新作です:モアくんと海(2014/3/1)
東京都のモアくんと海です。海は伊豆の海岸で、久しぶりに走った一光景です。
出版社門土社(横浜)のメールマガジン「モンド通信」(MonMonde)の「私の絵画館」に連載中です。連載した一覧です。タイトルをクリックしてご覧下さい。最後に最新号<61>「ナナちゃんと桜」(No. 78:2015年3月23日)を載せています。
<61>→「ナナちゃんと桜」(No. 78:2015年3月23日)
<60>→「モアくんと海」(No. 77:2015年2月23日)
<59>→「アルトくんと菜の花」(No. 76:2015年2月01日)
<58>→「ミー子と椿」(No. 75:2015年1月15日)
<57>→「ケルピーとラ・ブランと木立ダリヤ」(No. 74:2014年12月08日)
<56>→「ダックスくんとイチョウと三日月」(No. 73:2014年10月26日)
<55>→「ピノキオとマックスと葛」(No. 72:2014年8月10日)
<54>→「ツルマルツヨシとのうぜんかずら」(No. 71:2014年7月10日)
<53>→「バロンと紫陽花」(No. 70:2014年6月10日)
<52>→「アイちゃん・ふくまるさんとライラック」(No. 69:2014年5月10日)
<51>→「ゆきちゃんとミニチューリップ」(No. 68:2014年4月10日)
<50>→「 かりんちゃんと桜」(No. 67:2014年3月10日)
<49>→「ぺぺとリリと梅」(No. 66:2014年2月10日)
<48>→「武藏くんとポインセチア」(No. 64:2013年12月10日)
<47>→「ショー子ちゃんと黄色いダリヤ」(No. 63:2013年11月10日)
<46>→「ターバンくんとコスモス」(No. 62:2013年10月10日)
<45>→「『山羊のみた夢 3』」(No. 61:2013年9月10日)
<44>→「 『 山羊のみた夢 』2」(No. 60:2013年8月10日)
<43>→「浜辺(三太と海)」(No. 59:2013年7月10日)
<42>→「天馬とカサブランカ」(No. 58:2013年6月10日)
<41>→「モモコとたんぽぽ 」(No. 57:2013年5月10日)
<40>→「さくらちゃんと桜」(No. 56:2013年4月10日)
<39>→「玄風と紫木蓮」(No. 55:2013年3月10日)
<38>→「レオくんと日々草」(No. 54:2013年2月10日)
<37>→「バーニーと水仙」(No. 53:2013年1月10日)
<36>→「ラックくん、アンくんと椿」(No. 52:2012年12月10日)
<35>→「子猫とイチョウ」(No. 51:2012年11月10日)
<34>→「“まりりんとぷりん”とコスモス」(No. 50:2012年10月10日)
<33>→「ウィシュウィズと桔梗」(No. 49:2012年9月10日)
<32>→「鸚鵡のクーちゃんとハイビスカス」(No. 48:2012年8月10日)
<31>→「ピースちゃんとバラ」(No. 47:2012年7月10日)
<30>→「ありがとう・・・」(No. 46:2012年6月10日)
<29>→「とくちゃんとマーガレット」(No. 45:2012年5月10日)
<28>→「かりんちゃんと桜」(No. 44:2012年4月10日)
<27>→「ロンくんと椿」(No. 43:2012年3月10日)
<26>→「シンディと梅」(No. 42:2012年2月10日)
<25>→「水仙ところちゃん」(No. 41:2012年1月10日)
<24>→「ルーシーと木立ダリア」(No. 40:2011年12月10日)
<23>→「チョビと山茶花」(No. 39:2011年11月10日)
<22>→「ハーシュくんとコスモス」(No. 38:2011年10月10日)
<21>→「レイチェル」(No. 37:2011年9月10日)
<20>→「ももちゃんとひまわり」(No. 36:2011年8月10日)
