本紹介29『客夢』

 

本紹介29『客夢』

 
本紹介29大石汎著『客夢』の表紙絵です。縄文の深い森を描いています。
 

人の世は夢
夢の中の旅
果てなき道を
たどるうちに
にわかにさめて
何も残らぬ

(帯より)

冬枯れの枝越しに博物館の建物を見ながら上野公園を歩いていたところ、急に胸に痛みが走るのを覚えた。といっても心臓の痛みではない。心の深いところにある、あまり思い出したくない、それでいて懐かしい思い出に触れたときの痛みだったようだ。何を思い出そうとしているのか、なおはきりせぬままに博物館の前まで来たとき、ぼくの内に三十年前、いやほとんど四十年もの昔に初めて作った「同人雑誌」なるものに載せた小文「博物館」の冒頭のくだりが、忽然として蘇ったのである。(「序」より)

(帯より)

この本の装画については〈この世のものではないような深い森のなかを一羽の鳥が飛んでいる〉絵を、というものでした。
あれこれ悩み、幾度も提出しては描き直し、結局この絵になりました。
私の本来の絵は、思うままに描いて、”あっ出来た”というものでした。そのためこの上なく雑で、六m程離れて見ると(アラが見えにくくなるので)ちょうど良くなる、というものでした。→A Walk in the Night (装画/南アフリカの街角)や→And a Threefold Cord (装画/ナミビアの風景)そして→『まして束ねし縄なれば』の装画は、まさしくそのようにして生まれました。
けれど、ふつう装画では、雑な描き方やごまかしは許されません。高度な印刷技術が小さなアラも写し出してしまうからです。そのため、これくらいならと出版社に送っても、少しでも妥協やごまかしがあると、必ず送り返されてしまいます。
水彩画の場合、ほとんど描きなおしがききませんので、また一から描きかえる、ということになります。
そんなやりとりを長い間続けているうちに、いつのまにか、最初から丁寧に描くのが、自分の描き方になってしまいました。
以前の描き方に、雑なかわりにある種の勢いがあったとしたら、丁寧に描きながらも、なお迫力を備えた絵に仕上げたい、そう思うこの頃です。



ジプシー

 

ジプシー

 
私が通っている乗馬クラブ →COWBOY UP RANCH(宮崎市清武町 大字今泉甲6618)の馬ジプシーです。
 

 

「小島けい個展 2009に行きました。」(2009年9月25日)



さくら

 

さくら

 
私が通っている乗馬クラブ →COWBOY UP RANCH(宮崎市清武町 大字今泉甲6618)の馬さくらです。

 

 

「小島けい個展 2009に行きました。」(2009年9月25日)



キャンディ親子

 

キャンディ親子

 
私が通っている乗馬クラブ →COWBOY UP RANCH(宮崎市清武町 大字今泉甲6618)の馬スカイとマックスと、さくらです。

 

 

「小島けい個展 2009に行きました。」(2009年9月25日)



疾走馬

 

疾走馬

 
私が通っている乗馬クラブ →COWBOY UP RANCH(宮崎市清武町 大字今泉甲6618)の馬です。
 

 

「小島けい個展 2009に行きました。」(2009年9月25日)



子馬

 

子馬

 
私が通っている乗馬クラブ →COWBOY UP RANCH(宮崎市清武町 大字今泉甲6618)の子馬です。
 

 

「私の散歩道2018~犬・猫・ときどき馬」2月

 
「私の散歩道~犬・猫・ときどき馬~一覧(2004年~2021年)」



トムさん

 

トムさん

 

 

「私の散歩道2020~犬・猫・ときどき馬」12月

 
「私の散歩道~犬・猫・ときどき馬~一覧(2004年~2021年)」



スカイと弟

 

スカイと弟

 
私が通っている乗馬クラブ →COWBOY UP RANCH(宮崎市清武町 大字今泉甲6618)の馬スカイとマックスと、さくらです。
 

 

「私の散歩道2011~犬・猫・ときどき馬」4月

 
「私の散歩道~犬・猫・ときどき馬~一覧(2004年~2021年)」



サンダンス

 

サンダンス

 

その朝、10月の軽井沢に人影はなく、別荘の点在するあたりは、静まりかえっていました。
一面の霧のなか、小径を散策していた私たちに、遠く馬の蹄の音が聞こえてきました。
足音は確実に近付いてきており、霧のむこうにその距離を測ろうとした瞬間、5.6m先に突如として白馬があらわれました。馬には、まっ赤な乗馬服を着た若い女性が乗っていました。
深い霧のなかから出現した馬と女性のあまりの美しさに、私たちは声を失い、無意識に道を譲り、ぼんやり見上げるしかありませんでした。
その人は馬上から静かな会釈を残し、何事もなかったかのように通りすぎてゆきました。
再び、馬と女性が霧のなかに消えてゆくまで、私たちは茫然と立ちつくし、見送りました。

