つれづれに:家庭教師1(2022年4月10日)

つれづれに

家庭教師1

木造2階建てだった中学校(同窓生のface bookから)

ある日、家庭教師を頼まれた。3軒東隣に住む中学生の母親からだった。父親は何人かを雇って塗装業をしていて、毎日何人かをバンタイプの車に乗せて仕事に出かけていた。3人とも栄養が足りていたのか同じような体形で、ふっくらとしていた。母親は八百屋をやっていて、毎日かいがいしく働いていた。家族7人の食事を作ることもあったし、自分用にも買う必要があったので、よく八百屋には顔を出していた。母親は明るい性格で、客とは気軽によくしゃべっていた。私は挨拶を交わす程度で、特段しゃべったことはないし、何かを聞かれたこともない。

ある日、母親が家に来て「中学校1年生の息子に英語の家庭教師をお願いしたい」と言った。私は引き受けた。大学のための受験勉強はしなかったし、夜間課程に通っているので、何をどうするかや時間的なことも少し心配したが、中学1年の英語なら、何とかなるやろ、それにこれはアルバイト?という軽い気持ちだったように思う。

私が受験勉強もせず諦めて夜間課程に通っていることを母親が知っていたかどうかはわからないが、中学生の母親にとって、自分の息子が行けたらという希望もあって、私が地元の進学校を出ている、ということが大切だったのかも知れない。考えてみれば、牛乳配達をしていた区域で同じ高校に行った同級生は二人だけだったから、その母親の知り合いの間では、私は勉強が出来る生徒の一人だったのかも知れない。

近くの川の河川敷

週に一回、相手の家に通うことにした。息子はわりとぼんやりした一人っ子だった。本人が望んでいたのか、母親に押し付けられたのかは聞きそびれたが、勉強することがそう嫌でもなさそうだった。今から思えば、初めから相手が挫けそうなことをずけずけ言ったような気がする。あんまり頭よさそうには見えんけど、まあ、どっちでもええわ、始めよか、そんな始め方だった。その当時、私の環境では塾や家庭教師は別世界の話だったから、自分が家庭教師をするとは思ったこともなかったし、勉強は自分でするものという基本の部分は変わらなかったが、お断りしますとも言えなかった。

家から見えた紡績工場

経験はなかったが、中学校や高校の英語は意外とやりやすかった。範囲が少ないのでテキストを一冊さっとやって繰り返しながら、2年生、3年生のテキストも進める、次回までにここまでやっときや、これだけは覚えときや、その繰り返しだった。覚えてないときは、あほか、と言い残して帰ってしまったこともある。1か月ほどでテキストを終え、次のテキストをやり始めた。本人にとっては学校のペースとだいぶ違っただろうし、その間に、たぶんごちゃごちゃと色んなことをしゃべりまくられて、頭が混乱したかも知れないが、その人にはその方法がよかったらしい。

ある日、合間に菓子と茶を運んで来たときに、母親が言った。

「せんせい、この前100点取りました、ありがとうございました」

母親がいなくなったとき、本人に「へえ、100点取ったんか。よかったやん」と言ったら、まんざらでもないような照れ笑いをしていた。100点がよほど自信になったのか、暫く経ってからまた母親が来て「数学も100点だったんですよ、ありがとうございました」と言い、もじもじしながら、「あのう、他に何をしたらええんでしょうか、どんな本を読んだらええか、教えてもらえませんか?」と付け加えた。

本?立原正秋とも言えんしなあ、しゃーない、「日本文学全集でもどうですか」

「ガクブンゼンシュウ?そうですか。じゃあ、ガクブンゼンシュウを買ってみます」

今更言い直されへんもんなあ、と考えている間に母親はいなくなった。

それからしばらく経って、足元を見て母親に提案をした。

「あのう、毎日朝学校に行く前に一時間ずつやりますから、一万円にしてくれませんか?」

母親はしばらく黙り込んだあと「考えてみます」と言っては部屋を出て行った。結局、翌月から朝一時間、一万円になった。授業料が年間12000円だから、破格の値段である。そんなに金に執着していたわけではなかったが、夜間課程の学生がこなせる許容量を超えるほどの家庭教師を頼まれるようになっていたからである。

近くの川にかかる橋

その人は、私と同じ進学校に行ったらしい。一度「思うように成績が伸びないのでまた家庭教師をやってくれませんか」と頼まれたが、思わずなっていた高校の教員の仕事が手一杯で、詳細も聞かずに断わった。その後、医学部に行って医者になったと人づてに聞いた。私自身も就職したのだから人のことは言えないが、生きていると何が起こるかわからないものである。受験勉強もしなかったから、まさか家庭教師を頼まれるとは思ってもみなかったが、これで何とか30くらいまでは持ちそうと、少し気持ちに余裕が出来たことは確かである。→「高等学校1」(1月17日)、→「高等学校2」(1月19日)、→「高等学校3」(1月21日)

通った高校(高校のホームページから)