私の絵画館:「誕生(リープ)」(小島けい)

                           「続モンド通信1」(2019年12月29日)

私の絵画館:「誕生(リープ)」(小島けい)

この前の日曜日、<奇跡のレッスン>という番組を見ました。それは、いろいろなスポーツをしている普通の子供たちのところに、世界で活躍する一流の選手やコーチがやってきて1週間指導する。そうして子供たちがどのようにかわっていくかを追う、というものです。

以前、フィギアスケートをとりあげた時にちらっと見たことがあったのですが、今回はハンドボールでした。

私自身が特に好きな球技というわけではありませんが。高校生の時同じ高校のハンドボール部が急に強くなりました。ハンドボールに詳しい体育の先生が来たかららしいということでしたが、強くなるためにはいったい何が必要なのだろう?とちょっと知りたくなりました。

指導を受けるのはある中学校のクラブで、そこにデンマークから有名な選手がやってきました。彼は、まず普段の練習を見ることから始めました。

最初はグラウンドを走る。その時、日本では珍しくありませんが、かけ声をかけながらみんなで走ります。彼は通訳の人に、彼等は何故声を出して走るのか?と聞き、あれはかけ声ですと教えられます。それに対し、歌っているのかと思った!とまずビックリ。

そして、次々と整然と練習がこなされていきます。この段階では、技術的にはかなりできている、と彼は判断していました。

ところが、試合形式に入った途端生徒たちの動きがバラバラになり、得点にむすびつきません。決まった練習では見せていた能力が、全く発揮されないのです。

その理由は、少し前に行われた試合のビデオを見てはっきりしました。実はこの部活動の指導は、ねっからの体育系と思われる女の先生がされています。生徒たちは試合中も、その先生の指示の声を聞きながら動いていたのです。瞬時に判断して動くスピードが必要とされる試合に、これでは動きがまにあいません。

さらに、声を出せ!声が出てない者が失敗するんだ!とゲキが飛びます。そうなるとまだ上手とはいえない生徒たちはますます萎縮して、動きがさらにぎこちなくなってしまいます。

ここでコーチの指導がいよいよ始まりました。まずやったことは、デンマークではよく使われているというゲーム感覚を取り入れた練習です。自分でドリブルをしながら、同時にスキを見て他の人間のボールをはじき飛ばすというものです。遊びのようですが、いつもまわりを見ながら動く練習になっています。

子供たちは初めての練習に、楽しそうに取り組み始めました。いつもの決まった練習では見せなかった笑顔や笑い声もおこります。

次々と展開されていく練習も、あくまで実践に即した内容が続きます。

こうしたなかで、それまで怒られるのが恐くてクラブをやめたいなあと思っていた生徒や、試合では決して使えないと先生に思われていた生徒たちが、予想外の能力を発揮していきます。

ほめられたことのなかった子がほめられて自信をつけたり、今回はまだ前編でしたが、様々な変化が子供たちにおこっていました。

後編では、前回負けたチームと再び対戦するということです。どうなるか予想もつきませんが。

コーチが生徒たちに伝えたかった大切なこと。

その1は、楽しむということ。その2は、その時どう動くかを、自分で考え判断すること。だったのではないかと思いました。

楽しんでやれば、これまで出せなかった声も出せ、他のメンバーとのコミュニケーションもとれるようになるでしょうし、すばやく判断して行動すれば、得点にもつながっていくはず。

ハンドボールで強くなるために必要なもの、だったはずですが。ふり返るとこの2つは、ハンドボールという1つの球技だけに限られたものではないような。

そんなことに気付かされた夜となりました。

子馬の名はリープ。何年か前のうるう年の2月に生まれました。名前はその<leap year>からつけられました。

子馬はふつう生まれてまもなく、自分の力で立ちあがります。ところがリープは、なかなかそれができませんでした。

ちょうど私が牧場に行った時も、リープは立とうとしてはバタッ!と倒れ、を何回も繰り返していました。

立つことができないとお乳を飲むことができず、子馬は生きていくことができません。そのためオーナーのメグさんが、必死で世話をしておられたのです。

そのかいあって、まもなくリープは見事に立ちあがり、元気に育つことができました。

今はちがう牧場でほがらかにすごしていると、少し前に教えてもらいました。



私の絵画館:「トラちゃんとキタローと昼咲き月見草」(小島けい)

