2010年~の執筆物

概要

エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の19回目で、「ニューアフリカン」:エイズの起源(2)アフリカ人の性のあり方についてです。

アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo. 47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

『ナイスピープル』(Nice People

本文

「ニューアフリカン」:エイズの起源(2)アフリカ人の性のあり方

雑誌「ニューアフリカン」

エイズの起源についての4回シリーズの2回目です。

前回の<18>→「『ナイスピープル』を理解するために―(18)『ニューアフリカン』:エイズの起源(1)アフリカ人にとっての起源の問題」「モンド通信 No. 38」、2011年10月10日)でも書きましたが、エイズのアフリカ起源説にこだわるのは、「アフリカ人が性にふしだらである」と思い込んでいる人たちです。欧米では主に男性同性愛者と麻薬常用者の間で、アフリカでは異性間で感染が拡大していましたし、アフリカでは欧米よりもかなりの速さで広がっていましたから、両者の流行の違いを説明するのに「アフリカ人は性にふしだら」が好都合だったのでしょう。つまり、「性にふしだらなアフリカ人」がコンドームもつけないで「過度なセックスをして」急激に感染を拡大した、アフリカでの爆発的なエイズ感染の拡大の責任はアフリカ人にある、というわけです。

アフリカの歴史を研究する米国人チャールズ・ゲシェクター(Charles Geshekter)は「ニューアフリカン」の1994年10月号の「エイズと、性的にアフリカ人がふしだらだという神話」(”Aids and the myth of African sexual promiscuity”)の中で、日本の学者塩川優一を「アフリカ人が性にふしだらであると思い込んでいる人たち」の典型として冒頭に取り上げています。
塩川優一は1994年8月に横浜で行われた第10回国際エイズ会議の組織委員長で、会議で「アフリカ人が性的欲望を抑制しさえすれば、アフリカのエイズの流行は抑えられます。」と発言しています。(東京帝国大学医学部卒、当時順天堂大学教授で厚生省お抱えの学者、厚生省エイズサーベイランス委員会委員長をつとめ、薬害エイズ事件では第1号患者の認定をめぐって批判された人物です。)(「(1)アフリカ人にとっての起源の問題」に書きましたが、ゲシェクターは主流派の言う「HIV/エイズ否認主義者」の一人で、1994年にエイズ会議を主催して主流派を学問的にやりこめました。ムベキの大統領諮問会議にも招聘され、「ニューアフリカン」でも執筆しています。しかし、政府も製薬会社も体制派もマスコミ(資金源は体制派)もこぞってその会議を黙殺しました。)

チャールズ・ゲシェクター

ゲシェクターは欧米のアフリカ人に対する偏見は別に目新しいものではなく、植民地時代の初期にヨーロッパの探検家が持ち帰り、自分たちの植民地政策を正当化するために思想家や知識人が協力して作り上げた神話であると指摘しています。日本でも、すでに1983年にNHKで、英国の歴史家バズゥル・デヴィソスンが編集したアフリカシリーズ(8回)の中でも紹介されています。イギリス人探険家リチャード・バートンが言った「黒人の研究は、未発達の精神の研究にほかならない。黒人は文明人に近づこうとしている野蛮人、というより文明人が退化したもののように見える。無知蒙曚、大人になり切れず堕落する、幼稚な人種に属しているらしい。」、探険家サミュエル・ベイカーが言った「アフリカの未開人の人間性は、非常に未熟で、まさに野獣同然、ただ貧欲で恩知らずで自分本位なだけだ。」、ドイツ人哲学者フリードリッヒ・ヘーゲルが言った「アフリカは幼児の土地である。自我の意識に照らしだされた、歴史のない、夜の闇に閉ざされた土地である。歴史とは無縁の土地なのである。」などです。「第1回、最初の光り、ナイルの谷」

