まとめてみると、結構いろいろやったわけやね。成績も出して、一段落。後期は工学部の授業はないけど、来年の前期で新入生のクラスを持つかもね。授業では会わないけど、いつでもどうぞ。
トーイックの続き⑩以降も作っておくんで、要る人は遠慮なく。
もちろん、トーイック、スコアをあげる必要性が出たり、やって見る気になったときは、いつでも手伝うつもりです。もう先は長くないと思うけど、手伝いを頼まれた地域資源創成学部の今の3年生が卒業するまでは居るつもりなんで。
******************
<英語 Ta1(7)について>
概要
折角の出会い、楽しくやりましょう。
語学は教養科目の一つ、英語を手段に自分について色々考える機会になれば嬉しいです。
英語は伝達の手段ですので、アウトプットして実際に使えるように工夫しましょう。後期は学部の方針でトーイックの点数でのクラス分けするようです。
英語は植民地争奪戦で一番厚かましかった人たちの言葉で、今や「共通語」です。学校では自国の都合しか教えませんから、日本人の大半は、西洋人が作り上げた搾取機構にただ乗りして恩恵を受けながら、加害者意識のかけらもないようです。今までの価値観・歴史観を再点検する機会にして下さい。
トーイックは就職に必要でしょうから、併行してやりましょう。
僕のブログは「ノアと三太」https://kojimakei.jp/tamaで、今まで書いたものなども載せています。クラス専用のページを使う予定です。アクセス制限をかけています。
ユーザー名( c2018ta17 ) パスワード( 3qVZ )
メール(tamadayoshiyuki@gmail.com)で気軽にどうぞ。
評価
評価は ①提出物(課題4割)と授業への関わり(発表1割)、②トーイック演習2割、試験3割、を総合的に評価する予定です。
<発表について>
自己紹介か、何かの話題での英語での発表。授業時間内に出来ない人は、研究室で個別に。あとで発表と感想を提出して下さい。
<明日から授業です。>
4月9日
明日から授業です。よろしく、ね。
<1回目>
4月10日
第1回目の授業でした。楽しくやれそうやろか。
半分くらいに簡単な自己紹介をしてもらって(もうちょっとしゃべってもらえると有り難いけど)、単位は任せといてやとかいろんなことをしゃべり、ブログを案内して、最後にCNNを見てもらって終わりでした。
次回は、あと半分の人にしゃべってもらい、出来ればCNNのtranscriptionと新聞記事をやってくれる人を決めたいと思っています。進んでやってや。いっしょにやっていこ。僕が一人でやってもおもしろないし。
トーイックに関しては1~20まで、僕が日本語を言うので、プリントを見ないで英語を言ってくれたら。やりながら、やったあとで、いろいろ解説が出来ると思います。
最後に見てもらったニュースの映像については参考ファイル(ファイル置き場)にCNN1995wmv(映像ファイル)を置いておきます。ダウンロードして見てや。聞き取ったもの(transcription)の穴あきシートと解答を配ってますので、自分でやってみて解答で確かめるといいね。次回、Q&Aをやりながら聞き取った内容が理解出来ているかをやってみようと思っています→Listening Comprehension Practice
ニュースは元々キャスターがはっきりとわかりやすいように原稿を読むのが基本なので、ほとんどわからない場合、聞くのに慣れる必要があると思うよ。相手の言ってることが聞き取れなかったら、コミュニケーションもなにもないからね。
ダウンロード出来なかったり、何かあったらメールしてくれたら返事するよ。
課題については説明出来なかったけど、それも次回に。課題図書は早い目に探して方がええと思う。僕の所にもあるし、★のものは画像にしてCDで渡せるので連絡してもらえれば。
配ったプリント:自己紹介、自己紹介用紙(次回出してや)、授業と評価と課題について、①(解説編3枚、演習編2枚)、新聞記事、CNN(演習シート、解答)
600点レベルの②③④は印刷してあるので、はようやりたい人は言ってくれれば持って行くよ。
スコアをあげとこと本気で思ってる人は、いつでも力になれるよ。自分がやるかやらないかやと思うけど、少しくらいはきっかけの役には立てると思ってるけど。
また、来週に。
<2回目>
4月17日
2回目でした。
ブログをチェックしてから、Louis ArmstrongのWhat a Wonderful Worldを聴いてもらい、人物についての簡単な紹介、生まれ故郷のニューオリンズのFrench Quarterの映像の紹介をしました。
