書いたもの

2022/2/6現在

分類別は→「書いたもの一覧:年代順、連載一覧、テーマ別」

2022年

「アングロ・サクソン侵略の系譜35:アフリカとエイズ 」続モンド通信38、2022年1月20日)【アフリカ/医療】【公開】

2021年

「アングロ・サクソン侵略の系譜34:ケニアの歴史(4)モイ時代・キバキ時代 ・現連立政権時代」続モンド通信37、2021年12月20日)【ケニア/シンポジウム】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜33:ケニアの歴史(3)イギリス人の到来と独立・ケニヤッタ時代 」続モンド通信36、2021年11月20日)【ケニア/シンポジウム】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜32:ケニアの歴史(2 )ペルシャ人、アラビア人とポルトガル人の到来」続モンド通信35、2021年10月20日)【ケニア/シンポジウム】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜31:ケニアの歴史1植民地化以前』」続モンド通信34、2021年9月20日)【ケニア/シンポジウム】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜30:在外研究」続モンド通信33、2021年8月20日)【ジンバブエ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜29:編註書And a Threefold Cord 」続モンド通信32、2021年7月20日)【南アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜28: :日本語訳『まして束ねし縄なれば』」続モンド通信31、2021年6月20日)【南アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜27: A Walk in the Night」続モンド通信30、2021年5月20日)【南アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜26:アレックス・ラ・グーマと『夜の彷徨』 」続モンド通信29、2021年4月20日)【南アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜25: 体制再構築時の『先進国』の狡猾な戦略:ガーナとコンゴの場合」続モンド通信28、2021年3月20日)【アフリカ/シンポジウム】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜24: 2021年Zoomシンポジウム」続モンド通信27、2021年2月20日)【アフリカ/シンポジウム】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜23:ケニアの歴史(1)植民地化以前」 続モンド通信26、2021年1月20日)【ケニア/シンポジウム】【公開】

2020年

「アングロ・サクソン侵略の系譜22:アフリカ史再考④大陸に生きる(1)牧畜生活:ケニアのポコト人 」続モンド通信25、2020年12月20日)【ケニア/シンポジウム】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜21: アフリカ史再考③:ナイルの谷」続モンド通信24、2020年11月20日)【アフリカ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜20:アフリカ史再考:②『アフリカシリーズ』」続モンド通信23、2020年10月20日)【アフリカ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜19:アフリカ史再考:①アフリカ史再考のすすめ 」続モンド通信22、2020年9月20日)【アフリカ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜18:アフリカ系アメリカの歴史 」続モンド通信21、2020年8月20日)【アフリカ系アメリカ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜17: アフリカの歴史」続モンド通信20、2020年7月20日)【アフリカ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜16: 科学研究費 1」続モンド通信19、2020年6月20日)【南アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜15: ゴンドワナ (12~19号)」続モンド通信18、2020年5月20日)【アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜14::宮崎医科大学 」続モンド通信17、2020年4月20日)【随想】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜 13:ゴンドワナ (3~11号)」続モンド通信16、2020年3月20日) 【アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜12:MLA(Modern Language Association of America)」続モンド通信15、2020年2月20日) 【南アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜11:アレックス・ラ・グーマの伝記家セスゥル・A・エイブラハムズ」「続モンド通信14」、2020年1月20日)【南アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

2019年

「アングロ・サクソン侵略の系譜10:大阪工業大学」「続モンド通信13」、2019年12月20日)【随想】【公開】

「『まして束ねし縄なれば』の文学技法―雨の象徴性と擬声語の効用を軸に―」「続モンド通信12」、2019年11月20日)【ラ・グーマ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜9:『言語表現研究』」「続モンド通信11」、2019年10月20日)【ライト/ラ・グーマ/グギ】【公開】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度③制度概略1」「続モンド通信10」、2019年9月20日)【アフリカ】【公開】【★出版】

「アングロ・サクソン侵略の系譜8:『黒人研究』」「続モンド通信10」、2019年9月20日)【アフリカ系アメリカ/アフリカ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜7:修士、博士課程」「続モンド通信9」、2019年8月20日)【随想】【公開】

「ほんやく雑記⑧イリノイ州シカゴ 3」「続モンド通信8」、2019年7月20日)【翻訳/ライト/アフリカ系アメリカ】【公開】

「ほんやく雑記⑤オハイオ州デイトン」「続モンド通信7」、2019年6月20日)【翻訳/アフリカ系アメリカ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜6:リチャード・ライトの世界」「続モンド通信6」、2019年5月20日)【ライト】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜5:ミシシッピ」「続モンド通信5」、2019年4月20日)【ライト】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜4:リチャード・ライト死後25周年シンポジウム」「続モンド通信4」、2019年3月13日)【ライト】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜3:『クロスセクション』」「続モンド通信3」、2019年2月20日)【ライト】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜2:着想と展開」「続モンド通信2」、2019年1月20日)【アフリカ/アフリカ系アメリカ】【公開】

2018年

「『続モンド通信』について」「続モンド通信」2018年12月29日)【案内】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜1:概要」「続モンド通信1」2018年12月29日)【アフリカ/アフリカ系アメリカ】【公開】

2018年12月より「続モンド通信」を開始。↑

編集者の不調により「モンド通信」休刊↓

2016年

「ほんやく雑記⑧イリノイ州シカゴ 3」(「モンド通信」未掲載)→「続モンド通信8」、2019年7月20日)に収載。【翻訳/アフリカ系アメリカ】【公開】

「ほんやく雑記⑦イリノイ州シカゴ2」「モンド通信 No. 97」、2016年9月11日)【翻訳/アフリカ系アメリカ】【公開】

「ほんやく雑記⑥イリノイ州シカゴ」「モンド通信 No. 96」、2016年8月3日)【翻訳/アフリカ系アメリカ】【公開】

「ほんやく雑記⑤オハイオ州デイトン」(「モンド通信」未掲載)→2020年「続モンド通信」に収載。【翻訳/アフリカ系アメリカ】【公開】

「ほんやく雑記④『 ケープタウン第6区 』」「モンド通信 No. 94」、2016年6月19日)【翻訳/南アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

「ほんやく雑記③『 ソウェトをめぐって 』」「モンド通信 No. 93」、2016年4月26日)【翻訳/南アフリカ】【公開】

「ほんやく雑記②「ケープタウン遠景」」「モンド通信 No. 92」、2016年4月3日)【翻訳/南アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

「ほんやく雑記①「漁夫の波止場」」「モンド通信 No. 91」、2016年3月22日)【翻訳/随想】【公開】

「アフリカとその末裔たち2(4)アフリカ系アメリカ人の音楽」★番号を訂正「モンド通信 No. 90」、2016年2月9日)【アフリカ系アメリカ】【公開】

2015年

「アフリカとその末裔たち2(3)③今日的諸問題:1992年のハラレ滞在」★番号を訂正「モンド通信 No. 89」、2015年12月23日)【ジンバブエ】【公開】

「アフリカとその末裔たち2(3)②今日的諸問題:ザイールの苦難」★番号を訂正「モンド通信 No. 88」、2015年11月28日)【アフリカ】【公開】

「アフリカとその末裔たち2(3)①今日的諸問題:エイズ流行病(AIDS epidemic)」★番号を訂正「モンド通信 No. 87」、2015年11月20日)【医療】【公開】