<19>→「アレックスとのうぜんかずら」(No. 35:2011年7月10日)
<18>→「チェックとスカイ」(No. 34:2011年6月10日)
<17>→「萌ちゃん:野原にて」(No. 33:2011年5月10日)
<16>→「櫻舞う」(No. 32:2011年4月10日)
<15>→「椿山」(No. 31:2011年3月10日)
<14>→「梅の季節に」(No. 30:2011年2月10日)
<13>→「ひなちゃんと山茶花」(No. 29:2011年1月10日)
<12>→「山茶花」(No. 28:2010年12月10日)
<11>→「三太と銀杏」(No. 27:2010年11月)
<10>→「さやちゃんとコスモス」(No. 26:2010年10月)
<9>→「驢馬のパオンちゃん」(No. 25:2010年9月)
<8>→「向日葵とジョバンニ」(No. 24:2010年8月)
<7>→「合歓ときいちゃん」(No. 23:2010年7月)
<6>→「デルフィニュムとMちゃん」(No. 22:2010年6月)
<5>→「藤とココちゃん」(No. 21:2010年5月)
<4>→「のあと桜」(No. 20:2010年4月)
<3>→「梅とぴのこ」(No. 19:2010年3月)
<2>→『水仙』(No. 18:2010年2月)
<1>→『母親になった猫』(No. 16:2009年12月)
作業中です
最新作です。「ピノキオとマックスと葛」(No. 72:2014年8月10日)
「ピノキオとマックスと葛」 小島けい
昔、外出先から帰ると母はいつも”あー、やっぱり家が一番”と言いました。その時私は、楽しいお出かけより家がいいなんて・・・・・と不思議でした。
ところが最近の私は、四匹の猫と暮らすこの小さな家が”やっぱり一番!”になってしまいました。
それでも、力をふり絞ってもう一度外国へ行くとすれば、パリの街と決めています。
パリには20代の終わりと30代の中頃に行きました。2回目は、家族でアフリカに滞在した帰りに立ちよりましたので、子供たちの健康ばかりが気になって、旅行を楽しむ余裕はほとんどありませんでした。
1回目は、当時体調のよくなかった兄が何が何でももう一度パリに行く!といい張るので、それなら先に行って待っててあげるよ、とひと月の予定で出かけました。
遅れてやってきた兄は案の定、飛行機の長旅でさらに体調をくずし、現地のツアーコンダクターから即刻帰国を勧められました。
一度はあきらめて飛行場まで行った兄でしたが、このまま帰るのはあまりにも無念と、航空会社の人に新たにホテルを紹介してもらい、街にもどりました。
外国で病気になると、本当に大変です。シップを買ってきてほしいと頼まれた時のことです。大通りでタクシーをつかまえようと必死で手をあげて待っていると、ようやく一台の車が止まりました。
後のドアをあけて乗りこみ<薬局へ>と片言のフランス語で言うと、運転手は後部座席に置いてあったカバンと背広の上着をあわてて前に移動しました。
薬局の前に止まった時メーターをさがすと、メーターがみあたりません。仕方がないので<いくらですか?>と聞くと、黒人系のその人は笑って<これはタクシーではないよ。だからお金はいらないんだ。そのかわり、後でこの住所に手紙を書いて>とメモを渡されました。その時はじめて、私が乗った車は仕事帰りのビジネスマンの車だったことに気付きました。善良なその人のおかげで、無事シップを買うことはできたのですが、乗用車とタクシーの見分けもつかなかったほどその時の私は慌てていたのだと、後になってわかりました。
何日間かパリの街を楽しむことのできた兄が帰った後、私は再び美術館巡りをはじめました。けれどパリには美術館が多すぎて、たったひと月ではそのほんの一部を回ったにすぎません。
それでも一つ、私にとって大きな発見がありました。美術の教科書には必ず載っているモネの睡蓮ですが、印刷されたその絵のどこが優れているのだろう、とずっと疑問に思っていました。
たまたまですが、モネの睡蓮の部屋に入り息をのみました。丸い広々とした部屋の壁一面に横長の大きな睡蓮が飾られていました。