                             続モンド通信2(2019年1月20日)

私の絵画館:「トラちゃんとキタローと昼咲き月見草」(小島けい)

1年くらい前から、台所に立つ時、私はいつもスマップの歌を聞いています。理由は簡単。新しく作ってもらったCDにスマップが入っていたから、それだけです。ただ、今までほとんど聞いたことのなかったスマップでしたが、なかなかいいなあと思うようになりました。

実は6年前の春、桜の花を描きすぎて血圧があがってしまいました。もちろんそれだけの理由ではなかったのですが、それ以来、シーンとしたなかで何かを一生懸命していると、神経が自身の内側へ内側へと入り込んでいくのを感じました。

これはいけない!と考え、絵を描く時と台所に立ってお料理を作る時には、毎回必ずバックグラウンドミュージックをかけるようになりました。

けれどCDを作るなどという面倒なことを自分でできるわけもなく、いつも娘に頼んでいます。そして、たまたま今回はスマップの曲だった、というわけです。

2枚のCDのうちの1枚は、あまり知っている曲もなく<たいしたことないかなあ>とあなどっていたのですが。2枚目にはダンスの教室で踊った曲やよく知っている曲も入っていて、<スマップもよくがんばっていたのだなあ・・・・>と改めて思うようになりました。

音楽というのは不思議なもので、曲が流れるとそれを聞いていた時代も同時によみがえったりします。その頃しんどい出来事があったりすると、そのことまで思い出されてしまうので、どんな曲をバックに流すのかは、私にとって結構難しい面もあるのです。

その点、スマップの曲は基本的に明るくて、踊るのに適しているので、軽く聞き流すにはうってつけです。おまけに<ナンバー1にならなくてもいい、もともと特別なオンリー1>などと歌われると、ほんとうにそうだよねえ、と納得してしまいます。なかにはちょっと深刻な歌詞の歌もありますが、あの人たちが歌うとヘンに重たくならず、素直に心に入ってきます。もしかしたらそのあたりが、グループが長年続いた理由の一つかもしれないなあと、今頃になって気付いたりしました。

<ずうっとおんなじ曲やなあ>とひかえめなイヤ味を言われながらも、これから当分私のスマップの時代は続きそうです。

二匹の猫の手前にいるのがトラちゃんです。13歳の時ひどい糖尿病で逝くまでは、大きな病気もなく、よく食べよく遊ぶ、手のかからない子だったそうです。病院の猫でしたので、何度も献血をして他の猫を助けたということでした。

 

 

ちょうど飼い主さんのお兄様と同じ時期に糖尿病がわかり、トラちゃんが亡くなった後、お兄様はすっかり回復されたとか。トラちゃんが兄の病気も背負っていってくれたのではないかと思ってしまいます、というお話でした。

病院のなかでとても仲のよかったキタローくんもいっしょに描いて下さいとのご希望でしたので、前々からいつか絵にしたいと思っていた昼咲き月見草の野原のなかの二匹を描きました。

キタローくんは<子ネコの時にひどい風邪の状態で病院にてくてくと自分ひとりで歩いてきて、玄関の前に座りこんだ>という伝説(?!)の猫です。

病院にやってきた時から足が悪く、ずっと高いところには登れませんが、今も元気に福岡の動物病院で暮らしています。



私の絵画館:梅とぴのこ2019(小島けい)

                             続モンド通信3(2019年2月20日)

私の絵画館:「梅とぴのこ―2019―」(小島けい)