「アフリカとその末裔たち2(2)②The Honourable MP」★番号を訂正「モンド通信 No. 86」、2015年10月19日)【ジンバブエ】【公開】

「アフリカとその末裔たち2(2)①And a Threefold Cord」★番号を訂正「モンド通信 No. 85」、2015年8月22日)【ラ・グーマ】【公開】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度⑩自信と譲歩」★番号を訂正「モンド通信 No. 84」、2015年7月29日)【アフリカ】【公開】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度⑨開発援助と発達なき成長」★番号を訂正「モンド通信 No. 83」、2015年6月23日)【アフリカ】【公開】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度⑧経済的依存」★番号を訂正「モンド通信 No. 82」、 2015年5月30日)【アフリカ】【公開】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度⑦新しい階級の創造」★番号を訂正「モンド通信 No. 81」、2015年4月30日)【アフリカ】【公開】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度⑥コンゴ危機」★番号を訂正「モンド通信 No. 80」、2015年3月26日)【アフリカ】【公開】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度⑤コンゴ自由国」★番号・題を訂正「モンド通信 No. 79」、2015年2月22日)【アフリカ】【公開】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度④ガーナ」★題を追加(「モンド通信 No. 77」、2015年1月15日)【アフリカ】【公開】

2014年

「EMP9年、結果として、active learning」(「ESPの研究と実践」第11号57-67頁。)【EMP】【★出版】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度③制度概略1」(「モンド通信」No. 73 、2014年12月1日に未掲載、新規→2019年10月20日「続モンド通信」11に収載)【アフリカ】【公開】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度②執筆の経緯」★番号・題を訂正(「モンド通信 No. 72」、2014年11月1日)連載開始。【アフリカ】【公開】

「アフリカとその末裔たち2一覧」(2014年11月~2016年2月に「モンド通信」に連載。掲載分の番号、題などを修正)【アフリカ/アフリカ系アメリカ】【公開】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度①概略」(「モンド通信」No. 71、2014年10月1日に未掲載)→2019年9月20日「続モンド通信」10に収載)【アフリカ】【公開】

「アフリカ系アメリカ小史⑤公民権運動、その後」「モンド通信 No. 71」、2014年7月10日)連載終了。【アフリカ系アメリカ】【公開】

「アフリカ系アメリカ小史④公民権運動」「モンド通信 No. 70」、2014年6月10日)【アフリカ系アメリカ】【公開】

「アフリカ系アメリカ小史③再建期、反動」「モンド通信 No. 69」、2014年5月10日)【アフリカ系アメリカ】【公開】

「アフリカ系アメリカ小史②奴隷解放」「モンド通信 No. 68」、2014年4月10日)【アフリカ系アメリカ】【公開】

「アフリカ系アメリカ小史一覧」(2014年3月~7月に「モンド通信 」に連載)【アフリカ系アメリカ】【公開】

「アフリカ系アメリカ小史①奴隷貿易と奴隷制」「モンド通信 No. 67」、2014年3月10日)連載開始。【アフリカ系アメリカ】【公開】

「南アフリカ小史一覧」(2014年1月~2月に「モンド通信 」に連載)【南アフリカ】【公開】

「南アフリカ後半」「モンド通信 No. 66」(2014年2月10日)連載終了。【南アフリカ】【公開】

「南アフリカ小史前半」「モンド通信 No. 65」(2014年1月10日)連載開始。【南アフリカ】【公開】

2013年

「アフリカとその末裔たち1一覧」(2013年12月~2014年7月に「モンド通信 」に連載)【アフリカ/南アフリカ/アフリカ系アメリカ】【公開】

「アフリカ小史一覧」(2013年11月~12月に「モンド通信 」に連載)【アフリカ】【公開】

「アフリカ小史後半」「モンド通信 No. 64」(2013年12月10日)連載終了。【アフリカ】【公開】

「アフリカ小史前半」「モンド通信 No. 63」(2013年11月10日)連載開始。【アフリカ】【公開】

「ジンバブエ滞在記25『ジンバブエ滞在記』の連載を終えて」「モンド通信」No. 59」、2013年7月10日)【ジンバブエ】【公開】

「ジンバブエ滞在記24ふたつの壷」「モンド通信」No. 58」、2013年6月10日)【ジンバブエ】【公開】

「ジンバブエ滞在記23チサライ」「モンド通信」No. 57」、2013年5月10日)【ジンバブエ】【公開】

「ジンバブエ滞在記22ジャカランダの季節に」「モンド通信」No. 56」、2013年4月10日)【ジンバブエ】【公開】

「ジンバブエ滞在21ツォゾォさんの生い立ち」「モンド通信」No. 55」、2013年日3月10日)【ジンバブエ】【公開】

「ジンバブエ滞在記⑳演劇クラス」「モンド通信」No. 54」、2013年2月10日)【ジンバブエ】【公開】

「ジンバブエ滞在記⑲ロケイション」「モンド通信」No. 53」、2013年1月10日)【ジンバブエ】【公開】

2012年

「ジンバブエ滞在記⑱アレックスの生い立ち」「モンド通信」No. 52」、2012年12月10日)【ジンバブエ】【公開】

「ジンバブエ滞在記⑰モロシャマリヤング」「モンド通信」No. 51」、2012年11月11日)【ジンバブエ】【公開】

「ジンバブエ滞在記⑯75セントの出会い」「モンド通信」No. 50」、2012年10月10日)【ジンバブエ】【公開】

「ジンバブエ滞在記⑮ゲイリーの家」「モンド通信」No. 49」、2012年9月10日)【ジンバブエ】【公開】

「ジンバブエ滞在記⑭ルカリロ小学校」「モンド通信」No. 48」、2012年8月10日)【ジンバブエ】【公開】

「ジンバブエ滞在記⑬制服の好きな国」「モンド通信」No. 47」、2012年7月10日)【ジンバブエ】【公開】

「『ナイスピープル』理解27:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告6」「モンド通信 No. 47」、2012年7月10日)【アフリカ/医療/ケニア/シンポジウム】【公開】

「ジンバブエ滞在記⑫ゲイリーの生い立ち」「モンド通信」No. 46」、2012年6月10日)【ジンバブエ】【公開】

「『ナイスピープル』理解26:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告5」「モンド通信 No. 46」、2012年6月10日)【アフリカ/医療/ケニア/シンポジウム】【公開】

「ジンバブエ滞在記⑪お別れ会」「モンド通信」No. 45」、2012年5月10日)【ジンバブエ】【公開】

「『ナイスピープル』理解25:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告4」「モンド通信 No. 45」、2012年5月10日)【アフリカ/医療/ケニア/シンポジウム】【公開】

「ジンバブエ滞在記⑩副学長補佐」「モンド通信」No. 44」、2012年4月10日)【ジンバブエ】【公開】

「『ナイスピープル』理解24:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告3」「モンド通信 No. 44」、2012年4月10日)【アフリカ/医療/ケニア/シンポジウム】【公開】

「ジンバブエ滞在記⑨ゲイリーの家族」「モンド通信」No. 43」、2012年3月10日)【ジンバブエ】【公開】

「『ナイスピープル』理解23:「シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告2」「モンド通信 No. 43」、2012年3月10日)【アフリカ/医療/ケニア/シンポジウム】【公開】

「ジンバブエ滞在記⑧グレートジンバブエ」「モンド通信」No. 42」、2012年2月10日)【ジンバブエ】【公開】

「『ナイスピープル』理解22:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告1」「モンド通信 No. 42」、2012年2月10日)【アフリカ/医療/ケニア/シンポジウム】【公開】

「ジンバブエ滞在記⑦ホテル」「モンド通信」No. 41」、2012年1月10日)【ジンバブエ】【公開】

「『ナイスピープル』理解21:『ニューアフリカン』:エイズの起源4 米国産の人工生物兵器としてのウィルス」「モンド通信 No. 41」、2012年1月10日)【アフリカ/医療】【公開】

2011年

「『ニューアフリカン』から学ぶアフリカのエイズ問題」(「ESPの研究と実践」第10号25-34ペイジ)【アフリカ/医療】【★出版】

「ジンバブエ滞在記⑥買物」「モンド通信」No. 40」、2011年12月10日)【ジンバブエ】【公開】

「『ナイスピープル』理解20:『ニューアフリカン』:エイズの起源3 アフリカの霊長類がウィルスの起源」「モンド通信 No. 40」、2011年12月10日)【アフリカ/医療】【公開】