静かでおだやかな色彩ながら、その絵は見事な迫力と存在感でせまってきました。
1回目のパリで得たもの。それは、モネの睡蓮はすごい!ということだったかもしれません。
もしも3度目のパリが実現するなら。その時は、昔とちがい英語がずいぶんと通じるようになっていますので、ぜひ<通訳>と一緒にと思っています。
絵の双子のような馬は、ピオキオとマックスです。とてもよく似ていますが、全く血のつながりはないそうです。
ちょうど丸馬場で二頭が走る練習をしている時に出くわしましたが、まるで二頭立ての馬車を引いているように見え、思わず絵にしました。今はシーガイヤの馬場で人気者になっているそうです。
今年も、もうすぐ葛の咲く季節がやってきます。
<エッセイと絵>一覧
<55>→「ピノキオとマックスと葛」(No. 72:2014年8月10日)
<54>→「ツルマルツヨシとのうぜんかずら」(No. 71:2014年7月10日)
<53>→「バロンと紫陽花」(No. 70:2014年6月10日)
<52>→「アイちゃん・ふくまるさんとライラック」(No. 69:2014年5月10日)
<51>→「ゆきちゃんとミニチューリップ」(No. 68:2014年4月10日)
<50>→「 かりんちゃんと桜」(No. 67:2014年3月10日)
<49>→「ぺぺとリリと梅」(No. 66:2014年2月10日)
<48>→「武藏くんとポインセチア」(No. 64:2013年12月10日)
<47>→「ショー子ちゃんと黄色いダリヤ」(No. 63:2013年11月10日)
<46>→「ターバンくんとコスモス」(No. 62:2013年10月10日)
<45>→「『山羊のみた夢 3』」(No. 61:2013年9月10日)
<44>→「 『 山羊のみた夢 』2」(No. 60:2013年8月10日)
<43>→「浜辺(三太と海)」(No. 59:2013年7月10日)
<42>→「天馬とカサブランカ」(No. 58:2013年6月10日)
<41>→「モモコとたんぽぽ 」(No. 57:2013年5月10日)
<40>→「さくらちゃんと桜」(No. 56:2013年4月10日)
<39>→「玄風と紫木蓮」(No. 55:2013年3月10日)
<38>→「レオくんと日々草」(No. 54:2013年2月10日)
<37>→「バーニーと水仙」(No. 53:2013年1月10日)
<36>→「ラックくん、アンくんと椿」(No. 52:2012年12月10日)
<35>→「子猫とイチョウ」(No. 51:2012年11月10日)
<34>→「“まりりんとぷりん”とコスモス」(No. 50:2012年10月10日)
<33>→「ウィシュウィズと桔梗」(No. 49:2012年9月10日)
<32>→「鸚鵡のクーちゃんとハイビスカス」(No. 48:2012年8月10日)
<31>→「ピースちゃんとバラ」(No. 47:2012年7月10日)
<30>→「ありがとう・・・」(No. 46:2012年6月10日)
<29>→「とくちゃんとマーガレット」(No. 45:2012年5月10日)
<28>→「かりんちゃんと桜」(No. 44:2012年4月10日)
<27>→「ロンくんと椿」(No. 43:2012年3月10日)
<26>→「シンディと梅」(No. 42:2012年2月10日)
<25>→「水仙ところちゃん」(No. 41:2012年1月10日)
(写真①)
<24>→「ルーシーと木立ダリア」(No. 40:2011年12月10日)
<23>→「チョビと山茶花」(No. 39:2011年11月10日)
→小島けいのカレンダー『私の散歩道2012~犬・猫・ときどき馬~』の11月に収載しています。
→「ちょびちゃんとさざんか」、→「さざんか」http://kojimakei.jp/wordpress/2010/10/25/さざんか/でもどうぞ。
<22>→「ハーシュくんとコスモス」(No. 38:2011年10月10日)
→小島けいのカレンダー『私の散歩道2012~犬・猫・ときどき馬~』の10月に収載しています。
