つれづれに

▲ 「つれづれに」:「半ばを過ぎても」2月10日更新、本文はお知らせの続き

「半ばを過ぎ」(2月5日)、→「アフリカ小史関連」連載中)、→「半ば」、→「インタビュー」、→「構想は」、→「しばらく」(12月28日)、→「宣教師」、→「英語雑記ー生得的」、→「晴れが続き」、→「月曜日」、→「山茶花」、→「日曜日」、→「歩く」、→「瓢箪南瓜」、→「探検家」、→「グレートジンバブエ」、→「ルーツ」、→「『アフリカのための闘い』」、→「アフリカシリーズ」、→「1980年頃」、→「柿干せど」、→「アフリカ小史」「アフリカ人に聞け」、→「ZoomAA第7回目報告」、→「彼岸花」、→「医師の苦悩」、→「台風一過」、→「コンゴと南アフリカ」、→「腸腰筋」、→「原言語」、→「分かれ目」、→「修学旅行」、「『つれづれに』一覧」→(2023年~2018年)(2025/2/10更新)、→(2018年~2007年)、→(2006年度)、→(2005年度)

▲ 連載中「ZoomAA一覧」(2023年12月15日~)、連載済「エボラ・コンゴ関連」「南アフリカ関連」「エイズ関連」

▲ 2025年カレンダー 

表紙(犬)メリーちゃんとクリスくん (6号)

2月(馬) リープ (2号)

「私の散歩道2024」、→「私の散歩道2023」、→「私の散歩道2022」、→「私の散歩道2021」

▲ これまでのカレンダーを更新しました(2024/1/7)→「私の散歩道~犬・猫・ときどき馬~一覧(2004年~2024年)」Calendar List(2004~2007は私製です

▲ 書いたもの→「2021年11月Zoomシンポジウム最終報告」続モンド通信40、2022年3月20日)

「『ナイスピープル』と『最後の疫病』 」(2月20日)、→「アフリカとエイズ」(1月20日)、→「ケニアの歴史4:モイ時代・キバキ時代 ・現連立政権時代」(12月20日)、→「ケニアの歴史3:イギリス人の到来と独立・ケニヤッタ時代 」(11月20日)

▲ →「アングロ・サクソン侵略の系譜一覧」(2018年12月~)

▲ 続モンド通信38(1月20日)→「続モンド通信一覧」(2018年12月~)、「モンド通信一覧」(2008年12月~2016年9月)

● 小島けいのblogから:

*→「<お知らせ> 2021年 小島けい個展案内」

*new!私の絵画館:→「ラッキー(ミックス犬)とブルーポピー」4月20日)英訳付き(Lucky (Mutt) & Blue Poppies in English

「観覧車」(1月20日)、→「康太郎くん(ダックスフンド)」(12月20日)、「雪之丞くん(ペキニーズ)とおもちゃ」→(11月20日)、「子馬(ジャスミン)とコスモス」→(10月20日)、→「私の絵画館一覧」(2018~)

*エセイ:「⑯:アリスの小さな“きせき”」2021年12月20日

「⑮:月は友だち?」11月20日)、→「⑭:秋にはコスモス・・・・」(10月20日)、→「⑬:中秋の名月に」(9月20日)、→「小島けいのエセイ一覧」

▲ 「書いたもの一覧」を更新しました。(2021/4/26)

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▲ 小島けいの絵のブログ Forget Me Not

つれづれに

つれづれに:半ばを過ぎても

先週の木曜日にあった梅まつりの幟と掲示

 休載予定を書いたあと、→「構想は」(1月10日)、→「インタビュー」(1月13日)、→「半ば」(1月26日)、→「半ばを過ぎ」(2月5日)を書いて、また今回である。10の山を越えて下りに入り、あと2、3日で最後から3つ目の山を登れそうである。それでも、一つ一つ出来ることは済ませて進まないといけないので、やっぱり時間はかかる。大体先は見えてきたが、それでも終わってみないとどうなるかはわからない、といったところか?

前回書いてから、2回白浜にマッサージを受けに行った。どちらの日も冷たくてきれいに晴れていたので、海の色が濃かった。冬の海である。最近は野球のキャンプが来ているので、車が多い。先日はAコープの駐車場に駐車禁止の立て看板が出ていた。レッカー車の記述が入っているので、だいぶ迷惑しているんだろう。近くの球場で試合があると、近くの駐車場に無断駐車する人が多い。メディア関係者や観光客を当てにしているホテル関係者や飲食店や土産物屋なども多いらしく、年中行事になっている。試合の日は、歩いて駅に向かう人も多い。

曇り空と、青島参道(上)、白浜定位置(中)、白浜サンクマール(下)

 先週の土曜日に好燐梅の梅見の行事が開かれたようだが、花は咲いていたんだろうか?先週も昨日の日曜日にも同じところで梅の写真を撮ったが、花はまだ一つも咲いていなかった。前は舗道で、海風の通り道になって、気温が上がらないからだろうか?

