医学生とエイズ:ケニアの小説『ナイス・ピープル』

2020年2月1日2000~09年の執筆物アフリカ,医療

概要

(概要作成中)

本文(写真作業中)

医学生とエイズ:ケニアの小説『ナイス・ピープル』

 

「ESPの研究と実践」第3号(2004) 5~17ペイジ

Summary

The aim of this paper is to show how and why I used Nice People in my English class for second-year medical students.2

Nice People is a novel by a Kenyan writer published in 1992. I selected the book as a textbook for the class because it is unique and important in three ways. Firstly, it depicts the dawn of the AIDS epidemic of the early 1980’s, which serves as a precious history. Secondly, it focuses on the richer class who held many privileges in the exploitative system during the neo-colonial stage. Thirdly, it is written from the point of view of a doctor, which will interest medical students.

I hope the novel will show the future doctors of Japan the unknown realities of how Kenyans were panicked by the emerging infectious disease and forced to fight against the outbreak, which I hope will motivate them to learn more and provide hints to them as to how to cope with an unexpected crisis.

The AIDS crisis is a global issue that we are facing and cannot avoid, especially medical students. It is important for us to know what students need in English classes, and that it is necessary to prepare suitable materials which will motivate them. That is why I chose Nice People in my English class for second-year medical students.

はじめに

医学科学生の英語の授業を担当するようになって17年目になるが、試行錯誤が続いている。初めは一般教養科目として、1993年の大学設置基準の大綱化以降は、基礎教育科目と位置づけて授業を担当してきたが、授業に関して基本的に変わらない点と、変わった点があるように思う。

変わらないのは、英語を手段に授業を価値観を問い直す機会にと願う姿勢で、アフリカやアフロ・アメリカの問題を意識的に取り上げているのはその視点からである。

変わったのは、出来るだけ英語を使うようになったこと、発表などを含め学生が積極的に関わる時間が増えたこと、それに医学的な問題も取り上げるようになった点である。すべて、学生から授業の感想や意見、要望などを聞いたり、希望者との面接をしながら、自然の流れのなかで変化してきたものである。3

当初は、基礎医学、臨床医学の担当者には出来ないものを、文科系の視点からしか出来ないものをと考えたりしたが、膨大な量の基礎医学をこなす学生の実情も考え合わせて、教養的な問題に関連させて医学的な問題も授業の中で取り上げるようになった。

エイズ

今回、2年生のリーディングに焦点を当てた授業で、ケニアの小説『ナイス・ピープル』を取り上げたのも、そういった流れの中からである。

受講した2年生は、1年の前期で、アフリカとエイズに関して全般的な話には触れているので、小説の舞台ケニアが政治的には抑圧的で「野生の王国」だけではないことや、エイズの状況が極めて危機的であることは認識している(と思う)。マスメディアを通じて植え付けられたアフリカの負のイメージを疑わない学生も多かったが、授業を通して少なくともアフリカにも文学があることは知ってもらえたと思う。4

アフリカに関しては、イギリスの歴史家バズル・デヴィドスンの「アフリカシリーズ」5 の映像を軸に、侵略を始めた西洋諸国が奴隷貿易で暴利を得て、その資本で産業革命を起こし、作った製品の市場獲得のためにアフリカ争奪戦を繰り広げ、結果的には2つの世界大戦を引き起こしたあと、大戦後は戦略を変え、「開発」や「援助」の名のもとに、国連や世界銀行などに守られながら新しい形の支配体制(新植民地体制)を築き上げている歴史を概説した。

エイズに関しては、基礎医学への橋渡しとして、HIV複製のメカニズム6 や免疫機構7 について触れ、HIV発見の歴史8 と、エイズ治療薬の知的財産権をめぐる製薬会社と南アフリカの問題9 を取り上げたあと、1996年のジンバブエに関する新聞記事10 を読んだ。南部アフリカのエイズ事情が深刻で、鉱山などの出稼ぎ労働者用のコンパウンドと呼ばれる「たこ部屋」が、売春婦を介して、エイズ蔓延の温床となり、期間が過ぎて村に戻る男性労働者が配偶者に感染させるために「たいていの女性にとって、HIV感染の主な危険要因は、結婚していることである」とまで言われるほどで、その状態が続くと55歳のジンバブエの平均寿命が2010年までには40歳以下になることと11、次のエイズ蔓延の標的が南アフリカであることが予測されているという衝撃的な内容の報告記事である。12