それから僕の自己紹介で生まれた頃から、高校の教員の時、大学院の修士でアフリカ系アメリカ人の作家Richard Wrightを修士論文のテーマに選んだことなどを英語でしゃべりました。最後は日本語で補足説明しましたけど、大体わかったやろか。
次回は、今回聞けなかった半分の人にしゃべってもらい→CNNのtranscription(岩切くん)→新聞記事(萩原くん)→CNNを見てからQ&A→トーイック①1~5(加藤くん)6~10(吉留くん)→11~15(宇佐くん)→16~20(池田くん)の順で演習をやるつもりです。
1995年のCNNニュースの映像は参考ファイルに映像ファイルを置いますので、transcriptionの穴あきシートで実際に聞いて穴埋めしてみるとわかりやすいと思います。
前回も書いたけど、課題図書は早い目に探しや。いつでも協力はするんで。
また、来週に。
<3回目>
4月25日
3回目でした。
午前中あまり降ってなかったけど、午後からは雨になりました。行き帰りがなかなか難儀です。3週目が終わったら、連休で一息、昔は5月病と言って、そのあと授業に出られない人が出たりしたそうやけど、今はどうなんやろ。ま、人によって違うけど、一人暮らしを始めていろいろやってもらってたことを自分でしないといけなくなり、この時期に病気などすると看病してくれる人もいなくて、体調を崩して、という場合もあるようです。みんなは大丈夫?
来週の火曜日は木曜日の時間割なんで、次の授業は5月8日です。
最初にブログをチェックしてから、Louis Armstrongの続き、「真夏の夜のジャズ」の最初少しとLouis Armstrongのトランペット演奏をみてもらいました。
トーイック①1~5(加藤くん)6~10(吉留くん)→11~15(宇佐くん)→16~20(池田くん)をやってから、例文の解説も少しやりました。それぞれちゃっと準備してたと思います。
CNNを見てからのQ&Aでは、英語で街の名前などを聞いたあと、どうして大統領がエボラの危機が首都のキンシャサの近くまで迫っている中で北部の小さなギメナという村を訪問したかを聞きました。
次回は、CNNのtranscription(岩切くん)→新聞記事(萩原くん)でその背景を知ってもらいたいと思います。自分でも読んでおいてや。
少し話をしたけど、大統領のモブツはアメリカに担がれて独立後にコンゴの独裁者になった人で、独立、コンゴ危機を理解しないと新聞記事は理解できないので、次回はその辺りも含めて詳しく読んでいこ。
実際はコンゴの悲劇はレオポルド二世のコンゴ自由国の植民地時代までさかのぼらないと理解できないので、そこも辿ろうと思っています。関連のプリントなども用意しておきます。
「コンゴ自由国」を自分の植民地として手に入れたベルギーのレオポルド2世
「アウトブレイク」とアメリカのテレビ映画「ER救急救命室」の中でシカゴの医者がCNNの舞台になったコンゴの東部にボランティアに行く話があるので、実情に近い雰囲気を知ってもらいたいので、いっしょに観ようと思っています。出来ればL111の階段教室の大きな画面で観てもらいたいと思っています。仮押さえされている教室が空いてないと使えないので、その時までに確認しておきます。
アメリカのテレビ映画「ER救急救命室」
配ったプリントはなし、です。
また、来週に。
<4回目>
5月8日
4回目の授業でした。
前回の授業でも「午前中あまり降ってなかったけど、午後からは雨になりました。行き帰りがなかなか難儀です。」と書いたけど、今日もまた雨。行きは何とか合間に辿り着けたけど、帰りはほんとの土砂降り。
トーイック、前回してなかった11~15(宇佐くん)をやって解説。前回のをすっかり忘れてて、申し訳なかったです。
そのあと、CNNのtranscriptionを岩切くんがやってくれました。日本語もしっかりしてたね。わりと詳しく解説しました。ま、初めての日本語訳でもあったし。
新聞記事をやってもらう時間がなかったね。次回は必ず。池田くん、よろしくね。
次回は今日言ってもらえなかったコメントを何人か→トーイック30題(21~25源くん→26~30渡辺さん→31~35加藤くん→36~40本田くん→41~45鈴木くん→46~50中道くん)→新聞記事(萩原くん)。
時間があれば1976年の一日目のエボラ騒動のドキュメンタリー見てもらえるとええな。
