6月28日(29日、書き込むのが翌日になってしまったね。8コマの授業が終わると、もちろん時間がないわけでないけど、一気に書けない時が多いね。やっと11週目が終わって、あと4週。後半はトーイックでのクラス分けをするようやから、トーイック500点以上辺りの人とは前期でお別れになりそうなあ。それにしても4月に入ってから、日の過ぎるのがやたらに遅い気がするなあ。でもあと4週、何とかやれることはやっておかないとねえ。)
11回目の授業でした。
最初に南北戦争→反動(1896年の最高裁での「隔離すれども平等」判決)→1954年の最高裁での公立学校での人種隔離違憲判決に始まる公民権運動の流れを話してから、歌。
環境システム4年の岡くんがマへリア・ジャクソン(ゴスペルの女王)、環境ロボ1年の北條くんがルイ・アームストロングの発表をしてくれました。どっちもしっかりしらべて、落ち着いて発表してくれてたねえ。
そのあと先に、ニューポートジャズフェスティバルでのルイ・アームストロングのトランペット演奏とマへリア・ジャクソンを観て、聴いてもらい、クロマティのゴスペルの続き、ミシシッピの当時唯一現存と言われたguitar evangelist(ギター流しの伝道師)とメンフィスの伝説のThe Spirit of Menphis(1957年に創設やそうやから、僕が1949年生まれやから、小学校の時やな、ところどころ記憶が残っているけど、まだテレビも普及してなくアメリカの大波が日常生活に押し寄せてくる直前の頃やったけも、あとから思うに・・・)
公民権運動は、アフリカのところで話をしたように、第二次世界大戦で総体的な力を落とした西ヨーロッパ諸国に、それまでおさえられていたアジア・アフリカ諸国が独立を要求して展開した独立運動の流れの中にあって、それまで訴えても認められなかった最高裁での判決で流れが加速しました。
(映像を紹介した)1954年最高裁での公立学校での人種隔離は違憲判決を皮切りに
→(その判決に従って黒人の高校生が白人の高校に入学する際に起こった)アーカンソー州リトルロックの高校事件
モントゴメリーのバスボイコット事件、
(レストランでの人種差別撤廃を求めた)シットイン(座り込み)運動
(レストランでの人種差別撤廃を求めた)フリーダムライド運動
(大学入学を巡る)ミシシッピ州立大学、アラバマ大学事件
→28万人が集まったといわれるワシントン大行進
と続きます。発表をしてもらおうと思ったけど、だれも希望者はいなかったんで、次回はクロマティのゴスペルのニューオリンズとビリー・ホリデイ(写真↓)の奇妙な果実を聴いてもらったあと、たぶんさっと映像をしながら流れを辿ることになると思います。
それが終わったら、少し紹介した「招かれざる客」(Guess Who’s Coming to Dinner)を観てもらうつもりです。映画の解説です。
*「招かれざる客」(1967) GUESS WHO’S COMING TO DINNER
【解説】「アメリカ上陸作戦」のウィリアム・ローズのオリジナル・シナリオを、「愚か者の船」のスタンリー・クレイマーが製作・監督した。撮影は「手錠のままの脱獄」のサム・リーヴィット、音楽は「真昼の衝動」のデヴォル。出演は、これが遺作となった「おかしな、おかしな、おかしな世界」のスペンサー・トレイシー、「いつも心に太陽を」のシドニー・ポワチエ(写真↑)、「去年の夏突然に」のキャサリン・ヘップバーン、そのほか、キャサリン・ホートン、セシル・ケラウェイなど。
サンフランシスコ空港で飛行機から降り、タクシーに乗った若いカップルが、人目をひいた。だが、人々のぶしつけな視線など気にしないかのように、黒人青年と白人女性は親しげに語り合っていた。青年はジョン(シドニー・ポワチエ)といい、世界的に著名な医師。女性の名はジョーイ・ドレイトン(キャサリン・ホートン)。2人はハワイで知り合い、互いに愛し合う間柄となったのである。ジョーイの母クリスティ(キャサリン・ヘップバーン)は、娘の婚約者が黒人であることを知り、驚いたが、娘の嬉々とした様子に、動揺は次第に喜びに変わっていった。だが、父のマット(スペンサー・トレイシー)は、そうはいかなかった。新聞社を経営し、人種差別と闘ってきたマットも、自分の娘のこととなれば、話はちがってくるのだ。ジョンは、学界でも有数な人物であり、近くジュネーブの大学院に迎えられることになっているということは、マットも知ってはいるのだが、黒人と白人との結婚には、想像を絶する困難がある。