『ナイスピープル』理解16:メディアと雑誌「ニューアフリカン」

2020年3月3日2010年~の執筆物アフリカ,ケニア,医療

概要

エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の16回目です。アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo. 47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

『ナイスピープル』(Nice People

本文

メディアと雑誌「ニューアフリカン」

今回はメディアと雑誌「ニューアフリカン」について書きたいと思います。

大抵の知識や情報は、本や新聞や雑誌、テレビやインターネットなどから得ています。その情報を最終的には自分が判断するにしても、利益が最優先される資本主義社会では、無意識にすり込まれている場合もあります。しかも、マスメディアがたれ流す情報は一方的ですので、アフリカやエイズについては、とりわけその傾向が強いと思います。

4月17日の朝日新聞の書評欄の本を例に考えてみましょう。
『エイズを弄ぶ人々―疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇』という翻訳本(野中香方子訳、化学同人、23100円)です。「史上最悪の疑似科学である『HIV/エイズ否認主義』ほど多くの犠牲者を出したものは他にない」と考える著者セス・C・カリッチマンは、その例としてムベキを以下のように取りあげています。

「例えば南アフリカでは、ムベキ大統領が否認主義者の主張を真に受けてエイズ対策を誤り、260万人以上が犠牲者になったという。その政策の助言者の一人が、アメリカのがん遺伝子研究の権威、ピーター・デューズバーグであった事実には驚かされる。」

著者の肩書きは「米国・コネクティカット大学教授。心理学者」、ごたぶんに洩れず、マスメディアの情報を鵜呑みにして、得意げにムベキを非難していますが、一方的なマスメディアの主張と事実は明らかに違います。ムベキはデューズバーグを会議に招待しましたが、その主張を真に受けてはいませんし、百歩譲って、仮にムベキがエイズ対策を誤り、260万人以上が犠牲者になったのが事実だとしても、否認主義者の主張を真に受けたからではありません。

そもそも、ムベキがエイズ対策を誤ったと誰が非難できるでしょうか。前回の<15>→「『ナイスピープル』を理解するために―(15)エイズと南アフリカ─ムベキの育った時代(4) アパルトヘイト政権の崩壊とその後」「モンド通信 No. 32」、2011年4月10日)でも書きましたが、全面戦争になればアパルトヘイト政権に群がっている諸国の利益が殺がれるので現存の搾取構造を温存して(多数のアフリカ人の賃金は据え置きにして)政権だけアフリカ人に譲る、そんな取り決めのもとに任された政権で、主だった産業や財政を押さえられてたまま予算も自由に使えずに、一体何が出来ると言うのでしょうか。

タボ・ムベキ

それでもマンデラもムベキも、誠実に出来る限りのことをよくやったと思います。1994年のマンデラ政権でムベキは、白人との駆け引きも含め様々な問題で手一杯のマンデラに代わり、大統領代行としてエイズ問題を一手に引き受けました。その取り組みの一環として、当時の南アフリカのエイズの状況が「国家的な危機や特に緊急な場合」だと判断して、1997年にHIV感染者が新薬の恩恵を受け易いように、薬の安価な供給を保証するために「コンパルソリー・ライセンス」法を制定しました。急増するHIV感染者の実態を見れば、根本的な治療薬ではないにしてもHIVを持ったまま生活が出来る抗HIV製剤があれば、誰でも使おうと思うでしょう。しかし世界貿易機関の取り決めで特許料を払うとすれば手も足も出ません。(NHKスペシャル「アフリカ21世紀 隔離された人々 引き裂かれた大地~南ア・ジンバブエ」(2002年2月20日)では、「その年の末に、南アフリカは欧米の製薬会社と交渉して10分の1の価格で輸入出来るようにはなりましたが、薬の費用を政府が負担する国立病院では、感染者があまりにも多すぎて薬代を政府が賄うことが出来なかったからです。感染者すべてに薬を配るとすれば、年間6000億円が必要で、国家予算の3分の1を当てなければなりませんでした。」と報告されています。)

抗HIV製剤

ならば世界貿易機関の貿易関連知的財産権協定自体が、国家的な危機や特に緊急な場合に認めているコンパルソリー・ライセンスを制定して薬を供給しよう、とムベキが考えたのはむしろ当然でしょう。

しかし、米国の副大統領ゴアは南アフリカのエイズの状況が「国家的な危機や特に緊急な場合」にあたらないと主張し、「南アフリカ大統領タボ・ムベキとともに、米国―南アフリカ二国間委員会の共同議長としての役割を利用して」、「悲惨な疫病に直面して絶望的な状況にある国民に薬を手に入れると誓って約束した一つの統治国家に対して無理強いを繰り返したのです。」[英国の科学誌「ネイチャー」(1999年7月1日)]「『ナイスピープル』を理解するために―(8)南アフリカとエイズ」「モンド通信 No. 16」、2009年11月10日))、『ナイスピープル』を理解するために―(9)エイズ治療薬と南アフリカ(1)」「モンド通信 No. 17」、2009年12月10日)、「医学生とエイズ:南アフリカとエイズ治療薬」(「ESPの研究と実践」第4号61-69頁、2005年)で詳しく書きました。