その次の時間は、L111の大きな階段教室で、1995年の騒動をよりセンセーショナルにしたアメリカ映画「アウトブレイク」の何場面かを繋いだ映像と、前回紹介した「ER救急救命室」をみてもらおうと思っています。
今日配った地図で見てもらった北東部のキサンガニの診療所にERの主人公の医者カーターが行く話です。
次回までにL111の階段教室を予約して次回の授業で連絡するね。
配ったプリントは地図(キンシャサからモンバサ)←表、ジンバブエのインフレの記事(次回読む記事の中にコンゴのインフレの話が出て来ます)
また、来週に。
地図をみながら、アフリカ大陸を横断するAIDS HIGHWAYの東端のケニアの港街モンバサの話をしたときに出て来たサバといっしょに体育館でバスケットをやってた頃の写真がありました。サバはまだ奈良の就職先にいるんやろかなあ。
<5回目>
5月15日
5回目の授業でした。三分の一が済んでしまったわけやね。
いい天気が続いています。
今日は最初にトーイックリスニングの過去問、トーイック協会から出ている唯一の問題集『TOEICテスト新公式問題集Vol6』のリスニングPart1~4のうちのPart3の41~58まで。(残りは二回に分けて持って行きます。)
過去問をしたいと何人か自己紹介に書いてたんで、持って行きました。
音声ファイルは参考ファイルに置いてあるんで、自分でダウンロードしてやりや。次回は解答をチェックするかな。解説も配ります。
(次回はL111の階段教室で映像を観て、音楽も聴いてもらうつもりなので、ひょっとしたら、次々回になるかも。その時は悪しからず。)
→→→22日(火)はL111の階段教室です。
コメントは8人。名前だけの人が多くてつれない感じがするけど、いろいろしゃべってくれると覚えやすいです。
トーイック①の続きはやれずに、萩原くんが新聞記事をやってくれて、タイトルと最初のパラグラフで時間切れになりました。
用言や体言、5文型の話もしました。実際に使っているなかで、文章の役割や使い方をチェックするのは有効やと思います。あやふやな人は、配ったプリントでチェックしてや。
それと、1995年の新聞記事を読むのに、コンゴの独立やコンゴ危機の話が背景としてわかってないと理解出来ない話をしました。
次回は階段教室の大きな画面で、1995年の2回目のアウトブレイクが大きく取り上げられた原因の一つアメリカ映画「アウトブレイク」の何場面かを繋いだ映像と、アメリカシカゴの救命救急室の医者がコンゴにボランティアで出かける映像を観てもらおうと思っています。併せてほど90分、それを観てもらうだけになると思いますが、背景を知り、感じてもらうのには一番の映像やと思っています。
背景の新聞記事など、入り口に置いときますので、入るときに取ってや。リスニングの解説のプリントも置いておきます。
配ったプリント:トーイッリスニングPart3(41~58)(A4表裏)と、5文型と体言用言・句と節(B4表)
また、来週に。
<6回目>
5月22日
6回目の授業でした。
雨の日が続いています。行き帰り難儀するなあ。今日は特に夕方医学科の方に行ったときは、これでもかと降ってたんで大変でした。でもあしたの午後には上がって、しばらく天気のいい日が続くみたいやけど。
そろそろ紫陽花(あじさい)の季節。下は額紫陽花(がくあじさい)
階段教室の大きな画面で、シカゴの救命救急室の医者カーターが行ったコンゴの映像を観てもらいました。
その映像の前に医学科1年の佐々木くんのファイルを使わせてもらってテレビ映画の解説を少々、それからシーズン1のカーターの初日の一部を紹介しました。
かなり強烈な映像やったと思うけど、どうやったやろか。
鉱物資源にも、水にも土地にも恵まれて自給自足の豊かな生活をしていた人たちが、鉱物資源に群がる人たちによって、まさにぐちゃぐちゃにさせられている姿は、ほんま強烈です。先進国が利益を貪り売りつけた武器を使ってアフリカ人同士が殺し合う、悲惨な場面です。
次回はもう一回同じ階段教室で映像を中心に。新聞記事(萩原くん)の続きを読んでから、1976年の一回目のエボラ騒動→アメリカ映画「アウトブレイク」の数場面を繋いだ映像を紹介するつもりです。時間があれば、独立・コンゴ危機、植民地時代、植民地分割の映像も観てもらえるといいのになあと思っています。
トーイックリスニングの過去問Part3の41~58の解説は、その次の週にトーイックの試験用に時間を取ってするつもりです解説は配ったので、参考ファイルに置いてある音声でチェックしながらやりや。