アフリカシリーズ

植民地時代に探検家が持ち帰った神話としては「異常に大きな陰核のゆえに性的に飽くことを知らない黒人女性と性の饗宴にふける黒人男性の話」などが有名ですが、今回は、「猿の血を媚薬として切り傷に擦り込んだザイール人の話」、「潰瘍のある性器の苦情が広まっている話」、「売春婦からHIVをもらい、自分の妻にうつしているアフリカのトラックの運転手の都市伝説」など、範囲が広がり、新たに「割礼や一夫多妻制などのアフリカの伝統的な習慣が流行に拍車をかけている」という神話まで付け加えられました。市場拡大を目論む製薬会社にも、「開発」や「援助」の名目で利益を貪る多国籍企業や政府にも、貿易や投資で生活が潤う先進国の人にも、今も「神話」は不可欠なのでしょう。

ゲシェクターはいくつかの根拠をあげて「神話」に反論しています。

「過度の性行為」については「エイズ地帯のルワンダ、ウガンダ、ザイール、ケニア人々がカメルーン、コンゴ、チャドの人たちより性的に活動的だと証明した人もいないし、精力を計る基準の男性ホルモン(テストステロン)の値は世界中どこでもそう大差はないので、ある大陸や地域の男性が他の所の男性より過度に性行為にふけるということはないという概念を忘れてしまっている。」と科学者の一方的な主張を戒めています。

「アフリカ人が性にふしだらである」については、1991年のウガンダ北部モヨ地区の性行動の調査を引用して、性行動が西洋人と大して違わないと指摘しています。調査の結果は、女性の初体験は女性が平均17歳、男性が19歳、結婚前の性体験は女性で18%、男性で50%でした。

割礼については、女性の間でもっとも広く割礼が行われているソマリア、エチオピア、ジプチ、スーダンでエイズ患者が一番少ない事実を科学者が無視していると指摘し、そもそも公の場で性的な感情を表わすのが女性の「資質」を貶めると考える地域と、ボーイフレンド、ガールフレンドが当たり前の西洋を同じ基準で論じること自体がおかしいと述べています。

トラックの運転手についても、性的な行動面から見てアフリカ人の運転手はアメリカやヨーロッパの運転手と大差はなく、東アフリカのトラックの運転手だけを非難するのは片手落ちであると指摘しています。

エイズのアフリカ起源説については、アフリカ人と欧米人・日本人との捉え方が違うと書きましたが、現在の悲惨な状況を作り出した張本人の欧米や日本の人たちから「アフリカ人が性にふしだらである」とか「アフリカ人が性的欲望を抑制しさえすれば、アフリカのエイズの流行は抑えられす。」などと、根拠のない言いがかりをつけられているわけですから、欧米人や日本人がエイズ流行の責任をアフリカに押しつけようとしているとアフリカ人が憤りを感じるのも当然でしょう。

次回は「エイズの起源(3)「アフリカの霊長類がウィルスの起源」について書きたいと思います。(宮崎大学医学部教員)

出芽するHIV

執筆年

2011年11月10日

収録・公開

「モンド通信 No. 39」

ダウンロード・閲覧

→(作業中)

2010年~の執筆物

概要

エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の18回目で、アフリカ人にとってのエイズの起源についてです。

アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo. 47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

『ナイスピープル』(Nice People

本文

今回から4回に渡って、エイズの起源について書きたいと思います。正確にはヒト免疫不全ウィルス(HIV)の起源、エイズを引き起こすウィルスはどこから来たかと言う問題です。検査、統計、薬の毒性(副作用)、メディア、貧困などとともに、雑誌「ニューアフリカン」が取り上げて来た大きなテーマです。

雑誌「ニューアフリカン」

「先進国」の人たちはウィルスの起源はアフリカであるとさかんに話題にしますが、アフリカ人の見方は違います。最初にエイズ患者が出たのはアメリカなのに、アフリカが起源だというのはおかしい、まるで流行の責任がアフリカにあるかのように西洋社会がアフリカ人に責任を押し付けている、と考えます。