「ジンバブエ滞在記⑤バケツ一杯の湯」「モンド通信」No. 39」、2011年11月10日)【ジンバブエ】【公開】

「『ナイスピープル』理解19:『ニューアフリカン』:エイズの起源2 アフリカ人の性のあり方」「モンド通信 No. 39」、2011年11月10日)【アフリカ/医療】【公開】

「ジンバブエ滞在記④ジンバブエ大学・白人街・鍵の国」「モンド通信」No. 38」、2011年10月10日)【ジンバブエ】【公開】

「『ナイスピープル』理解18:『ニューアフリカン』:エイズの起源1 アフリカ人にとっての起源の問題」「モンド通信 No. 38」、2011年10月10日)【アフリカ/医療】【公開】

「ジンバブエ滞在記③突然の訪問者・小学校・自転車」「モンド通信」No. 37」、2011年9月10日)【ジンバブエ】【公開】

「ジンバブエ滞在記②ハラレ第1日目」「モンド通信」No. 36」、2011年8月10日)【ジンバブエ】【公開】

「ジンバブエ滞在記一覧」(2011年7月~ 2013年7月に「モンド通信」に連載)【ジンバブエ】【公開】

「ジンバブエ滞在記①アメリカ1981~1988」「モンド通信」No. 35」、2011年7月10日)連載開始。【アフリカ系アメリカ】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(30) 最終章」「モンド通信 No. 35」、2011年6月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』理解17:雑誌『ニューアフリカン』」「モンド通信 No. 34」、2011年6月10日)【アフリカ/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(29) 第30章 タラで過ごした一週間」「モンド通信 No. 34」、2011年5月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』理解16:メディアと雑誌『ニューアフリカン』」「モンド通信 No. 33」、2011年5月10日)【アフリカ/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(28) 第29章 カナーン証明書」「モンド通信 No. 33」、2011年4月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』理解15:エイズと南アフリカ─ムベキの育った時代4 アパルトヘイト政権の崩壊とその後」「モンド通信 No. 32」、2011年4月10日)【南アフリカ/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(27)第28章 カナーンホスピス」「モンド通信 No. 32」、2011年3月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』理解14:エイズと南アフリカ―ムベキの育った時代3 アパルトヘイト政権との戦い」「モンド通信 No. 31」、2011年3月10日)【南アフリカ/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(26)第27章 男の赤ん坊」「モンド通信 No. 31」、2011年2月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(25)第25章 1983年2月・第26章 1984年―謎の病気」「モンド通信 No. 30」、2011年1月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

2010年

「タボ・ムベキの伝えたもの:エイズ問題の包括的な捉え方」(「ESPの研究と実践」第9号30-39ペイジ)【南アフリカ/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(24)第24章 1982年」「モンド通信 No. 29」、2010年12月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(23)第23章 一匹狼の医者」「モンド通信 No. 28」、2010年11月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(22) 第22章 仮論文」「モンド通信 No. 27」、2010年10月10日)【ケ翻訳/ニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(21) 第21章 一九七九年モンバサ」「モンド通信 No. 26」、2010年9月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(20) 第20章 四十年間の投獄」「モンド通信 No. 25」、2010年8月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(19) 第19章 花婿の値段」「モンド通信 No. 24」、2010年7月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(18) 第18章 ナイセリア菌」「モンド通信 No. 23」、2010年6月1日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(17) 第17章 医師用宿舎B10」「モンド通信 No. 22」、2010年5月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(16) 第16章 豚野郎フィル」「モンド通信 No. 21」、2010年4月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』理解13:エイズと南アフリカ―タボ・ムベキ2 育った時代と社会状況2 アパルトヘイト」「モンド通信 No. 21」、2010年4月10日)【南アフリカ/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(15) 第15章 ユーニス」「モンド通信 No. 20」、2010年3月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』理解:12 エイズと南アフリカ―タボ・ムベキ1 育った時代と社会状況1」 「モンド通信 No. 20」、2010年3月10日)【南アフリカ/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(14) 第14章 ドクターGGの娘(後半)」「モンド通信 No. 19」、2010年2月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』理解11:エイズと南アフリカ―2000年のダーバン会議」「モンド通信 No. 19」、2010年2月10日)【南アフリカ/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(13)第14章 ドクターGGの娘(前半)」「モンド通信 No. 18」、2010年1月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』理解10: エイズ治療薬と南アフリカ2」「モンド通信 No. 18」、2010年1月10日)【南アフリカ/医療】【公開】

2009年

“Human Sorrow―AIDS Stories Depict An African Crisis"(「ESPの研究と実践」第10号12-20頁。)【アフリカ/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(12)第13章 行方不明者」「モンド通信 No. 17」、2009年12月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』理解9:エイズ治療薬と南アフリカ1」「モンド通信 No. 17」、2009年12月10日)【南アフリカ/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(11)第12章 初めてのX線機器 」「モンド通信 No. 16」、2009年11月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』理解8:南アフリカとエイズ」「モンド通信 No. 16」、2009年11月10日)【南アフリカ/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(10)第11章 リバーロード診療所」「モンド通信 No. 15」、2009年10月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』理解7:アフリカのエイズ問題を捉えるには」「モンド通信 No. 15」、2009年10月10日)【アフリカ/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(9)第10章 ンデル警察署」「モンド通信 No. 14」、2009年9月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』理解6:アフリカでのエイズの広がり」「モンド通信 No. 14」、2009年9月10日)【アフリカ/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(8)第9章 マインバ家」「モンド通信 No. 13」、2009年8月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』理解5:アフリカを起源に広がったエイズ」「モンド通信 No. 13」、2009年8月10日)【アフリカ/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(7)第8章 ハリマ」「モンド通信 No. 12」、2009年7月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』理解4:1981年―エイズ患者が出始めた頃2 不安の矛先が向けられた先」「モンド通信 No. 12」、2009年7月10日)【医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(6)第7章 イアン・ブラウン」「モンド通信 No. 11」、2009年6月10日)【ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』理解3:1981年―エイズ患者が出始めた頃1」「モンド通信 No. 11」、2009年6月10日)【医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(5)第6章 メアリ・ンデュク」「モンド通信 No. 10」、2009年5月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』理解2:エイズとウィルス」「モンド通信 No. 10」、2009年5月10日)【医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(4)第5章 ベネディクト神父」「モンド通信 No. 9」、2009年4月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』を理解するために」一覧」(2009年4月~2012年7月まで「モンド通信 」に連載。)【ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』理解1:『ナイスピープル』とケニア」」「モンド通信 No. 9」、2009年4月10日)連載開始。【ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(3)第4章 アイリーン・カマンジャ」「モンド通信 No. 8」、2009年1月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(2) 第2章・第3章」「モンド通信 No. 6」、2009年1月10日)【翻訳/ケニア/医療】【公開】

2008年

『アフリカ文化 [Ⅱ]ーアフリカとエイズと哀しき人間の性(さが)(上)』 (門土社で出版予定で送った原稿です。)【アフリカ/医療】【未出版】

「日本語訳『ナイスピープル』一覧」(2008年12月~2011年6月まで「モンド通信 」に連載。)【翻訳/ケニア/医療】【公開】
「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(1) 著者の覚え書き・序章・第1章」「モンド通信 No. 5」、2008年12月10日)連載開始。【翻訳/ケニア/医療】