「出稼ぎ労働」は、ヨーロッパからの入植者がアフリカ人から土地を奪って課税をして作り上げた一大搾取機構で白人支配の根幹をなす制度である。その制度の下で、搾取される側の大多数のアフリカ人が貧しさとエイズに苦しめられていて、先進国と呼ばれる日本もその一員である私たちも、現実には搾取する側にいると結論づけた。

ケニアも南アフリカからの白人入植者がアフリカ人労働者を基に搾取機構を打ち立てた国である。激しい闘争の末に独立は果たしたものの基本構造は変わらず、大統領となったケニヤッタもモイも、先進国と組んで体制維持をはかってきた。少数の金持ちと大多数の貧乏人という歪な世界で、日本はよき貿易のパートナーである。13

エイズはそんな歴史にはお構いなしで、ウィルスは金持ちにも貧乏人にも感染する。

『ナイス・ピープル』

『ナイス・ピープル』はたまたまケニアの友人14 に借りたものである。

横浜で第10回国際エイズ会議が行なわれた頃から、HIV複製のメカニズム、CD4陽性T細胞の受容体、マジック・ジョンソンの告白、血液製剤による薬害問題、多剤療法、エイズコピー薬とWTOなど、様々な問題を授業で取り上げてきた。98年にHIV複製のメカニズムとジンバブエの報告記事を軸に “AIDS epidemic” 15 を書き、2000年に「アフリカ:放っておけば死にゆく大陸」の記事を軸にアフリカの深刻なエイズ事情を「アフリカとエイズ」16にまとめた。本格的にエイズを主題に据えた小説『最後の疫病』17 が出版されたのは、その頃である。

著者のメジャー・ムアンギは、グギやアチェベほどの国際的な評価は受けていないものの、厳しい抑圧の時期も国内で作品を書き続けてきた中堅の作家である。ケニアの経済的な危機とエイズの差し迫った状況を誰よりも感じているはずである。18 エイズ患者が社会問題となってから十年ほどでウィルス増幅のメカニズムが解明され、治療薬が開発されたあと、作家に咀嚼されて本格的なエイズの小説が出るのはそれから数年後だろうと考えていた矢先に、 『最後の疫病』が出版された。コンドームを配って感染の予防の手助けをする未亡人とその女性を助ける獣医師の青年と村の人たちとの諍いをめぐる話だが、「割礼」をめぐってグギが『川をはさみて』19 で描いた西洋的な価値観とアフリカ的な価値観の衝突が大きな主題の一つである。国の経済を支える農民や労働者の話で、国内で踏みとどまった作家にしか書けない世界である。

そういった予測のもとに、「英語によるアフリカ文学が映し出すエイズ問題―文学と医学の狭間に見える人間のさが」で、2003年度の科学研究費補助金を申請した。「エイズ」を正面から取り上げている作品はまだ多くないが、『最後の疫病』を軸に、英語によるアフリカ文学が「エイズ」をどう描いているのかを分析し、病気の爆発的な蔓延を防げない原因や、西洋的な価値観とアフリカ的な見方の軋櫟などを明らかに出来れば、また、英語の授業でエイズの問題を取り上げ、エイズの小説を読む立場から見える何かが見つかるかもしれないと考えたからである。今までは英米文学以外はすべて「その他外国語文学」という分類分けだったが、2003年度からイギリス文学、アメリカ文学の次にアフリカ文学の領域が加えられてこともあって、科研費が交付された。20(アフリカ文学を知らない学生の実態を紹介したアンケートとはあまりにもかけ離れ過ぎているが。)

