別れ際には、柵のこちらからむこうへもう使うことのない私たちが持っていたすべてのハラレのお金を二人に渡します。ほんとうにたくさんの<タテンダ!!(ありがとう)>押し寄せる人々の中で、大声でこの一言を叫ぶのが精一杯でした。

 

アレックス

 ジンバブエのハラレの空港で決して冗談ではなく、あやうくはぐれてしまうところだった私たち四人は、こうして何とかパリへの長い飛行機の旅路に着くことができました。



私の絵画館:「ジプシー」

私の絵画館:「ジプシー」(小島けい)

 

 

季節は冬から春に、そして初夏の装いへと静かに着実に移りかわっていますが、人の世界だけはずっと雲がかかったようなすっきり晴れない日々が続いていますね。

かくして私も、<唯一の救い>のような感じで毎週牧場通いを続けています。

例年ならば、三月末から四月五月と太陽の日ざしがまぶしい宮崎には多くの人が訪れて、ホテル<シーガイア>のすぐ横にある<うまいる>(牧場の支部?)の馬たちはお客様をのせて大忙しのはずですが。

今年は主要メンバーのジプシーも、しばらく前からずっと牧場の方にもどしてもらってのんびりとすごしています。おかげで私は、しばらくぶりに大好きなジプシーに乗せてもらえて、ハッピー!というわけです。

ジプシーは今年26歳の牝馬(ひんば)で、牧場が開かれてすぐやってきた馬です。

乗馬を始めて間もない頃に私はジプシーの絵を描き、それをオーナーのメグさんにさしあげました。

後で彼女から<あの絵を見た瞬間、鳥肌が立ちました!>と聞き、びっくりしましたが。

実は、ジプシーを初めて牧場に連れてきた夜、まだ整地もされていない荒れた原っぱだった広馬場に解き放ったそうなのですが。その時の月の光の中で走るジプシーと絵のジプシーとがピッタリ重なった!というのです。

何も知らずに描きましたが、そんな偶然もあるのだなあ・・・・と、不思議に思ったものでした。

私が今まで牧場で一番お世話になった馬がジプシーです。けれど調教がよくできていて、人が安心して乗れる信頼できる馬なので、何年か前に<うまいる>ができてからは、ほとんどシーガイアの方に常駐することになりました。どんなお客様でも彼女になら安心してまかせることができるからです。

それでもジプシーにとって大変なこともありました。外乗で海辺を走っていたとき。砂浜に流れついていた木片が跳ねてジプシーの胸につきささりました。けれどジプシーは騒ぐこともなく、走り続けたのです。

お客様が下りた後、スタッフが血を流しているジプシーを見て、初めてケガに気付いたそうです。きっとひどく痛かったにちがいないのに、あばれたり、続けて走るのをイヤがったりせず、ずっとがまんしていたと思うと、涙がでそうになります。

そんなに乗せている人の言うことをきかなくてもいんだヨ!と、言ってあげたくなるような馬なのです。

結局、そのケガは完治するまで思いのほか長くかかってしまいました。一応、つきささった木片は、最初の治療で取り出せたと思われたのですが。いつまでもキズ口が治らず、再度調べ直したところ、木片のかけらの一部がまだ体の中に残っていたのでした。

今ではすっかり元気になりましたが、軽い合図でも一生懸命走ってくれるので、少し走っては木陰でちょっと一休みして、そしてまた走る。ジプシーも私も<お年>ですので、お互いに疲れすぎないように気をつけながら、末長く一緒にすごせたらいいなあ・・・・と、明日の乗馬を楽しみにしている私です。



小島けいのジンバブエ日記10回目:「10月3日(晴れ)最後の晩さん」

小島けいのジンバブエ日記10回目:「10月3日(晴れ)最後の晩さん」(小島けい)

              「続モンド通信17」(2019年4月20日) に収載。

 

今日、私たちはハラレを発ちます。

パリに持っていく荷物を詰め、ゲイリーたちにハラレで買った物を全て譲り、一生に一度の思い出に彼らをお風呂に入れてあげ、各部屋をもと通りにしなければいけません。それらをすませてから、アレックスたちと一緒に、楽しくお別れの食事会をするつもりでした。

ところが、明日帰国予定の家主が、午前11時過ぎ突然帰って来ました。まず空港からの電話で、冷蔵庫の冷凍室が一杯になるくらいのフランスパンを買いに、ゲイリーをパンの店まで走らせました。

次に、夜の飛行機に備え少しでも子供たちを寝させたい、と思っている午後2時すぎ、急に家主が庭に現われました。(いつものようにゲイリーに門を開けさせたのです。)典型的なこの国に住む白人の老婆でした。穏便にすませようとタマさんは、<私たちの出発した後午後七時以降に来てほしい>、と手紙を書きました。直接会えば喧嘩になりかねないからです。ゲイリーから手紙を受け取った家主は、タクシーを呼ばせて、タクシーの到着を待っている間中、庭の中を点検して回りました。自分の留守中に、得体の知れないアジア人に荒らされたり壊されたりしたところはないか?と疑っている様子がありありでした。

その後一応家主は引きあげましたが、老婆の出現で現実に引きもどされたゲイリーの表情はこわばったままですし、部屋の修復も、最初に台所の小さなスプーンに至るまでぶ厚いリストを作って渡されているので、なかなかの作業です。

借家

家主の一日早い帰国という予想外の出来事で、時間的にも精神的にもよけいにバタバタしましたが、午後5時40分に大幅に遅れていたアレックスとジョージが、チキンのテイクアウトを運んで来てくれました。ようやく、慌ただしいなかにもなごやかに、お別れパーティです。

アレックス

ところがその少し後、食事の最中に、タクシーが止まり再び家主が門の前に立ちました。タクシーが門を開けろ!という合図の警笛をならしています。途端にゲイリーの顔に恐怖が走ります。この国では黒人は家の中に入る時、玄関で裸足になって入らねばなりません。土足で、しかも居間で、私たちと一緒に食事をしている光景をもし庭からでも見られたら、即刻首にされるに決まっています。

ジョージ(小島けい画)

相方はとっさに判断して、いつものようにゲイリーに門を開けさせずに、自分で門に走りました。そして開けないまま門をよじ登って外側に降り、門の前に立ちふさがりました。そこで”出発まで庭で待ちたい”という老婆と”今日まで借りているのだから、出発した後で来るべきだ”と押し問答です。私たちは居間で、どうなることかと固唾をのんで様子を窺っていました。それはしばらく続きましたが、とうとう最後に、彼が大声で怒鳴り、やっとのことで老婆を追い返しました。

 しぶしぶ引きあげたとは言え、彼女は何時またもどって来るかわかりません。迫ってくる出発の時間と大きな不安。おまけに、予約した時間よりも大幅に早くタクシーが2台到着です。運転手たちには待ってくれるよう頼むしかありません。そうした混乱のなか、みんなは食事の残りを詰め込むように食べ終わり、慌ただしい<最後の晩さん>は終わりました。それでも出発前には、以前から約束していた<花火>だけはきっちりしました!

心に描いていた<ゆったりした楽しい食事会>とは程遠い、混乱のなかでの最後の食事会で、想いは乱れたままですが、ぎりぎりの時間となり、もうお別れです。抱き合い泪するゲイリーたちと私たち。”タテンダ(ありがとう)”という言葉しか言えません。

ゲイリーたち

空港まで送ってくれるアレックス、ジョージと、私たち家族4人は、4つの大きなトランクを積み込み、二台のタクシーで出発です。ジャカランダの花で全体が薄紫に染まる街が、夕闇と泪でかすんでいきました。

ジャカランダの街