→「ハーシュくん」でもどうぞ。
<21>→「レイチェル」(No. 37:2011年9月10日)
→「レイチェル」でもどうぞ。
<20>→「ももちゃんとひまわり」(No. 36:2011年8月10日)
→小島けいのカレンダー『私の散歩道2012~犬・猫・ときどき馬~』の8月に収載予定しています。
<19>→「アレックスとのうぜんかずら」(No. 35:2011年7月10日)
→小島けいのカレンダー『私の散歩道2011~犬・猫・ときどき馬~』の7月に収載しています。
<18>→「チェックとスカイ」(No. 34:2011年6月10日)
<17>→「萌ちゃん」(No. 33:2011年5月10日)
→小島けいのカレンダー『私の散歩道2012~犬・猫・ときどき馬~』の表紙にしています。
<16>→「櫻舞う」(No. 32:2011年4月10日)
→小島けいのカレンダー『私の散歩道2011~犬・猫・ときどき馬~』の4月に収載しています。
<15>→「椿山」(No. 31:2011年3月10日)
<14>→「梅の季節に」(No. 30:2011年2月10日)
→小島けいの花クリカレ『2009 CREATORS’ POWER CALENDAR』の2月に収載しています。
<13>→「ひなちゃんと山茶花」(No. 29:2011年1月10日)
→小島けいのカレンダー『私の散歩道2011~犬・猫・ときどき馬~』のの12月に収載しています。
<12>→「山茶花」(No. 28:2010年12月10日)
→小島けいの花クリカレ『2009 CREATORS’ POWER CALENDAR』の11月に収載しています。
<11>→「三太と銀杏」(No. 27:2010年11月)
→ブログの「三太とイチョウ」と、→2011年用カレンダー「私の散歩道2011~犬・猫・時々馬~」の11月の「三太とイチョウ」もどうぞ。
→小島けいのカレンダー『私の私の散歩道2011~犬・猫・ときどき馬~』の11月に収載しています。
<10>→「さやちゃんとコスモス」(No. 26:2010年10月)
→ブログの「秋桜(こすもす)とさやちゃん」と→2010年用カレンダー「私の散歩道2010」の10月の「さやちゃんとコスモス」、→ブログの「蔦(つた)とさやちゃん」と→2010年用カレンダー「私の散歩道2010」の11月の「蔦とさやちゃん」もどうぞ。
<9>→「驢馬のパオンちゃん」(No. 25:2010年9月)
→ブログの「トンネルのパオンちゃん」と→ブログの「パオンちゃんとノア」もどうぞ。
<8>→「向日葵とジョバンニ」(No. 24:2010年8月)
→ブログの「向日葵とジョバンニ2」と→ブログの「向日葵とジョバンニ」と→2011年用カレンダー「私の散歩道2011~犬・猫・時々馬~」の8月の「向日葵とジョバンニ」もどうぞ。
<7>→「合歓ときいちゃん」(No. 23:2010年7月)
→ブログの「合歓ときいちゃん」、→2010年用カレンダー「私の散歩道2010」の7月の「合歓ときいちゃん」と、→ブログの「クリスマスローズときいちゃん」もどうぞ。
<6>→「デルフィニュムとMちゃん」(No. 22:2010年6月)
→ブログの「郁子(むべ)とMちゃん」もどうぞ。
<5>→「藤とココちゃん」(No. 21:2010年5月)
→ブログの「藤とココちゃん」と、→2011年用カレンダー「私の散歩道2011~犬・猫・時々馬~」の5月の「藤とココちゃん」もどうぞ。
<4>→「のあと桜」(No. 20:2010年4月)
→2010年用カレンダー「私の散歩道2010」の4月の「のあと桜」と、→ブログの「桜とノア」もどうぞ。
<3>→「梅とぴのこ」(No. 19:2010年3月)
→ブログの「梅とぴのこ」と、→2010年用カレンダー「私の散歩道2010」の表紙絵と2月の「梅とぴのこ」もどうぞ。
<2>→『水仙』(No. 18:2010年2月)
→ブログの「水仙」、→2010年用カレンダー「私の散歩道2010」の1月の「水仙」、→2011年用カレンダー「私の散歩道2011~犬・猫・時々馬~」の2月の「水仙とぴのこ」もどうぞ。