のら猫だったアリスは、家につれて帰って24日後に子猫を産みました。もうすぐ11年になります。
5匹生まれた子猫のうち、気の弱い男の子のジョバンニと生まれつき胃腸が弱いといわれた女の子ぴのこを家に残しました。
先生の見立て通り、ぴのこは少食で、ほんの少しでも多く食べるとその瞬間にもどしました。量だけでなくほんの少し固い物もダメ。大きさも5mmくらいでも固い物が混じるとアッというまに出しました。
それは大人になっても変わりませんでした。
2年前の秋、あまりにももどしてしまうので、病院で調べてもらいましたが、レントゲンで見る限り異常はありません。
ただ異常は見つからないといっても、すぐもどしてしまうわけですから、何とかもどさずおいしく食べてもらえるようにするしかありません。
そこで一大決心をしてアレコレ試行錯誤をくり返すこと半年余り、ようやくぴのこがもどさず喜んで食べてくれる食事が完成しました。
まず自家製野菜スープ(液体)をペットボトルのキャップ一杯。もち麦のおかゆを小さじ一杯。野菜のペーストを小さじ半分。ひきわり納豆を小さじ3分の1。
そこにぴのこの好きな魚のカンづめをつぶして小さじすり切れ1枚。さらに消化器系のカリカリをミキサーで粉状にしたものを小さじすりきれ2杯。
このご飯をあげるようになってから、生まれて初めてぴのこは<食>の楽しさに目覚めました。
今では、そんなに早食いだったかしらん?!というスピードで自分のご飯を食べてしまい、お母さんのアリスやジョバンニのところに走り、気の強さでは誰にも負けないため、残りをたいらげてしまいます。

食べてくれるのはいいのですが、一定量を少しこえただけでももどすのは、変わっていません。そこで同じケージのなかで食べるアリスとの間は、食事の度に段ボールの屏風(?)で仕切ります。
魚アレルギーのジョバンニは、別のケージのなかで食べていますが、ぴのこが入って押しのけてしまわないように、扉をきっちり閉めることにしました。
そのため、自分の分を食べ終えたぴのこは扉のまん前に座り込み、待つことになります。その距離の近さと迫力にジョバンニはしばしば負けて、少し残っていても食べるのを止めてしまうほどです。

ほんとうはこんなにも食べることが好きだったのに、もっと早くに食事の大改革をすればよかったと、ぴのこには申し訳ない思いで一杯です。
ただ、よく食べるようになってくれたぴのこですが、細い身体はそのままで、今でも一歳くらいの頃と変わりません。
<梅とぴのこ>は1枚目も、2枚目も、それぞれ猫好きの方のお家に行って手元にありませんので、もう一度描きたいと思い3枚目の<梅とぴのこ―2019―>を描きました。



私の絵画館:「チェリーちゃん・ハッピーちゃんとチューリップ」(小島けい)

                           「続モンド通信4」、2019年3月20日)

私の絵画館:「チェリーちゃん・ハッピーちゃんとチューリップ」(小島けい)

