つれづれに:個展(2022年9月18日)
つれづれに:個展
久々に猛烈な台風が北上中である。「夕方には鹿児島県・薩摩半島にかなり接近、上陸するおそれがあります」というのが最新情報である。窓の外はだいぶ雨風が強くなっている。これからまだ強くなるのか。この速度なら明日の午後には影響も和らいでいるだろうか。
昨日台風の前に、長崎からカレンダーのサンプルが届いた。妻の絵のブログに個展の案内を載せた。→「2022年個展案内」今年の表紙絵は猫の街↑(ローデンブルグ)である。
今年も11月に東京で個展は開くものの本人はまだ行けない。感染の危険を冒してまでは行けないままである。東京の個展も10年目になる。その前は5年間大分の飯田高原の九州芸術の杜(↑)のギャラリー夢の2階に泊まり込んで個展を続けた。秋の1週間か10日ほどは、夜になると周りが真っ暗なとところで過ごした。大分は隣の県だが、やってみると行き来にずいぶんと時間がかかる。南側の高速を使って熊本から阿蘇を通って行っても、北の道路で北浦から山の中をと通って高原に行き着いても、特急で延岡まで行き、そこから急行で由布院まで行ってタクシーを使っても5時間ほどはかかる。運悪く、特急で行ったとき、由布院からのタクシーがずいぶんと遠回りをして駅から個展会場まで離れていると思い込まされてしまった。結果、宿泊期間中に夕食にもでかけられなくて難儀した。観光客をいいことに、ぼったくるタクシーの運転手も罪作りである。一度やまなみハイウェイのバスに乗ったら一駅だった。山のなかをくねくねと時間をかけて丁寧に運転したタクシー、湯布院のイメージががらりと変わってしまった。そのあと「東京の方が時間かからんのやない?」と会場を世田谷のCafe &Gallery Roomerに変えた。
そのつもりでやり始めたわけではないが、途中でそうだったんだと気づくことがある。一度気づくと、実は元々意識下の深層にあったもので、それに気づいただけに過ぎないと思えることがある。意識下の深層に気づいたことを書きたくなった。実際に触ると冷たいとか熱いと感じるなどの現象と違って、意識の中の問題なのでうまく書けるかどうかもわからないし、それが実際にそうなのかも確かめようがない場合もあるかも知れない。しかし、高校の時に摺り込まれた無意識の常識と同じように再確認する必要があるようだ。
母親から突然「百万円」借りて来てと言われて、大きく流れが変わってしまった。まだ、生きている。「採用試験」を受けて高校の教員になり。在職5年の資格で「教職大学院」に行き、「修士論文」をアフリカ系アメリカ人作家リチャード・ライトで書いた。作品を理解したいと歴史を辿るうちに、いろいろ気づくことになった。「つい生き存らえてしまった‥‥」意識の深層を探るのに時間がかかったが、今回は二つ目の大きな山になりそうだ。少し時間がかかるかも知れない。
初めて読んだアフリカ系アメリカ史「黒人の歴史の栄光」