<1>→『母親になった猫』(No. 16:2009年12月)
→ブログの「母親になった猫」と→ブログの「アリス」もどうぞ。
2014年用カレンダーが出来ました。1000円で販売中です。メール:tamadayoshiyuki@gmail.comでお申し込み下さればお届けします。<送料を含む>
2014年用カレンダー「私の散歩道2014~犬・猫・ときどき馬そして兎~」のご案内です。
表紙 | |||
1月 | 2月 | 3月 | 4月 |
5月 | 6月 | 7月 | 8月 |
9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
2014年カレンダー表紙
ぎん君とモモちゃんと三色菫:山口に住んでいるぎん君とモモちゃんと三色菫(すみれ)です。
元の絵は→「新作です:ぎん君とモモちゃんと三色菫」
2014年カレンダー1月
ピノキオとマックスとくず:宮崎市のピノキオとマックスです。
元の絵は→「新作です:ピノキオとマックス(2013/8/17)」
2014年カレンダー2月
ぺぺとリリと梅;宮崎に住んでいるぺぺとリリです。
2014年カレンダー3月
ゆきちゃんとミニチューリップ:横浜に住んでいたゆきちゃんです。
元の絵は→「新作です:ゆきちゃんとミニチューリップ(2013/6/23)」
2014年カレンダー4月
シロ君とさくら:愛知県に住んでいるシロくんです。
元の絵は→「新作です:シロ君とさくら(2013/6/4)
」
2014年カレンダー5月
アイちゃんと福丸さんとライラック:広島市に住んでいるアイちゃんと福丸さんです。
2014年カレンダー6月
バロンと紫陽花:宮崎市に住んでいるバロンと紫陽花(あじさい)です。
2014年カレンダー7月
ツルマルツヨシとのうぜんかずら:宮崎市に住んでいるツルマルツヨシくんです。
元の絵は→「新作です:ツルマルツヨシとのうぜんかずら(2013/9/15)」
2014年カレンダー8月
まめちゃんとひまわり:豊田市に住んでいるまめちゃんと向日葵(ひまわり)です。
元の絵は→「新作です:まめちゃんとひまわり(2013/7/11)」
2014年カレンダー9月
ピノキオとマックス:宮崎市に住んでいるピノキオとマックスです。
元の絵は→「新作です:ピノキオとマックス(2013/8/17)」
2014年カレンダー10月
ターバン君とコスモス:熊本県玉名市に住んでいるターバン君とコスモスです。
元の絵は→「新作です:ターバン君とコスモス(2013/9/8)」
2014年カレンダー11月
ショー子ちゃんとブラックナイト:福岡県遠賀郡に住んでいたショー子ちゃんです。
元の絵は→「新作です:ショー子ちゃんとブラックナイト(2012/11/27)」
2014年カレンダー12月
武藏くんとポインセチア:東京都に住んでいる武藏くんです。
元の絵は→「新作です:武藏くんとポインセチア(2012/12/17)」
2013年用の詳細は→「2013年カレンダー『私の散歩道2013~犬・猫・ときどき馬そして鸚鵡~』でどうぞ。
2012年用の詳細は→「私の散歩道2012~犬・猫・ときどき馬~」でどうぞ。
2011年用の詳細は→「私の散歩道2011~犬・猫・ときどき馬~」と→「2011年カレンダー『私の散歩道2011~犬・猫・ときどき馬~』の解説」でどうぞ。
2013年用カレンダー
2013年カレンダーを1000円で販売中です。メール:tamadayoshiyuki@gmail.comでお申し込み下さればお届けします。<送料を含む>
2013年用カレンダー「私の散歩道2013~犬・猫・ときどき馬そして鸚鵡~」のご案内です。
表紙 | |||
1月 | 2月 | 3月 | 4月 |
5月 | 6月 | 7月 | 8月 |
9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
2013年カレンダー表紙
元の絵は→「新作です:チェリーちゃんたちとチューリップ(2012/5/9)」
