つれづれに

つれづれに:日常

苗を植えた7年後に生った唯一の柿(小島けい画)

 昨日の朝は早くから近くの農産物直売所に行った。起き抜けの八時半過ぎである。お昼近くに行くと、品物がない。みんなよく知っていて、目当ての品を朝早くに買いに行く。八時半から開いてる。夜型の人間には大変だ。とまとが切れそうなのと、次の甘酒用の米麹が要った。とまとはずっと高い。台風のあとは更に高かった。少し落ち着き始めたようだが、お昼頃に行くと僅かしか残っていない。もちろん他にも店があるが、さらに高い。

 宮崎の麹(↑)は安い。40年以上前に明石で米麹を買い始めた時は一枚が900円ほどしていた。木枠に囲まれた洗濯板のような板(↓)の上に延ばされた真っ白な一合が900円だった。そのあと宮崎に来る直前にはたぶん1100円か1300円していたと思う。それが宮崎では2000年過ぎに310円だった。恐れ入った。店に行くようになって仲良くなった夫婦がサンマリーン球場へ行く道に直売店を出していて、清武の味噌やが作る麹を置いているのを買っていたのである。何年か前に値上げをしても450円ほど、これほど都会と価格の違いがあるのも珍しい。その直売店も店主が病気で今はないので、売られている場所を探して買うようになっていた。清武役場の隣の四季の夢という直売店にあった。しかし、大学に行かなくなってから、清武も遠くなって、少し高いが近くの直売店で別の米麹を買うようになったわけである。甕に3合の炊いた米と米麹を重ねて作る。混ぜる手間はいるが、麹菌がいい塩梅に加減してくれる。飲む点滴、らしい。昨日は5袋しかなかったので、また一つを買いに行く必要がある。

江戸創業の明石の麹屋京作の米麹

 とまとと麹の他に大根を2本買った。1本120円で、最近では一番安かった。柿なますと野菜スープに使っているが、最近は毎日私が大根おろしにちりめんじゃこをかけて食べるようになっていて、すぐになくなってしまう。台風のあとは品物そのものがなくなっていたが、少し出回り始めた。畑でも芽を出したあと、順調に大きくなっている。(↓)11月に入ったので、たぶん虫の心配も要らないだろう。ただ春先になって薹が立ち花が咲いてしまうと、鬆(す)が入ってしまって食べられない。実際は食べられるが、まずいので食べない。大根はサイクルが短い冬野菜である。作ると頃合いが難しいとわかる。しかも、でき始めると一斉である。しかし基本的には作りやすい方だろう。

昨日は雨で柿も小休止だった。また再開である。陽が照っていないが、向こう1週間は雨マークがないので、無事に干し柿は出来そうである。数が多いので、干してある分を2階のベランダまで運んだ。途中で2個が落ちてしまい、へたの部分が千切れてしまった。生乾きの柿は充分に重い。運ぶのも一仕事である。下の場所は確保したので、またせっせと剥いて、消毒して、干すだけである。長男が「おれ干し柿大好きやでえ」と妻に電話で言ったらしい。「送ったろ」と、妻は決めたようだ。干し柿づくりを再開したので、今の家に来てからだから、宮崎に来てからいっしょに借家に住んでいた時は干し柿を作っていなかった。だから、長男が好きだと知らなかったわけである。

2階に移動した柿

 放っておくと「息をするのも面倒くさい」とため息をつくのに、「食べ物が薬だ」と思って努めて野菜を食べ、わざわざ拵えて甘酒を飲み、発酵食品を欠かさない。妻の個展の案内の返事の中に、病気の知らせが多い。身近な人がなくなった知らせもある。大変そうな人が多い。特に配偶者や親が癌になっている人は、ほんとうに大変そうである。もちろん私より上の世代の人では、連れ合いが自分を忘れてしまっている人もいる。「妻が老人ホームに入り丸一年が経ちました。半分は認知、半分は?面会に行ってもすぐ判ってもらえないのが寂しいです。他人ごとではない己こそ‥‥迷惑をかけないよう気をつけます」という90を越えた人の便りは、重い。日常が過ぎていく。

2022/11/1現在合計201個、作業継続中

追伸:降らないと思っていた雨が降り出した。慌てて2階の分を部屋の中に入れたが、一本がどさっと落ちてしまった。3個が駄目になって、3個が支えの枝が折れている。雨に濡れたままだと、黒ずんでしまう可能性があるから、ドライヤーで乾かす作業が増えた。「向こう1週間は雨マークがないので、無事に干し柿は出来そうである」と書いた矢先だ。なんでもありである。

つれづれに

つれづれに:ケニア1860

 今日から11月で、今年の11月のカレンダー(↓)である。(→「私の散歩道2022~犬・猫・ときどき馬」)今年もあと2ヶ月となった。一日も早く柿を剥き終えて、冬野菜を植え替えたいものである。