配ったプリント:過去問Part3(41~58)解説(A4表裏)、1995年のエボラ出血熱騒動とコンゴをめぐって(B4表裏2、表1)と、コンゴ東部で戦闘再開(B4表)とコンゴ 反政府組織と戦闘続く(B4裏)、エボラの英文記事(B4表裏)、1976 Outbreak聞き取り・日本語訳(B4表裏)、Outbreak聞き取り(B4表裏)
1976 OutbreakとOutbreakの音声ファイルを参考ファイルに置いときますので、ダウンロードしてやってみてや。
また、来週に。
時間の余裕がないなあ、なんでやろ。
退職してもすることがあって呆(ぼ)けなくていいですね、と言われるレベルやないほどに毎日毎日することがあるわ、ほんま。
余裕が出るのは、やっぱり授業が済んで採点が終わる八月の初めになるんやろな。
<7回目>
5月29日
7回目の授業でした。
行きは雨がひどかったね。帰りは降ってなくて助かりました。今週の日曜日は自治会の一斉清掃、長いこと住んでると自治会の役員がまわってきて、へたすると会長を押しつけられそうでした。そのときは辞めるつもりやったけど、やってくれる人が現われて。結局安全衛生の係、年に2回の清掃に、防犯灯の管理やら何やら結構することがあるようです。すでに連絡網などのプリントも三種類こしらえした。清掃の当日に配るペットボトルも300本ほど、とても自転車で運べる代物ではないので、運ぶのを手伝ってもらいました。清掃区域の地図をラミネートコートしたり、ほんまええ加減にせいやと言いたくなります。何より月に一回水曜日の夜に役員会、そんな余裕はないのにねえ。3月末から4月一杯は、大きなことが舞い込んで、その合間に授業と授業の準備としたという感じでした。後期が終わってからすぐに地域資源創成学部で使うトーイック用のプリントと医学科で使う医学用語のプリント(結構な数でした)を予め用意しといてよかったとしみじみ思いました。
これを書いているとき、会長を引き受けてくれはった人から電話、ごみの苦情があったので木曜日の八時前にその班のごみの集積所に立っておこうという話でした。外部の人か新しく入居された人かが出したごみの分別が出来てなくて集めてもらえないままに放置されているからという苦情が班長さんから入ったからやそうです。
ま、いろいろあるよねえ。いっとき生活する学生の立場は、そんな煩わしいこととは無縁でいられて、ええよねえ。
前回に引き続いて、階段教室の大きな画面で映像を観てもらいました。
新聞記事(萩原くん)の続きは読めなかったけどね。またや、ね。
最初に1960年のベルギーからの独立、1963年のルムンバの虐殺を含むコンゴ危機、1976年の一回目のエボラ騒動、1995年の2回目の騒動までを英語でしゃべったあと、1976年の一回目のエボラ騒動の映像を観てもらい、transcriptionを日本語で解説しました。
そのあと、→アメリカ映画「アウトブレイク」の数場面を繋いだ映像を紹介しました。このクラスの映画は大ヒットしただけでなく、2回目の騒動を増幅させる影響を与えただけあって、観ても飽きないよね。テンポもよくおもしろいしねえ。元はあるんで、いつでもコピー出来るよ。映画でもあったCDC(米国疾病予防センター)のような施設でエボラに感染した人をめぐっての大騒動を題材にした本『ホットゾーン』も1995年のエボラ騒動を増幅させた原因の一つだったようです。映画も東京でたまたま見つけて持っています。課題図書にも入れてあります。
次回はトーイックリスニングの過去問Part3の41~58、を確認してから①の51~100までをやるつもりです。
51~55(萩原くん)、56~60(中道くん)、61~65(吉留くん)、66~70(池田くん)、71~75(松本くん)、76~80(寺岡くん)、81~85(奥田くん)、86~90(渡辺さん)、91~95(加藤くん)、96~100(宇佐くん)
いっしょにやってこ。みんなも予め覚えてくるとわかりやすいと思うよ。
去年までと違って試験は必修ではないみたいなので受けない人もいると思うけど、就職のことを考えるとトーイックも必要やと思うんで、試験を受ける人用にやってみようと思います。今したくない人は無理にしなくてもええと思うけど、基本的な英文をやるのは、言葉の運用の上でも役に立たないことはないので、利用してやってもらえると僕としては嬉しいです。無理やりやらされるのは精神的にもいいことないけど、自分でやろうという分については、悪いことではないもんねえ。
