私の絵画館74:コロちゃんと牡丹
昨日、熊本に住む従姉妹にようやく電話をしました。手紙等のやりとりは続いていましたが、直接電話するのは14年ぶりです。
地震発生のニュースを見た時、すぐ何かを送ろうと思いました。
ところがその後思いもよらない展開となり、おまけに私たちの住む宮崎まで何度か気味悪く揺れたりして、結局動けませんでした。★ 続きは題をクリック ↑
親戚付き合いの少ない私たちですが、母の一番下の弟にあたる叔父の一家とは何故か気が合い、これまでに幾度か行き来がありました。
叔父は根っから人の良い優しい性格で、多忙を極めていたにもかかわらず、突然訪ねた私たちをいつも歓迎してくれました。
その叔父が大きな精神病院の院長をやめてまもなく、認知症になりました。長年続いた激務、その後突然訪れた空白。おそらく生活の激変に心が適応できなかったのだろうと思います。
続いて、「主人にこれまでのお返しをしなければ」と必死に看病していた叔母が過労で倒れ、右半身不随になりました。それ以来ずっと車椅子の生活と聞いています。
従姉妹とその兄はそんな両親が安心して暮らせるようにと、グループホームを作りました。一つは認知症の人たちの、もう一つは身体が不自由な人たちのホームでした。
今回電話番号を調べるために初めてホームページをさがしたところ、<緑川のほとりの広大な敷地にゴルフ場や家庭菜園があり・・・・>とありました。
その説明で、小学校6年生の時に数日間滞在したことのある母の実家を思い出しました。祖父が危篤という知らせを受けて、両親と私の三人は西宮から急遽熊本に行きました。
だだっ広い屋敷を一歩でるとうっそうとした竹やぶがあり、そのむこうにかなり大きな池があったのを覚えています。ただその先がどこまで続いていたのか、子供の私にはわかりませんでした。
かすかな記憶のなかで一番強く残っているのは、五右衛門風呂です。それだけでもおそるおそるでしたのに、猫が戦利品の鼠を義理堅く釜の横に置いていくので、とても一人では近付けない場所でした。
ここを叔父が管理していたということで、この場所に二つのホームを建て、10年前に亡くなっていた叔父も3年間は平穏に暮らすことができたと、昨日の電話で初めて知りました。
十年前台風が熊本と宮崎を直撃した朝に亡くなり、その後叔母も従姉妹も悲しくて手紙では知らせることができなかったそうです。
今回の地震では水を一番心配しましたが、その地域は昔から井戸を使用しているので、一日だけの不便ですんだとわかり、ホッとしました。
“足りない物はないけれど、ご好意はありがたく受けます”とのことでしたので、今日から早速40人分のお菓子と果物の準備をしているところです。
絵のモデルは、福岡県在住だったコロちゃんです。
勝ち気でちょっと手こずる性格の子を北九州では<少し愛情を込めて「悪そう」と呼ぶ>そうで、前足を踏んばってきりっ!と見ている瞳で、その「悪そう」らしさを出してみました。
ちょうど昨年の五月、コロちゃんの絵にかかろうとしている時に、庭に数本牡丹の花が咲きました。あまりに美しいので華やかな牡丹とコロちゃんを組み合わせましたが。後で、亡くなられたお母様が一番好きな花だったと知りました。
飼い主さんである獣医さんとコロちゃんの初めての出合いがキャベツ畑だったというエピソードをお聞きしましたので、後方に少しキャベツの畑も入れてみました。
病院のなかで、仲良し三人組だったショー子ちゃん・ポチくん・コロちゃん。すでに絵を描かせていただいた2枚に加え、これで3枚の絵がそろいました!と喜んで頂くことができ、私もひと安心です。
執筆年
2016年
収録・公開
→「コロちゃんと牡丹」(No. 91:2016年4月25日)