2007年

「宮崎大学医学部留学生ニューズレター4号」【日本語支援】【刊行】

『アフリカ文化論(一)ー南アフリカの歴史と哀しき人間の性』(横浜:門土社)総64ページ。【アフリカ/医療】【★出版】

2006年

「宮崎大学医学部留学生ニューズレター3号」【日本語支援】【刊行】

「エイズから人類を救うアーネスト・ダルコー医師」(門土社「mon-monde 」6号に収載予定で送った原稿です。)【南アフリカ/医療】【未出版】

「コンゴの悲劇 独立―新植民地支配の始まり」(門土社「mon-monde 」5号に収載予定で送った原稿です。)【アフリカ】【未出版】

「(一九九二年・ハラレ)ジンバブエ滞在記 四 ゲイリーの家族」(門土社「mon-monde 」4号に収載予定で送った原稿です。)【ジンバブエ】【未出版】

「(一九九二年・ハラレ)ジンバブエ滞在記 三 グレート・ジンバブエ」(門土社「mon-monde 」3号に収載予定で送った原稿です。)【ジンバブエ】【未出版】

「(一九九二年・ハラレ)ジンバブエ滞在記 二 買い物と自転車」(門土社「mon-monde 」2号に収載予定で送った原稿)【ジンバブエ】【未出版】

「医学生と新興感染症―1995年のエボラ出血熱騒動とコンゴをめぐって―」「ESPの研究と実践」第5号61-69頁。【アフリカ/医療】【★出版】

2005年

「宮崎大学医学部留学生ニューズレター2号」【日本語支援】【刊行】

「ジンバブエ滞在記 1992年ハラレ 1 初めてのアフリカ」「mon-monde」創刊号14-24頁。【ジンバブエ】【★出版】

「アフリカ文学とエイズ ケニア人の心の襞を映す『ナイス・ピープル』」「mon-monde」創刊 25-31頁。【ケニア/医療】【★出版】

「医学生とエイズ:南アフリカとエイズ治療薬」「ESPの研究と実践」第4号61-69頁。【南アフリカ/医療】【★出版】

「『日本語支援教育専修』と私」「日本語支援教育研究報告書」宮崎大学大学院教育文化学部修士課程学校教育専攻日本語支援教育専修【日本語支援】【刊行】

2004年

「宮崎大学教育文化学部大学院修士課程日本語支援教育専修速報英語版」【日本語支援】【刊行】

「宮崎大学教育文化学部大学院修士課程日本語支援教育専修速報日本語版」【日本語支援】【刊行】

「宮崎医科大学留学生ニューズレター1号」」【日本語支援】【刊行】

「医学生とエイズ:ケニアの小説『ナイス・ピープル』」「ESPの研究と実践」第3号5-17頁。【ケニア/医療】【★出版】

「アフリカのエイズ問題-制度と文学」(シンポジウム草稿)【アフリカ/医療】【刊行】

「アフリカのエイズ問題-制度と文学」(シンポジウム報告)【アフリカ/医療】【刊行】

「 シンポジウム『アフリカと医療』~世界で一番いのちの短い国~」宮崎大学医学部国際医療保健研究会編【アフリカ/医療】【刊行】

「コンゴの悲劇2 上 ベルギー領コンゴの『独立』」(「ごんどわな」25号に収載予定で送った原稿です。)【アフリカ】【未出版】

「エイズを主題とするアフリカ文学が描く人間性(さが)」(平成15年度版宮崎大学広報誌)「2003 Research研究活動紹介 宮崎大学」56頁。【アフリカ/医療】【刊行】

2003年

“Ngugi wa Thiong’o, the writer in politics: his language choice and legacy”「言語表現研究」19号12-21頁。【ケニア】【★出版】

2002年

「速達便」宮崎大学医学部すずかけ祭第27回パンフレット43頁。【随想】【刊行】

2001年

「新任教官紹介『宮崎も14年目にな【★出版】

「新任教官等紹介」宮崎医科大学「学園だより」第82号24頁。【案内】【刊行】

「ショナ人とことば」「ごんどわな」24号62-65頁。【ジンバブエ】【★出版】

「コンゴの悲劇1 レオポルド2世と『コンゴ自由国』」」「ごんどわな」24号2-5頁。【アフリカ】【★出版】

2000年

「ジンバブエ大学② ツォゾさん」「ごんどわな」23号(復刊2号)74-77頁。【ジンバブエ】【★出版】

「ジンバブエ大学① アレックス」「ごんどわな」22号(復刊1号)99-104頁。【ジンバブエ】【★出版】

「アフリカとエイズ」「ごんどわな」22号(復刊1号)2-14頁。【アフリカ/医療】【★出版】

1998年

Africa and Its Descendants 2: Neo-colonial Stage(英文書、Mondo Books)【アフリカ/アフリカ系アメリカ】【★出版】

1997年

「高千穂小旅行」【随想】【未出版】

1996年

「なぜ英語が出来なかったか」すずかけ祭第20回宮崎医科大学パンフレット?頁。【随想】【刊行】

“Realism and Transparent Symbolism in Alex La Guma’s Novels”「言語表現研究」12号73~79頁。【ラ・グーマ】【★出版】

1995年

“Africa and I”【随想】【未出版】

“I Like Michel ”【随想】【未出版】

Africa and Its Descendants(英文書、Mondo Books)【アフリカ/アフリカ系アメリカ】【★出版】

1994年

「ロバート・ソブクウェというひと ② アフリカの土に消えて」「ゴンドワナ」21号6-19頁。【南アフリカ】【★出版】

1993年

「ロバート・ソブクウェというひと ① 南アフリカに生まれて」「ゴンドワナ」20号14-20頁。【南アフリカ】【★出版】

「海外研修記「『アフリカは遠かった』」宮崎医科大学「学園だより」第号10-11頁。【ジンバブエ/随想】【刊行】

「海外滞在日誌『ジンバブエの旅』」宮崎医科大学「学報」第50号18-19頁。【ジンバブエ/随想】【刊行】

1992年

「アレックス・ラ・グーマ『まして束ねし縄なれば』」(翻訳書、門土社)【翻訳/ラ・グーマ】【★出版】

1991年

「マグディ・カアリル・ソリマン『エジプト 古代歴史ゆかりの地』」「ゴンドワナ」18号2-6頁。【翻訳/アフリカ】【★出版】

「自己意識と侵略の歴史」「ゴンドワナ」19号10-22頁。【アフリカ】【★出版】

And a Threefold Cord by Alex La Gum(註釈書、Mondo Books)【ラ・グーマ】【★出版】

「『ワールド・アパート』 愛しきひとへ」「ゴンドワナ」18号7-12頁。【南アフリカ】【★出版】

1990年

「アレックス・ラ・グーマ 人と作品7 『三根の縄』 南アフリカの人々 ②」(『三根の縄』はのちに『まして束ねし縄なれば』と改題)、「ゴンドワナ」17号6-19頁。【ラ・グーマ】【★出版】

「アレックス・ラ・グーマ 人と作品6 『三根の縄』 南アフリカの人々 ①」(『三根の縄』はのちに『まして束ねし縄なれば』と改題)、「ゴンドワナ」16号14-20頁。【ラ・グーマ】【★出版】