1976 Outbreak聞き取り・日本語訳(B4表裏)、Outbreak聞き取り(B4表裏)は、音声ファイルを参考ファイルに置いてるので、やってみるとええんやないやろか。
次回は普段の教室です。
また、来週に。
<8回目>
8回目の授業でした。
エボラ・コンゴ関係の映像:アフリカの植民地分割→アフリカ争奪戦→レオポルド2世によるコンゴ自由国の植民地支配、特にゴムの採集でアフリカ人に強いた残虐な行為についての映像もみてもらいました。
すでに配ってある1995年のエボラ出血熱騒動とコンゴをめぐって(B4表裏2、表1)のなかのレオポルド2世(写真↓)に関する引用を読みながら解説しました。
それから1960年の独立と、アメリカの介入によりルムンバが暗殺され、モブツ(若き日のモブツの写真↓)が担がれて独裁政権につくコンゴ危機の映像もみてもらいました。すでに見たCNNニュースや読んだ新聞記事を理解するためには必要な歴史や政治の背景やったと思います。
植民地支配の暴虐の例として、アフリカ征服、強制労働でフランス領コンゴまで敷いた鉄道の映像も少しですが観てもらいました。
第二次世界大戦の後も、先進国、特に二回の大戦でも無傷でヨーロッパ諸国に金を貸したアメリカが、独善的に戦後の搾取構造、開発と援助の名の下、多国籍企業・貿易による経済支配体制を構築したか、独立時に独立の過程を出来るだけ邪魔をして混乱させ、そこに軍事介入して独裁政権を如何に打ち立てたかがよくわかります。コンゴはその典型だったわかです。ほぼすべてのアジア、アフリカ諸国はその搾取機構の中に組み込まれて行きました。
残りの時間でトーイック例文の続き51~55(萩原くん、欠席で僕が代わりに)、56~60(中道くん)、61~65(吉留くん)、66~70(池田くん)、71~75(松本くん、欠席で僕が代わりに)、76~79(寺岡くん)で時間切れでした。
次回は80(寺岡くん)→81~85(奥田くん)、86~90(渡辺さん)、91~95(加藤くん)、96~100(宇佐くん)と最後までやったあと、
23日の試験(受ける人もいそうなので)に向けて、リスニングの過去問とリーディングの過去問、を集中的にやろ。
配ったプリント:①金のフレーズ②③④(解説と演習)、リスニングの問題と解説、リーディングの問題と解説。(結構な枚数で、しかも4クラス分、土日に出て来てやったけど、時間かかったなあ。)
リスニングの音声ファイルの続き(59~100)は参考ファイルに置きました。
自分でやらないと意味がないので、次回の授業までにダウンロードしてリスニングの過去問をし、リーデングの過去問もやりや。解説もコピーしたので、たぶんわかるとと思うけど、実際にチェックしてみようと思っています。(お節介かも)
また、来週に。
8週目が済みました。あしたから東京。三日ほど日常から離れて、あと7週、今回は夏休みの充電期間が長くなるように、早めに課題を読んで成績をつけようと思っているけど、どうなるやろねえ。
<9回目>
9回目の授業でした。
晴れて行き帰り助かりました。ただ暑かったけどねえ。
コメントを言ってもらって、金のフレーズの①を終わって、リスニングの過去問を最後まで、と思っていたけど、結局トーイックにしろ英語を使うにしろ、最後は自分でやるしかないなあ、といういつもの話と、リスニングを少々、で終わってしまいました。
23日に学内のトーイックの過去問のテストを利用して、これからトーイックのスコアが必要になる場合も考えて、実際の過去問を実際にやってみて、解説しようと思いました。いろいろ解説なども入れると、実際にはたくさん問題はやれないけど、同じ要領で実際にやってみて、解説で確かめてという作業を繰り返すことが出来たら、たぶんある程度のスコアが取れると思うよ。
次回は今日出来なかった①コメントを聞いて、②金のフレーズの①を終わって<80(寺岡くん)→81~85(奥田くん)、86~90(渡辺さん)、91~95(加藤くん)、96~100(宇佐くん>、③先にリーディングの過去問をやって、時間があれば、残りのリスニングの問題をやろうと思っています。
でも一番大事なのは、すでに配ってある過去問をみんなが実際にやることやから、今日準備出来てなかった人は必ず自分でやりや。そのために、過去問を時間をかけて印刷して来たんやし。
配ったプリントはなし。金のフレーズの⑤(600点レベルのまとめ)と⑨(用語のまとめ)のプリントは用意してたけど、渡せなかったんで、次回に。
また、来週に。