 「米1860」「日1860」「南アフリカ1860」「ジンバブエ1860」「ガーナ1860」、→「コンゴ1860」の次は「ケニア1860」で、これが1860シリーズの最後である。悔しいかな、これ以上は蓄えがない。歴史に関心があったわけではないし、外国の文学に興味があったわけではないが、小説を書くには大学がよさそうと考えて職を探すのに大学院に行き、修士論文を書いたのが始まりである。さほど関心もなかったのによくもまあこれだけの国の歴史を辿ったものだとも言えなくもないが、絞り出してもこれだけかと言う諦めもある。

グギ・ワ・ジオンゴ(小島けい画)

 ケニアの始まりは、大阪工大の教授をしていた先輩から紹介された出版社の社長さんである。グギさん(↑))とえらく気が合ったと言うか気に入ったと言うか、グギさんの小説の日本語訳の出版を続け、ケニアまで会いに行っている。すごいものである。紹介されて横浜で会い、しばらくたってから医科大に決まった。そのあと、言われるままに雑誌用の記事を引き続き書き、大学用の編註書や日本語訳を次から次と言われて、断れないままやっていたら、やっぱりグギさんの『作家、その政治とのかかわり』(↓、Writers in Politics)の日本語訳を言われた。

 すでにラ・グーマの日本語訳を言われて本も出ていたので、1冊の日本語訳にかかる労力と時間もわかる。「この本の日本語訳を‥‥」と本を送り届けられても、「はいはい」とすぐにできるわけではない。最低でも、丸々2年はかかる。それにこの本は評論で、国際会議で読んだ論文を集めている。内容が多岐に渡りすぎる。ケニアの政治と演劇、アフリカ系アメリカの反体制の歴史、韓国の詩人金芝河(↓、キム・ジハ)の詩と反体制活動の三つである。アフリカ系アメリカの歴史以外は、まったく知らない。歴史からである。「どないすんねん」(→「アングロ・サクソン侵略の系譜の中のケニアの歴史」、→「アングロ・サクソン侵略の系譜の中の金芝河さんのこと」 )

 しかし、哀しいかな、読んでみると、反体制の数々、痛いほどわかる。「しゃーない、するしかないか」先ずはケニアの歴史と韓国の歴史からである。手に余るが、嘆いていても終わらない。どちらもぼんやり全体像を掴むだけでも、時間がかかった。歴史をしっかりと理解してからでは何年かかるかわからない、日本語訳と併行して進めるしかない。ほぼ2年、何とか訳し終えたが、出版の目途は立たない‥‥。本を出すのに200万か300万はかかるから、いつかは出せるが‥‥らしい。社長さんがなくなってもう何年かになるが、もちろん原稿はそのままである。他にケニアのエイズの小説『ナイスピープル』(↓)も日本語訳を言われた。また1冊をする気がどうして起きず、辛うじて人の手を借りて訳し終えたが、未出版である。こちらは、だいぶお金もは払った。

 で、ケニアの歴史である。大英帝国の野望にケニアも巻き込まれた。インドへの要衝地を植民地争奪戦の競争相手のフランスに手渡す訳にはいかないとイギリスは南アフリカのケープ地方に1795年に大軍を送った。ケープを領有していたオランダの入植者がいるのを承知の上である。1806年にケープ植民地を発足させた。ケープ植民地相を歴任したセシル・ローズ(↓)はケープと東海岸からエイジプトに至る縦の大英帝国を夢見たと言われる。ジンバブエはその手始め、国の名前に自分の名前を使ってローデシアと名づけた。その首都に家を借りて、家族で住んだ。

ケープ植民地相だったセシル・ローズ(「アフリカシリーズ」から)

 ケニアの植民地化はベルリン会議(1884年から1885年)でのアフリカ分割が直接的原因である。1886年8月、後のタンザニアに艦隊を差し向けたドイツ帝国に対して、支援要請を受けたイギリスも東アフリカに介入した。フランスを交えた三カ国の協議の結果、東アフリカに分割線が引かれ、境界線の南の現在のタンザニアに当たる部分をドイツが、北の現在のケニアに当たる部分をイギリスが取ることになった。

 当時アフリカ大陸南部の権益確保に力を注いでいたイギリス政府は余裕がなく民間の手を借りた。英領インド汽船会社は、モンバサ港周辺にイギリスが持っていた商業利権をもとに、1888年に勅許会社の帝国イギリス東アフリカ会社を設立し、アフリカ東部でのイギリス勢力圏の建設を始めた。1895年に現在のケニアに相当する部分が保護領となり、1920年に直轄のケニア植民地になるまで続いた。その経緯を見ると、1888年が歴史の流れが変わった潮目だったようである。日英の潮目から28年後のことである。

ケニア東海岸の港町モンバサ

 2021年11月27日(土)にZoomシンポジウム「アングロ・サクソン侵略の系譜―アフリカとエイズ」をしたとき、エイズの話の前にバズル・デヴィドスンの「アフリカ・シリーズ」を軸に、ケニアの歴史を辿った。その中で、ジョモ・ケニアッタの独裁政権と対峙したグギさんと『作家、その政治とのかかわり』(Writers in Politics)の中に紹介されている金芝河さんの詩の日本語訳を紹介した。(→「2021年11月Zoomシンポジウム最終報告」