つれづれに:伎藝天(2022年4月23日)

つれづれに

伎藝天

 秋篠寺に行った。伎藝天を観るためだった。家庭教師で経済的に少し余裕が出来て古本屋で立原正秋の本をたくさん買った悪影響である。すぐにその気になる性質は、どうにもならないものらしい。高校時代にはいつも何かに腹を立てていたが、学校帰りに時より近くの寺に寄って、仏像を眺めて気を鎮めていたようだから、木彫を観る素養は元々あったようである。→「高等学校2」

高校の時に立ち寄ったお堂、聖観音像(↓)があったと思われる

鶴林寺公式ホームページから

 立原正秋の作品の舞台は、鎌倉や湘南辺りが多いのだが、『花のいのち』の肝心の舞台は奈良の秋篠寺である。その寺に伎藝天がいる。

伎藝天像(国宝らしい)

 『花のいのち』は立原正秋の典型的な男と女の物語である。男は奈良の寺をめぐって分厚い写真集を出している。高価だが、売れる。焼き物にも詳しく、目利きが確かで、鑑定も頼まれる。妻をなくしている。女は才色兼備で見合い結婚はしたものの、相手に結婚前から女性と子供がいるのがわかり、離婚して自宅を出版社の保養所にして暮らし始める。その保養所に兄が男を連れて来て、女と出逢う。知と美の出会いである。男は自分の恋心を中唐の詩人耿湋(こうい)の五言絶句に込め、女はそれを理解して秋篠寺を訪ねて行く。そんな立原正秋の世界である。

返照入閭巷 憂来誰共語 古道少人行 秋風動禾黍

「返照閭巷(りょこう)に入る、憂うるも誰と共にか語らん、古道人行少(まれ)に、秋風禾黍(かしょ)を動かす」と読み「夕日の照り返しが村里にさしこんで、あたりをやわらかく包んでいる。わたしの心には憂いがいっぱい湧いてくるが、それを慰めあう相手もいない。古い道には人の往来もまれで、ただ秋風が稲やきびの穂を動かしているだけである」という意味らしい。美しい女は、伎藝天に準えて恋心を贈った男に会いに行く。

 鎌倉や湘南と違って、私には奈良は日常の世界である。一年生の時だけいっしょにプレイをした同級生の家の最寄り駅が秋篠寺に行くときに利用した大和西大寺である。近鉄沿線の石切駅近くには、いっしょに合宿をした私立の外国語大学生の豪邸もある。勉強が苦手な人たちで、宿舎ではオンナとパチンコの話ばかりだった。その人は金持ちの息子らしく、外車を乗り回していた。大阪、神戸、京都、関西の四外大定期戦で知り合った女子チームの同級生をデートに誘っていたようだが、優等生の同級生と合うようには思えなかった。少し付き合ったと聞くが、案の定結ばれなかったようだ。どちらもすらりと背が高く、経済的にも恵まれた美男美女だったが。その時はわからなかったが、理系に行く人が少なかった時代、昼間の英米学科には、才媛が集まっていたようだ。一人の同級生は親と兄が東大卒で、卒業後半年アメリカに留学して、高校の教員にはならないでJALの地上職に就いていた。今なら医学科に行って、医者になる人も少なからずいたような気がする。

近鉄大和西大寺駅

 秋篠寺には国鉄と近鉄を使って出かけた。近鉄の大和西大寺駅で降りて、駅からは歩いた。郊外の寺とは違って、生活の場を通って秋篠寺に着いた。伎藝天と長い時間さしで向き合っていたが、眼前に立原正秋の世界が広がることはなかった。

立原正秋(立原光代『追想 夫・立原正秋』より)