『その人たちはどう見ているのか?―アフリカのエイズ問題がどう伝えられ、どう捉えられて来たか―』(2005年)の著者で米国人医師レイモンド・ダウニングは、東アフリカの病院で働いていた1990年代の半ば頃に、同僚のアフリカ人からエイズの起源についての意見をよく聞かれたと述懐して次のように書いています。

「エイズの起源については私には議論の余地がある問題でしたが、エイズが現に存在し、私たち医者の仕事はエイズを防ぐために出来ることをし、そのために最善を尽すだけだと思っていました。しかし、いっしょに働いているアフリカ人たちには、それだけでは不十分で、誰もがおそらく『ニューアフリカン』を読んだこともない田舎の人たちでしたが、私が本当にアフリカがエイズの起源だと考えているかどうかを知りたがりました。私には実際わかりませんでしたし、本当に気にもしていませんでしたが、エイズについてのアフリカ人の本当の声が聞ける重要な手掛かりの一つを教えてもらっているとはその時は気づいていませんでした。」

ダウニング著『その人たちはどう見ているのか?』

現在、北海道足寄の我妻病院に勤務している服部晃好医師も、1990年代半ばに海外青年協力隊員としてタンザニアキゴマの中学校で理科の教師をしていた時に、同僚から同じ話を聞いています。

早くから「ニューアフリカン」は「アフリカ人の性のあり方」、「アフリカの猿の仲間がウィルスの起源」、「米国産の人工生物兵器としてのウィルス」という3点から見て、エイズの起源の問題が重要だと考えて関連する記事を数多く掲載し、欧米や日本などの「先進国」で広く信じられている通説への反論を展開し、大きな問題提起を繰り返して来ました。欧米では主に男性同性愛者と麻薬常用者が感染していたのに対して、アフリカでは異性間の性交渉で感染が広がっていた点と、アフリカでは欧米よりもかなりの速さで感染が拡大していた点で、エイズの流行の仕方が大きく違っていることが90年代の半ば頃までに明らかになっていました。その違いを説明しようとしたのは主に「アフリカ人が性にふしだらであると思い込んでいる人たち」で、アフリカの歴史を研究する米国人チャールズ・ゲシェクター(Charles Geshekter)はその思い込みと対峙して、「ニューアフリカン」の1994年10月号に「エイズと、性的にアフリカ人がふしだらだという神話」(”Aids and the myth of African sexual promiscuity”)を出しました。その中でゲシェクターは「アフリカ人が特に性にふしだらだとする充分な証拠はない。そうであれば結果的に考えられるのは、

(1)エイズは世界で報じられているほどアフリカでは流行していないか、
(2)エイズ流行の原因が他にあるかだ」

と指摘しています。

チャールズ・ゲシェクター

ゲシェクターは主流派が「HIV/エイズ否認主義者」と呼ぶ人たちの一人で、1994年にエイズ会議を主催して主流派を学問的にやりこめました。(ゲシェクターは後にムベキのエイズ諮問員会にも招聘され、「ニューアフリカン」にも記事が掲載されています。)しかし、政府も製薬会社も体制派もマスコミ(恐らく資金源は体制派)もこぞってその会議を黙殺しました。(日本政府の推進する原子力エネルギーの危険性を指摘した人たちが冷遇され、「安全神話」で政策を擁護する「原子力村」が優遇された構図とよく似ています。)