2013年カレンダー1月
元の絵は→「新作です:バーニーと水仙(2012/7/10)」
2013年カレンダー2月
元の絵は→「新作です:子犬と姫蔓日々草(2012/8/5)」
2013年カレンダー3月
玄風と紫木蓮:③「COWBOY UP RANCH」(カウボーイ アップ ランチ)ウエスタン乗馬クラブ in MIYAZAKI(宮崎市清武町大字今泉甲6618)の玄風と紫木蓮です。
元の絵は→「新作です:玄風(2012/2/3)」
2013年カレンダー4月
さくらちゃんと桜:愛知県のさくらちゃんです。
元の絵は→「新作です:さくらちゃんと桜(2012/4/15)」
2013年カレンダー5月
ももちゃんちの子犬:宮崎市のももちゃんちの子犬とたんぽぽとマーガレットです。
元の絵は→「新作です:ももちゃんちの子犬(2012/7/21)」
2012年カレンダー6月
てんまとカサブランカ:宮崎市のてんまです。
元の絵は→「新作です:てんまとカサブランカ(2012/6/5)」
2013年カレンダー7月
ピースちゃんとチューリップ:大分県のピースちゃんです。
2013年カレンダー8月
クーちゃんとハイビスカス:横浜市の鸚鵡のクーちゃんです。
元の絵は→「新作です:クーちゃんとハイビスカス(2012/6/29)」
2013年カレンダー9月
ウッシュウィズと桔梗:③「COWBOY UP RANCH」(カウボーイ アップ ランチ)ウエスタン乗馬クラブ in MIYAZAKI(宮崎市清武町大字今泉甲6618)のウッシュウィズと桔梗と桔梗です。
2013年カレンダー10月
まりりんとぷりん:松山市のまりりんとぷりんの姉妹です。
元の絵は→「新作です:まりりんちゃんとぷりんちゃん(2011/11/28)」
2013年カレンダー11月
子猫といちょう:2匹の子猫の後ろ姿といちょうです。
2013年カレンダー12月
ラックくんとアンくん:福岡県のラックくんとアンくんです。
元の絵は→「新作です:ラックくんとアンくん(2012/3/4)
」
2012年用の詳細は→「私の散歩道2012~犬・猫・ときどき馬~」でどうぞ。
2011年用の詳細は→「私の散歩道2011~犬・猫・ときどき馬~」と→「2011年カレンダー『私の散歩道2011~犬・猫・ときどき馬~』の解説」でどうぞ。
小島けいのブログを更新している玉田吉行の→「ノアと三太」に「ジンバブエの歴史」を紹介したいと思いますので、この画面をお借りします。門土社(横浜)のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に2013年8月から連載中です。一覧のあとに<最新号>を載せています。
一覧です。
<12>「ジンバブエの歴史⑫アメリカ系アフリカ小史⑤」(No.73 2014年9月10日)
<11>「ジンバブエの歴⑪アメリカ系アフリカ小史④動」(No.72 2014年9月10日)
<10>「ジンバブエの歴史⑩アメリカ系アフリカ小史③」(No.71 2014年7月10日)
<9>「ジンバブエの歴史⑨アメリカ系アフリカ小史②」(No.70 2014年6月10日)
<8>「ジンバブエの歴史⑧アメリカ系アフリカ小史①」(No.69 2014年5月10日)
<7>「ジンバブエの歴史⑦南アフリカ小史後半」(No.68 2014年4月10日)
<6>「ジンバブエの歴史⑥南アフリカ小史前半」(No.67 2014年3月10日)
<5>「ジンバブエの歴史⑤アフリカ小史1後半」(No.64 2013年12月10日)
<4>「ジンバブエの歴史④ジンバブエの歴史4:ハラレから戻ったあと・・・・アフリカ小史1前半」(No.63 2013年11月10日)
<3>「ジンバブエの歴史③工業化と大衆運動、武力闘争とジンバブウェの独立」(No.62 2013年10月10日)
<2>「ジンバブエの歴史②チムレンガ(解放闘争)、搾取と収奪、密かな抵抗運動」(No.61 2013年9月10日)
<1>「ジンバブエの歴史①百年史概要と白人の侵略」(No. 60 2013年8月10日)