昨年の春頃に書いた文章に、<上質なタオルの生産地として注目されていた愛媛県の今治市ですが、最近では全く違う理由で、えらく有名になってしましました>とあります。確かに1年前はそうだった・・・・と思い出します。けれど新しい大学も出来てしまうと、もうはやニュースにとりあげられることはなくなりました。
あの今治も落ち着いたのかなあと、以前短い間ですが、住んでいた私は、小さい城跡なんぞを思い出しています。
父は明治の終わり頃に生まれた人で、すでに何十年も前に亡くなりましたが、紡績の技術者でした。今からふり返れば、父が紡績の仕事にたずさわっていた時期は、日本の紡績が栄えていた時代とほぼ重なり、そういう点では、とても幸運だったのかもしれません。
当時は日本の各地に工場があり、両親は転勤で何十回も引っ越しをしたと聞きました。
しばらく前、何人かでの食事会の時、<私は小さい頃ずっと塀の中で暮らしていたから・・・・>と話をしたら<どういうこと?!>と回りの人たちから、びっくりして聞き返されましたが。
この場合の<へい>は板べいで、決して映画に出てくるようなコンクリートの頑丈な塀のことではありません。
実は、各工場には必ず社宅があり、それらが高い板塀で囲われていた記憶があるのです。私は小学校6年生の3学期に西宮から今治に引っ越しました。私たちが入った社宅は、美しい浜辺と道路一本をへだてた場所にありました。そのため500坪以上あったと思われる敷地の半分程は砂浜そのままで、昔からはえている巨大な松たちが、大きな枝をあちこちに延ばしていました。
奥の方には、当時としてはまだ珍しいテニスコートがあり、その横が祖母が耕すには広すぎる畑でした。
実際に生活をする家の前方には、日本庭園が造られており、池には鯉が泳いだりしていましたが。この家で珍しかったのは、玄関の間を入るとすぐ横に、小さな窓の3畳の部屋があったことです。私たちには必要ありませんでしたが、昔でいう女中部屋、今でいうなら住み込みのお手伝いさん用の部屋があったのです。
そしてもう一つは、広い廊下の片側にトイレが三つ並んでいたことです。
昔ですので、男性用女性用の二つはあたりまえですが、女性用がもう一つというのは何だったのか。一つはお客様用としてなのか、今考えてもよくわからないままです。
当時、工場長の社宅はおおよそ500坪くらいが普通だったらしいというのは、次に明石へ引っ越してみて見当がつきました。
ただ、各工場によりこだわった部分は異なるようで、明石の家には<電話室>がありました。いわゆる木で作られた電話ボックスが、玄関の間の次にドンとあったのです。
まだ電話そのものにも慣れていなかった私は、お友だちにかける時も、緊張してドキドキしながら電話室のドアをあけたものでした。
明石の家は今治より少し後の時代に作られたのか、南側の庭は日本庭園ではなく、バドミントンがのびのびできるくらいの一面の芝生でした。
父は、この明石の工場を最後に退職しましたが、それからまもなく、今治も明石も、工場が閉鎖されたと聞きました。
私が住んでいた少し時代後れのような社宅も、今では跡かたもなく、なくなってしまいました。

この絵のモデルは、ポメラニアンこのハッピーちゃんとチェリーちゃん。
まだ大分県の九州芸術の杜の<ギャラリー夢>で、個展をしていた時に出逢いました。

二匹は、ご家族と一緒に北九州から来てくれました。ハッピーちゃんが男の子で、チェリーちゃんが女の子ですが、どちらもとても元気で愛らしかったのを覚えています。
その可愛らしさには、明かるいチューリップがぴったりと思い、たくさんのチューリップの花と描きました。
まだまだ元気に遊んでくれているかしらん?!と思いながら、この絵を選びました。



私の絵画館:「ロバのパオンちゃん」(小島けい)

                             続モンド通信5(2019年4月20日)

私の絵画館:「ロバのパオンちゃん」(小島けい)

私は馬も好きですが、ロバも大好きです。<ロバ好き>になったのは、パオンちゃんというロバと出会ったからです。
その出会いは、ちょうど14年前乗馬に通い始めた頃で、かってにパオンちゃんと名付けたそのロバの絵を、私は何枚も描きました。ロバ主さんは優しい方で、それらのほとんどを購入して下さいました。
そのため、今手元にはパオンちゃんの絵が少ししか残っていません。

私は新しいパオンちゃんの絵を描きたい!と思い、しばらく前からとりかかっているのですが、使っている写真は、左目の部分だけが暗くてよく見えません。
そこで何か参考に出来るロバの写真はないかしらん?とロバを検索していたら、えっ?!と思いました。
10年以上前に描いた<トンネルのパオンちゃん>が載っていたのです。そしてそこをクリックすると文章も読むことができました。