好燐梅の梅の樹は、南向きの山肌に植えられているので、陽当たりもよく気温が幾分高いのかも知れない。

何年か前に好燐梅の梅を観に行った時の写真

 加江田川の橋を渡って、青島への旧道に入る手前にも梅の樹が1本ある。その樹も、せいぜい2分咲き(↓)くらいだった。1枚写真を撮った。

今の時期が1番寒いようである。昼に陽が照っても、なかなか気温が上がらない。他は雪が降っているところが多い。広島からもらったメールにも「雪が降り始めたと思ったら30分でうっすら一面白くなってきました」と書かれてあった。

食べられるものが足りないのだろう。青島近辺にも猿が出ているらしい。人間が山を荒らすせいである。駆除に賞金をかけたりしたという話も聞くが、人間が一番怖い。申し訳ない気もちになる。

家の畑にも例年以上に鳥たちがやってくる。今年の狙いはブロッコリーの葉である。かなり食われてしまった。大きくなった分は何とか実をつけてはいるが、植え替えたばかりの葉っぱは、哀れ茎だけになっている。少し大きくなりかけた大根の葉も、見事にやられている。鳥さんたちは大歓迎だが、ブロッコリーの実も、大根も気になる。早く温かくなってくれるのを祈るばかりである。

つれづれに

つれづれに:半ばを過ぎ

小島けい画

 3月末か4月末かに投稿するつもりで休載予定を書いてから、→「構想は」(1月10日)、→「インタビュー」(1月13日)、→「半ば」(1月26日)に続いて、また書いている。経過報告である。全体の構造がはっきりと見えてきて、半ばを過ぎたという感じがしている。13の山を設定して8つを終え、9つ目の半ばあたりである。ただ、先は見えても、一つ一つ踏んで進んで行かないと最後までは行き着けないので、それなりに着実に時間はかかる。全体像が見えなかったときよりは、早く済みそうな気配もするが、終わってみないとわからない。

一昨日は久しぶりに雨だったからか、腰の左側と右の頸の上辺りに鈍い感じで痛みがあった。気圧の関係からだろう。腰を痛めたあと、まだすっかりはよくなっていないので、これも時間がかかりそうである。じっくりと指を入れてもらえるので、助かる。

それに片道1時間ほど、自転車をこげるのも有難い。帰り道で、水仙を摘んで帰った。今年は枯れ草の中に咲いていた。

小島けい画

 曇り空だったからか、いつも見る青い海の感じはなかったが、曇り空の下の海もそれなりによかったので、何枚か写真を撮った。

青島参道(上)、白浜定位置(中)、白浜サンクマール(下)

 梅が咲いているか確かめてみたが、まだ蕾の段階のようだ。

咲いている時期に一昨年に撮った写真

 自治会の回覧板に、今週の土曜日に好燐梅の梅見の行事が開かれるとパンフレットで見かけた。行ける範囲に入っているということだろう。自転車で二人で出かけたことがあるが、踏切近くの掲示を見て近くにいた人に場所を尋ねたら「遠いですがね」と宮崎のイントネーションで言われた。行ってみたら、その言葉に嘘はなかった、こいでもこいでも着かないし、ほんとに遠かったねえ、と妻が言っていた。いまでもこの時期には「遠いですがね」と宮崎イントネーションで言ってみては、二人で時々笑っている。

何年か前に好燐梅の梅を観に行った時の写真

つれづれに

つれづれに:半ば

小島けい画

 3月末か4月末かに投稿するつもりで、「つれづれに」はしばらく休載予定で5冊目を書き始めたが、→「構想は」(1月10日)、→「インタビュー」(1月13日)に続いて、また書いている。今回は、構想がわりとはっきりして来て、半ばを過ぎたか、過ぎてないか辺りをうろうろしている感じである、というのを書きたかった。人によって書き方はいろいろのようで、日本語訳や編註をした南アフリカの作家は頭の中にすっかり出来上がってからタイプライターに向かい、あとは修正を加えるだけだと、同じく亡命していた友人の学者に答えている。

「たまだけいこ:本(装画・挿画)一覧」

 私の場合は、塊りが胸の辺りにあって、書き始めるとだんだんと形が出来て来て仕上げ、最後に繰り返し、繰り返し細かな修正をする、そんな感じである。今回も同じで、どこかの出版社の目に留まる工夫はするつもりで始めているが、やっぱり書きながらだんだんと構想もしっかりとして来て、構想に関しては大体目途がついた、そんなところである。全体の構造が決まると、途中や最後を先に書くこともある。今回も、最後の2章が先に出来ている。最初書いた時より、描写が的確になっているような気もするが、的確なのがいいのかどうか。出版社の目に留まり、原稿依頼がくればいい。そうすれば、書き溜めたものも生きると思っている。

