私の絵画館63「ララとベルフラワー」

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4月のある日、季節はずれの手紙が届きました。私が務めた2つ目の高校の先生からのものでした。

いつからか毎年バレンタインの日に私がウィスキーボンボンを贈り、そのお礼に手紙が届くというのが常でしたから、いつもは2月でした。けれど、今年はまだ返事がありませんでした。

お手紙には自作の歌や俳句が添えられていますので楽しみに開けてみると、先生の字ではなく“昨年から軽い認知症になったので今後はお気遣いなきように”という妹さんからのご丁寧なおたよりでした。★ 続きは題をクリック ↑

私より20歳以上上の方なので、いつかくる<その日>がきた、
というのが実感でした。そして、その瞬間、ひとつの季節がズン!と後に遠のいた気がしました。

赴任して最初の職員会議の時。背筋をピンとのばし管理職と堂々とわたりあうその方を、私はこんな人もいるのだと新鮮な想いで遠くから見ていました。その後同じ部署になると、二人目を出産しあちこちに気を使う私を、いろいろ気遣って下さいました。私のノウテンキな性格が、亡くなった奥様とよく似ていたこともあったのかもしれませんが、弱い立場の人間をほおっておけないという昔気質の方でした。

当時なぜか私は毎年おせち料理を三軒分作っていましたが、いつからか先生の分も加わり4軒分になりました。大晦日のお昼には先生が私の家でお酒を飲み、夕方ほろ酔い気分でおせちを持って娘さんの待つ家に帰る、というのが定番でした。

私たちが宮崎に引っ越す前の最後の<宴>の後、先生は玄関で突然泣き出されました。驚いた私たちは“またちょくちょく明石にもどって来ますから”となぐさめましたが、結局宮崎に来て27年。先生とはその後一度もお会いする機会がありませんでした。
その時私たちは九州、それも宮崎の遠さを全くわかっておらず、
先生はその距離の遠さが様々な遠さになってしまうことをすでによくご存知だったのだと、今にして思います。

さだまさしさんの歌詞の中に<運がいいとか悪いとか人は時々口にするけど、そういうことって確かにあると、あなたを見ててそう思う>というのがあったはずですが。私はその時いつも先生のことを思い出します。

京大の法学部に入り弁護士をめざしていたのに、戦争で家業が傾き、結局戦後は復学をあきらめ教員の道へ。それでも奥様が若くして病死されなければ、もっと楽しく心豊かな人生を送れたはずなのに、と思ってしまいます。先生の歌や俳句を読むと、抱えて生きてこられた哀しみや寂しさの深さを感じます。

病気になってしまったのは残念なことですが、84歳まで私学の女子校に勤めもう十分にがんばったのだから、これからは少し浮世から離れ気楽にお過ごし下さいね。そんな風に、そっとお伝えしたい気がします。

絵のモデルは、鹿児島県在住だったララちゃんです。ずっと以前お友だちの家で会いました。その頃猫の世界とはまったく無縁だった私は、数枚のスナップ写真を撮っただけでした。

今回絵を描こうと改めて写真を見ると、毛はきれいな白色で長め。目は左右の色が違う<オッドアイ>。なんて美しい子だったのだろうと見直した次第です。白が引きたつようにうす紫のベルフラワーと一緒に描きました。

 

執筆年

2015年

収録・公開

「ララとベルフラワー」(No. 80:2015年5月30日)

最終更新日: 2019年 1月 5日 9:57 AM   カテゴリー: 絵画
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