***************

高速道路の下のトンネルに、その驢馬(ろば)はつながれていました。名前は「パオンちゃん」と、私が勝手に名づけました。
驢馬(ろば)の鳴き声を聞いたことがありますか。
「パホパホ、パオーン」と、それはもう大きな声で鳴くのです。
その声があまりに大きすぎて、預けられている小さな牧場内では飼えません。そこで、私が通う牧場の外れにあるトンネルで暮らしています。
いつも独りでいるパオンちゃんは、小道の向こうの牧場に行きたくてしかたがありません。なにしろ、そこにはたくさんの馬、そしてポニーや、犬などがいますから。そうそう、最近は子馬も生まれましたしね。
パオンちゃんはトンネルの向こうの栴檀(せんだん)の木にくくられていますが、時々脱走しては仲間のところに走ります。
あまりにうれしくて、顔を空に向けたまま走るのですよ。
こんなパオンちゃんでしたが、別の牧場の方に気に入られ、引っ越しをしました。
今は、空に近い広い高原の牧場で、1番の人気者となり、楽しく過ごしているそうです。…………

という文章を書いてから2年後、高原の牧場にいるパオンちゃんとようやく再会を果たすことができました。
パオンちゃんは突然現われた私に、最初は少しとまどっているようでしたが、そこは馬よりも賢いと言われる驢馬(ろば)のこと、そのうち胸に頭を押しつけるようにすりつけてきました。きっと思い出してくれたのだと私は思います。
いつもひとりぼっちで寂しそうだったパオンちゃんが、青い空、白い柵、広い牧場のすばらしいパノラマのなかで、のんびり草を食べている姿を見て、ほんとうによかった!と思い、私は目的地へむかいました。
実はその高原からさらに40分ほど行った飯田高原の「九州芸術の杜」というところで、その10月、私は個展を開いていました。榎木孝明美術館をはじめ、小さなログハウスの美術館が点在するなかのギャラリー「夢」においてです。
その年はご縁があって、急きょ10月に個展をしましたが、今年は昨年同様、九月に個展を開きます。
大きな樹々に囲まれ、そこだけ別世界のゆったりした時間が流れている美しい場所に、今年もでかけることができる。誰にともなく、心から、感謝です。

「驢馬のパオンちゃん」(No. 25:2010年9月)



私の絵画館:「レオンくんと古城」(小島けい)

                                 続モンド通信6(2019年5月20日)

私の絵画館:「レオンくんと古城」(小島けい)

 

最近私の携帯には、毎晩いえ時には日に何度も決まった相手から電話がかかります。その相手とは、猫の“のらちゃん”です。

名前の通り元のら猫のその子は、4年前の5月頃突然娘のところにやってきました。そして家の外からどのように察知するのか、行く部屋行く場所の一番近い窓から、大きな声で必死になき続けました。しかもそのなき声は、今まで聞いたことのないような低くて太いダミ声でした。

東京で猫は飼えないから、と聞こえないフリ?をし続けていた娘でしたが。このままでは隣り近所から通報され殺されてしまうにちがいないと心配になり、目立たないところにエサを置くことにしました。“

すると少しずつですがなく回数が減り、いつのまにか玄関のドアの前で寝ているようになりました。ひどい雨の日、ずぶ濡れになっているのを見かねて箱を置くと、その中にもぐり込み安心して眠りました。

ある時試しにドアを開けてみると、最初は恐る恐る少しずつ入ってきましたが、そのうち家にあがりこみ長い時間くつろぐようになりました。

そうして<完全家猫>の座を獲得し“のらちゃん”となりました。

不思議なことに、あれほど低くて太い大きなダミ声だったのが、大切に可愛がられているうちに、ふと気付けば少し高めのかわいいか細いなき声にかわっていました。

保護された時が推定1歳でしたので、これまでの<のら生活>ではいろいろ大変なことも多かったと思うのですが、今やおしゃべり大好きな猫となり、<電話かけて!>とせがむようになりました。その電話を受けて私が話しかけると、じっと聞いていてそれなりにいろいろ返事をしてくれます。

今でも時折、自分で携帯にタッチして一人でニュースを聞いていたり。のぞき込んでタッチして自撮りの写真をとったりするそうですので、そのうち電話も一人でかけたい時にかけてくるようになるのではないか?!と、ひそかにその日がくるのを待っているこの頃です。