結婚を許しながらもマットは割り切れなかった。ジョンのジュネーブ行きの時間が迫っており、2人はその前に、互いに両親の了解を得たがっていた。息子の見送りと嫁に会うため、ジョンの両親プレンティス夫妻が空港に着き、ジョーイは出迎えたが、夫妻は嫁が白人であることを知り愕然とした。やがて、夕食の時が訪れた。ジョンとジョーイ、ドレイトン夫妻、プレンティス夫妻。そしてドレイトン夫妻の友人であるライアン神父。母親同士は結婚には賛成だったが、父親同士は反対し、とくに、マットは頑固だった。だが、そのマットも、若い2人のどんな困難にも立ち向かおうとする真剣さとその情熱に、かつての自分の青春を見、その尊さに気づき、2人の結婚を認めた。一同はそろって、夕食の席に着くのだった。(http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD8577/index.html)
***********
1967年、僕が高校3年の時か。悲惨な高校生活を送っていた頃に、あんな映画が上映されてたんや。
大学に入ってから、国鉄(今のJR)の三ノ宮から阪急に乗り換える時に、昔の映画を3本1000円でやってた映画館があって、そこでこの映画や、シドニー・ポワチエの「いつも心に太陽を」も観たね。黒澤明の「赤ひげ」や「天国と地獄」、遠藤周作の「沈黙」、木下恵介の「楢山節考」なんかも強烈やったなあ。大学にいくつもりで三ノ宮で乗り換えたとき授業に行かずに、映画館によく寄ってたんやろな。
*「いつも心に太陽を」(1968)
現ギアナ国連大使E・R・ブレイスウエイトの自伝小説から、「キング・ラット」の原作者であり「大脱走」「サタンバグ」などの脚本家でもあるジェームズ・クラベルが製作・脚色・監督した学園もの。撮影はポール・ビーソンで、音楽はロン・グレイナーが担当。出演は「いのちの紐」のシドニー・ポワチエ、新人のクリスチャン・ロバーツ、ジュディ・ギーソン、スージー・ケンドール、ルルなど。製作総指揮にジョン・R・スローン。
マーク・サッカレイ(シドニー・ポワチエ)はもともとエンジニアなのだが、適当な勤務先もみあたらないまま、貧しい地区にある学校の教師になった。サッカレイの受持ちのクラスは、最終学年の10代の若者たちだが、手のつけられない連中ばかりだった。しかしサッカレイは自分の過去の経験から、生徒たちの非常識な行為は生れながらのものではなく、その環境から生れたものであることを知っていた。サッカレイは生徒たちに規律とか自尊心、自制心、責任感などを教えこむには、彼らを大人として扱う必要があると悟り、まず彼らに基本的な礼儀を守らせることにした。このやり方は不良生徒たちの間に動揺を与えたが、そのうち少しづつ効果をあらわしはじめ、サッカレイは生徒たちに尊敬されるようにさえなった。ところがある日、ある体育の教師が、臆病な生徒に無理にとび箱をとばせて重傷を負わせたことから、教師と生徒との間は再び険悪な状態に戻ってしまった。サッカレイは体育の時間を代わって担当したが、少年たちの前で屈辱を与えようという魂胆のデンハム(クリスチャン・ロバーツ)にボクシングの挑戦をうけた。ところがノックアウトされたのはサッカレイではなく、デンハムだった。だが、このことがきっかけとなってサッカレイと生徒たちの間にまた新しい絆が生まれた。しかし、自分の方法が失敗だったと考えたサッカレイは、ちょうど決まったラジオ会社に移ろうと思っていた。卒業のダンス・パーティーで、生徒たちの姿はガラリと変わって、立派な大人になっていた。そして生徒たちから贈られたプレゼントにそえられたカードに、「先生に、愛をこめて」のメッセージをよんだサッカレイは、学校にとどまる決心をした。
*「赤ひげ」
山本周五郎原作の『赤ひげ診療譚』を基に、巨匠・黒澤明監督が三船敏郎、加山雄三主演で映画化したヒューマニズム溢れる人情ドラマ。江戸時代の小石川養生所を舞台に、そこを訪れる庶民の人生模様と通称赤ひげと呼ばれる所長と青年医師の心の交流を描く。長崎で和蘭陀医学を学んだ青年・保本登は、医師見習いとして小石川養生所に住み込むことになる。養生所の貧乏くささとひげを生やし無骨な所長・赤ひげに好感を持てない保本は養生所の禁を犯して破門されることさえ望んでいた。しかし、赤ひげの診断と医療技術の確かさを知り、また彼を頼る貧乏な人々の姿に次第に心を動かされていくのだった……。