東京外国語大学のアジア・アフリカ言語文化研究所(AA研)の資料室に行ってきました。(写真を取って来てたらよかったねえ)
AA研の出している本などを眺めながら、マニアックな人たちばっかりやねえ、というのが正直な感想でした。
僕の三つ隣の部屋の日本語の教員寺尾さんから、「アンゴラ国民言語群の言語学的・文献学的総合研究」で国際共同研究加速基金を申請するのでリーダーになってくれと頼まれて引き受けたけど、研究グループの人たちはこのグループの人たちやったんやと思いました。僕と寺尾さん、それに東京外大の人が二人に愛知県立大外国語学部の人が一人の計5人やそうです。
寺尾さんはアンゴラに8回も電話をかけて(言葉はポルトガルの支配を受けてたから言葉はポルトガル語)何とか受け入れ大学からの確認書を手に入れて、すでに申請書を出しています。額面は2000万。
「寺尾先生の研究計画調書を読んでいて、
どのような人生を歩めば、アンゴラの言語に興味を
持つようになるのだろう。と疑問に思いました。」
<10回目>
6月19日
10回目の授業で、あと5回になりました。
今日は行きも帰りもよう降ったねえ。
コメントも聞けず、80~85を僕がさっとやって、86~90(渡辺さん)、91~95(加藤くん)、96~100(宇佐くん)にやってもらって(渡辺さんには悪いことしました、ごめんなさい)金のフレーズの①を終わり、リーディングの問題を1問だけやって時間切れでした。かなり丁寧に、出来るだけスコアを取れるこつなども交えながらやったんで、結構時間がかかったね。
折角時間をかて、過去問をコピーして配り、実際に問題もやったんで、時間内に出来なかった分は試験の日までにやって、どれくらいスコアが取れるか、自分で確かめや。
試験は今回だけやないので、同じやるんなら、試験を利用して、就職や進学に役に立つスコアまで行けるとええね。
次回は今日出来なかった①コメントを聞いて、②金のフレーズの②101~110(岩切くん)→111~120(加藤くん)→121~130(山口くん)→131~140(中道くん)→141~150(宇佐くん)をやってから、今日少し紹介したTravel GuideのSan Franciscoの映像を観て、Listening Comprehensionをやろうと思っています。プリントは用意しときます。旅番組は楽しいので、気軽に楽しんでもらえるとええんやけどなあ。80年代にアメリカに何回か行ったとき、東海岸のシカゴやニューヨークは西海岸から3時間、4時間かかるので、いつもサンフランシスコで何泊かしてから東海岸に行ってました。1985年にミシシッピの国際会議に行ったとき、発表者の一人の伯谷さん(当時ケント州立大学の英語科教授)から2年後のサンフランシスコの会議で発表しないかと誘われて家族で行きました。(サンフランシスコは日本から一番近いから家族もいっしょにいらっしゃいよ、と言われて行ったんやけど、よう考えたら、日本から一番近いと言われてもなあ、と思うよね。)長男が5歳で長時間の飛行機はきついからハワイ経由で。奥さんがビジネスクラスががいいなというので、ビジネスクラスで。おかげで旅費だけで200万ほど。僕は大学を探してる最中で、無職。ようやるよねえ。サンフランシスコとハワイでの写真です。(ハワイで長女と→サンフランシスコで奥さんと長女とタクシーの運転手さんと→サンフランシスコのホテルで長女と長男→フランシスコの会議で伯谷さんと)↓
今日はあなたらの授業あと3コマ目は南アフリカ概論の授業で、終わりの方に2年前に看護学科の大学院を卒業して東京渋谷の日本赤十字病院で助産師をしている黒木さんが、休暇を利用して会いに来てくれました。南アフリカ概論の授業の最後の方は聞いてくれてたみたいです。そのあと研究室で2時間ほど話して行きました。病院では結構外国人も来るので、英語が使える黒木さんはよく呼ばれるそうで、やってたことが活かせてよかったと思います。タイのプリンスオブソンクラ大学の病院で4年生の時と大学院の時にも実習し、留学生に開放された看護部の宿舎に住み、留学生の世話をして英語も生活の中で使っていました。時々看護学科の人の話をしたときに、2年間も準備期間があるのに話せないままタイで実習をする人が多いような話をしましたが、黒木さんのように実習を利用して英語が使えるようになって、卒業したあとも職場でその英語で重宝されている人もいたわけです。少数派やけどね。
そのあと、来年度の工学部の入試問題を作るのに5人で集まりました。作った問題を持ち寄って検討しました。何回か集まって検討して8月くらいに仕上げたあと、何回かチョックをして完成です。前期の試験の日は、試験の間待機をして、そのあと採点です。
