いつも書いている「つれづれ」はこのカテゴリー。

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つれづれに:『怒りの葡萄 』3

 →「『怒りの葡萄 』2」で「この7冊目を読み終えた頃には、だいぶ英語の文字も目に馴染んできていたように思う」と書いた。何かやり始めると周りが見えなくなるという自分の性格のせいだとは思うが、いくら→「採用試験」と→「大学院入試」の準備のためだからといっても、突然、寝ても覚めても英語、の生活になったのだから、体も順応せざるを得ず、1年も続ければ、英語の文字も目に馴染み始めるだろう。

 この頃のことを思うと、ちばてつやの『おれは鉄兵』の主人公の言った言葉をいつも思い出す。施設の道場で同級生に叩きのめされた主人公は、これだけは少し出来ると思っていた自尊心を痛く傷つけられた。剣道をしたい一心で兄が卒業し弟と妹の通う私学に入ろうと思い立つ。幸か不幸か、生まれた家は地元の名士で金持ちである。各教科に家庭教師までつけてもらって、主人公は猛然と受験勉強を始めた。地元の名士の家に生まれ、優良な大蔵官僚だった父親は、代々続く名士の家柄や格式高く気丈な母親の重圧から逃げてながい間財宝探しの野放図な生活を送っていた。連れて行くつもりはなかったが、リヤカーの中に紛れていた赤ん坊の主人公を捨てるわけにも行かず、幼い子は父親の財宝探しに付き合う羽目になった。やがて、逞しい野生児に成長した。東大卒の父親とは対照的に、公教育とは無縁だったので、文字も書けなかった。その主人公が地元では難しいとされる中高一貫の私立中学に入学すべく受験勉強を始めたのだから、周りははらはらしたわけである。ちばてつやの理想像と思えるうつくしい母親は、永年ぶりに探していた父親と戻った我が子が俄かに受験勉強を始めるを見て心配になって、我が子に声をかける。

「そんなに急に詰め込んだら、体を壊しますよ」

しかし、主人公はお構いなし。

「今まで頭の方は使ってないから、だいじょぶ」

そう言ったあと、勉強を続けたのである。

 『怒りの葡萄』を読み始めた頃には体はばりばりに張っていたが、最後の『アメリカの息子』を読みだした時には座って読むのが難しくなっていた。それでも辞められずに、右に左に向きを変えながら、寝転がりながら400ページで前後の英文書を2日か3日で読み終えた。

『怒りの葡萄』について普段しゃべった記憶はない。赴任先が医科大で、非常勤で行く教育学部や農学部の学生もあまり文学書を読まない人が多かったせいもある。しかし、異国でしたアフリカ人との話の中で『怒りの葡萄』が出て来るとは思ってもいなかった。相手はジンバブエ大学の3年生「アレックス」だった。

在外研究で大学に行ったとき、世話になった教員の授業を見せてもらったときの学生の一人である。約束の時間に部屋の前で待っていたが、教師も学生もいなかった。しばらくすると、友人といっしょにアレックスがやってきた。授業がないのがわかると「大学でも案内しましょうか」と言って、住んでいた寮に連れて行ってくれた。そのうち友人も加わって、日本について色々聞かれた。

学生寮ニューホール

部屋には、本棚にラ・グーマの本や英語の辞書などが少々並べられてあり、ダブルカセット付きのラジオカセットが置いてあった。「大学の3年間は楽園ですよ」とアレックスが言う。「大学に来るまでも大学を出てからも、どうやって食べていくかの心配ばかりですが、少なくとも寮にいる3年間は、1日に5ドルで3食が保障されていますから、その心配をしなくていいだけでも天国ですよ」と付け加えた。

ウォークマンで尾崎豊を聴くアレックス

 ライトの亡命後の作品を修論で取り上げたり、アメリカの学会でラ・グーマの発表をしたり、ケニアのグギさんの翻訳を頼まれたりしていたので、亡命してからの作品にはあまり勢いがないですねと、当時思っていたことを話した。

「僕もそう思います。グギやラ・グーマの亡命後の作品には確かに勢いが感じられませんね」と、アレックスが応じた。

「僕は『怒りの葡萄』が好きで、『私は説教する人ではなく、話をする人です』と言うジム・ケーシーが特に好きですね」と話をすると、「僕もジム・ケーシー、好きですよ」とアレックスは言っていた。その後も、『怒りの葡萄』の話をしたことはなく、今回は久しぶりだった。

大学のキャンパスを歩くアレックス

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つれづれに:『怒りの葡萄 』2

「『怒りの葡萄』1」の続きである。少し間が空いたのは、我が生身が思うよに動いてくれなかったのである。ここ最近、デスクトップパソコンが2台ともやられ、ノートパソコンも挙動が→「怪しい」。パソコンの方はどっちみちウィンドウズのサポート延長の期間があと僅かなので、買い替える必要がある。と、思い込んでいたが、パソコンを辞めるという選択肢もある、と世話になっている人から言われて、初めて意識した。同時に、長いこと続いたホームページ→ブログも終焉ということになる。小説は投稿を続けているが、そっちの方も怪しい。教授選で唯一頼みに行った人への手紙の返事に、無理ですねと書いてあった。口の悪いこれ以上横柄な人はいないと思えるような人だが、世辞は言わない。 →「アメリカ文学」、→『アメリカの悲劇』、『怒りの葡萄 』のあとは、リチャード・ライト(→「ミシシッピ」、→「ライトシンポジウム」)の『アメリカの息子』である。修士論文で書いて以来だが、他の作品についても書いてみようかと考え始めている。→「採用試験」と→「大学院入試」の準備のために読むリストにあった8冊の中の最後の本である。

