つれづれに:ホームルーム2(2022年5月31日)

2022年6月5日つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:ホームルーム2

 修学旅行を予定していたが、その前に、ホームルーム2(→「ホームルーム」、5月24日)を挟み、2年目と3年目に担任したクラスについて書くことにした。二年目にクラス替えがあった。新しいクラスになって、ホームルームが激変した。学年の方針で関学に10人を入れるために英語でクラス分けをして、上位の2クラスのうちの一つの担任になった。(→「学年の方針」、5月23日)文系と理系に分けるのは3年次からで、文系と理系が入り混じったクラスだった。入学時の英語の成績でクラス分けしたが、一年で半分くらいが入れ代わっていた。一年目に偶数クラスを持って英語の力は大体把握していたので、予想通りで納得のいく顔ぶれだった。最初の会議で「自分が受験勉強もしてないのに、英語でクラス分けしてがんがんと言われても」と反対したが、優等生の集団は受験勉強をしなかったこと自体を信じようともせずに、ことを進めてしまった。多勢に無勢、気付けば、きっちりと押し切られてしまっていた。しかし、現実には何が起きるかわからないものである。一年目のホームルームは可もなく不可もなくだったが、二年目はなんと、リーダーシップを取れる人がいるとこんなにも違うんやと教えてもらった。その男子生徒は出来れば人前を避けたいと思っている風だったが、渋々ながらリーダー役を引き受けて、ホームルームも仕切ってくれた。少し裏事情もある。1年の時にすでにワルで一目置かれていた生徒が、そのリーダー役となぜか気があってしまったうえ、リーダー役の仲良し5人組と、女子の仲良し5人組が仲良くなってしまったのである。編入生も私の判断でクラスに入れた。神戸から来た最初の編入生だったこともあり、編入試験の時は大丈夫やろかと心配していた人たちもいたが、最初の模擬試験では2番、学籍番号の近かった素直な生徒とすぐに仲良しになり、クラスにもすんなり溶け込んでしまった。3年でも担任をして卒業したあと、たままたま神戸のデパートで会った時は、久しぶりでよほど嬉しかったのか、たまさ~んと大声を出しながら抱きついて来た。母親もいっしょだったので、どうしたらいいものかと、困ってしまった。不安だった編入時もその後の2年間も、楽しく過ごせたようである。
ワルで一目置かれていた生徒は二つ年上で、訳ありのようだった。関西に静岡県の浜松からきたこともあり、年齢も言葉遣いも違うし、髪型がいかにもワル風で、剃り込みもあった。他の学校の生徒と暴力沙汰を起こして停学になっていた生徒も黙って従っていたようで、担任をはじめ、教師も当たらず触らずという感じだった。私は弟もワルのリーダーにさせられていたらしいし、やくざの子弟とも遊んだりしていたので、エネルギーの行き先さえ間違えなければ大丈夫という変な自信もあった。すんなり仲良くなった。廊下を歩いている時に、何人かで廊下の壁を背にいわゆる「便所座り」をしている中にその生徒がいたので「こう座ったら楽なんか?」と言いながら、横に「便所座り」で並んで、しばらく話し込んだことがある。普段はトレパン(当時出回っていた体操時間に使う白のトレーニングパンツ)にTシャツを着て、スリッパを履いていたので、廊下に座っても支障はなかった。何人もの生徒がもの珍しそうに眺めて通り過ぎていた。「ええ、まあ」と少し照れ笑いを浮かべていた。訳ありの中には、継母との軋轢や父親への反感、教師との揉め事も含まれているようだった。大人との摩擦で出来た心の傷が、すぐに和らぐはずもない。それに、30までそう時間もなかったし、本当は人より自分の方が心配なくらいだった。(文芸部員に頼まれて書いた→「露とくとく」、「黄昏」6号、1978年)

 教師とクラスを教師からみた「一対多」で捉えてしまうと気づかないままだが、一人一人を個別に見ると、実に多彩である。私は気づいてもらえなかったようだが、新しいクラスに男子で二人、女子で二人も集団に馴染み難そうな生徒がいた。私が気づいていることを本人が自覚していたかどうかはわからないが、最初から何となくぴんと来たが、じっくりと見るうちに、やっぱりそうやったと合点がいった。クラス全体にはあまり干渉したくなかったので、座席も自分たちで決めやと言っていたが、年休明けに来て見ると座席表が出来ていた。どうも学年付きの補佐の人が代わりにホームルームの時間に行って、決めてくれたようだった。聞いてみると、その人の意向で決めたらしい。自分たちで決めやと言っていたし、納得も行かなかったので、その人に断ってみんなに決め直してもらった。好きな所に座ってええんちゃうと言ったときは、集団に馴染めない男子二人が向き合って座っていた。一人は背中を向けていたが、授業中にしゃべるわけでもないので、お前らようやるなあ、と言ったきりでそのまま授業を続けた。しばらくして飽きたのか、いつの間にか元に戻っていた。その続きがあった。ある女子生徒が「政経の人、教室に入って来るなり、お前らこのごろ机がまっすぐに並んでないな、と言って、机を並べ直させんねんよ、たまさん」と立って文句を言っていた。机はまっすぐに並んでないと気が済まない人が、教師には多いようである。
何人かは本人に確かめて、3年でもクラスに入ってもらった。ただのお節介である。卒業の時の一言が「やまびこ」(↓)という文集の中にあって、今も手元にある。

 リーダー「嫌んなった。もぉーだめさぁー。だけど腐んのはやめとこおー。日の目を見るかもこの俺だって。もひとつ気張ってイイ娘を見つけに出かけよお。なんとかしてくれ。神様。仏様。どうも、どうも。」
ワル「もうすぐだ……。もうすぐだ……。見たまえ、はや僕らの頭の上を、春の燕が飛んで行く!!僕を卒業まで、めんどうみてくれた玉田吉行君に”アメリカン”とともに乾杯。どうも、どうも。」
集団に馴染めない男子生徒1「吹けよ風、呼べよ嵐」
集団に馴染めない男子生徒2「It’s up to you if you give it a try or not, but how come you don’t dream to make for through it and have it made? It’s you’re never scared or hurt or embarrassed, it means you’re never taking chances. – Heart of Hearts」
集団に馴染めない女子生徒1「くそったれ!うっとうしい!なんという無責任な教師だろう。やっと別れられてせいせいするわ うう……」
集団に馴染めない女子生徒2「やさしくすばらしい先生方と、思いやりのあるステキなお友達に囲まれて、ホントにもうバラ色の高校生活でありました。涙…涙の卒業です。あ~しょっぱい!」
デパートで会った女子生徒「三年間の思い出ベスト3……1転校を経験(初めは辛かったけど、いい経験になった)2楽しかった修学旅行(先生、消燈時間守らなくてゴメンナサイ)3彼ができた(現在は一人身、恋人募集中!)
冊子の日付が1980年だから、40年以上の歳月が流れたわけである。次回は、修学旅行、か。
<追伸>私の一言は「・・・ 美しさ 哀しさまでも 遠くなり   我鬼子 ・・・」(我鬼子は、芥川さんの我鬼を借用して当時使っていた雅号)

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