小島けい画

 6つの山が終わって、あと7つの山が残っている。構想ははっきりし始めて来たが、それで半ばを過ぎたか、過ぎてないか辺りをうろうろしている感じなんだろうと思う。好きで書いているのだから、苦しいとは思わないが、仕上げるまでにはまだ時間がかかりそうである。できれば4つほどインタビューもしたいと思っている。

小島けい画

 少し前から庭の水仙が咲き出した。北側の花壇の花を妻が切って壺に生けている。なんとも言えないいいにほひが漂っている。水仙も妻が好んで装画に描いた花の一つである。英語併記の花一覧の中にも入っている。→「水仙(すいせん)- Narcissus」

小島けい画

つれづれに

つれづれに:インタビュー

 家の北側に苗木で植えた椿が花をつけ始めた。宮崎神宮の植木市で見つけて、1本は庭の東側に、2本を北側の花壇に植えた。本当は陽当たりのいい畑の南側に植えたかった。しかし、すでに金木犀の生垣が大きくなり過ぎていたし、陽の当たる南側に植えようとすると、20坪ほどしかない畑がだいぶ狭くなってしまう。やむを得ずそうなってしまった。従って、南側のようにはいかないのだが、それでも花をつけてくれる。

 小説に使うためにインタビューしてもらったのは3回目である。1回目は普通の高校生の受験勉強はどんなもんなんだろうというのが知りたくて、諒解を得て録音させてもらった。応じてくれたのは元同僚で、昔昔北九州大を受験して不合格だったと聞く。僕も不合格だったので、同じところを落ちたんやなあと言ってしまった。しかし聞いてみると、同じ受験生とも思えなかった。その人はそこだけ受けたようで、不合格のあとどこも決まらないまま時がすぎ、就職の話を薦められるまま受けて就職することになったそうである。僕の方は、5教科をほとんどしないで、時期が来て受験、最初は5教科7科目をと思っていたが、いつしか5教科5科目のつもりになり、何もしないまま受験。結果は見えていた。北九州大を受けたのは英国社3教科だったのに加えて、前期と後期の間に受験で来たからに過ぎない。少しも受験勉強しないで、ひょっとしたら通るかも知れないと考えている節があったんだから、めでたい話である。それも、30まで生きるとして、それまで時をやり過ごすためだけに大学をと考えていたようだから、救いようがない。受験勉強をして北九州大だけ受験した人とは、違う。1浪しても、何も出来なかった。

2つ目のインタビューは、やはり元同僚に医療倫理について聞いた。録音させてもらって、こちらは小説に使った。出版社の目に留まらなかったので、今のところ本人には報告出来ていない。今後目に留まれば、書き貯めたものも活字になるだろう。

3回目のインタビューは、今から使うつもりだが、どこかの出版社の目に留まれば幸いである。今回はズームで録画させてもらった。

昔は自分の中の想像力と生得的な創造力だけで小説は書けるものと思い込んでいたが、帚木蓬生さんの『アフリカの蹄』を見た時、インタビューしてたんだと感心してなぜか思い込みを解いた。取材力も一つの武器なのだろう。

3月末か4月末かに投稿するつもりで、「つれづれに」はしばらく休載予定で5冊目を書き始めたが、→「構想は」に続いて、また書いている。今回は、5冊目のために依頼したインタビューの報告である。今後も、連載を再開する前に、何だか書きそうな気配がする。

3人はすんなりインタビューに応じてくれたが、よく会っていた卒業生には断られた。揉めるの困りますから、とはっきりしていた。誰もがインタビューに応じてくれるわけでもないらしい。

「小島けい2004年私製花カレンダー2004 Calendar」1月

 椿には、妻の絵でずいぶんと世話になった。カレンダーの話を長崎の広告印刷会社からもらい、最初に描いた表紙絵が椿である。小振りの藪椿が好きで、それまでたくさん描いていたので、自然に出来上がった、というところだ。

「私の散歩道2009」

 1980年代の終わりに私の専任が決まる前から雑誌にたくさん記事を書かせてもらっていた出版社から、妻に「装画や挿画を描きませんか?」と誘いがあった。僕が材料を探し、妻が実際の花を見て、装画を描くことが多かった。その一つが椿である。

「たまだけいこ:本(装画・挿画)一覧」

 パソコンで世話になっている人に絵専用のブログを拵えてもらい、描いた絵を載せ始めた。年月分だけ、貯まっている。ブログは外国の人が毎日何十人かは見てくれるようで、英訳もつけ始めたがそれほど進んでいない。途中だが、一覧できるようにしている。→「椿」