最新号→「ジンバブエの歴史⑧アメリカ系アフリカ小史①」(No.69 2014年5月10日)です。
ジンバブエの歴史12:アフリカ系アメリカ小史⑤公民権運動、その後
玉田吉行
前回は「アフリカとその末裔たち」(Africa and its Descendants 1)の3章「アメリカ黒人小史」(A Short History of Black Americans)の④公民権運動について書きました。
今回は「公民権運動、その後」について少し書きたいと思います。
公民権法が成立して半世紀が立ちました。私は戦後まもなくの1949年に生まれましたから、その頃アメリカでは、変革の嵐が吹き荒れようとしていたわけです。1954年の最高裁判決から1963年のワシントン大行進、翌年の公民権法成立まで怒濤のような日々が続きました。
同じ頃、無条件降伏を受け入れた日本では、占領政策により、日常に「アメリカ」がどっと押し寄せて来ていました。学校ではアメリカの言葉が偏重され、小学校の頃にはテレビが普及し始めてハリウッド映画が流れ、食事も洋食が増えていきました。一度は独立を果たした大抵のアフリカ諸国が軍事独裁政権の名の下に暗黒の時代に突入して行くのを尻目に、日本はオリンピックを機に高度経済成長期にどっと流れ込んで行きました。田舎の隅々まで道路が整備され、新幹線も開通して速度を増して行きました。
公民権運動が終わった1970年代の初めに大学に入って、初めてリチャード・ライトの作品を英語の授業で目にしました。70年安保、安田講堂の攻防があった翌年です。学生運動は国家に完璧に押さえ込まれたのに、地方の大学ではまだ残り火がくすぶっていました。火炎瓶を脇に置き、ヘルメットを被った学生がマイクを手にがなり立てていました。
そのころ神戸三宮の場末の映画館で再上映されていた、シドニー・ポワチエの「招かれざる客」(“Guess Who’s Coming to Dinner”) や「いつも心に太陽を」(“To Sir, with Love,” 1967)を観ています。ことを起こした張本人の責任は棚に上げて、白人アメリカは公民権運動を支持しているぞと、ハリウッドから全世界に発信して大儲けするところは如何にもアメリカらしいと思いますが。
もちろん持てるものがそう簡単に既得権益を手放すわけがありません。公民権法が成立したとはいえ、経済格差や長年かかって根付いた人種的な偏見がそう簡単に是正されることはあり得ません。公民権運動を検証するドキュメンタリーがたくさん放映されてきましたが、「キング牧師の遺産~いま アメリカ黒人社会は~」(英テムズTV、1988年)もその一つです。アラバマ州の白人街ラウンデスボロに黒人が移り住む場合にどうなるか、市長のT・リンガムが「ここでは前例のない話ですし、他の地区でもそんな話は聞いたためしがありません。だから、どうなることやら引っ越して来たとしても翌朝までその家が無事かどうか。引っ越して来るのは自由ですが、保証はし兼ねます。」とインタビューに応じています。またアラバマ州フォーサイスで行なわれた黒人デモ(1987年)では「帰れ、ニガー」などの罵声とともに白人の激しい憎悪が向けられていました。ジョージア州ストーンマウンテンで行なわれた反黒人団体キュークラックスクランの集会では「警察が腑抜けなら我々が制裁を!ジョージアのクランは法を超越する。聞け、ニガーども!我々を甘く見るな。もっと大声でホワイとパワー!」と白人青年が絶叫していました。
1954年の判決後人種共学の「草分け」としてサウスカロライナ州のグリーンズボロ高校を卒業したジョセフィンブラッドレーさんは白人生徒たちに卵やトマトを投げつけられ、卒業式にはやじと怒号を浴びせられ、父親の食堂も焼かれたそうで、半世紀後に「いったい何の役にたったのか」とやりきれない思いを語っています。(「人種共学阻む経済力」読売新聞、2005年12月)