「ミリアム・トラーディさんの宮崎講演」「ゴンドワナ」15号9-29頁。【南アフリカ】【★出版】

「ミリアムさんを宮崎に迎えて」「ゴンドワナ」15号2-8頁。【南アフリカ】【★出版】

1989年

「A Walk in the Night by Alex La Guma」(註釈書、Mondo Books)【ラ・グーマ】【★出版】

1988年

「アパルトヘイトの歴史と現状」「ゴンドワナ」14号10-33頁。【南アフリカ】【★出版】

「アレックス・ラ・グーマ 人と作品5 『夜の彷徨』下 手法」「ゴンドワナ」13号14-25頁。【ラ・グーマ】【★出版】

「アパルトヘイトを巡って」(シンポジウム)「ゴンドワナ」12号6-19頁。【南アフリカ】【★出版】

「アレックス・ラ・グーマ/ベシィ・ヘッド記念大会に参加して」「黒人研究」58号36頁。【ラ・グーマ】【★出版】

「アレックス・ラ・グーマとアパルトヘイト」「黒人研究」第58号103-15頁。【ラ・グーマ】【★出版】

「アレックス・ラ・グーマ 人と作品4 『夜の彷徨』上 語り」「ゴンドワナ」11号39-47頁。【ラ・グーマ】【★出版】

「グギの革命的後段(メタ)言語学1 『ジャンバ・ネネ・ナ・シボ・ケンガンギ』の中の諺」「ゴンドワナ」11号34-38頁。【ケニア】【★出版】

「セスゥル・エイブラハムズ氏への手紙」「ゴンドワナ」11号22-28頁。【南アフリカ】【★出版】

「Alex La Gumaの技法 And a Threefold Cordの語りと雨の効用」「中研所報」20巻3号359-375頁。【ラ・グーマ】【★出版】

1987年

「あぢさい、かげに浜木綿咲いた」「英米文学手帖」24号123-124頁。【随想】【★出版】

「アレックス・ラ・グーマ 人と作品3 祖国を離れて」「ゴンドワナ」10号24-29頁。【ラ・グーマ】【★出版】

“TAMADA Yoshiyuki Makes interviews with Cecil Abrahams ”(August 29-31, 1987, St. Catharines, Ontario, Canada)【ラ・グーマ】【★出版】

「アレックス・ラ・グーマの伝記家セスゥル・エイブラハムズ」「ゴンドワナ」10号10-23頁。【ラ・グーマ】【★出版】

「アレックス・ラ・グーマ 人と作品2 拘禁されて」「ゴンドワナ」9号28-34頁。【ラ・グーマ】【★出版】

「アレックス・ラ・グーマ 人と作品1 闘争家として、作家として」「ゴンドワナ」8号22-26頁。【ラ・グーマ】【★出版】

「アフリカ・アメリカ・日本」「ゴンドワナ」7号24-25頁。【アフリカ】【★出版】

「アレックス・ラ・グーマ氏追悼-アパルトヘイトと勇敢に闘った先人に捧ぐ-」「ゴンドワナ」7号19-24頁 。【ラ・グーマ】【★出版】

「リチャード・ライトとアフリカ」『箱舟、21世紀に向けて』(共著、門土社、1987年)147-170頁。【ライト/アフリカ】【★出版】

1986年

「黒人研究の会会報編集後記あとがき」「黒人研究の会報」第24号(1986年)12頁 。【アフリカ/アフリカ系アメリカ】【★出版】

「リチャード・ライトと『カラー・カーテン』(口頭発表報告)」「黒人研究の会会報」24号9頁。【ライト/アフリカ】【★出版】

「ミシシッピ、ナチェズから」「英米文学手帖」24号72-73頁。【ライト】【★出版】

「がまぐちの貯金が二円くらいになりました」「ゴンドワナ」3号8-9頁。【随想】【★出版】

“Richard Wright and Black PowerMemoirs of the Osaka Institute of Technology, Series B, Vol. 31, No. 1: 37-48.【ライト/アフリカ】【★出版】

「リチャード・ライトと『千二百万人の黒人の声』」「黒人研究」第56号50-54頁。【ライト】【★出版】

“Symbolical and Metaphorical Expressions in the Opening Scene in Native SonChuken Shoho, Vol. 19, No. 3: 293-306.【ライト】【★出版】

Native Sonの冒頭部の表現における象徴と隠喩」「言語表現研究」第4号29-45頁。【ライト】【★出版】

1985年

「黒人研究の会会報編集後記」「黒人研究の会報」第22号10頁。【アフリカ/アフリカ系アメリカ】【★出版】

「リチャード・ライトとクワメ・エンクルマ-ブラック・パワーを中心に(口頭発表報告)」「黒人研究の会会報」22号6頁。【ライト/アフリカ/アフリカ系アメリカ】【★出版】

“Richard Wright Symposium”上記の英語訳。【ライト/翻訳】【★出版】

「リチャード・ライト国際シンポジウムから帰って(ミシシッピ州立大、11/21-23)」「黒人研究の会会報」第22号4頁。【ライト】【★出版】

「リチャード・ライトと『ブラック・パワー』」「黒人研究」第55号26-32頁【ライト/アフリカ】【★出版】

1984年

「リチャード・ライトと『ひでえ日だ』」「黒人研究」第54号、33-38頁。【ライト】【★出版】

“Some Onomatopoeic Expressions in ‘The Man Who Lived Underground’ by Richard Wright”Memoirs of the Osaka Institute of Technology, 1984, Series B, Vol. 29, No. 1: 1-14.【ライト】【★出版】

「Richard Wright, “The Man Who Lived Underground”の擬声語表現」「言語表現研究」第2号1-14頁。【ライト】【★出版】

1983年

「リチャード・ライトと『残酷な休日』」「黒人研究」第53号1-4頁。【ライト】【★出版】

1982年

“Richard Wright and His World”兵庫教育大学修士論文(兵庫教育大学付属図書館所蔵)【ライト】【★出版】

「リチャード・ライト作『地下にひそむ男』のテーマと視点」「黒人研究」第52号1-4頁。【ライト】【★出版】

1981年

「貧しさの ゆゑにぞ寒き 冬の風」兵庫県立東播磨高等学校第7期生文集「どんぐりの実」4頁。【随想】【刊行】

1978年

「露とくとく」 兵庫県立東播磨高校文芸部「黄昏」6号32-34頁。【随想】【刊行】

1976年

「生きゆけるかしら」 兵庫県立東播磨高校文芸部「黄昏」6号 32-34頁。【随想】【刊行】

続モンド通信・モンド通信

<「アングロ・サクソン侵略の系譜の一覧:37本、2022年3月終了

続モンド通信」<「モンド通信」(横浜:門土社)の続編>に連載

<2022年>

「アングロ・サクソン侵略の系譜37:2021年11月Zoomシンポジウム最終報告」続モンド通信40、2022年3月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜36:『ナイスピープル』と『最後の疫病』 」続モンド通信39、2022年2月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜35:アフリカとエイズ 」続モンド通信38、2022年1月20日)

<2021年>

「アングロ・サクソン侵略の系譜34:ケニアの歴史(4)モイ時代・キバキ時代 ・現連立政権時代」続モンド通信37、2021年12月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜33:ケニアの歴史(3)イギリス人の到来と独立・ケニヤッタ時代 」続モンド通信36、2021年11月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜32:ケニアの歴史(2 )ペルシャ人、アラビア人とポルトガル人の到来」続モンド通信35、2021年10月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜31:ケニアの歴史1』」続モンド通信34、2021年9月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜30:在外研究」続モンド通信33、2021年8月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜29:編註書And a Threefold Cord 」続モンド通信32、2021年7月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜28: :日本語訳『まして束ねし縄なれば』」続モンド通信31、2021年6月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜27: A Walk in the Night」続モンド通信30、2021年5月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜26:アレックス・ラ・グーマと『夜の彷徨』 」続モンド通信29、2021年4月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜25: 体制再構築時の『先進国』の狡猾な戦略:ガーナとコンゴの場合」続モンド通信28、2021年3月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜24: 2021年Zoomシンポジウム」続モンド通信27、2021年2月20日)

 「アングロ・サクソン侵略の系譜23:ケニアの歴史(1)植民地化以前」 続モンド通信26、2021年1月20日)

 

<2020年>

「アングロ・サクソン侵略の系譜22:アフリカ史再考④大陸に生きる(1)牧畜生活:ケニアのポコト人 」続モンド通信25、2020年12月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜21: アフリカ史再考③:ナイルの谷」続モンド通信24、2020年11月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜20:アフリカ史再考:②『アフリカシリーズ』」続モンド通信23、2020年10月20日)