モデルは、チャイニーズ・クレステッドのレオンくんです。とても珍しい犬種だそうで、私自身も実際にはまだ会ったことがありません。

長い毛のもち主ですので、カットのしかたでずいぶん印象もちがってくるようです。いずれにしても<高貴な雰囲気>は動かしがたく、気品ある美しさには、やはりドイツの古いお城があうのではないか。そんなふうに思い、小さく描き入れてみました。



私の絵画館:「パンダ」(小島けい)

                             続モンド通信7(2019年6月20日)

私の絵画館:「パンダ」(小島けい)

少し前、上野動物園のシャンシャンが2歳の誕生日をむかえたと話題になっていましたが。
私がこのパンダの絵を描いたのは2009年<花のカレンダー>を全国発売していただいた時です。
花の絵に加えパンダの絵も描いて送って下さい、と言われました。それまでパンダをきちんと見たこともありませんでしたが、慌てて2枚のパンダを描きました。
そのうちの一枚、この絵が<カレンダーにもれなく3枚入るパンダトレカ>となりました。青空を背景とするもう一枚の絵も私は好きでしたが、他のクリエイターさんたちと重なっていないからでしょうか、こちらが私のトレカとして選ばれました。
大好きな笹の葉のなかで小枝にのって遊んでいるパンダの子供を、想像して描きました。無邪気でのんびりした様子が、今も愛らしいなあ・・・と思います。

(「2019年小島けいカレンダー「私の散歩道ー犬、猫ときどき馬」6月に収載)



私の絵画館:「ナミブ砂漠」(小島けい)

                           「続モンド通信8」(2019年7月20日)

私の絵画館:「ナミブ砂漠」(小島けい)

<気配>

私は40年以上前に、モンゴルのゴビ砂漠に行きましたが。そこは<月の沙漠>の歌にあるような砂漠とは、全くちがいました。
砂丘というよりは草原でしたが、背たけの低い草の緑はあまり目立たず、むき出しの土地がどこまでも広がっていました。
観光客が泊まるパオだけは用意されていましたが、それ以外は見わたす限り何もありません。その<360度何もない>ということに圧倒された記憶だけは、遠い昔ですが、今も何故か覚えています。
一方、ナミビアのナミブ砂漠は、ゴビ砂漠とは全く対照的です。世界最古の砂丘といわれるこの場所は、オレンジ色と影の対比が美しく、一度描いてみたいと以前から思っていました。
この砂漠らしい<砂漠>には、ふつうラクダが描かれるのでしょうが。ずっと前に見た二頭の一瞬の姿が忘れられず、暑い砂漠に登場してもらいました。

<巣立ちの後に>

この頃の私は、<子供たち>が巣立ってしまった寂しさを感じています。今どこで暮らしているのだろう?と空っぽになった場所を見ては、思ってしまします。
2,3ヶ月前だったでしょうか。アトリエのベランダで、しきりに鳥のなき声がするようになりました。窓の外を見ても姿は全く見えませんが、声だけは確かにするのです。
ところがそのうち、家の猫たちが朝ご飯の後、そそくさと2階に上がっていくことに気が付きました。そしてある程度の時間をすごすと<やれやれ、今日のご用事が終わりましたよ>という満足気な顔で階段を下りてくるのです。
2階で何をしているのだろうと見てみると、アトリエの窓の外を、網戸越しに食いいるように見ています。猫たちの後で私も一緒に外を見ていると、しばらくしてベランダのすぐ横に付けてあるBSの丸いアンテナに、一羽の鳥がバサッバサッと音をたてて飛んできました。口には細長い枯れ草をくわえています。そして、その位置から再び羽を広げてま上に飛び上がりました。