しかし、『ナイス・ピープル』の出版年を見て驚いた。1992年である。読んで、また驚いた。主人公の医者の目を通して書かれた小説で、内容も私の予測を超えていた。

『ナイス・ピープル』は三つの点で意義深い小説である。

一つ目は、エイズ患者が出始めたころの混乱した社会状況が描かれている点で、文学という切り口で書かれた貴重な歴史記録でもある。

二つ目は医者を含めた少数の金持ちに焦点が当てられている点である。『最後の疫病』のように虐げられた側に焦点を当てた小説は少なくないが、支配層に焦点が当てられたものは珍しく、その点でも貴重である。

三つ目は、主人公の医者の目を通して小説が描かれている点で、医学生の興味をひく作品である。

大学卒業後すぐに私設の診療所で稼ぎながら国立病院で研修を受ける鷹揚な医療制度、未知の(エイズ)患者を隔離している特別病棟、売春が社会の必要悪で治療こそが最優先と結論づける性感染症をテーマにした卒業論文とその審査過程、売春婦など社会の底辺層が通ってくる診療所での日々の診察風景、金持ちの末期エイズ患者に快楽を提供して稼ごうと目論むホスピス、雑誌の症例から判断して担当の患者をエイズと診断したことなど、数年のちには同じ立場で患者と向き合う可能性の高い医学科の学生には、興味の尽きない内容が盛り沢山で、興味津々の内容に加えて医学用語なども含めて専門的な知識も含まれており、まさにうってつけの題材である。

早速授業で使うことにした。21

「1984年:謎の疾病」

主人公ジョセフ・ムングチ (Joseph Munguti) は、ナイジェリアのイバダン大学の医学部を1974年の6月に卒業したあと、直ちにケニア中央病院「Kenya Central Hospital (KCH) 」で働き始めたという設定である。卒業論文のテーマに性感染症を選んだこともあって、先輩医師ギチンガ (Waweru Gichinnga) の指導を受けながら、ギチンガ個人が経営する診療所で稼ぎながら勤務医を続ける。ギチンガは国立病院では扱えないような不法な堕胎手術などで稼ぎを得ていたようで、やがては告発されて刑務所に送られてしまう。10年後、ギチンガから譲り受けた診療所の看板に「性感染症専門医」と記して、ムングチは念願の売春婦などを相手にひとりで診療を継続する。

1984年12月、「ケニアでは指折りの性感染症専門医であり、診断を下せない性感染症はない」と自負するムングチの元に、年老いたコンボ (Kombo) と名乗る中国人がやってきた。「やあ、先生さんよ、わしは金持ちじゃよ。2万シリング持ってきた。わしのこの病気を治してくれる薬なら何でもいい、何とか探してくれんか」と言って、大金を残して去った。

法外な大金に戸惑いを見せて一度は辞退するものの、格安の料金で社会の底辺層を相手に性病の治療を続けるムングチには、断る理由もなく、謎の病気の正体を突き止めることになった。最初はトラコーマクラミジアにより生じる性病性リンパ肉芽腫かと思ったが、どうも違うようである。その日から、ケニア中央研究所 「the Kenya Medical Research Institute (KEMRI)」の図書館に入り浸り、2日目にようやく、同年12月にアメリカで発行された以下の症例報告に辿り着く。

あらゆる抗生物質に耐性を持つ重い皮膚病の症状を呈し、生殖器に疱疹が散見される。下痢、咳を伴い、大抵のリンパ節が腫れる。極く普通にみられる病気と闘う抵抗力が体にはないので、患者は痩せ衰えて、やがては死に至る。病気を引き起こすウィルスが中央アフリカのミドリザルを襲うウィルスと類似しているので、ミドリザル病と呼ばれている。サンフランシスコの男性の同性愛者が数人、その病気にかかっている。(『ナイス・ピープル』、140ペイジ)

老人の症状から判断して診断に確信を持たざるを得なかったが、元同僚の意見を求めた。大学でも講義を持つケニア中央病院の2人の医師は、未知のウィルスによって感染する新しい性感染症の診断に間違いはなく、すでに同病院でもアメリカ人2人、フィンランド人1人、ザイール人2人が同じ症状で死亡しており、3人のケニア人の末期患者が隔離病棟にいる、と教えてくれた。