*「天国と地獄」
エド・マクベインの原作を巨匠・黒澤明監督が映画化した傑作サスペンス。優秀な知能犯に刑事たちが挑む。ナショナル・シューズの権藤専務は、自分の息子と間違えられて運転手の息子が誘拐され、身代金3千万円を要求される。苦悩の末、権藤は運転手のために全財産を投げ出して3千万円を用意する。無事子どもは取り戻したが、犯人は巧みに金を奪い逃走してしまい、権藤自身は会社を追われてしまう……。巧妙なプロットもさることながら、登場人物たちの心理描写が秀逸で人間ドラマとしての完成度も非常に高い。
*「沈黙」
遠藤周作の小説「沈黙」を、「ディパーテッド」「タクシードライバー」の巨匠マーティン・スコセッシが映画化したヒューマンドラマ。キリシタンの弾圧が行われていた江戸初期の日本に渡ってきたポルトガル人宣教師の目を通し、人間にとって大切なものか、人間の弱さとは何かを描き出した。17世紀、キリスト教が禁じられた日本で棄教したとされる師の真相を確かめるため、日本を目指す若き宣教師のロドリゴとガルペ。2人は旅の途上のマカオで出会ったキチジローという日本人を案内役に、やがて長崎へとたどり着き、厳しい弾圧を受けながら自らの信仰心と向き合っていく。スコセッシが1988年に原作を読んで以来、28年をかけて映画化にこぎつけた念願の企画で、主人公ロドリゴ役を「アメイジング・スパイダーマン」のアンドリュー・ガーフィールドが演じた。そのほか「シンドラーのリスト」のリーアム・ニーソン、「スター・ウォーズ フォースの覚醒」のアダム・ドライバーらが共演。キチジロー役の窪塚洋介をはじめ、浅野忠信、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈、加瀬亮、笈田ヨシといった日本人キャストが出演する。
*「楢山節考」
深沢七郎の同名小説を木下恵介が脚色・監督し映画化。大量のセットを駆使し、舞台(演劇)のような世界観を構築している。1983年には今村昌平によってリメイクされ、同作はカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した。70歳になると人減らしのため楢山で姥捨を行う村があった。69歳になるおりんは、息子の辰平と孫たちを世話しながら、辰平の後妻を探していた。辰平は去年、妻に先立たれていたのだ。楢山祭りの日、辰平は隣の村から妻を迎えることができた。おりんは楢山へ行く準備を始めるが、自分の歯が立派であることを恥じ、石臼にぶつけて折ってしまう。そして正月の数日前に突然「明日山へ行く」と言い出すのだった。
**********
1896年の「分離すれど平等」判決の解説です。
プレッシー対ファーガソン裁判(プレッシーたいファーガソンさいばん、Plessy v. Ferguson)は、「分離すれど平等(英語版)」の主義のもと、公共施設(特に鉄道)での黒人分離は人種差別に当たらないとし、これを合憲としたアメリカ合衆国の裁判。法学上、画期的なアメリカ合衆国最高裁判所の判決となった。最高裁判決は1896年5月18日に下された。
7対1の賛成多数によって判決は下された。判決理由の主な見解はヘンリー・ビリングス・ブラウン判事によって書かれ、ジョン・マーシャル・ハーラン判事が反対意見を書いた。「分離すれど平等」の主義は、後に1954年のブラウン対教育委員会裁判で最終的に否定されるまで、アメリカの標準的な主義として残った。
**********
去年作ったCDを配りました。授業で観て、聴いてもらったものを中心にCDに入るぎりぎりの容量でこしらえました。表紙の水仙もなかなかええ色やろ。CDをコピーするdupulicaterの調子があまりよくないので、えらい長い時間がかかったな。医学科はパソコンを強制的に買わされてないので、CDが再生出来ません、だけやなくて、そもそもキーボードを使いませんという人もいて、そろそろCDを配るという行為が成り立たなくなって来たみたいやな、と昨日も同僚の南部さんと対策を考えたところでした。
カセットテープを配っていた時期もあるけど、テープを再生出来ませんと言われてCDを配り出しました。でも、それももう終わりみたいやねえ。木花は全員パソコンを持ってて何とかCDが使えそうやけど、CDを再生するドライブがついてないパソコンも増えてるし。現に医学科で買い換えたパソコンにはCDドライブがついてないもんね。
また、来週に。