ゲシェクターが「(1)エイズは世界で報じられているほどアフリカでは流行していない」と考えたのは、公表されている患者数の元データが極めて不確かだったからです。エイズ検査が実施される以前は、医者が患者の咳や下痢や体重減などの症状を見て診断を出していましたが、咳や下痢や体重減などは肺炎などよくある他の疾病にも見られる一般症状で、かなりの数の違う病気の患者が公表された患者数に紛れ込んでいる確率が高かったわけです。検査が導入された後も、マラリアや妊娠などの影響で擬陽性の結果がかなり多く見受けられ、検査そのものの信ぴょう性が非常に低いものでした。
(1994年の『感染症ジャーナル』の症例研究では、『結核やマラリアやハンセン病などの病原菌が広く行き渡っている中央アフリカではHIV検査は有効ではなく70パーセントの擬陽性が報告されている』という結論が出されています。)つまり、公表されている患者数の元データそのものが極めて怪しいので、実際には世界で報じられているほどエイズは流行していない可能性が高いとゲシェクターは判断したのです。2000年前後に「30%以上の感染率で、近い将来国そのものが崩壊するかも知れない」という類の記事が新聞や雑誌にたくさん掲載されましたが、潜伏期間の長さを考慮に入れても、十年以上経った今、エイズで崩壊した国も、崩壊しようとしている国もありませんから、報道そのものの元データが不正確だったと言わざるを得ないでしょう。(検査と統計については4回シリーズのあとで詳しく書く予定です。)

「(2)エイズ流行の原因が他にある」とゲシェクターが考えたのは、アフリカ人がエイズの危機に瀕しているのは異性間の性交渉や過度の性行動のせいではなく、アフリカ諸国に低開発を強いている政治がらみの経済のせいで、多くのアフリカ人が都市部の過密化、短期契約労働制、生活環境や自然環境の悪化、過激な民族紛争などで苦しみ、水や電力の供給に支障が出ればコレラの大発生などの危険性が高まる多くのアフリカ諸国の現状を考えれば、貧困がエイズ関連の病気を誘発している最大の原因であると言わざるを得ないからです。それは後にムベキが主張し続けた内容と同じす。
(ムベキの主張した内容については、<11>→「『ナイスピープル』を理解するために―(11)エイズと南アフリカ―2000年のダーバン会議」「モンド通信 No. 19」、2010年2月10日)、「タボ・ムベキの伝えたもの:エイズ問題の包括的な捉え方」(「ESPの研究と実践」第9号30-39ペイジ、2010年)で詳しく書きました。)

タボ・ムベキ

次回は「エイズの起源(2):アフリカ人の性のあり方」について書きたいと思います。(宮崎大学医学部教員)

執筆年

  2011年10月10日

収録・公開

  →「『ナイスピープル』理解18:『ニューアフリカン』:エイズの起源1 アフリカ人にとっての起源の問題」(「モンド通信 No. 38」)

ダウンロード・閲覧

  →(作業中)

2010年~の執筆物

概要

エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の17回目です。アフリカ人の声が聞ける雑誌『ニューアフリカン』についてです。

アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo. 47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

『ナイスピープル』(Nice People

本文

「ニューアフリカン」

今回から雑誌「ニューアフリカン」について書きたいと思います。

「ニューアフリカン」はロンドン拠点の英語による月刊誌です。<7>→「『ナイスピープル』を理解するために―(7)アフリカのエイズ問題を捉えるには」「モンド通信 No. 15」、2009年10月10日)などでも繰り返し紹介した米国人医師ダウニングさんの『その人たちはどう見ているのか?―アフリカのエイズ問題がどう伝えられ、どう捉えられて来たか―』(2005年出版)の中では購読者は3万2千人と紹介されていますが、アフリカ大陸で広く読まれている雑誌です。2005年の夏からはウェブでも配信されているようで、ウェブサイトNEW AFRICAN「毎月、二十二万人がアフリカ大陸での最新の情報を逃さないように『ニューアフリカン』を購読している。1966年創刊の英語によるこの月刊誌は、アフリカ人の見方を国際ニュースに提供しており、官僚やビジネスマン、医師や弁護士などや、アフリカに関心のある人たちには大切な雑誌である。」という解説が載せられています。