興奮気味の心を抑えながら、隔離病棟に出向いたムングチは、改めて死にかけている老人の症状を確かめる。

私は調べた結果と比較して患者を見てみたかった。目的を説明すると、看護婦は3人が眠っているガラス張りの部屋に連れて行ってくれた。私たちを怪訝そうに見つめる救いようのない3人を見つめながら、私は言いようのないわびしさを感じた。そのとき、その老人が目に入った。私の患者、コンボ氏に違いなかった。口から泡を吹き、背を屈め、ひどく苦しそうに繰り返し咳き込んでいた。渇いた咳は明らかに両肺を穿っていた。老人には私が誰かは判らなかったが、隔離病棟の柵を離れながら、後ろめたいほろ苦さを感じた。(『ナイス・ピープル』、141ペイジ)

患者コンボ氏は、実は以前ムングチの診療所を訪ねてきたルオ人女性の鼻を折った張本人で、ナイロビ市の清掃業を一手に引き受ける大金持ちだった。ルオ人の女性は清掃会社の就職面接でコンボ氏から裸になって歩き回るように命令されたが抵抗したために暴力をふるわれたのだが、噂では、肛門性交嗜好家の異常な行動の犠牲者が他に何人もいたようである。ムングチは、コンボ氏の死に際の哀れな姿を思い浮かべながら、神が犠牲者たちに代わってコンボ氏の蛮行への鉄槌を下されたに違いないと結論づけた。

元同僚の医師Dr GG (Gichua Gikere) は、「スリム病」と呼ばれるこの病気については既に知っており、唯一薬を提供出来るだろうと「ウィッチ・ドクター」と呼ばれる地方の療法師・呪術師を紹介してくれたが、実際の役には立ちそうにはなかった。

こうして、性感染症専門医ムングチのエイズとの闘いが始まるのである。

「ナイス・ピープル」

コンボ氏と同じように、医者のムングチも金持ちの階級に属しており、「ナイス・ピープル」とはそんな金持ち専用の次のような高級クラブに出入りする人たちのことなのである。

ムングチも、今では、役所や大銀行や政府系の企業の会員たちが資金を出し合う唯一の「ケニア銀行家クラブ」の会員だった。クラブには、ナイロビの著名人リストに載っている人たちが大抵、特に木曜日毎に集まって来る。テニスコート5面、スカッシュコート3面、サウナにきれいなプールも完備されており、ナイロビの若者官僚たちの特に便利な恋の待合い場所になっている。(『ナイス・ピープル』、146ペイジ)

「開発」や「援助」の名の下に、西洋資本と手を携えて大多数の人たちから搾り取る現代のアフリカ社会は、一握りの金持ちと大多数の貧乏人で構成されている。資本を貯め込める中産階級が極端に少なく、大抵はいつでも国外に追放できる外国人で政府はその階級を埋めている。

「ウィルスは金持ちにも貧乏人にも感染する」と書いたが、実は、病気の治療を担う側の医者や官僚などの専門職の人たちも多数 HIVに感染しており、その感染率の高さを作者は問題にしている。冒頭の「著者の覚え書き」からその深刻さが伝わってくる。作者がオーストラリアに留学していた時に読んだ以下の新聞記事である。

著者の覚え書き

『ナイス・ピープル』でどうしても書いておきたかった一つに1987年6月1日付けの「シドニー・モーニング・ヘラルド」の切り抜きがあります。3年のち、ここでその記事を再現してみましょう。

ハーデン・ブレイン著「アフリカのエイズ:未曾有の大惨事となった危機」

(ナイロビ発)中央アフリカ、東アフリカでは人口の四分の一がHIVに感染している都市もあり、今や未曾有の大惨事と見なされています。

この致命的な病気は世界で最も貧しい大陸アフリカには特に厳しい脅威だと見られています。専門知識や技術を要する数の限られた専門家の間でもその病気が広がっていると思われるからです。

アフリカの保健機関の職員の間でも、アフリカ外の批評家たちの間でも、アフリカの何カ国かはエイズの流行で、ある意味、「国そのものがなくなってしまう」のではないかと言われています。

病気がますます広がって、既に深刻な専門職不足に更に拍車がかかり、このまま行けば、経済的に、政治的に、社会的にかならず混乱が起きることは誰もが認めています。

世界保健機構(WHO)によれば、エイズは他のどの地域よりもアフリカに打撃を与えています。今年度の研究では、ある都市では、研究者が驚くべき割合と記述するような率でエイズが広がり続けているというデータが出ています。