 「アングロ・サクソン侵略の系譜19:アフリカ史再考:①アフリカ史再考のすすめ 」続モンド通信22、2020年9月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜18:アフリカ系アメリカの歴史 」続モンド通信21、2020年8月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜17: アフリカの歴史」続モンド通信20、2020年7月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜16: 科学研究費 1」続モンド通信19、2020年6月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜15: ゴンドワナ (12~19号)」続モンド通信18、2020年5月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜14::宮崎医科大学 」続モンド通信17、2020年4月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜 13:ゴンドワナ (3~11号)」続モンド通信16、2020年3月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜12:アングロ・サクソン侵略の系譜12: MLA(Modern Language Association of America)」続モンド通信15、2020年2月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜11:アレックス・ラ・グーマの伝記家セスゥル・A・エイブラハムズ」続モンド通信14、2020年1月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜10:大阪工業大学」続モンド通信13、2019年12月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜9:『言語表現研究』」続モンド通信11、2019年10月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜8:『黒人研究』」続モンド通信10、2019年9月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜7:修士、博士課程」続モンド通信9、2019年8月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜6:リチャード・ライトの世界」続モンド通信6、2019年5月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜5:ミシシッピ」続モンド通信5、2019年4月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜4:リチャード・ライト死後25周年シンポジウム」続モンド通信4、2019年3月13日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜3:『クロスセクション』」続モンド通信3、2019年2月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜2:着想と展開」続モンド通信2、2019年1月20日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜1:概要」続モンド通信1、2018年12月29日)

続モンド通信「『続モンド通信』について」(2018年12月29日)

続モンド通信・モンド通信

続モンド通信28(2021/3/20)

 

アングロ・サクソン侵略の系譜25:体制再構築時の狡猾な戦略―ガーナとコンゴの場合

第二次世界大戦直後に、それまでの植民地体制から新たな搾取構造を構築した際に取った「先進国」側の狡猾な戦略について絞って書きたいと思います。第1回Zoomシンポジウム↓で大雑把に紹介した内容の詳細です。→「Zoomシンポジウム2021:第二次世界大戦直後の体制の再構築」

クワメ・エンクルマ(小島けい画)

***

第1回Zoomシンポジウム「アングロ・サクソン侵略の系譜」―第二次世界大戦直後の体制の再構築

日時:(2021年2月20日(土)10:00~12:00発表:

発表者:

玉田吉行(多文化多言語教育研究センター特別教授):「体制再構築の第一歩―ガーナとコンゴの独立時」

寺尾智史(同センター准教授):「列強による分断の果てに――赤道ギニアのビオコ島、アンゴラ飛地のカビンダの現代史」

杉村佳彦(同センター講師):「マオリの都市化―戦後不況を乗り越えて得たもの―」

司会:中原愛(地域資源創成学部2年)

参加者:キム・ミル(地域資源創成学部2年)、得能万里奈(地域資源創成学部1年)、SILUMIN SENANAYAKE(工学部3年)、山田大雅(工学部1年)、國本怜奈(農学部1年)、金子瑠菜(防衛大医学部1年、杉井秀彰(工学部2年)、ルトフィア・ファジリン(宮大研究生)、ユ・ハンビッ(元宮大留学生)

***

① はじめに

この五百年ほど、アングロ・サクソン系を中心にした欧米諸国は、奴隷貿易による資本蓄積によって農業中心の社会から産業社会への「近代化」をはかり、奴隷制や植民地支配体制で暴利を貪り続けてきました。植民地争奪戦が余りにも苛烈で世界大戦の危機を感じて、宗主国はベルリンで会議を開きましたが、結局二度の世界大戦で殺し合いました。その結果、欧米諸国と日本の総体的な力は低下して、それまでの植民地支配による搾取構造を続けられなくなり、新しい形の搾取体制を再構築せざるを得なくなりました。自称「先進国」は自国の復興に追われますが、それまで抑えられていた「発展途上国」は欧米諸国に留学していた若き指導者を中心にそれまで無視され続けて来た権利を奪い返すために独立運動を展開し始めました。「発展途上国」の総体的な力が上がったわけではありませんでしたが、時の勢いとは恐ろしいもので、いわゆる祖国解放に向けての変革の嵐(The Wind of Change)が吹き荒れました。今回はガーナとコンゴでその時に取った「先進国」の狡猾な戦略に絞って書いて行きます。②ガーナの場合、③コンゴの場合、④アングロ・サクソン侵略の系譜の中で、の順に書いて行こうと思います。

取り上げるのはガーナとコンゴ、資料はクワメ・エンクルマとトーマス・カンザの著書とバズル・デヴィドスンの「アフリカシリーズ」です。ガーナの初代首相エンクルマは自伝『アフリカは統一する』(Kwame Nkurumah, Africa Must Unite, 1963)を、トーマス・カンザは『パトリス・ルムンバの盛衰』(Thomas Kanza, The Rise and Fall of Patrice Lumumba, 1978)を書き残しています。

「アフリカシリーズ」はアフリカを誰よりも総体的に眺められた英国人バズル・デヴィドスンの映像です。そこにはもちろん、二人の生き証人も登場しています。1983年にNHKで放送された45分8回シリーズの番組で、英国誌タイムズの元記者で後に多数の歴史書を書いたデヴィドスンが案内役で、日本語の吹き替えで放送されています。アーカイブにもなく、今となってはとても貴重な映像です。1980年代半ばに、先輩の小林さんの世話で大阪工業大学で非常勤講師をしている時に、英語の授業で使っていたLL教室でコピーさせてもらい、その後映像ファイルにして英語や教養の授業でも継続的に使ってきました。「アフリカシリーズ」については「続モンド通信」の連載の一つに書きました。「アングロ・サクソン侵略の系譜17:『 アフリカの歴史』」「続モンド通信20」2020年7月20日)

「アフリカシリーズ」

② ガーナの場合

それまで押さえつけられていたアジアやアフリカで独立に向けての胎動が始まったとき、宗主国はそれまでのようにその動きを押さえにかかりました。しかし得策ではないと見るや、押さえるのをやめ、独立過程を妨害して国を混乱させ、政敵を担いで軍事政権を樹立する戦略に切り変えました。予想以上に変革の嵐が激しかったのと、第二次世界大戦で疲弊した自国の復興に追われて植民地支配どころではなかったからです。混乱を引き起こし、これ見たことかと誹謗中傷し、アフリカ人に自治の能力はないと嘲りました。

ガーナは当時イギリス領ゴールド・コーストと呼ばれ「模範的な」植民地でしたから、欧米に留学経験のあるエンクルマなどの若き指導者に率いられる運動を押さえるために指導者を投獄して抑えにかかりましたが、時の勢いは抑えきれませんでした。そこで、戦略変えました。抑えきれないなら、独立の過程を可能な限り妨害したのち、「民主主義的な」選挙を経て独立を承認→独立後国内を混乱に陥らせたのち別の指導者を立ててクーデターを画策して軍事政権を樹立、傀儡を操作して国外から支配を継続する、という流れでした。のちに他の植民地でもほぼ同じような経過を辿っています。

1947年に故国に戻り、統一ゴールドコースト会議の書記として精力的に活動をしていたエンクルマが、大衆に促されてその職を辞して会議人民党 (Convention People’s Party) を指導して行くことを決意した時のことを次のように書き残しています。

「私を支持してくれる人びとのまえに立ちながら、ガーナのために、もし必要なら、私の生きた血をささげようと私は誓った。

これが黄金海岸の民族運動の進路を定める分岐点となったのだ。イギリス帝国主義のしいた間接統治の制度から、民衆の新たな政治覚醒へと ? 。このときから闘いは、反動的な知識人と首長、イギリス政府、「今すぐ自治を」のスロ一ガンをかかげた目ざめた大衆の三つどもえでおこなわれることになったのだった。」(エンクルマ著、野間寛二郎訳『わが祖国への自伝』筑摩書房、1967年(Kwame Nkrumah, The Autobiography of Kwame Nkrumah, 1957))