アフリカ大陸では広く読まれているとは言っても、日本では、特に地方では、アメリカの雑誌「タイム」や「ニューズウィーク」のようにはいきません。雑誌のバックナンバーの一部はウェブNEW AFRICANでも読めますし、定期購読している図書館から過去の記事の複写を取り寄せるのも難しくはありませんが、今回ダウニングさんの本で紹介された記事、特に九十年代の記事を探すのに、大阪吹田の万博会場跡にある国立民族学博物館まで足を運ばなければなりませんでした。(民族学博物館にある図書室は、毎回入室の予約も必要ですし、建物も入館手続きも何となくものものしくて、行くのにやっぱり少し気が引けます。インターネットでバックナンバーの一部が手に入りますので比較的手に入れやすい資料ではありますが、それでも日本では、特に今私が住んでいる宮崎のような地方では、「資料を探すだけでも大変な」の部類にはいります。)

編集長はバッフォー・アンコマー(Baffour Ankomah、発音には自信がありません。)です。永年英国に住むガーナ出身のパンアフリカニストで、「中立を保つために」英国籍を取得したとWikipediaに紹介されています。

バッフォ・アンコマー

1999年に英国人アラン・レイク(Alan Rake、この人も発音には自信がありません。)に代わって編集長になり、現在も編集長を務めているようです。同じ年にタボ・ムベキが大統領になっています。ダウニングさんによれば、ムベキと歩調を合わせたように、アンコマーは「ニューアフリカン」の傾向を大きく変えたようです。エイズに関する記事が大幅に増え、それも四分の三がアフリカ人による執筆で、大抵はムベキに言及しています。扱うテーマも、それまでの統計やエイズ検査の不正確さに加えて、抗HIV製剤やその製剤の副作用についてや、ムベキのメディアでの取り上げられ方や、アフリカのエイズ問題の底流となる貧困についてなど、幅が広がりました。2003年に国際連合エイズ合同計画(Joint United Nations Programme on HIV and AIDS、UNAIDS)の長ピーター・ピオット(Peter Piot)の政策演説(西洋の主流の伝統的な見方の演説)を載せる頃には、どのような演説を雑誌に載せるかについてのしっかりとしたアフリカ人的な展望を確立させていたようです。

ピーター・ピオット

それは<11>→「『ナイスピープル』を理解するために―(11)エイズと南アフリカ―2000年のダーバン会議」「モンド通信 No. 19」、2010年2月10日)でも書いたように、ダーバン会議でムベキが西洋中心の社会に向けて改めて発信した内容や方向性と重なります。

その後の十年ほどの間に出された記事は、

①エイズの起源、②統計の正確さ、③検査の正確さ、④製剤の毒性(副作用)、⑤メディア、⑥貧困

についてです。それは生物医学的な考え方を基にした西洋の見方とは範疇が異なります。

「ウィルスの起源はアフリカだというのが西洋の主流だが、エイズ患者が最初に出たのはアメリカで、アフリカ人はその主張によって西洋社会から責められているように感じる」というような、誰がみても自然なアフリカ人の素朴な問いかけです。それは、「南アフリカにおいてはエイズの原因を単にHIVだと捉えるのではなくて、食べ物や住まいなどの社会環境も含むもっと総合的な立場からとらえないと、本当の解決策は見つからない」と言うムベキの主張と、基本的には同じです。

タボ・ムベキ

世界のエイズによる犠牲者の3分の2がアフリカ大陸の人たちだと言われています。第二次世界大戦後再構築した搾取機構では、開発や援助の名の下に、多国籍企業による投資や貿易で「先進国」は第三世界から莫大な利益を得続けていますが、このままエイズによる犠牲者が増え続ければ搾取するはずの安価な労働力の確保は難しくなります。(たとえば、南部アフリカでウランを掘るアフリカ人労働者の確保が難しくなれば、原子力エネルギーの確保はたちまち難しくなり、地震による被害の影響とは別に、基本的に国のエネルギー政策の見直しを迫られます。)