第3世界のエイズのデータを分析しているロンドン拠点のペイノス研究所の所長ジョン・ティンカー氏は、「死という意味で言えば、アフリカのエイズ流行病は2年前のアフリカの飢饉と同じくらい深刻でしょう。

しかし、飢饉は比較的短期間の問題です。エイズは毎年、毎年続きます。」

基本的に同性愛者間の触れ合いや静脈注射の回し打ちや輸血を通してエイズが広がってきた世界の多くの国とは違って、アフリカでは主に異性間の触れ合いを通して病気が広がっています。

70年代後半から80年代前半にかけてアフリカで病気が始まって以来、男性も女性も数の上では同じ割合で病気にかかっています。

アフリカでは性感染症を治療しないままにしている割合が高く、その割合の高さがエイズの広がりの大きな要因になっている可能性が高いと多くの研究者が主張しています。

WHOのエイズ特別企画の責任者ジョナサン・マン氏は、一人当たり平均約1.75米ドル(2.40オーストラリアドル)しか医療費を使わないアフリカ諸国の保健機関にてこ入れをし、教育への直接の国際支援と血液検査を行なえば、病気の広がりを抑えることが出来ると発言しています。(『ナイス・ピープル』、Ⅶ~Ⅷペイジ)

 

幼馴染みのメアリ・ンデュク (Mary Nduku) の愛人イアン・ブラウン (Ian Brown) も Dr GG の娘ムンビ (Mumbi) の愛人ブラックマン (Blackmann) も、ムングチが高級クラブで出会った「ナイス・ピープル」である。

南アフリカからの入植者を祖父に持つブラウンは、高級住宅街に住む34歳の青年で、ジャガーを乗り回し、一流のゴルフ場でゴルフを楽しむ。勤務する大手の「スタンダード銀行」で秘書をしているンデュクと愛人関係にある。エイズを発症し、イギリスで治療を受けるために帰国しようとするが、航空会社から搭乗を拒否されて失意のなかで死んでゆく。

ブラックマンはモンバサの売春宿でムンビと出会い、常連客の一人となったフィンランド人の船長で、結果的には、2人の間に出来た子供を連れてヘルシンキまで押しかけてきたムンビを引き取ることになる。エイズに斃れたムンビの亡骸は、ケニアに送り返される。

高級住宅街に住むマインバ夫妻も「ナイス・ピープル」である。妻のユーニス・マインバは、ある日、額から夥しい血を流しながら病院に担ぎ込まれる。その傷が夫の暴力によるもので、のちに、夫とメイドとの浮気の現場を見て以来、精神的に不安定な症状が続いていることが判り、精神科の治療を受けるようになる。数ヶ月後、コンボ氏と同じように肛門性交を好む夫が、かかりつけの医者からHIV感染の疑いがあるので血液検査を薦められていると、ムングチに訴えにやって来る。

性感染症専門医と性

HIVは血液と精液によって感染するのだから、治療に比べれば予防は簡単だと思われがちだが、現実にはそうは行かない。性感染症専門医ムングチの診療と日常生活が、性感染症の恐ろしさと感染対策の難しさに加えて、複数婚が続くケニア社会と今の日本社会との、性や売春行為に対する社会通念の違いを教えてくれる。

ムングチは、メアリ・ンデュクとユーニス・マインバとムンビと、同時に関係を持つ。幼馴染みのメアリ・ンデュクとは高級クラブで再会し、イアン・ブラウンの愛人であることを承知で関係を持ち、一時は同居している。アパートで鉢合わせになったブラウンと大げんかをして別れている。ブラウンはエイズを発症して死んだ。

ユーニス・マインバはムングチが担当した患者である。性的な関係を持つようになり、中年マダムのお供をして週末毎に豪華な小旅行に出かけた時期もある。夫がHIVに感染した可能性が高いと相談され、恐ろしくなって別れた。

