つれづれに

つれづれに:陽当たり

 陽当たりで猫のぴのこが毛づくろいをしている。ぐずついた天気が続いていたので、久しぶりの陽射しを楽しんでいる。親猫が出て行って戻っておらず、兄弟猫に死なれてしまって寂しいのだろう。ずっと1階の居間のケージの中で親子で重なり合って寝ていた。しかし、最初は嫌がっていた2階が、今は主な居場所である。妻といっしょにいるのに、ようやく馴染(なじ)んだようだ。いるかどうかを確かめるのと、食事の催促とで2時間おきに妻を起こす。あのまま一人で1階のケージにいたら、精神的にやられていたと思う。

私の絵画館→「向日葵とジョバンニ」(2010年8月)

 生まれつき喉(のど)の一部が細いうえ、潰瘍(かいよう)の跡が食べ物の通りを悪くしているようで、たくさん食べると戻してしまう。分けて食べてもらうしかない。2時間おきの食事はなかなか大変で、妻の体がもつか心配である。朝起きて2階から下りて来ると、泣いて私が起こされる。食べ物の通りがよくなるように、ひとしきり撫(な)でる。マッサージである。ぞんざいに撫でていると、啼き声で「ちゃんとやってよ」と容赦(ようしゃ)なく合図がくる。ねこの気ままには、付き合うしかない。犬のように、相手を気遣ってくれることはない。体が順調なときはそうでもないが、体調がすぐれないときはきつい。しかし、その素振りを見せれば、そのあとしばらくは寄り付かない。ま、それで済めばいいが、結局は猫のわがまま放題である。ある意味、子供に似ている、そう思う時がある。子供は、しかし、ある時期を過ぎると、そんなことはなくなり、自分の世界を行く。猫はそうでない。

私の絵画館→「梅とぴのこ」(2010年2月)

 見るに見かねて、親猫をキャンパスから連れて来たら、しばらくして5匹も子供を産んだ。そのなかの女の子である。連れて来るときにこんなに大変だとは思わなかったが、猫の可愛さと大変さを充分に堪能(たんのう)させてもらっている。いい意味でも、悪い意味でも。

私の絵画館→「母親になった猫」(2009年11月)

 春一番が吹いたらしく、畑の野菜の勢いも凄(すご)い。ブロッコリーが淡い黄色の花を、大根が白い花を咲かせ始めている。レタスの一部は真上に伸びで、そのうち花が咲く。去年初めて苗を植えて、植え替えも済ませた苺(いちご)にも白い花がさき、小さな実がつき始めている。

既に食べてしまったか、お裾分けしたか

 家の沈丁花(じんちょうげ)も、近くの家のミモザも花が盛りを過ぎて、もうすっかり春である。天気予報によれば、水木とまた雨模様のようだが、そのあとは晴れマークが続いている。ぴのこも陽溜まりで毛づくろいを楽しめそうである。ただ、最近の天気予報はころころ変わるので、先行きわからないが。

先週まで勢いのあったミモザ

つれづれに

ZoomAA4第4回目報告

 今回のゼミでは、主にアフリカの口承伝達について学んだ。
「ルーツ」の映像では、黒人奴隷の先祖をもつアフリカアメリカ人が先祖を辿るために様々な視点から調べ上げ、最終的にはアフリカ大陸ガンビアの上流にあるクンタの一族がすむ集落にたどり着いた。
途中学者が様々な国の口頭伝承について主人公に説明していたように、口承伝達自体は文字のない時代に珍しいことではないと思う。
ただ、黒人奴隷としていきなりアメリカ大陸に連れ去られ、何世代にも後になってルーツをたどることができたことは、アフリカアメリカ人にとってとても大きな意味を持つものだと思う。
またそのために主人公が奔走していたように感じた。(MN)
 4回目は、→「口承伝達」 (oral tradition)に焦点を絞った。「ルーツ」2の映像で、『ルーツ』の著者ヘイリーがどのように7世代を遡(さかのぼ)って自分の祖先を探り当てたかと、祖先のクンタが生まれたガンビアのジュフレ村でどのようにグリオ(griot)の口から祖先の存在を確かめたかを見てもらった。
 前回紹介したグリオの子孫を誇るセネガルの歌手ユッスー(→「戦士」)の歌を最初に聴いてもらった。1990年のマンデラの釈放時に録画したNHKBSの映像である。文字を持つ社会で育った著者が、文字を持たない社会のグリオに辿(たど)り着いた軌跡の映像である。(YT)

つれづれに

つれづれに:小田原

小島けい画

 伊豆大島で「椿」を見た後は、小田原に向かった。乗船時間は短い方が有難いので伊東に戻りたかったが、船の便が少ないので、大島の岡田港から熱海行きの船に乗った。そこから伊豆急で、小田原に着き、小田原城公園を訪ねた。そしてしばらく、街が一望できる場所に座ってぼんやりと眼下を眺めた。ぞれから、立原正秋の小説(↓)で主人公がしたように、寝転がって空を眺めた。