資本主義社会では、資本をたくさん持った方がマスメディアも支配し、大きな声で一方的に自分たちの主張を押しつけがちになります。世紀の変わり目当たりに西洋のメディアが盛んに報じた「エイズによってアフリカ大陸そのものが滅びる」といった一方的な論調はもうこの辺でやめ、アフリカ人がエイズをどう考えているのかに素直に耳を傾ける必要があります。当事者のアフリカ人から教えてもらうがやっぱり筋でしょう。(過去の経緯を考えれば、希望は、とても持てないと思いますが・・・・。)

次回は①エイズの起源についてのアフリカ人の主張に耳を傾けたいと思います。(宮崎大学医学部教員)

HIV構造式

執筆年

  2011年6月10日

収録・公開

  →「『ナイスピープル』理解17:雑誌『ニューアフリカン』」(「モンド通信 No. 34」

ダウンロード・閲覧

  →(作業中)

2010年~の執筆物

概要

エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の16回目です。アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo. 47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

『ナイスピープル』(Nice People

本文

メディアと雑誌「ニューアフリカン」

今回はメディアと雑誌「ニューアフリカン」について書きたいと思います。

大抵の知識や情報は、本や新聞や雑誌、テレビやインターネットなどから得ています。その情報を最終的には自分が判断するにしても、利益が最優先される資本主義社会では、無意識にすり込まれている場合もあります。しかも、マスメディアがたれ流す情報は一方的ですので、アフリカやエイズについては、とりわけその傾向が強いと思います。

4月17日の朝日新聞の書評欄の本を例に考えてみましょう。
『エイズを弄ぶ人々―疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇』という翻訳本(野中香方子訳、化学同人、23100円)です。「史上最悪の疑似科学である『HIV/エイズ否認主義』ほど多くの犠牲者を出したものは他にない」と考える著者セス・C・カリッチマンは、その例としてムベキを以下のように取りあげています。

「例えば南アフリカでは、ムベキ大統領が否認主義者の主張を真に受けてエイズ対策を誤り、260万人以上が犠牲者になったという。その政策の助言者の一人が、アメリカのがん遺伝子研究の権威、ピーター・デューズバーグであった事実には驚かされる。」

著者の肩書きは「米国・コネクティカット大学教授。心理学者」、ごたぶんに洩れず、マスメディアの情報を鵜呑みにして、得意げにムベキを非難していますが、一方的なマスメディアの主張と事実は明らかに違います。ムベキはデューズバーグを会議に招待しましたが、その主張を真に受けてはいませんし、百歩譲って、仮にムベキがエイズ対策を誤り、260万人以上が犠牲者になったのが事実だとしても、否認主義者の主張を真に受けたからではありません。

そもそも、ムベキがエイズ対策を誤ったと誰が非難できるでしょうか。前回の<15>→「『ナイスピープル』を理解するために―(15)エイズと南アフリカ─ムベキの育った時代(4) アパルトヘイト政権の崩壊とその後」「モンド通信 No. 32」、2011年4月10日)でも書きましたが、全面戦争になればアパルトヘイト政権に群がっている諸国の利益が殺がれるので現存の搾取構造を温存して(多数のアフリカ人の賃金は据え置きにして)政権だけアフリカ人に譲る、そんな取り決めのもとに任された政権で、主だった産業や財政を押さえられてたまま予算も自由に使えずに、一体何が出来ると言うのでしょうか。

