アフリカ系アメリカ小史③再建期、反動

2020年2月25日2010年~の執筆物アフリカ系アメリカ

概要

前回は「アフリカとその末裔たち」(Africa and its Descendants 1)の3章「アメリカ黒人小史」(A Short History of Black Americans)の②で、南部の奴隷主と北部の産業資本家が奴隷の労働力を巡って起こした南北戦争の結果、法制上生み出された奴隷解放にについて書きました。

今回は北軍が占領政策を行なった再建期、と復活した南部の寡頭勢力による反動についてです。

本文

再建期、反動

詩人のラングストン・ヒューズが「黒人史の栄光」の中でこの時期について簡潔にまとめています。

(ラングストン・ヒューズ)

「南北戦争が終わり、リンカーンが死にました。奴隷解放と、歴史家が再建期と呼ぶ時代が始まっていました。暫くの間、自由はすばらしかった。南部の議会に黒人の議員が選ばれ、市や州にも黒人が勤め始めました。それから反動が始まりました。多くの州の自由な黒人から選挙権が奪われました。キュー・クラックス・クラン(KKK)が馬に乗って出没しました。鉄道に黒人席白人席に分けられた列車(ジムクロウ列車)が出来ました。黒人の協会や学校が焼かれました。ユダヤ系の白人が南部から追い出されました。何も解放されないまま、奴隷だった人たちは貧しく、いつもお腹を空かしていました・・・・」

エイブラハム・リンカーン

台頭する北部の産業資本家の期待を一身に受けて大統領になったリンカーンは希望に添うべく南部の寡頭勢力を押さえ込んで占領政策を推し進めました。その結果、元奴隷の人たちには「暫くの間、自由はすばらしく」、「南部の議会に黒人の議員が選ばれ、市や州にも黒人が勤め始め」る光景を目の当たりにしたわけです。連邦政府が憲法修正条項を追加して、合衆国で生まれた(または帰化した)すべての者に公民権を与えて「法の平等保護条項」(イコール・プロテクション)を保障したり(修正第14条)、アフリカ系アメリカ人(男性のみ)に投票権を与えたりした(修正第15条)からです。しかし、それもつかの間、占領政策は大きな成果を出せずに1877年に突如終了され、戦争でたたかれた南部の大農園主たちは巻き返しを始めました。金持ちは死なず、戦争くらいで奴隷貿易でしこたまため込んだ財産を手放さなかったというわけです。金持ちは狡猾で利益のためには手段を選びません。この人たちは人種差別を巧みに利用して搾取体制を復活させました。

ここで忘れてはいけないのは搾り取る側はいつもごく少数で、絞り取られる側は圧倒的に多数だということです。実は南部には運び込まれたアフリカ人以外にも搾り取られ続けて貧しい人たちがたくさんいたのです。いわゆる貧乏な白人、プアホワイトです。
本来元奴隷(sharecroppers、小作人)とプアホワイトが力を合わせて寡頭勢力に賃金の引き上げを求めるべきですが、農園主たちは元奴隷とプアホワイトの間にカラーラインを引きました。プアホワイトを少し優遇して元奴隷の賃金を据え置いたのです。人種差別は表向きの政策で、実態は人種を利用して賃金に格差をつけた、つまり最大限に利益を生む搾取構造を確保しようとしたわけです。

奴隷制度の下で奴隷を管理し、逃亡奴隷を捕まえ、調教していたのは安く雇われたプアホワイトと少し優遇された奴隷でしたが、その人たちは南北戦争後も警ら係として雇われ、法律上解放されて北に流れようとする元奴隷の移動を阻止する役目を担いました。プアホワイトは寡頭勢力と組んで白人優位を標榜する極右翼の組織キュー・クラックス・クラン(KKK)を作って、カラーラインを超えた黒人を白人種優位を隠れ蓑にリンチ(私刑)して黒人を与締め付けました。奴隷解放宣言が出ても、土地も金も食べ物もなく、北に行こうにも警ら係の恐怖に怯えて移動も出来ず。結局「何も解放されないまま、奴隷だった人たちは貧しく、いつもお腹を空かしていました」。

リンチの一場面(リチャード・ライト『1200万の黒人の声』より)

反動の最たるものは1986年の最高裁での「分離すれど平等」判決です。ジムクロウ列車で差別を受けた差別が「法の平等保護条項」(イコール・プロテクション)を保障した修正第14条に違反すると起こした裁判で、最高裁は州政府による「分離平等政策」(分離すれど平等)は、アメリカ合衆国憲法修正第14条に定める「平等保護条項」に反しない、という判決を出しました。この法律が覆るのは1954年で、それまでこの「分離すれど平等」主義がアメリカの標準的な主義として残りました。

前回も紹介したアレックス・ヘイリーの「ルーツ」や、アーネスト・ゲインズの「ミス・ジェーンピットマン/ある黒人の生涯 」(1974年、110歳の黒人女性ジェーン・ピットマンへのインタビューを通して、南北戦争から連綿と続く黒人差別の実情を回想形式で描く自伝的スケッチ)(http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=953)、裁判を取り上げたハーパー・リーの『アラバマ物語』(1962、人種偏見の根強いアラバマ州の町で無実の暴行事件で訴えられた実直な黒人トムの弁護をした弁護士フィンチと二人の子供たちの話、暮らしの手帖社から翻訳も出版されています。)などには、この時期の白人の巻き返しの場面が克明に描かれています。三冊とも映画になっています。(宮崎大学医学部教員)

画像

『アラバマ物語』語表紙)

アフリカ系アメリカ小史②では、「反動」(REACTION)について、英文で書きました。日本語訳もつけた全文は→ https://kojimakei.jp/tamada/works/africa/ZimHis9.docx(画面上に出てくるZimHis9.docxです。)アドレスをクリックすれば “A Short History of Black Americans” in Africa and Its Descendants「アメリカ黒人小史」:『アフリカとその末裔たち』(Mondo Books, 1995; 2009; Chapter 3) のワードファイルをダウンロード出来ます。

『アフリカとその末裔たち』

執筆年

  2014年5月10日

収録・公開

  →「アフリカ系アメリカ小史③」(No. 69  2014年5月10日)

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  「アフリカ系アメリカ小史③」