ムンビとは父親を訪ねて来たときに私設の診療所で出会ったのだが、モンバサで娼婦をしているのを承知で恋人関係になった。一時期同棲をして、子供を身ごもったことを告げられたとき結婚を決意する。ムングチの働いていたホスピスでムンビは出産するのだが、生まれてきた子供はムングチの子供ではなく、売春宿の常連客ブラックマンの子供だった。ムンビは逃げるようにヘルシンキへ渡るが、エイズを発症して果てる。

ムングチは、のちにエイズで死ぬ愛人を持つメアリ・ンデュクと、HIVに感染したと思われる夫を持つユーニス・マインバと、異国の地でエイズを発症して死んだムンビの3人と同時に性的な関係を持っていたことになる。

ムングチは、売春行為を社会の必要悪と捉え、性感染症については治療を優先すべきで、社会の底辺層には国が無料で治療活動を行なう義務があるという趣旨の卒業論文を書いた。私設の診療所では、最低限の料金でその人たちの性感染症の治療に専念した。性感染症の怖さを充分に承知していたわけで、ムングチを始めとする「ナイス・ピープル」の性や売春に対する考え方を思い合わせれば、この小説の冒頭に載せられた「アフリカの何カ国かはエイズの流行で、ある意味、『国そのものがなくなってしまう』のではないか」という記事が、真実味を帯びてくる。

南アフリカからの入植者によって侵略されたケニア社会は、かつての自給自足の豊かな農村社会ではない。複数婚も乳児死亡率の高い中で子孫を確保したり、農作業や老人・子供の世話を分担する労働力を確保する、などの必要性から生み出された制度だろうし、西洋社会が批判する割礼にしても共同体全体で次世代を育てるための教育の一環だったと思う。しかし、土地を奪われ、無産者にされて課税される農民や、都市部で働かされる賃金労働者に、旧来の制度を踏襲し発展させる力はない。割礼や複数婚の制度が残っていても、かつての共同体を基盤にして機能していた制度とは全くの別物である。

大多数の農民や労働者は食うや食わずの生活を強いられ、国全体も、西洋資本と手を組む一握りの貴族やその取り巻きの豊かさと引き替えに、背負いきれないほどの累積債務に喘いでいる。そこにHIVが出現し、猛威をふるい始めたわけである。2003年の推計では、ケニア全体の平均寿命は45.22歳にまで落ち込んでいる。22

 

おわりに

当然のことながら、学生の英語の授業に対する要望や必要性は様々である。その多様性に応えるのは難しい。回りには結構いるのだが、今だに教科書1冊を読んでひたすら訳すだけ、テープを聞いて選択肢の答えを当てさせるだけのような授業を続けている人もいる。テープを再生する機械を持たない人が増えている現実にも気づかないで、カセットテープしか用意出来ない人もいる。授業をする側にも受ける側にも大切な時間なのだから、お互いに最低限の努力はしたいものである。言葉が手段である限り、手段を使えるような工夫はすべきであるし、基礎教育や一般教育としての授業なら、自分や社会について考える機会を提供できるような材料を準備すべきだろう。

ケニアを始めとするアフリカ諸国の危機的なエイズ事情と、ケニアに「援助」して協力していると考える大半の日本人の意識との格差は、大き過ぎる。

第2次世界大戦後、欧米や日本は世界銀行や国連などを設立して直接的な植民地支配から、「開発」や「援助」の名の下に資本を提供して利子をとる新植民地方式に戦略を変えた。ケニアへのODAの予算の大半は日本の大手の建設会社が請け負い、日本の大手金融機関、造船会社、運輸会社、商社などを経て日本に還元する仕組みになっている。ケニアも重債務国だが、ケニア政府は債務の帳消しには反対である。債務が帳消しになると一握りの貴族が困るからである。

日本政府は1993年から東京でアフリカ開発会議を東京で始めた。23 このエイズ事情が進めば、外交政策に支障をきたすのが予測出来たからだろう。資本を提供する相手から利子を取ろうにも、エイズによって死者が増加すれば絞り取る相手の人口自体が減ってしまうのだから。ほとんどの人がアフリカ文学の存在も知らないような状況で、科学研究費の分類項目に「アフリカ文学」が突如出現したのも、そういった国策と決して無縁ではない。

