つれづれに:秋桜(こすもす)(2022年8月23日)

2022年8月23日つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:秋桜(こすもす)

 100坪余りの借家の東半分が畑だった。畑の秋桜(こすもす)は採って家の中にも飾ったが、絵(↑)にもなり、カレンダー(↓)にも残っている。(→「秋桜」)推薦してくれた人の妻が野菜を作っていたようだが、入った時は引っ越し後しばらく経ったような気配で、畑にはコスモスが一杯に咲いていた。こすもすには「風に吹かれてそよそよ揺れる」という感じのイメージがあったが、畑のこすもすを見てイメージが変わってしまった。人の背丈は優に越えていたからである。逞しかった。聞くと、新居に入る時から畑で野菜を作るつもりで、隣町の黒土を業者に運び入れてもらっていたらしい。土地が肥えていたわけである。黒土には如何にも肥えているような艶があった。霧島の噴火で吹き飛ばされた火山灰が長い間堆積されて出来たようで、隣町の清武町や田野町はその土で覆われているようだ。自転車で大学に行くときに見る田んぼもこの黒土である。大学が造成される前は田んぼだったようだから、建物の下はこの黒土である。病院脇の田んぼも黒々としている。触ってみると、結構細かく、水捌けがよくないとどろどろになってしまう。こすもすが枯れたころ、根を家の周りに丁寧に植え替え、家主の妻にその話をしたらにやにやと笑っていた。こすもすが一年草であることも知らなかったわけである。

「私の散歩道2010」10月(→「私の散歩道~犬・猫・ときどき馬~一覧

 畑の北側に家はなかったので、陽当たりはよかった。北側に蜜柑の樹が二本あった。樹は大きく結構実がなりそうだった。知らぬとは言え、明石の家に淡路島から子蜜柑を売りに来た時、食べてみると甘かったので、ひと箱家主に送ったことがある。蜜柑天国の宮崎に、しかも畑に蜜柑の樹がある人に、わざわざ小蜜柑を送ったわけで、知らないのは罪なものである。その樹は生木のまま虫に食われて枯れてしまった。体に害のない処置をすべきだったと少し悔やんでいる。当時公害で話題になった土呂久(↓)訴訟を支援していた元朝日新聞の記者が近くに住んでいて、取材協力などもしていたので、農薬には敏感になっていた。今から思うと、希釈した酢をかけるくらいは試してみるべきだったと思う。

 東の端には大きな太い山桃の樹があった。かなり大きくなっていて、その年にも赤紫色のたくさんの実をつけていた。次の年には実の落ちる家から苦情が来て、枝をばっさりと切った。家主にその話をしたら、就任祝いに助教授の人から苗木を贈られて植えたものらしかった。開学以来十数年の間に、充分に大きくなっていたわけである。大学の近くに越して来て大きな山桃を拾ってジュースを作り始めたとき、あの山桃もジュースになってたのになあと思っても後の祭りだった。今は座って畑作業をするようになっている。鍬を持って中腰で作業をすると腰が痛くなるからである。最近は年配の人が鍬を使っているのを見ると「あの人はまだ作業が出来るんやなあ」と感心する。その頃はマッサージのおかげで白髪も消え、髪も黒々としていたし、鍬で耕しても腰が痛くなることはなかった。

 作る野菜は大体決まっていた。夏野菜では胡瓜、茄子、ピーマン、とまと、オクラ、南瓜、冬野菜は大根、レタス(↑)、ブロッコリー、絹さや豌豆(↓)と葱である。苺は難しくて作れていないが、いつかやってみようと思っている。とまとも難しい。春先は急成長する青虫に追い付けず、真夏は日照りと蚊に悩まされて畑に出られないことも多かったが、全般には二人で食べるには十分すぎる野菜が獲れて、お裾分けするのに忙しかった。しかし、研究室の空間と言い、野菜の取れる畑と言い、贅沢な話である。本当は、体が動くだけでも充分に有難い。
次は、非常勤、か。