HP→「ノアと三太」にも載せてあります。
つれづれに:手入れ
10月から通い始めたマッサージの治療が、2月からは二週間に一度のペースになった。少し落ち着いて来たというところだろう。いつだったか「治療の記録、コピーして来ましたで。わたし目悪いでっしゃろ。いつも通りの拡大コピーですけど」とA3の手書きの治療記録のコピーを渡してくれた。その時は気軽にありがとうございますとだけ言って受け取ったが、今となっては手書きのとても貴重な記録だ。記録には当時住んでいた「中朝霧丘」、6月17日)の家の電話番号が書いてあった。中朝霧丘からは明石駅(↑)まで自転車で、駅からはバスと神戸電鉄(↓)を使った。昭和58(1983)年から平成4(1992)年までの分である。初回58年10月/23日: 上15/下120→58/120、10/31: 48/108、11/8: 54/114→66/114、11/14: 50/108→66/110、11/21: 52/102→64/110、11/28: 38/104→60/110、12/5: 50/100→66/110、12/12: 74/110→70/106、12/19: 60/120→70/110、59年1/9: 56/110→66/108、1/24: 46/102→70/108、1/30: 58/104→72/112、が三か月余りの血圧の推移である。血圧がだいぶ落ち着いてきたと判断されたのだろう。そのあと、隔週の治療に切り替わった。
陽気でよくしゃべる人でいろいろな話を聞いた。夫婦はどちらも眼に障害があるが、子供さん二人は障害もなく元気だと聞いた。開業する前は神戸の新開地の店で、20分のショートと言われる短い時間のマッサージをたくさんこなしていたらしい。しかし、一人にじっくり時間をかけて治療したいと思うようになり、三木市の住宅地(↓)に家を購入して開業、一日に6人程度、じっくり時間をかけてマッサージをすることになった。一度来た人は次の予約を入れて帰って行くので、三か月ほど先まで予定がびっしりと詰まっていた。痛いが、治療の効果がきっちりと出ていたということだろう。
自分の体のことなのに、それまであまり意識をして考えたことがなかったので、なるほどなあと感心することが多かった。血の巡りやリンパの流れもよく話に出たが、毛細血管のこともよく話をしてくれた。「運動せんかったり冷やしたりしたら、毛細血管が少のうなって血の流れが悪うなりますやろ。運動が足りて毛細血管がようさん出来たら、血のめぐりもようなって調子よろしいですわな。相撲取り、あんだけ太ってるように見えてますけど、毛細血管の塊りでっせ。血色もよろしおます。」「車に乗るようになって運動せんようになり、調子を崩す人も多おまっせ。運動せんさかい、毛細血管が少のうなって血の巡りが悪うなりますもんね。おまけに冷房で体冷やして。そら、血の巡りも悪なりまっせ。」そう言えば、「採用試験」(5月8日)の準備のとき、冬の寒い時期に粋がって和服を着て暖房もなしに一晩中座ったまま本を読んだりしていたから(→「作州」、3月14日)、調子を崩したのも考えたら道理である。頭の方はそれまで使ってなかった分詰め込めたかも知れないが、体はそうはいかない。それまで鍛えるために川の堤防(↓)を30キロほどを走っても余り息も切れないくらいだったから(→「作州」、3月14日)、相当な運動量だったと思う。それが、運動をぴたりとやめて一日中座って本を読みだしたのだから、外からは見えないが作られる毛細血管が極端に少なくなっていたに違いない、当然血の流れにも異変が起きる。きついマッサージで細胞が破壊され再生され、運動も並行してやったので、毛細血管も以前ほどではないにしても、生活に支障がない程度には作られるようになったということだろう。
当初から、体を冷やさないように、カイロをつけるように言われた、腰とお腹と両足首と脹脛の間に2つ、計4つもである。感覚が麻痺しかけていたときは、カイロをつけていても寒い感じがするくらいだったが、よくなってくる熱く感じて着けていられなくなった。それだけ調子が戻って来たということだろう。ベンジンを入れて使う金属製のカイロは結構面倒臭かったが、背に腹は代えられず、長い間忠実に利用した。その後、使い捨てカイロを使うようになっている。使う個数も多くて二つ、つけている期間も短くなり、外す時間も長くなった。体を冷やさないように気を遣うことが多くなった。内臓の温度を下げないように、温かいものを取るようにもなっている。
「血をめぐらすために、焼けた砂浜を歩いて海水で冷やす、それを繰り返すのもよろしいでっせ」と言われて、夏の暑い日に、近くの大蔵海岸(↓)に行き、砂浜を歩く→海水に浸ける、その作業を繰り返した時期もある。「明石」(6月16日)に住み始めて以来、大蔵海岸の砂浜に降りたのはその時が初めてだった。
その後隔週に一度が、月に一度、最後はふた月に一度のペースになり、治療から体の手入れに変わった。西洋の対処療法に一番欠けている、予防の医学の経験則的実践である。
次は、「揺れ」、か。