もうはや40年も前のことですが、あの美しい一枚の絵のような情景は、今も時折り鮮烈によみがえることがあります。

私を馬にむかわせた原点のような出来事はいくつかありますが、最も凝縮された一瞬ではなかったか、と思ったり致します。

そして今、ゆったりと時の流れるこの優しい空間で、楽しそうに暮らす動物たちとめぐりあいました。
トムさんとメグさんのおかげです。お婆さんになるまで、(すでになりかけですが)よろしくお願い致します。

「私の散歩道2016~犬・猫・ときどき馬」11月

「私の散歩道~犬・猫・ときどき馬~一覧(2004年~2021年)」もどうぞ。

「小島けい個展 2009に行きました。」(2009年9月25日)

「秋日和 ―サンダンス―」(門土社:横浜)メールマガジン「モンド通信」(MonMonde)「私の絵画館」No. 85(2015年11月20日)



パオンちゃん

 

パオンちゃん

 

「ロバのパオンちゃん」「続モンド通信5」、2019年4月20日)

私は馬も好きですが、ロバも大好きです。<ロバ好き>になったのは、パオンちゃんというロバと出会ったからです。
その出会いは、ちょうど14年前乗馬に通い始めた頃で、かってにパオンちゃんと名付けたそのロバの絵を、私は何枚も描きました。ロバ主さんは優しい方で、それらのほとんどを購入して下さいました。
そのため、今手元にはパオンちゃんの絵が少ししか残っていません。

私は新しいパオンちゃんの絵を描きたい!と思い、しばらく前からとりかかっているのですが、使っている写真は、左目の部分だけが暗くてよく見えません。
そこで何か参考に出来るロバの写真はないかしらん?とロバを検索していたら、えっ?!と思いました。
10年以上前に描いた<トンネルのパオンちゃん>が載っていたのです。そしてそこをクリックすると文章も読むことができました。

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高速道路の下のトンネルに、その驢馬(ろば)はつながれていました。名前は「パオンちゃん」と、私が勝手に名づけました。
驢馬(ろば)の鳴き声を聞いたことがありますか。
「パホパホ、パオーン」と、それはもう大きな声で鳴くのです。
その声があまりに大きすぎて、預けられている小さな牧場内では飼えません。そこで、私が通う牧場の外れにあるトンネルで暮らしています。
いつも独りでいるパオンちゃんは、小道の向こうの牧場に行きたくてしかたがありません。なにしろ、そこにはたくさんの馬、そしてポニーや、犬などがいますから。そうそう、最近は子馬も生まれましたしね。
パオンちゃんはトンネルの向こうの栴檀(せんだん)の木にくくられていますが、時々脱走しては仲間のところに走ります。
あまりにうれしくて、顔を空に向けたまま走るのですよ。
こんなパオンちゃんでしたが、別の牧場の方に気に入られ、引っ越しをしました。
今は、空に近い広い高原の牧場で、1番の人気者となり、楽しく過ごしているそうです。…………

という文章を書いてから2年後、高原の牧場にいるパオンちゃんとようやく再会を果たすことができました。
パオンちゃんは突然現われた私に、最初は少しとまどっているようでしたが、そこは馬よりも賢いと言われる驢馬(ろば)のこと、そのうち胸に頭を押しつけるようにすりつけてきました。きっと思い出してくれたのだと私は思います。
いつもひとりぼっちで寂しそうだったパオンちゃんが、青い空、白い柵、広い牧場のすばらしいパノラマのなかで、のんびり草を食べている姿を見て、ほんとうによかった!と思い、私は目的地へむかいました。
実はその高原からさらに40分ほど行った飯田高原の「九州芸術の杜」というところで、その10月、私は個展を開いていました。榎木孝明美術館をはじめ、小さなログハウスの美術館が点在するなかのギャラリー「夢」においてです。
その年はご縁があって、急きょ10月に個展をしましたが、今年は昨年同様、九月に個展を開きます。大きな樹々に囲まれ、そこだけ別世界のゆったりした時間が流れている美しい場所に、今年もでかけることができる。誰にともなく、心から、感謝です。→「小島けい個展 2009に行きました。」

「驢馬のパオンちゃん」(門土社:横浜のメールマガジン「モンド通信」No. 25:2010年9月)