つれづれに:20代オーバーワーク
今回は20代半ばのオーバーワークである。正確に言うと、20代半ばから30代半ばにかけてのオーバーワークである。青春の無軌道の副産物と言ったところか?20代半ばにかなり無茶をして原因をつくり、30代半ばに耐え切れず強烈な体のSOSが出たというところである。血圧の上が110、下が15で、2ケ月でくも膜下でしたなと言われた。死に損なったということだろう。
10代半ばですでに兆候はあったが、入試のごたごたが終わった頃にすっかりすべてを諦めてしまい、生きても30くらいまでかと思い込んでしまった。退官前のゼミの担当者(↑)に「余生はながすぎますよ」と言ってみたら「玉田くん、その年でそんなこと言っちゃいけませんよ」と言われた。そののち、横浜で出版社の人にあったときに「余生が長すぎますよ」と言ったら、「ながいですね」と当たり前のように言われた。
斜交(はすか)いに構えながら余生がながいなあと生き急いでいるときに、いきなり母親から借金を言われて、どろどろの世の中に引きずり戻された。周りの友人5人に20万ずつ借りたが、返す手立てもなかった。執拗(しつよう)に母親を急き立てて返してはみたが、人に金を借りてまで生きてはいけないと心底思った。大切な人を失った。取り敢えず、定収入を得る道を考えた。スーツを着て就職活動は思いつかず、教職の免許は取れそうだったので、高校の教員採用試験を受けることにした。きりぎりの折り合いである。
教員をした高校
英米学科だったが、英語はしてなかったので、準備が必要だった。ちばてつやの俺は鉄兵というまんがを思い出す。東大を出て大蔵官僚をしていた父親が名家を捨てて家出したとき、リヤカーに紛れ込んでいた幼い主人公が野放図に育ったあと発見されて、父子で帰宅。ひょんなことから剣道をすることになってのめり込む。負けた相手のいる進学校に入ることを決意。受験勉強を始めて根をつめる主人公に「そんなに急に詰め込まなくても」と気遣(づか)う母親に「大丈夫、頭の方は詰め込んでも大丈夫だから」という場面である。1年間、英語漬けだった。留年して6年のときに試験だけは受けてみたので、英語が読めて書ければ大丈夫と感触は得ていたので、あとは読んで、書く、その作業だけだった。毎日18時間くらいは、座っていた。今から思うと、よくも体がもったと思うが、最後のころは頭がしびれているのに、寝転がって背を屈(かが)めて本を読んでいた。6年間、高校で運動をしなかった反動でバスケットにかかわって体を酷使した。それが、ぴたっとやめて座り続ける毎日になったのだから、身体もびっくりしただろう。寒い中で暖房も使わずに、木刀を振って体を温めた。宮本武蔵にでもなったつもりだったか。体にいいはずがない。作られていた毛細血管が少なくなり、血の巡りが悪くなったのは間違いない。いいか悪いかはわからないが、行った夜間が英米学科で、教員免許が英語だった、競争相手が偏差値の高くない教育系だった、それに同和に絡(から)んだ高校紛争で荒れていた、のが幸いした。高校の教員になった。そのあと、思わず結婚をして子供が出来、母親の借金をたくさんもらって、非常勤を掛け持ちしているときに、体のSOSがあった。頭のてっぺんまで痺(しびれ)、背中に鉛を入れているような毎日だった。髪の毛の半分は白髪になっていた。
非常勤と嘱託(しょくたく)講師で世話になった大阪工大