医学科を退職したとき、もうこれで入試問題を作ることはないと思ったけど、長いこと生きてると、いろいろあるねえ。もう今年で最後にしたいけどねえ。
<11回目>
6月26日(その日に書いてたのに投稿するの忘れてました、今朝下書きのままになってるのに気がつきました。)
11回目の授業でした。
今日は行きも帰りもよう降ったねえ。
何人かにコメントを聞いて(トーイックの試験や授業の感想やら)②金のフレーズの②101~110(岩切くん)→111~120(加藤くん)→121~125(山口くん)をやって、Travel GuideのSan Franciscoの映像を観てもらって時間切れでした。
次回はコメントの続き→②金のフレーズ126~130(山口くん)→131~140(中道くん)→141~150(宇佐くん)→151~155吉留くん→156~170(岩切くん)→171~180(加藤くん)をやってから、San Franciscoの映像を観てのListening Comprehensionです。
San Franciscoの映像と音声を参考ファイルに置いておくんで、ダウンロードして配ったプリント用意の聞き取りをやるとわかりやすいと思うよ。
配ったサンフランシスコの英文の解説も読むとよりわかりやすいやろな。さっと英文の解説はするつもりです。
その次はtranscriptionの日本語訳、誰かやってや。
サンフランシスコの歌が10ほどあるらしいけど、一番有名なトニー・ベネットという人の思い出のサンフランシスコを紹介するつもりです。
最後にちょっと紹介したけど、そのあと、たぶん一番難しい部類のNBAの用意をして楽しんでもらうかな。
聞き取りの難易度としてはざっとニュース→トラベルガイド→ドキュメンタリー→映画→実況中継、実況中継は、難しいけど、言葉やから、聞けんことはないわな。
また、来週。
<12回目>
7月3日
雨ばっかりで鬱陶しい日が続いて、被害もようさん出てるなあ。前期もあと3回、このブログ、水曜日までの分は大体その日に書いてきたけど、今回は日曜日になってしまいました。でももうぐ当分は書かなくても済みそう。
大きなクラスも医学科も来週に2回目の課題を集めて、授業が終わる頃には成績をつけとこうと思ってるけど、そううまいこと行くかな。毎年引き摺って引き摺って、へたすると成績が出るのがお盆過ぎになったり。
12回目の授業でした。
台風やったねえ。三分の一ほどしか来てなかったんで、来られなかった人にも悪いし、授業どうする?と聞いてみんなに決めてもらいました。結局残った人が9人くらいやったかな。人数も少なかったんで、僕の研究室で、たまたま寝かせて味が馴染んできてた山桃(奥さんが描いた絵です↓)のジュースを飲んでもらいました。
次回は前回できなかった分、金のフレーズの②126~130(山口くん)→131~140(中道くん)→141~150(宇佐くん)→151~155吉留くん→156~170(岩切くん)→171~180(加藤くん)をやってから、San Franciscoの映像を観てのListening Comprehensionです。授業では、②の終わりまでしか出来ないかなあ。
San Franciscoの映像と音声を参考ファイルに置いあります。サンフランシスコの歌も聴いてもらうつもりです。NBAのプリントも少し用意しています。(↓1987年の年末に家族で行った時にゴールデンゲートブリッジの下から撮った写真です)
10日に、また。
<13回目>
7月10日(前日の書き込みになりました。)
雨が終わったら、猛暑やね。
最後あたりになって、なかなか手こずってるなあ。月~水の授業のこのページは大体その日に書けてたのにねえ。
あしたと来週で終わりです。何とか最終日までに成績をつけようと思っているんやけど、なかなか思い通りにならないね。この三日ほど、ある人に書く手紙でかかりっきり。書きたいことは胸の辺りにあって、書いていくうちにだんだんと書きたいことがはっきりして、一応全部吐き出してから、手を入れる、大体そのような要領で書くことが多いみたいです。
南アフリカの作家アレックス・ラ・グーマ(ラ・グーマのAnd a Threefold Cordとその翻訳『まして束ねし縄なれば』の表紙絵の原画です。奥さんに描いてもらいました。最近画像を取り込みました。↓)は、書き始めるときすでに頭のなかに全部が出来ていて、それをタイプライターに向かって書くだけ、毎回そんな風に書いていたそうやけど、人それぞれやからなあ。