鳥は雀の3~4倍の大きさで、ほっそりとした姿です。初めて見る鳥でした。
草は巣作りに使うのでしょう。鳥は毎日何回も草をくわえて運んできました。その度に必ずアンテナに止まるので、猫たちは間近に見る実物の鳥に色めきだち、今にも網戸を破りそうな勢いです。
アンテナから次に一体どこに飛ぶのかしらんと、鳥が遠くへ出かけた後ベランダに出てみました。するとベランダの屋根の端の方に直径10cmほどの丸い穴が空いています。2・3年前新しいクーラーに替えた時、その穴の横にあらたに管を通したようで。不要となった以前の穴は、簡単には防いだはずですが。それがはがれ落ちてしまったのでしょう。
鳥はその穴から天井部分に入り、巣作りをしているらしく、枯れ草のはしが板のすき間から何ヶ所もはみ出して垂れていました。
それから毎日、猫たちと私は折をみては窓の外を観察しました。鳥はあいかわらず、外から帰ると必ず一度アンテナに止まり、まわりを確かめてから数10cm上の巣穴へ入りました。
そのうち天井あたりから幼いなき声がひんぱんに聞こえるようになり、親鳥の動きも俄然活発になりました。バッタのような虫をくわえて帰ってきては、すぐまた再び飛びたちます。
ある時、巣の中の声が異常にけたたましくなり、大騒ぎしているので見てみると、穴から追い出された1羽のスズメが、あわてて逃げ出していきました。不法侵入者を家族総出で追いはらったのでした。
そうこうしているある日、親鳥とそっくりな形の小さな鳥が、巣からおりてきてアンテナに止まり、次に向かいの家の屋根に飛んでいきました。
卵からヒナにかえった子供たちが、とうとう外へ飛べるようになったのです。私は嬉しくて、下絵用のノートにメモ書きを残しました。6月25日でした。

 

その直後、九州南部では恐ろしいほどの大雨となり、やむなくアトリエの窓にもシャッターをおろしました。
数日後大雨が一段落して、そおっとシャッターを開けましたが、その時、鳥たちはもういませんでした。雨が止むのと同時に、巣立ったようでした。

子供が巣立つと寂しいとは、時々耳にしますが。
小鳥たちの巣立ちに少し寂しさを感じつつ、猫たちと私の特別な<今年の春>が終わりました。
もうすぐ、夏です。



私の絵画館:「りんちゃんとすずちゃんとメキシコ」(小島けい)

                             続モンド通信9(2019年8月20日)

私の絵画館:「りんちゃんとすずちゃんとメキシコ」(小島けい)

トイ・プードルのりんちゃん・すずちゃんの飼い主さんは、長い間メキシコで暮らしておられました。

そこで、絵の背景には<メキシコの太陽>と<ウチワサボテン><柱サボテン>を入れて、とのご希望でした。

知っているようで、実はあまりよく知らないメキシコでしたので、それから<メキシコの太陽>やサボテンがはえている大地の色などを、いろいろ調べました。

そして何回かラフ・スケッチのやりとりをした後、完成したのがこの絵です。

飼い主さんはこの絵をとても気に入って下さり、ご自分の行きつけのお店何軒かにも、この絵を使った個展の案内ハガキを、置いていただけるよう手配して下さいました。

今年ももうすぐ、大好きなりんちゃん・すずちゃんと飼い主さんにお会いできます。九月がとても楽しみです!



私の絵画館:「旅する子猫―2―サントリーニ島」(小島けい)

                          「続モンド通信10」(2019年9月20日)

私の絵画館:「旅する子猫―2―サントリーニ島」(小島けい)

ずっと以前は、小さなザック一つと竹かごのバスケットだけで、アラスカの氷河やゴビの砂漠、そしてパリにも行きましたが。

いつからか家を空けることが至難の技となりました。それはごく自然の流れで、子供たちだったり、犬だったり。そして今は猫たちという大切な存在を、第一に考えてのことでした。

そこで、私が旅に出るかわりに、行ってみたいなあ・・・・と思う街を、子猫たちに旅してもらうことにしました。

それは、モロッコの青い街<シャウエン>から始まり、今年で6作目となりましたが。 この絵は、旅する子猫シリーズの第2作目。青い海と白壁の家並が美しい、ギリシャの<サントリーニ島>です。