 主人公は高校生の時に少年院に送致されている。母親の再婚相手の子供を刺したためである。母親は請われて再婚し、主人公を連れて東京の成城で暮らし始めていた。父親になった人は親の電機会社を継いだ有能な経営者だった。年上の子供がいて、戸籍上の兄になった。祖父に甘やかされて育っていた。

少年院に送られたのは、兄を刺してしまったからである。ある日学校から帰ってきたとき、見てはならないものを目撃してしまった。兄が母親を凌辱(りょうじょく)しようとしていたのである。咄嗟(とっさ)に飛びかかった。もみ合っているうちに、兄が持ち出した刃物が兄の太腿(ふともも)に刺さってしまった。そして、主人公は何も語らないまま、少年院に入ったのである。

高校の物理の教師をしてながら詩を書いていた父親と、美しい母が好きだった。二人を尊敬し、理解していた。夢は、理工学部の建築学科を出て小さな建築事務所をひらき、生活に困らないだけの金をかせぎながら詩を書くことだった。母親の生家は小田原で蒲鉾(かまぼこ)屋をしており、時々泊りにでかけて小田原城の公園に行き、寝転がって空を眺めていた。

少年院を出た後、その小田原に行くつもりだったが、主人公を後継者にしたがる父親の強引さに敗けて兄を刺し、特別少年院に送致されることになった。

この小説を読んだのは、スポーツ好きの父親が讀賣新聞を取っていたからである。あまり新聞は読まないが、たまたま夕刊の連載小説を読んだ。理由はわからないが、すっと心に染みこんできた。他の作品も読みたくなって、元町の→「古本屋」に通った。気がついたら、自分の中に書きたい気持ちがあるのを意識し始めていた。フィクションだが、作品の中に出て来る場所に行ってみたい気持ちにもなっていた。小田原城の公園もその一つである。

つれづれに

つれづれに:伊豆大島

 下田に行った時の話から、黒船の幕末と維新の話になり、→「1860年」が歴史の大きな潮目だったことについて書いた。気づいたのは奴隷制と南北戦争について考えている時だった。そのあと奴隷の連れて来られた西アフリカのガーナと、アメリカの学会で誘われて発表するときに選んだ作家の南アフリカ、医学科の授業で医療と一般教育を繋(つな)ごうと始めたエボラ出血熱のコンゴとエイズのケニアの関連で齧(かじ)ったことのある歴史の同じ時期を再確認した。それだけの国の歴史しか辿(たど)れなかったという思いと、「ちょっと齧っただけの知識で、ようそんなにいろいろ書いたもんやなあ」という思いが重なる。

 下田のあとに行った旅の話に戻ろう。最近もらった人の手紙に「河津桜が咲きました」と書いてあるのを見て「この時、修善寺で見た桜は彼岸桜やなくて、河津桜やった」と、急に思い出した。下田町の北側が河津町で、その名前を見たとき「ここが発祥の地やったかもな」と思った記憶が蘇(よみがえ)ったのである。「ソメイヨシノがまだ咲くわけないもんな」と思いながら、少し浅い色の桜を眺めた。今回、ウェブで調べてみると、次の解説が見つかった。

「河津(かわず)桜は2月上旬から開花しはじめる早咲きの桜で、1955年に河津町で発見されました。伊豆の温暖な気候と早咲きの特色を生かし、約1ヶ月を経て満開になります。」

 下田から小田急(そう思い込んいたが伊豆急だった)で伊東に行った。伊豆大島に渡る連絡船に乗るためだった。今はすぐにウェブで検索ができるが、その時は行き先だけ決めてその場所に行ってから誰かに聞くことが多かった。下田でもたぶんそうしたと思うが、伊東港から大島の岡田港(↓)に渡った。今なら伊東より南の稲取港からジェット船で行く気がする。距離も短く、時間も少なくて済むからだ。行ったのが1970年代なので、ジェット船が運航してなかったかも知れない。

 大島に行ったのにさほどの理由はない。椿や椿油でよく知られていたので、機会があれば行ってみたいと思っていただけである。アメリカ(→「アメリカ?」)やアフリカに行ったときと、ほぼ同じだ。行って見ると、実感がわく。アフリカ系アメリカの作家を修士論文で選び、その作家で業績のために書いていたから「アメリカに行ったこともないのも気が引けるなあ」と思ったのである。アフリカの場合も同じだった。→「シカゴ」では目抜き通りの縁石に座って3時間ほどパレードを眺めているときに「アメリカにもアメリカのよさがあるやん」と感じた。ハラレで家族で暮らした時は、搾り取る側にいるのを意識して、終始息苦しかった。帰りにパリに寄ったとき、残念ながら、ほっとした。「先進国にいる」と感じたのである。そういう感覚は行ってみないと実感できない。

パレードのあったミシガン通り

 大島では、港周りを歩いて、椿を見た。→「椿」はカレンダーの最初の表紙(↓)に使った花である。今も散歩に出かけて、枝をもらって玄関とトイレに生けている。意識の深層で、大島の椿が関係しているのかも知れない。