つれづれに:修士論文(2022年6月18日)

2022年6月18日つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:修士論文

 「明石」(6月16日)から2時間余り、山の中のキャンパス(↑、→「キャンパスライフ2」、6月15日)に通う日々が始まった。2年間は短かい。修士論文を書く目途は着いたが、肝心なのはそれから先である。博士課程の指導教官が就職先を世話をする場合が多いみたいだし、採用人事は高校(↓)とは違って実質的には公募制ではないようだし。修士課程が出来たばかりで博士課程はないので他に行くしかないが、途中から博士課程に入れるかはどうかもあやしい。応募には教歴と業績が要るらしい。わからないことだらけだが、どうやら①修士論文を書きながら、②学会に入って業績を溜め、③誰かに教歴の手助けを頼む、ということらしい。業績はどこかの学会に入り、それらしきものを書き溜める、すべて、運任せということか。

 先ずは修士論文のテーマである。好きなテーマで書けるに越したことはない。幸い指導教官は名目だけで好きにやってもいいらしい。(→「ゼミ選択」、6月14日)指示されるのは苦手だが、勝手にやれと言われると、あれやこれやと自然に心に浮かんで来る。大学の6年間は英語をしなかったが、それでも2年留年をした4年目かの購読の授業で読んだ作品がずっと気になっていた。教員は同じ夜間を出て大阪工大で教授をしていると言っていた。おおざっぱな人で「あのうtinyやなくてtinnyやと思いますけど」と言ったら「ほんやま、そやな、気ぃつかんかったわ」とさらりと言っていた。作者はアメリカの黒人作家で、別の購読のテキストが違う名前の黒人作家だった。そんなこともあって、次の年に専門科目の英文学特殊講義で「黒人文学入門」を受講した。講師は昼間の卒業生で、神戸商科大学の教授、非常勤講師として来ていたらしい。時々大学の掲示板で黒人研究の会の張り紙も見かけたような気もする。ゼミの担当だった人(→
「がまぐちの貯金が二円くらいになりました」、1986年)の「最近のジンバブエの動向」というタイトルを見た時は、笛まで吹きはるて、あの人(↓)趣味が広いんや、と感心した記憶がある。そのジンバブエに「在外研究」で行くようになるとは夢にも思わなかった。

 高校の「採用試験」(5月8日)を受けるついでに「大学院入試」(5月10日)も受けてみるかと思いついて、好きな人の研究室に相談に行ったとき、Hawthorne, The Scarlet Letter、Dreiser, Sister Carrie、An American Tragedy、Faulkner, Sanctuary、Light in August、Steinbeck, The Grapes of Wrathのリストをもらったと書いたが(→「購読」、5月5日)、もう1冊書いてくれた分をすっかり忘れていた。Richard Wright, Native Son 1940である。唯一の黒人作家(↓)だった。書かれた順に読み始めたが、最初の4冊に比べて、Native SonとThe Grapes of Wrathは面白かった。特にNative Sonも分厚くて数百ページもあったと思うが、三日ほどで読んだ。ぞくぞくした。文章との相性がよかったんだと思う。

 高校では「授業とホームルームと課外活動」(→「教室で」、5月21日、→「ホームルーム」、5月24日、→「ホームルーム2」、5月31日、→「顧問」、5月30日)で毎日が精一杯、読む時間もなかったが、ライトが書いたものを全部読んでみることにした。先ずは資料探しだろう。テキストで読んだ中編の作品は1944年の「クロス・セクション」という雑誌に載ったらしい。1940年にすでにNative Sonがベストセラーになって、次のベストセラーのBlack Boyが1945年の出版だから、その前の年の出版ということになる。雑誌がニューヨーク公立図書館のハーレム分館にあるらしい。初めてのアメリカ行きになりそうである。
次は、サンフランシスコ(↓)、か。