当時ゴアと行動を共にした米保健福祉省長官(1993~2001)のドナ・シャレーラは、「ムベキはエイズを否定すると言うよりむしろこれを陰謀と捉えていたと思います。アフリカ人特有の考え方ですね。当時ゴア副大統領といっしょにエイズ問題に取り組むように説得しましたが、形式的な返事が返って来ただけでした。こちらの話に礼儀正しく耳を傾けてからこう言ったんです。『やるべきことは分かっています。どうもありがとう。』」(2006年NHKBSドキュメンタリー「エイズの時代(3)カクテル療法の登場」)と言っていますが、法律を撤回しないと二国間援助を打ち切るぞと脅しておきながら、「ゴア副大統領といっしょにエイズ問題に取り組むように説得しました。」とよくもまあぬけぬけと言えたものだと思います。そもそも貿易で莫大な利益をアパルトヘイト政権と分かち合って南アフリカの多数のアフリカ人を苦しめてきたアメリカの中枢にいながら、しかも、その間、マンデラは獄中に閉じ込められ、ムベキは亡命を強いられていたわけですから、何とも恥知らずな人たちよ、と思わないではいられません。

圧倒的な財力にまかせてマスメディアを駆使して一方的に大きな声を張り上げ続けるわけですから、ムベキも「礼儀正しく耳を傾けて」「やるべきことは分かっています。どうもありがとう。」と「形式的な返事」をするしかなかったんだと思います。

圧倒的な声の前にアフリカ人は沈黙を守るしか術がありませんが、『その人たちはどう見ているのか?―アフリカのエイズ問題がどう伝えられ、どう捉えられて来たか―』(2005年出版)の著者であるアメリカ人医師レイモンド・ダウニングさんが指摘するように「この沈黙は上からの押しつけで、沈黙の下には、無数の小さな屈辱と大きくて修復しがたい屈辱から生まれた封じ込められた怒りが籠もっている」のです。

エイズは人間が持っている、外敵から自分の体を守る免疫機構がやられる病気です。前ザンビアの大統領カウンダが言ったように、もしアフリカ人が西洋諸国並みの水準で生活出来るなら、「たとえ病気になっても、もっと強くなれる・・・」(→「『ナイスピープル』を理解するために―(7)アフリカのエイズ問題を捉えるには」「モンド通信 No. 15」、2009年10月10日))と思います。しかし、南アフリカに住む大半の人たちは、アパルトヘイト政権時代と変わらず、スラムにひしめきながら低い水準で生活することを強いられているのです。そして、その安価な労働者を生む体制をオランダとイギリスの入植者が作り上げ、第二次世界大戦後も、アメリカと西ドイツと日本が加わって、体制維持をはかって来たのです。南アフリカで260万人以上が犠牲者になったのはムベキが対策を誤ったからではなく、著者のセス・C・カリッチマンが住むアメリカや私たちが住む日本が、アフリカ人に犠牲を強いて来た結果に他なりません。

前ザンビア大統領カウンダ

朝日新聞が信頼した書評委員がこの本を選んで推奨しているわけですが、事実を誤認したという認識もないままこの本を薦めていると言わざるを得ません。

今、津波と地震と放射能で日本は大変な事態になっていますが、同じような構図が透けて見えます。マスメディアも国民も変革を期待して自分たちが選んだ現政権を非難しますが、原子力エネルギーを推進して来たのは、自民党とその党と手を組んで利益を得てきた政財界です。国の繁栄のためにと、放射能を出す核燃料の処理も不完全なまま危険を覚悟で経済効率を優先させ、政治家は鉄鋼業界や電機メーカー、都県業界や電気産業などに巨利を生む仕事の世話をし、その人たちは選挙で与党に協力して仕事の受注の便宜をはかってもらう、国民は安価な電力のおかげで快適な生活を享受し、選挙では与党を支持し続ける、そんな構図が長年続いてきました。

しかし、原子力が安価な電力を供給できるのは、安価なウランを南アフリカやナミビアから購入できるからで、その前提は、食うや食わずの賃金で鉱山で働かされる無尽蔵のアフリカ人労働者がいることです。

自民党にいた石原慎太郎は今回の震災は天罰で日本人は我欲を捨てて生活を見直した方がいいという趣旨の発言をしたそうですが、石原慎太郎には言われたくない、と思います。ウランを購入する南アフリカのアパルトヘイト政権と、日本の政財界を繋ぐ南ア議員連盟で、得意げに旗振り役をしていた人ですから。その人を四度も都知事に選ぶ日本人が、何とも恥ずかしいです。

メディアの大半は経済大国がおさえていますから、アフリカ人の声はほとんど聞こえて来ません。何より問題なのは、大半がアフリカ人の声を聞こうともしない、その無関心だと思います。しかし、ウランを例に取っても、もし西洋のメディアが喧伝するようにHIV感染者が激増して死者が増え続ければ、今のようにウランが安価では入手出来なくなり、基本的に現在の体制を見直さざるをえません。本当は、自分たちのためにも、アフリカ人の声に耳を傾けるべきです。

次回は、手始めに、ムベキの発言を非難した欧米のメディアとは違ってムベキを支持した雑誌「ニューアフリカン」を取り上げたいと思います。(宮崎大学医学部教員)

「ニューアフリカン」

執筆年

2011年5月10日

収録・公開

「モンド通信 No. 33」

ダウンロード・閲覧

『ナイスピープル』を理解するために―(15)エイズと南アフリカ─ムベキの育った時代(4) アパルトヘイト政権の崩壊とその後