私の絵画館29:とく ちゃんとマーガレット
すっかり春になりましたが、私の部屋のテレビは、全く画面が消えたままです。
昨年の十一月の中頃、その冬一番の木枯らしが吹きました。その後、パッタリテレビが映らなくなりました。北西の風が吹いて映らなくなったのだから、東風(こち)が吹けばアンテナが元に押しもどされて、また映るにちがいない。
家族にそう話すと『そんなアホな』とか『なかなかおもしろい考え方やねえ』と言われました。★ 続きは題をクリック ↑
ところがある日暖かい風が吹いた途端、テレビが復活しました。
それ以来、寒波がくるとテレビが消え、暖かくなると生き返る、をくり返してきました。
四月に入りもう大丈夫と思っていましたが、先日の台風並みの風速三十メートルの風にまたやられてしまいました。
昨年末寒波のあい間にテレビが復活した時、「シベリア鉄道2008」という番組をたまたま見ました。シベリア鉄道の東の出発点は、ソ連が崩壊するまでハバロフスクだったことを、初めて知りました。鉄道はもっと東の地域まで通っていたのですが、秘密基地などがあったため、旅行者はハバロフスクより東へは、全く入れなかったというのです。
もうはや何十年も昔になりますが、ある夏私はモンゴルのゴビ砂漠にむかう旅のツアーに参加していました。当時ソ連もモンゴルも個人では入れなかったからです。
新潟空港で集合した時、長い待ち時間の間に、私は目の前にとまっていたソ連の飛行機を二枚スケッチしました。その後、同じツアーに参加する日本人、外国人数人の似顔絵も描きました。
それは、ハバロフスクに一泊した後シベリア鉄道に乗り込んで、
皆いちようにほっとした時でした。数人の兵士が乗り込んできて、パスポートと荷物を念入りに調べ始めました。
私の番になり兵士の一人がスケッチブックを開けた途端、彼の顔つきがさっと変わり、その場に緊張が走りました。散らばっていた数人の兵士が集まってきて、深刻な顔で飛行機の絵を見て、何か話しています。
身分を隠してツアーに参加していたNHKのディレクターが、とっさに状況を察知して、慌てて飛行機の後に描いてある似顔絵を指さし、それがメンバーの誰なのかあててみて、とゼスチャーしました。
『これは彼だ、次の絵は彼女だろう』と兵士たちがモデルになった人物を当てるたび、私たちは大げさに、必死に大喜びしました。そうしてようやく、若い兵士たちは笑顔で次の車両に移動していきました。
その時も驚きましたが、当時の政治的状況がわかった今回、今さらながら『一つ間違えば、えらいことだった』と思いました。
マーガレットのなかで座っているのは東京在住の“とくちゃん”。
猫が大好きな優しい年配のご夫婦だけでなく、そのお母様からもご丁寧なおたよりをいただき、とくちゃんがご家族からどれほど大切にされているかを、改めて感じました。とくちゃん、ほんとうにしあわせ者ですね。
執筆年
2012年
収録・公開
→「とくちゃんとマーガレット」(No. 45:2012年4月29日)