タボ・ムベキ

それでもマンデラもムベキも、誠実に出来る限りのことをよくやったと思います。1994年のマンデラ政権でムベキは、白人との駆け引きも含め様々な問題で手一杯のマンデラに代わり、大統領代行としてエイズ問題を一手に引き受けました。その取り組みの一環として、当時の南アフリカのエイズの状況が「国家的な危機や特に緊急な場合」だと判断して、1997年にHIV感染者が新薬の恩恵を受け易いように、薬の安価な供給を保証するために「コンパルソリー・ライセンス」法を制定しました。急増するHIV感染者の実態を見れば、根本的な治療薬ではないにしてもHIVを持ったまま生活が出来る抗HIV製剤があれば、誰でも使おうと思うでしょう。しかし世界貿易機関の取り決めで特許料を払うとすれば手も足も出ません。(NHKスペシャル「アフリカ21世紀 隔離された人々 引き裂かれた大地~南ア・ジンバブエ」(2002年2月20日)では、「その年の末に、南アフリカは欧米の製薬会社と交渉して10分の1の価格で輸入出来るようにはなりましたが、薬の費用を政府が負担する国立病院では、感染者があまりにも多すぎて薬代を政府が賄うことが出来なかったからです。感染者すべてに薬を配るとすれば、年間6000億円が必要で、国家予算の3分の1を当てなければなりませんでした。」と報告されています。)

抗HIV製剤

ならば世界貿易機関の貿易関連知的財産権協定自体が、国家的な危機や特に緊急な場合に認めているコンパルソリー・ライセンスを制定して薬を供給しよう、とムベキが考えたのはむしろ当然でしょう。

しかし、米国の副大統領ゴアは南アフリカのエイズの状況が「国家的な危機や特に緊急な場合」にあたらないと主張し、「南アフリカ大統領タボ・ムベキとともに、米国―南アフリカ二国間委員会の共同議長としての役割を利用して」、「悲惨な疫病に直面して絶望的な状況にある国民に薬を手に入れると誓って約束した一つの統治国家に対して無理強いを繰り返したのです。」[英国の科学誌「ネイチャー」(1999年7月1日)]「『ナイスピープル』を理解するために―(8)南アフリカとエイズ」「モンド通信 No. 16」、2009年11月10日))、『ナイスピープル』を理解するために―(9)エイズ治療薬と南アフリカ(1)」「モンド通信 No. 17」、2009年12月10日)、「医学生とエイズ:南アフリカとエイズ治療薬」(「ESPの研究と実践」第4号61-69頁、2005年)で詳しく書きました。

当時ゴアと行動を共にした米保健福祉省長官(1993~2001)のドナ・シャレーラは、「ムベキはエイズを否定すると言うよりむしろこれを陰謀と捉えていたと思います。アフリカ人特有の考え方ですね。当時ゴア副大統領といっしょにエイズ問題に取り組むように説得しましたが、形式的な返事が返って来ただけでした。こちらの話に礼儀正しく耳を傾けてからこう言ったんです。『やるべきことは分かっています。どうもありがとう。』」(2006年NHKBSドキュメンタリー「エイズの時代(3)カクテル療法の登場」)と言っていますが、法律を撤回しないと二国間援助を打ち切るぞと脅しておきながら、「ゴア副大統領といっしょにエイズ問題に取り組むように説得しました。」とよくもまあぬけぬけと言えたものだと思います。そもそも貿易で莫大な利益をアパルトヘイト政権と分かち合って南アフリカの多数のアフリカ人を苦しめてきたアメリカの中枢にいながら、しかも、その間、マンデラは獄中に閉じ込められ、ムベキは亡命を強いられていたわけですから、何とも恥知らずな人たちよ、と思わないではいられません。

圧倒的な財力にまかせてマスメディアを駆使して一方的に大きな声を張り上げ続けるわけですから、ムベキも「礼儀正しく耳を傾けて」「やるべきことは分かっています。どうもありがとう。」と「形式的な返事」をするしかなかったんだと思います。

圧倒的な声の前にアフリカ人は沈黙を守るしか術がありませんが、『その人たちはどう見ているのか?―アフリカのエイズ問題がどう伝えられ、どう捉えられて来たか―』(2005年出版)の著者であるアメリカ人医師レイモンド・ダウニングさんが指摘するように「この沈黙は上からの押しつけで、沈黙の下には、無数の小さな屈辱と大きくて修復しがたい屈辱から生まれた封じ込められた怒りが籠もっている」のです。