公立学校の人種共学に続いて、人種的少数派への優遇措置「アファーマティブ・アクション」(積極的差別撤廃措置)も広がりましたが、90年代に入り経済力のある白人が私立学校に子供を入れるようになり、人種隔離は60年代と同程度にまで再び拡大しています。1978年には「逆差別」だと主張した白人学生の入学を認める判決が下され、1996年にはカリフォルニア州で措置を廃止する住民投票も成立しています。もっとも、その時期に南カリフォルニアに在外研究に行っていた同僚の話では、実際に優遇措置をなくして入試をしたところ黒人の入学者がいなくなり、これはやばい、暴動の恐れがあるぞと、その次の年に元の入試に戻したということでした。ロサンゼルスの暴動で韓国系アメリカ人が襲われた恐怖が大きかったということでしょう。
最近ミズリー州ファーガソンで起こった黒人(アフリカ系)射殺事件も、多数派の黒人社会と、白人中心の警察との日頃からの隔絶が表面化したもので、背景には貧困や人種の壁が厳然とあり、全米に共通した問題でもあります。
2002年の74回アカデミー賞授賞式で、「40年間追い続けたシドニーと同じ夜に授賞できました。今まであなたの後を追い続けて来ました、あなたの足跡を追い続けてきました。これ以上の感謝の言葉もありません。」とトロフィーを高々と掲げながら名誉賞を受けたシドニー・ポワチエに語りかけたデンデル・ワシントンの祝辞は、苦難を強いられてきたアフリカ系アメリカ人の思いを代弁していたのかも知れません。悪の限りを尽くすサンフランシスコ市警を演じた「トレイニング デイ」( “Training Day,” 2001)での二度目の主演男優賞です。(写真:「遠い夜明け」のデンデル・ワシントン)
次回は「アフリカとその末裔たち②:(1)戦後再構築された制度①」です。
今回まではジンバブエに行ったあとに書いた英文書という流れで、アフリカ史、南アフリカ史、アフリカ系アメリカ史を紹介してきましたが、次回からは項目を変えて、2冊目の英文書の紹介をしようと思います。
「アフリカ史再考」を中断したままですが、近いうちに再開して今回の「アフリカとその末裔たち②」に繋げたいと思っています。(宮崎大学医学部教員)
アフリカ系アメリカ小史の中で、「闘いは続く」(STUGGLE CONTINUES)について、英文で書きました。以下は日本語訳もつけた全文です。
アドレス→ 「アメリカ黒人小史」をクリックすれば “A Short History of Black Americans” in Africa and Its Descendants「アメリカ黒人小史」:『アフリカとその末裔たち』(Mondo Books, 1995; 2009; Chapter 3, pp. 84-88)のワードファイルをダウンロード出来ます。画面上に出てくるZimHis12.docxです。(サーバーがダウンしていますが、いずれ復活させるつもりです。)
宮崎市清武町に住むツルマルツヨシくんと、のうぜんかずらです。
一時間ほど馬場にだしてもらって写真を撮らせてもらいました。最初はまん中で草を食べるだけでしたが、次第に気になり出して近くまで来て体をすり寄せて来るようになりました。
ツルマルツヨシくんについては→「ツルマルツヨシの会」
トップページの紹介文です。
ツルマルツヨシは1999年の朝日チャレンジカップと京都大賞典を優勝した元競走馬です。現役引退後はJRA京都競馬場の誘導馬をつとめ、その後は宮崎県の乗馬クラブ・カウボーイアップランチで余生を過ごしていました。しかし、2011年にオーナーが亡くなり、繋養者がいなくなりました…。そこで、元担当厩務員の私がツヨシを守るために「ツルマルツヨシの会」を設立しました。皆さんと一緒にツルマルツヨシを守り続けたいと思います。どうぞよろしくお願いします。(ツルマルツヨシの会 会長 中西繁夫)
熊本県玉名市に住んでいるターバンくんと、秋桜(コスモス)です。(ミニチュアダックスフンド)九州芸術の杜での個展に夫婦で来て下さったとき、いっしょに連れて来られたので写真をたくさん撮らせてもらいました。ベンチのテーブルに乗ってもらったのでやや緊張気味でしたが。
「COWBOY UP RANCH」(カウボーイ アップ ランチ)ウエスタン乗馬クラブ in MIYAZAKI(宮崎市清武町大字今泉甲6618)のピノキオとマックスと、くずです。