2年前、本学医学科の学生が『ナイス・ピープル』にも登場するケニア中央研究所(KEMRI)に、国際協力機構(JAICA)の専門家を訪れている。24 夏休みを利用してケニアやタンザニアでボランティア活動に従事する学生もいる。途上国で医療活動に従事したいと考える学生も多く、アフリカもかつてほど遠い所ではなくなってきている。

国の構造改革の一環として大学改革を迫られ、学生の満足度や効率を求められることが多いが、教育は効率だけでははかれないし、短期的な視野だけで見てはならないだろう。生理学や生化学などの膨大な量の基礎医学をこなさなければならない2年生に英語に割ける時間がどれだけあったかは心もとないし、授業時の反応が必ずしも満足の行くものではなかったが、短期的な判断は禁物である。いつか、授業で出会った学生の一人が、KEMRIの専門家になるとも限らないのだから。25

試行錯誤は、続きそうである。

1 Wamugunda Geteria, Nice People (Nairobi: African Artefacts, 1992)

2 横山彰三「医科大学における英語教育とESP」(本誌第2号70-77ペイジ)に紹介されている後期開講の選択必修クラスで、56名が選択した。後期は基礎医学実習が組み込まれているので授業回数が制限されるが、Nice Peopleの他に、元NBA選手マイケル・ジョーダンの伝記 – “Michael Jordan” in Michael Jordan Magic Johnson by Richard J. Brenner (New York: Paradise Press) – を題材に選び、どちらも関連の映像を組み入れて授業を行なった。

例年、一学年百人中20人から40人程度の希望する学生と授業時間外に、それぞれ1~2時間程度の個人面接をしている。英語に限定していた時期もあるが、最近は限定していない。英語での面接は1割程度で、前半は英語、後半は日本語でという場合もある。特に決めた話題はなく、雑談から進路相談まで百人百様である。授業の最後には、大学が行なう授業評価アンケートとは別に、記名式で授業の感想や意見を書いてもらっている。

4 2004年度担当の新入生にアンケートを行なったところ、アフリカに関心を持つ学生が少なからずいたが、ほとんどの学生はアフリカ文学については知らなかった。

「アフリカに関心がありますか。」の問いに、(医学科97名)1.非常に関心がある。(13名)、2.まずまず関心がある。(39名)、3.どちらとも言えない。(28名)、4.あまり関心がない。(10名)、5.全く関心がない。(7名) (農学部51名) 1. 非常に関心がある。(3名)、 2. まずまず関心がある。(23名)、 3. どちらとも言えない。(19名)、 4. あまり関心がない。(6名)、 5. 全く関心がない。(0)

「アフリカ文学を知っていますか。」の問いに、(医学科97名) 1. よく知っている。(0)、 2. まずまず知っている。(1名)、 3. あまり知らない。(12名)、 4. 全く知らない。(74名)、 5. アフリカに文学があったことも知らない。(10名) (農学部51名) 1. よく知っている。(0)、 2. まずまず知っている。(0)、 3. あまり知らない。(14名)、 4. 全く知らない。(34名)、 5. アフリカに文学があったことも知らない。(3名)との解答を得た。アンケートは初回(4月第2週目)に無記名で行なった。

5 イギリスMBTV制作「アフリカ8回シリーズ」(NHK総合、1983年)

6 Geoffrey Cowley, “Targeting a Deadly Scrap of Genetic Code,” Newsweek (December 9, 1996) 学生は一年次必修科目「生命科学入門」で読む Human Biology  (An Imprint of Addison Wesley Longman, Inc., 2001) の中の “Immune deficiency: The Special case of AIDS” で少し専門的に触れるので、専門との橋渡しの意味で一般の雑誌記事を選んだ。

 

7国立大学保健管理施設協議会特別委員会編『エイズ 教職員のためのガイドブック’98』(国立大学保健管理施設協議会特別委員会、1998年)からの抜粋を使用した。

 

8 “History of AIDS discovery,” The Daily Yomiuri (August 6, 1994) 1994年の横浜での国際エイズ会議の特集記事の一つである。

 

