つれづれに

ZoomAA第1回目報告(2023年12月3日分)

アフリカからアメリカに奴隷を運んだ奴隷船

 “A short history of black Americans” in Africa and its descendantsの内容をやり、格差が仕組み的にうまれている事を学んだ。実際に先住民の方が奴隷としてどのように捕まえられているのか動画を見る事リアルに感じて参加者一同衝撃を受けていた。(MN)
 90分なので、今回は→「誰が奴隷を捕まえたのか?」に絞った。大規模な大西洋の奴隷貿易を始めたのはイギリス人の金持ち層だが、アフリカ人の金持ち層と手を組んで奴隷を集めた。実際に捕まえていたのはアフリカ人で、「ルーツ」の奴隷狩りと海岸で奴隷船の船長と奴隷狩りが相談する場面を見てもらった。金持ち層は自分の利益を得るために、奴隷貿易も利用したのである。その構図は、先進国の金持ちが第3世界の金持層ちを組んで利益を貪っている現在の構図と同じだ。公教育では、開発や援助の名の下に先進国が第3世界を助けていると教えられる。アフリカは可哀そうだから援助しなければと信じている人も多い。奴隷たちが押し付けられた教会の歌の歌詞に自分たちのリズムやビートをのせて歌い継いだスピリチャルの一つ→「深い河」を聴いてもらった。(YT)
アメリカ映画「ルーツ」の主人公クンタ・キンテ

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つれづれに:→「水仙」(すいせん、小島けい絵のブログ)

小島けい画「水仙とぴのこ」

 昨日「冬景色」で畑の水仙の写真を載せ、久しぶりに「今年も水仙が咲き出したか」の句も添えた。もちろん、山頭火が借りた山口防府市の農家の空き家を其中庵と呼び定住し始めて少し落ち着いた頃に詠んだ「ここにも水仙の芽かよ」の模作である。すいせんは好きな花の一つでいろいろと思い出すことも多い。

 →「水仙郷襖絵」もその一つである。早くに→「諦観」を感じ「生きても30くらいやろな」と余生のつもりでその日を遣り過ごしていたから、結婚も考えたこともなかったが、生きていると、正確には死なないでいると何が起こるかわからないものである。結婚をして、子供も出来た。淡路島の黒岩水仙郷(↓)に行ったのは、結婚して次の年に生まれた娘がまだお腹の中にいる頃である。妻が産休に入ってすぐに、明石港からの連絡船で淡路島に渡ってすいせんを見に行った。宮崎にいると淡路島の自生の水仙郷の話を聞くことはまずないが、二人とも海を隔ててはいるもののそう遠くないところに住んでいたので、電車の中や駅などの水仙郷の広告を目にしていた。

 結婚した当初は朝霧駅(↓)近くのマンションに住んでいたが、出産前後は妻の父親と住んでいた→「中朝霧丘」の家で過ごしたあと、新しく出来た職員住宅に3人で入った。産後の休みの間に、入り口の真新しい襖一面に水仙郷の絵を妻が描いた。甘酸っぱい香りが漂ってくるくらいの優しい絵だった。引っ越しのときに、どうして持ち出さなかったのかが悔やまれる。二人が働いている状態で、娘がよく熱を出した。熱がなかなかさがらなかったある日「わたし、家に帰る」と言って、父親の家に3人で転がりこんだ。妻を亡くして老けかけていた妻の父親は孫と最愛の娘が転がりこんで来て、若返った。→「明石」は思っていた以上に、居心地がよかった。生まれ育ったところがひどすぎた反動もあったかも知れない。

 結婚したのは、書きたい思いが残っていたからだろう。1浪しても受験勉強ができなかったので→「夜間課程」で手を打って大学(↓)に行き始めた。その頃は(→「大学入学」)授業料や電車の定期代がかなり安かったが、→「牛乳配達」ではきつかった。何年かのちに、家庭教師を頼まれるようになって経済的にも、気持ちの上でも少し余裕が持てるようになった。(→「家庭教師1」、→「家庭教師2」、→「家庭教師3」、→「家庭教師4」

 書きたい気持ちに気づき始めたのは、夕刊に連載していた立原正秋(↓)の小説を読んだときからである。文章との相性がよかったのかも知れないが、自分と社会のことを考えるようになり、おそらく無意識の深層に少しだけ触れるようになったような気がする。その意味では、30を過ぎても生き在(ながら)えているのは、その作家のお陰かも知れない。よかったのか、わるかったの‥‥。

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つれづれに:冬景色

 一気に寒くなった。一昨日の下の温度がマイナス1度、昨日がマイナス2度、朝起きてみると畑に氷が張っていた。

 10月までは畑にいると熱中症になりそうな暑さだったのに、今は畑にいると体を冷やしてしまうので、陽の照る時間を見つけて、短時間でも作業を進めることにしている。北の端の方の庭の真砂土を取り除いて土を入れて陽の当たる部分を増やしているのだが、掘り起こして取り除いた真砂土と下の粘土層を、北側の金木犀の木陰になって陽の当らないところに持って行っている。植木に沿って、通路を造っているからである。作業の途中で掘り起こした土も凍(い)てついていた。