13回目の授業でした。
金のフレーズの②126~180までやってから、San Franciscoの映像を観てのListening Comprehensionを一問だけで時間切れでした。
次回は金のフレーズの②181~200まで、一応②を終わらせてから、San FranciscoのListening Comprehensionの続き、残りの時間でNBAの紹介とtranscriptionのチェック。どれくらい時間取れるやろなあ。
あした、また。
<14回目>
7月17日
14回目の授業で、実質的に最後の授業でした。
次回の最終回は一人一人のコメントを聞きたいと思っています。
金のフレーズの②181~200までやり、一応②を終わらせてから、San FranciscoのListening Comprehensionの続きと、NBAの紹介と少しだけtranscriptionの解説をしました。
授業でも言ったけど、難しいけど、実際に使われている英語やし、実際に発行されてた新聞記事やし。言葉を試験のための道具ではなく、スポーツを楽しむための道具として、こんな風に使えるで、みたいなんが言いたかったんやろと思う。
基本的な例文は、スコアを上げるためにも、実際に言葉で使うためには役に立ちそうやから、例文も作りプリントも作り印刷してみんなに用意しました。
スコアの必要な人は、やろうと思ったときに、いつでも手伝うんで、どうぞ。もう一年はいて地域資源創成学部の一回生が卒業するのを見送ろうと思い直しました。
来週に、また。
<15回>
最終回は一人一人からコメントを聞きました。書けずじまいです。
<課題の講評と、成績について>
ある一定の基準以上やなあと思えるのは満点、少し工夫すれば満点は秀(大学の規定では九割以上)。満点と秀は以下の通りです。
仮説がないか、はっきりしないもの、調べたものをまとめたもの(いわゆるレポート)、本を読んでの感想、になっているものや、絶対的に量が足りないもの、課題図書を最低1冊は読むなどの基本的な事項を満たしたないのが多かったと思います。ま、それでも、単位はまかしといてや、と言った通り、成績はつけました。
大学では、インプットした個々のインフォーメーションを使って、論理的に、客観的にものを述べるというのは大事なことなので、一つのきっかけにしてもらえたならうれしいです。英語で書いている人もあました。十分に読めるので、自信を持っていいと思います。
本来、書くものは、何をどう書くか、相手に伝えるか、が最終的には善し悪しの決め手になるので、読んだあと、ずーんとこっちに伝わって来るのが、やっぱり一番かな。日本語で書いても英語で書いてもそれは同じやと思います。
ただ、評価には懐疑的な僕としては、この評価が正しいという自信はやっぱりありません。ただ、毎年たくさん読むので、横に並べられる分、レベルの区別は可能なような気がしてるけど、それもどうやろ、ま、そんなところで、毎年うろうろしています。
満点
高見勇輔「アフリカ諸国における奴隷貿易の歴史と黒人差別~奴隷売買によて生まれた黒人差別」
岩切卯月「アフリカから示唆される日本」
渡辺あかり「モスタート氏の孤独は必然的なものであった」
秀
本田諒太郞、"Discrimination exists anywhere."
梅木雄斗「それぞれの考え方の違いが対等関係を瓦解させた」
Suguru Urakawa, “About Afica; About whofought for blacks during the apartheid policy"
白坂涼馬、"About hunger"
成績について
成績は課題とプラスαでつけました。
出来るだけ全体で70以下にはならないように、つけました。結果、70~100の間でつけています。
トーイックのスコアが就職に必要やそうなので時間を割きましたが、その成果を筆記試験などで評価した方がよかったかも知れへんな。
教養の枠組みなので、英語を必要な人は本気でやりや、そうでない人は、折角の機会やから英語という言語を使って自分について、社会について考える機会にしてや、という僕からのメッセージを優先しました。
特に再履修の人は、僕のクラスに入れてやと事務の人に頼んで引き受けたのは、英語が嫌になったとしたら、自分だけのせいではなくて、存在や体制のせいでもあるかも知れないと思ったから。
少しでも、気持ちが伝わって、みんなのお役に立てたのなら、嬉しい限りです。