9池内了「エイズが問う『政治の良心』 南ア特許法に米が反発」、「朝日新聞」(1999年8月6日)の中で言及のあった “Gore’s humanitarianism loses out to strong-arm tactics,” Nature (July 1, 1999) を取り上げた。

 

10 Karl Maier, “Aids epidemic chokes the life out of Southern Africa,” Independent (July 30, 1995)

 

11 留学経験から考えると、国税調査が必ずしも信用出来るとは思えないので、55歳という元の数字を疑わざるを得ないが、WHO(2002年推計)によれば、ジンバブエの平均寿命は男性37.7歳、女性38.0で、既に40歳を切っている。 http://www3.who. int/whosis/country/compare.cfm?country=ZWE&indicator=strLEX0Male2002,strLEX0Female2002&language=english 2003年の推計で総人口39.01歳というデータもある。http:// www.cia.gov/cia/publications/factbook/geos/zi.html

 

12 NHKスペシャル「エイズ・世界はどう立ち向かうべきか」(2003年12月1日NHK総合テレビ)で、この記事に描かれたように、平均寿命36歳のボツワナで、「コンパウンド」でHIVに感染した短期契約の鉱山労働者が帰郷後配偶者に感染させて死亡、残されて途方に暮れる配偶者を現地取材する映像が放映された。

13 外務省のHP: http://www.mofa.go.jp/region/africa/kenya/index.html 1986年以来、日本はケニア最大のODA供与国である。

 

14 体制に批判的な立場を取る友人は、2002年の暮れに現キバキ政権が誕生する前は、事実上20年以上も帰国できなかったので、在外研究で滞在した時か、国際会議に出席した際に、イギリスか南アフリカかジンバブエかで入手したようである。

 

15 “AIDS epidemic” in Africa and Its Descendants 2 Neo-colonial Stage (Yokohama: Mondo Books, 1998), pp. 51-58.

 

16 「アフリカとエイズ」、「ごんどわな」22号、2~13ペイジ、2000年。http://tamada.med. miyazaki-u.ac.jp/tamada/works/africa/index.html に公開している。

 

17 Major Mwangi, The Last Plague (Nairobi: East African Educational Publishers, 2000)

 

18 グギの亡命の経緯と亡命中のケニアの荒廃ぶりについて “Ngugi wa Thiong’o, the writer in politics: his language choice and legacy,” Studies in Linguistic Expression, No. 19 (2003) にまとめhttp://tamada.med.miyazaki-u.ac.jp/tamada/works/ngugi/index. html で公開している。

 

19 Ngugi wa Thiong’o, The River Between (Nairobi: Heinemann, 1965) 北島義信訳『川をはさみて』(門土社、2002年)

 

20 学術研究協力部発行の広報誌「宮崎大学における研究活動紹介」(現在校正中)に研究内容の紹介文を書いている。公共機関に配布され、大学のホームペイジにも公開される予定である。すでにhttp://tamada.med.miyazaki-u.ac.jp/ には公開している。

 

21 原文は絶版で手に入らないので、スキャナで取り込んだ。全文(188ペイジ)は時間内には読み切れないので、B5版36ペイジに編集した。研修第一日目、私設診療所、卒業論文審査、エイズ発症騒動、ホスピス騒動など、そのまま残した箇所以外は要約に書き換え、分量的に数回で読み切れるように編集した。希望者には、別途、全文を用意した。

 

22 http://www.aneki.com/facts/Kenya.html 全体で45.22歳(男性45.02 / 女性45.43)

 

23 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ticad/tc_0.html

 

24長田裕明、小野香奈子、庄司健介「ケニア滞在記」、宮崎医科大学「学園だより」第87号14-15ペイジ(2002年12月31日)

 

25 表紙に日本国宮崎医科大学玉田先生様と書かれた絵はがきが舞い込んだことがある。かつて授業で出会った農学部の学生が、海外青年協力隊の理科の教師としてガーナに行って、「授業中に見た『ルーツ』のシーンを思い出しました」という内容の葉書だった。

 

執筆年

2004年

収録・公開

「ESPの研究と実践」第3号5~17ペイジ

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医学生とエイズ:ケニアの小説『ナイス・ピープル』