エイズは人間が持っている、外敵から自分の体を守る免疫機構がやられる病気です。前ザンビアの大統領カウンダが言ったように、もしアフリカ人が西洋諸国並みの水準で生活出来るなら、「たとえ病気になっても、もっと強くなれる・・・」(→「『ナイスピープル』を理解するために―(7)アフリカのエイズ問題を捉えるには」「モンド通信 No. 15」、2009年10月10日))と思います。しかし、南アフリカに住む大半の人たちは、アパルトヘイト政権時代と変わらず、スラムにひしめきながら低い水準で生活することを強いられているのです。そして、その安価な労働者を生む体制をオランダとイギリスの入植者が作り上げ、第二次世界大戦後も、アメリカと西ドイツと日本が加わって、体制維持をはかって来たのです。南アフリカで260万人以上が犠牲者になったのはムベキが対策を誤ったからではなく、著者のセス・C・カリッチマンが住むアメリカや私たちが住む日本が、アフリカ人に犠牲を強いて来た結果に他なりません。

前ザンビア大統領カウンダ

朝日新聞が信頼した書評委員がこの本を選んで推奨しているわけですが、事実を誤認したという認識もないままこの本を薦めていると言わざるを得ません。

今、津波と地震と放射能で日本は大変な事態になっていますが、同じような構図が透けて見えます。マスメディアも国民も変革を期待して自分たちが選んだ現政権を非難しますが、原子力エネルギーを推進して来たのは、自民党とその党と手を組んで利益を得てきた政財界です。国の繁栄のためにと、放射能を出す核燃料の処理も不完全なまま危険を覚悟で経済効率を優先させ、政治家は鉄鋼業界や電機メーカー、都県業界や電気産業などに巨利を生む仕事の世話をし、その人たちは選挙で与党に協力して仕事の受注の便宜をはかってもらう、国民は安価な電力のおかげで快適な生活を享受し、選挙では与党を支持し続ける、そんな構図が長年続いてきました。

しかし、原子力が安価な電力を供給できるのは、安価なウランを南アフリカやナミビアから購入できるからで、その前提は、食うや食わずの賃金で鉱山で働かされる無尽蔵のアフリカ人労働者がいることです。

自民党にいた石原慎太郎は今回の震災は天罰で日本人は我欲を捨てて生活を見直した方がいいという趣旨の発言をしたそうですが、石原慎太郎には言われたくない、と思います。ウランを購入する南アフリカのアパルトヘイト政権と、日本の政財界を繋ぐ南ア議員連盟で、得意げに旗振り役をしていた人ですから。その人を四度も都知事に選ぶ日本人が、何とも恥ずかしいです。

メディアの大半は経済大国がおさえていますから、アフリカ人の声はほとんど聞こえて来ません。何より問題なのは、大半がアフリカ人の声を聞こうともしない、その無関心だと思います。しかし、ウランを例に取っても、もし西洋のメディアが喧伝するようにHIV感染者が激増して死者が増え続ければ、今のようにウランが安価では入手出来なくなり、基本的に現在の体制を見直さざるをえません。本当は、自分たちのためにも、アフリカ人の声に耳を傾けるべきです。

次回は、手始めに、ムベキの発言を非難した欧米のメディアとは違ってムベキを支持した雑誌「ニューアフリカン」を取り上げたいと思います。(宮崎大学医学部教員)

「ニューアフリカン」

執筆年

2011年5月10日

収録・公開

「モンド通信 No. 33」

ダウンロード・閲覧

『ナイスピープル』を理解するために―(15)エイズと南アフリカ─ムベキの育った時代(4) アパルトヘイト政権の崩壊とその後