 凍てついても、冬野菜は健在である。種は蒔(ま)いたもののすぐには間に合いそうにないので、11月の初めに苗を買って植えたレタスがだいぶ大きくなって、買わなくて済むようになっている。毎朝、要る分だけ摘んで二人で食べられている。

 種から芽を出した苗も植え替えて、大きくなるのを待っている。まだ霜が降りていないので、ピーマンが生きているが、寒気団の動向次第では先は長くなさそうである。

 種からの葱(ねぎ)も植え替えて順調に大きくなっている。

 玄関先のアロエに霜よけの覆いをしておいてよかった。妻が中身を飲んでいるので、欠かせない植物である。いろんなところから少しずつもらって来ているが、ある時、密集して大きくなっていたアロエの半分ほどが切り倒されていた。大きくなり過ぎたからのようだが、切り取られて根の部分がないアロエをもらって来て、玄関の脇に植えた。それが根を張り、大きくなっているのである。霜が降りると枯れてしまうので、面倒でもシートを架ける必要がある。

 これくらい気温が下がると、空気が澄んで加江田の山がはっきりと見える。パソコンの置いてある机からも見ることが出来る。もちろん、畑からも見える。南側の2軒の家の合間からの景色もなかなかである。

 火曜日に→「ジプシー」を書いたあと、少し体調がおかしくなった。夏に吐き気がして頭がくらーっとした症状に似ていた。英語をしゃべる機会をもつことになり、最終的には4人でズームを使って2回目が終わった。90分ではたくさんは話せないので、補足の意味で→「英語で」、→「誰が奴隷を捕まえたのか?」、→「深い河」、→「下り行け、モーゼ」と書いていたが、書けなくなった。それでも、金曜日に自転車で白浜に行って揉(も)んでもらえたのは幸いである。体がずいぶんと軽くなった。風が強く、青島でも白浜でも、海は冬景色だった。

青島から北の方向に尾鈴山系を背にシーガイヤが見える

同じ位置から南の青島も撮った

白浜のいつもの位置で

白浜の海(12月8日)

 北側の門の脇の水仙が1週間ほど前から花を咲かせている。例年、切って花瓶にいれるのだが、何日かしか持たないので「今年は、そのままにしとこうか?」ということになって、無事に咲き続けている。まだ何日かはもつだろう。

 畑の西の脇の花壇の水仙も咲き出した。水仙も大好きな花の一つである。しばらく香りも楽しめそうである。久しぶりに一句。

今年も水仙が咲き出したか             我鬼子

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つれづれに:ジプシー

 久しぶりに牧場(乗馬クラブ →COWBOY UP RANCH、宮崎市清武町大字今泉甲6618)に出かけた妻が、帰ってからしばらくして、今年の夏にジプシーが亡くなった話をしたあと、12月のカレンダー(→「私の散歩道~犬・猫・ときどき馬~一覧(2004年~2021年)」)を見ながらしんみりと言った。

「最初の絵は暗かったけど、今月のジプシー、明るく描けてよかったね」

清武の牧場に乗馬に通い出してからずいぶんになるが、ジプシーは通い始めた頃に26歳の牝馬(ひんば)だったそうである。相性がよくて、乗りやすかったらしい。

馬の絵も描き始めていたので、乗馬に行ったときに写真を撮り、ジプシーの絵も描いた。それをオーナーのメグさんにプレゼントしていた。後から「あの絵を見た瞬間、鳥肌が立ちました!」と言われたそうである。

描いた本人はジプシーについて何も聞いていなかったが、絵が実際の場面と重なっていたので鳥肌が立ったようである。描いた方も、贈られた方もびっくりしたわけである。

ジプシーを初めて牧場に連れてきた夜に、まだ整地もされていない荒れた原っぱだった広馬場に解き放ったそうである。その時の月の光の中で走るジプシーと妻が描いた絵のジプシーとがピッタリ重なったのである。そんな偶然もあって、思いで深いジプシーの絵(↓)となった。

 横浜の出版社に送る私の記事の挿画を妻に頼んでいたら、妻が本の装画(→「本の装画・挿画一覧」、門土社)を頼まれた。そのうち、エセイを書くように言われ「私の絵画館」を連載した。(→「私の絵画館一覧」、No. 1 2018/12/29~)その続編にジプシーについての記事も書いている。(→「ジプシー」「続モンド通信18」

出版社の人が亡くなってモンド通信(→「モンド通信一覧」、2008年12月~2016年9月)も終わったので、ブログに続モンド通信(→「続モンド通信一覧」、2018年12月~)を載せることにした。「私の絵画館」とエセイ、私の記事を載せている。

 乗馬に行くときは、馬たちに人参(にんじん)、猫に林檎(りんご)を切って持って行き、話をしながらやっているが、すでにジプシーはいなかった。

「持っていったのをジプシーにやれなかったね」

ジェリーとジャガーという名の猫が2匹いる。馬の鞍(くら)を鼠(ねずみ)に齧(かじ)られるので、牧場には欠かせない役目を担っている。二匹とも歳を取って、ジェリーの方は患って余命宣告を受けてだいぶ経つが「痩せていたけど、生きててよかったね」と妻が言っていた。ジェリーの方は、カレンダーの中に載っている。

 私も自転車で街に出かけたり、白浜に通ったりできているが、妻も牧場へは、何とか自転車で通えている。有難いことである。