「アフリカシリーズ 第7回 湧き上がる独立運動」

会議人民党を率いるエンクルマは大衆の圧倒的な支持を得て、即時の自治を要求しました。当時エンクルマの右腕だったコモロ・べデマは当時の様子を次のように話しています。

「私たちは若く行動的で、演説も力強かった。もちろん、エンクルマの人柄も若い人をひきつけました。急進的で、確かに先輩たちより多くのものを求めました。即時自治も求めました。新憲法である程度の自治が認められましたが、私たちの要求は完全自治でした。」(「アフリカシリーズ 第7回 湧き上がる独立運動」)

エンクルマは当選し、1957年に初代首相になりました。しかし、政権に就き、首相官邸に入った初日からイギリスの悪意を思い知らされることになりました。当日のことを伝記に次のように記しています。

「遺産としてはきびしく、意気沮喪させるものであったが、それは、私と私の同僚が、もとのイギリス総督の官邸であったクリスチャンボルグ城に正式に移ったときに遭遇した象徴的な荒涼さに集約されているように思われた。室から室へと見まわった私たちは、全体の空虚さにおどろいた。とくべつの家具が一つあったほかは、わずか数日まえまで、人びとがここに住み、仕事をしていたことをしめすものは、まったく何一つなかった。ぼろ布一枚、本一冊も、発見できなかった。紙一枚も、なかった。ひじょうに長い年月、植民地行政の中心がここにあったことを思いおこさせるものは、ただ一つもなかった。

この完全な剥奪は、私たちの連続性をよこぎる一本の線のように思えた。私たちが支えを見い出すのを助ける、過去と現在のあいだのあらゆるきずなを断ち切る、という明確な意図があったかのようであった。」(野間寛二郎訳『アフリカは統一する』(理論社、1971年、Kwame Nkrumah, Africa Must Unite, 1963)

『アフリカは統一する』

イギリスの思惑通り、ベトナム戦争終結に向けて毛沢東と会談するために中国を訪れている時にクーデターが起き、結局エンクルマは生涯祖国に戻れませんでした。1972年にルーマニアで寂しく死んだと言われています。

「リチャード・ライトと『ブラック・パワー』」(「黒人研究」第55号、1985年)

③ コンゴの場合

パトリス・ルムンバ

コンゴの場合、ベルギーの取ったやり方は、もっと極端であからさまでした。1960年、ベルギー政府は政権をコンゴ人の手に引き継ぐのに、わずか6ヵ月足らずの準備期間しか置きませんでした。ベルギー人管理八千人は総引き上げ、行政の経験者もほとんどいませんでした。独立後一週間もせずに国内は大混乱、そこにベルギーが軍事介入、コンゴはたちまち大国の内政干渉の餌食となりました。大国は、鉱物資源の豊かなカタンガ州(現在のシャバ州)での経済利権を確保するために、国民の圧倒的な支持を受けて首相になったパトリス・ルムンバの排除に取りかかります。当時ルムンバ内閣で国連大使に任命されていたトーマス・カンザは当時の模様を次のように話をしています。(のちに『パトリス・ルムンバの盛衰』(Thomas Kanza, The Rise and Fall of Patrice Lumumba, 1978)でも詳しく書いています。)

「私は27歳で国連大使となりました。閣僚36人中大学を卒業した者は私を入れて僅かに3人でした。

大国がコンゴに経済的な利権を確立するためにはルムンバが邪魔でした。私は国連でコンゴ危機を予め肌で感じました。国連軍は主にアメリカやヨーロッパ諸国から資金を得ていますから国連軍介入も遅れ、コンゴはたちまち国際植民地と化してしまったのです。」バズル・デヴィドスン作「アフリカシリーズ 第7回 湧き上がる独立運動」(NHK、1983年)

危機を察知したルムンバは国連軍の出動を要請しましたが、アメリカの援助でクーデターを起こした政府軍のモブツ・セセ・セコ大佐に捕えられ、国連軍の見守るなか、利権目当てに外国が支援するカタンガ州に送られて、惨殺されてしまいました。このコンゴ動乱は国連の汚点と言われますが、国連はもともと新植民地支配を維持するために作られて組織ですから、当然の結果だったかも知れません。当時米国大統領アイゼンハワーは、CIA(中央情報局)にルムンバの暗殺命令を出したと言われます。

『パトリス・ルムンバの盛衰』

「コンゴの悲劇2 上 ベルギー領コンゴの『独立』」(1984年に「ごんどわな」25号に収載予定で送った原稿です。)→「医学生と新興感染症―1995年のエボラ出血熱騒動とコンゴをめぐって―」(「ESPの研究と実践」第5号、2006年)

④ アングロ・サクソン侵略の系譜の中で

2019年の後半からコロナ騒動の渦中にいる今、その騒動の実態を把握し、今後を予測するにはあまりにも大きすぎて途方にくれるばかりですが、歴史とはそういうもので、いつか全体像を把握できるときが来るのかも知れません。

今回科研費のテーマに選んだこの五百年ほどのアングロ・サクソン侵略の系譜も、元々あまりにも大き過ぎてまとめられるものではありませんが、それでも侵略された側が残した記録の中にその形跡を見つけ出すことは可能です。

人々の幸せな暮らしを夢見て大衆から圧倒的な支持を受けて初代首相になったエンクルマもルムンバも無残に排除されてしまいましたが、その人たちが、あるいはその人たちの周りの人たちが残した痕跡を、後の世の人たちが辿り、その中から何かを掘り起こすことは可能かもしれません。そういった意味では、エンクルマの『アフリカは統一する』も、トーマス・カンザの『パトリス・ルムンバの盛衰』も、バズル・デヴィドスンの「アフリカシリーズ」も後の世の人たちに伝えたかった魂の記録で、今回の作業はその中から何かを取り出す作業だったんだと思います。(宮崎大学教員)

バズル・デヴィドスン

2010年~の執筆物

アングロ・サクソン侵略の系譜18:「アフリカ系アメリカの歴史」

アフリカの歴史の次は、アフリカ系アメリカの歴史の拠り所についてです。リチャード・ライトの小説を興奮して読みながら、小説を理解するためにはアフリカ系アフリカ人が辿った歴史を辿るなかでその必要性を感じました。

「アングロ・サクソン侵略の系譜17: アフリカの歴史」続モンド通信20、2020年7月20日)

リチャード・ライト(小島けい画)

もちろん、アフリカ系アメリカの小説を理解するために始めたわけですから、本格的な歴史書、ハーバード大学でアフリカ系アメリカ人として初めて博士号を取ったCarter G. WoodsonのThe Negro in Our History (1922)ゼミの担当者貫名さんが十年かけて翻訳されたWilliam Z. FosterのThe Negro in An American History (1954)(『黒人の歴史―アメリカ史のなかのニグロ人民』、大月書店、1970年)シカゴ大学の歴史学者John Hope FranklinのFrom Slavery to FreedomA History of Negro Americans (1980)などを先ず読むべきだったのでしょうが、私が拠り所にしたのは、①ラングストン・ヒューズの“The Glory of Negro History”、 ②ライトの12 Million Black Voices、③マルコム・リトゥルのMalcolm X on Afro-American History④アレックス・ヘイリーのRootsと⑤それを基に作られたテレビ映画「ルーツ」、それと⑥本田創造さんの『アメリカ黒人の歴史』でした。

  • “The Glory of Negro History”

“The Glory of Negro History” (1964年)はラングストン・ヒューズ(Langston Hughes, 1902-1967)が物語った詩人の歴史です。アメリカにアフリカ人が連れて来られるようになった頃から公民権運動が始まる頃くらいまでの詩人から見た民衆の物語です。詩人らしく、自らが朗読してレコード(LP)も出しています。当時生存中の著名人にも演奏や朗読を依頼して花を添えている貴重な歴史資料でもあります。

文化として黒人が受け継いできたスピリチュアルズ、ブルース、ジャズなどを盛り込み、そのレコードをウッドスン博士に献じました。

ヒューズとも親交のあった古川博巳さんが註をつけて、南雲堂から出されていた大学用のテキストを5年ほど、映像などといっしょに教養の英語の時間に使い、ヒューズの朗読も教室でくり返して聴きました。民衆に寄り添った詩人の肉声は、後の世の人への素敵な贈り物だと実感しながら聴いていました。マルコム・リトゥルなどが痛烈に批判したNegroが表題に使われてはいますが、死ぬまでハーレムを去らなかった詩人らしく、民衆の中に根ざしたアフリカから連れて来られた人たちの子孫の「栄光」の歴史です。

  • 12 Million Black Voices

詩人の“The Glory of Negro History”と併せて、小説家リチャード・ライト(Richard Wright, 1908-1960)の12 Million Black Voices(『1200万の黒人の声』、1941)も拠り所となりました。『アメリカの息子』(Native Son, 1940)と自伝的スケッチ『ブラック・ボーイ』(Black Boy, 1945)の谷間にあって知名度は高くないのですが、なかなかの力作です。

少数の支配者層に搾取され、虐げられ続けてきた南部の小作農民と北部の都市労働者に焦点を絞り、エドウィン・ロスカム編の写真をふんだんに織り込んだ「ひとつの黒人民衆史」です。

「リチャード・ライトと『千二百万人の黒人の声』」(「黒人研究」第56号50-54頁、1986年)

  • Malcolm X on Afro-American History

Malcolm X on Afro-American History は、1981年にニューヨーク公立図書館のハーレム分館に行った帰りに立ち寄ったアフリカ系アメリカとアフリカの専門店リベレーションブックストアで見つけたもので、前回紹介したThe Struggle for Africaと共に貴重な拠り所になりました。

「アングロ・サクソン侵略の系譜3:『クロスセクション』」続モンド通信3、2019年2月20日)

公民権運動の指導者マルコムが4回シリーズで語ったアフリカ、アフリカ系アメリカの歴史で、4回目の途中に暗殺されましたので、未完のままです。白人支配の体制に闘いを挑む前に、先ず自己意識の変革の必要性を説き、アメリカ黒人の歴史についての話をしています。奴隷船でアフリカから連れて来られる以前に、アフリカにいかに豊かな文化があったか、いかに自分たちの祖先が優れた人々であったか、又、いかに巧妙な手段を使って白人たちが黒人に白人優位の考え方を植えつけてきたか、そして今、自分たちが何をしなければならないのかなどを語りました。「黒人歴史週間」やアメリカ黒人の呼び方「ニグロ」の欺瞞性も次のように厳しく批判してします。

なかでも、特に質の悪いごまかしは、白人が私たちにニグロという名前をつけて、ニグロと呼ぶことです。そして、私たちが自分のことをニグロと呼べば、結局はそのごまかしに自分が引っ掛かっていることになってしまうのです。……私たちは、科学的にみれば、白人によって産み出されました。誰かが自分のことをニグロと言っているのを聞く時はいつでも、その人は、西洋の文明の、いや西洋文明だけではなく、西洋の犯罪の産物なのです。西洋では、人からニグロと呼ばれたり、自らがニグロと呼んだりしていますが、ニグロ自体が反西洋文明を証明するのに使える有力な証拠なのです。ニグロと呼ばれる主な理由は、そう呼べば私たちの本当の正体が何なのかが分からなくなるからです。正体が何か分からない、どこから来たのか分からない、何があなたのものなのかが分からないからです。自分のことをニグロと呼ぶかぎり、あなた自身のものは何もない。言葉もあなたのものではありません。どんな言葉に対しても、もちろん英語に対しても何の権利も主張できないのです。[『マルコムX、アメリカ黒人の歴史を語る』 Malcolm X on Afro-American History (New York: Pathfinder, 1967), p. 15]

小島けい画

後に、自己意識の大切を説いた南アフリカのスティーブン・ビコなど、多くの人にも影響を与えた貴重な人物の一人だと思います。

・Rootsと⑤テレビ映画「ルーツ」

『ルーツ』(Roots, 1976)はアレックス・ヘイリー(Alex Haley, 1921~1992)が自分の祖先を七世代遡って小説にまとめたもので、翌年にはテレビ化され、各国で翻訳もされて世界的に反響を呼びました。

30周年記念DVD版の表紙

17歳だった1767年に奴隷狩りに遭い、アメリカ大陸に連れて来られた祖先クンタ・キンテの名前を、村の歴史を継承する語り部グリオ(griot)の口から聞くために、西アフリカガンビアの小さなジュフレ村を訪れています。

私はテレビ放送があった頃は見ていませんが、1980年代半ば頃に非常勤講師としてお世話になった大阪工業大学のLL(Language Laboratory)教室でダビングしてもらいました。孫テープの画質はよくないですが、今となっては貴重な資料です。2007年に30周年記念版のDVDは映像も鮮明ですが、一部(クンタ・キンテの誕生から、奴隷解放がテネシー州に落ち着くまで)だけで、それ以降の2部は含まれていません。どちらも、今は映像ファイルに化けて、英語の授業で大活躍です。

Roots, 1976

安岡章太郎訳日本語版上

安岡章太郎訳日本語版下

本田創造さんの『アメリカ黒人の歴史』(岩波新書、1964年)も拠り所の一つになりました。黒人研究の会の例会で一度だけ本田さんのお話を伺ったことがあります。大学で私のゼミの担当者だった貫名義隆さんが誘われたようで、当時は一橋大学の教授だったと思います。

黒人研究の会は貫名さんが1954年に神戸市外国語大学の同僚を中心に、中学や高校の教員や大学院生とともに始めた「黒人の生活と歴史及びそれらに関連する諸問題の研究と、その成果の発表を目的とする」(会報「黒人研究」第1巻第1号1956年10月)小さな研究会です。例会での『アメリカ黒人の歴史』の評判は上々でした。同じ頃出版された猿谷要さんの『アメリカ黒人解放史』(サイマル出版会、1968年)も研究会で話題にのぼりました。当時東京女子大教授で、NHKにも出演して有名だったようですが、本田さんの本とは対照的に、研究会での評判は散々だったと記憶しています。

「アングロ・サクソン侵略の系譜8:『黒人研究』」続モンド通信10、2019年9月20日)

1619年8月に植民地労働力としてアメリカ最初のアフリカ黒人が、1620年11月にイギリス軍艦をともなったオランダ船が、どちらもヴァージニアのジェームズタウンに来たことを指摘して書いた「アメリカ最初の代議制議会の誕生という民主主義的なもののはじまりと、アメリカ最初の黒人奴隷の輸入、すなわち生身の人間を動産とする黒人奴隷制度という非民主主義的なもののはじまりとが、同じ時に、同じ場所で、同じ人間によってなされたことのアメリカ史の皮肉である」という書き出しは印象的でした。

その後、奴隷制を基に発展していくアメリカを、南部戦争→再建期→反動→公民権運動を丁寧に辿り、わかり易く書かれています。1991年に改訂新版(新赤版)が出て、今も岩波新書「アメリカ黒人の歴史」は読み継がれているようです。

『アメリカ黒人の歴史』

アメリカの歴史に関しては、英文書Africa and its Descendantsの3章を軸に、4回に分けて書きました。↓

「アフリカ系アメリカ小史①奴隷貿易と奴隷制」「モンド通信 No. 67」(2014年3月10日)

「アフリカ系アメリカ小史②奴隷解放」「モンド通信 No. 68」(2014年4月10日)

「アフリカ系アメリカ小史③再建期、反動」「モンド通信 No. 69」(2014年5月10日)

「アフリカ系アメリカ小史④公民権運動」「モンド通信 No. 70」(2014年6月10日)

(宮崎大学教員)