「『緋文字』」

 1930年代のアメリカの物語である。オクラホマ州はじめアメリカ中西部では大規模農業によって開発が進み、開墾によって発生した砂嵐(ダストボウル)で耕作地が耕せなくなって長年住んだ土地を離れざるを得なくなった農民が急増していた。ジョード一家も例外ではなく、故郷オクラホマを追われて、一族でカリフォルニアを目指した。家財道具を売って移動に使う中古車を買った。ちょうど刑期を終えて戻ってきた長男のトムと説教師のジム・ケイシーも同行することになった。トムは激情を抑えられずに人を殺し、4年の懲役刑からの仮釈放で実家に戻ってきたところだった。 アリゾナ砂漠やロッキー山脈を越える旅路は過酷で、途中で祖父母が死に、従兄弟も逃げてしまった。苦難の末に辿り着いたカリフォルニアは、同じように流れて来たオクラホマ農民で労働力過剰になっていた。貧民キャンプを転々とし、地主の言い値の低賃金で日雇い労働をするしか選択肢はなかった。労働者を組織しようとしたケイシーは、地主に雇われた警備員に撲殺され、居合わせたトムは、ケイシーを殺した警備員を殺害してしまう。そんなジョード一家のキャンプ地に、豪雨と洪水が襲った。小説の概要である。世界恐慌の時代と重なる。 小説は1939年に発表され翌年にヘンリー・フォンダ(↓)主演により映画化された。学生時代に映画館で観た記憶がある。書いたのはジョン・スタインベックで、1962年にノーベル文学賞も受賞している。この『怒りの葡萄』が主な受賞理由らしい。リストのお蔭で、この本が読めたわけである。この7冊目を読み終えた頃には、だいぶ英語の文字も目に馴染んできていたように思う。

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つれづれに:怪しい

 どうも怪しい。自分の生身とノートパソコンである。
痛めた腰の調子が怪しくて、2週間ほど痛みがあって日常生活に支障が出た。一時は痛いので左足を伸ばせなかった。最初にずんと腰に来て腰椎を痛めた時は、真っすぐ上を向いても寝られず、右を向いても左を向いても痛みは変わらなかった。頻繁に通って揉んでもらって、日常の生活を送れるようになった。それを見ていた近くの人に私にも紹介して下さいと言われたので、紹介した。大抵話をしても実際に行く人はいなかったが、余程差し迫っていたのだろう。すぐに私が治療を受けている時に鍼灸整骨院に来て、週に一度通い始めた。そのうち、奥さんも通い出した。同時に治療が受けられるように、夫婦を夫婦で揉むようになっている。それを聞いて、私の妻も通い出した。自転車はまだ無理なので、送り迎えをしてもらっている。今回は週に2回揉んでもらって、何とか電動の自転車には乗れるようになっている。ずっと布団の上に寝るか座っているかだったが、今日初めて椅子に座った。今回は気圧の関係や疲れが溜まったりしたことが原因だったかもしれないが、基本的には、先行きは極めて怪しい。歳を取ると、あちこちガタがきてと言うのは本当やなあと、よく思うようになっている。

 もう一つ怪しいのはノートパソコンである。昨日の晩は、パスワード入力ができなくなった。黒丸が勝手に入力されて、画面を開けなかった。一晩電源を切っても同じだったが、ごちゃごちゃ触っていたら、やっと入力画面にパスワードを入力できた。すぐにまた挙動不審になりそうだがと思いながら、取り敢えず、パソコンのサポートをしてもらっている人にメールをした。しかし、これを切ったら、また画面が見られないかもという思いが先に立つ。どっちみちウィンドウス10のサポートを辛うじて1年延長してもらっているので、ウィンドウス11に切り替えるためにパソコンを買い替えないといけない。ブログもそうだが、もう止める時期に来ているのかも知れない。このままなくなるのも惜しいので、続けるか止めるか言うのは難しいですね、と言われた。止める、その手もあったか、と思った記憶が鮮明である。元はパソコンなしの生活だったのだから、戻るだけだと考えれば、可能である。思案のしどころである。今のノートパソコンも怪しいので、いろいろ考えることも多い。

久しぶりに自転車に乗ると、白木蓮(↑)があちこちに咲いていた。この前は、宮崎神宮で苗を買って植えた藪椿(↓↑)の蕾を玄関に飾り、3本ほど迎えに来てもらっている整骨院の人にプレゼントした。

花カレンダー1号(小島けい画、オムロプリント制作、旭屋ほかで販売)

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▲ 「つれづれに」:「『怒りの葡萄 』3」3月17日更新、本文はお知らせの続き

「『怒りの葡萄 』2」(3月15日)、→「怪しい」(3月13日)、→「『怒りの葡萄』1」(2月27日)、→「『緋文字』」(2月26日)、→「アメリカ」(2月25日)、→「2月も半ばを過ぎて」(2月24日)、→「『アメリカの悲劇』(2月8日)、→「アメリカ文学」(2月7日)、→「トランプ3」(2月6日)、→「2月も5日目に」(2月5日)、→「2月も4日目に」(2月4日)、→「2月も3日目に」(2月3日)、→「2月も2日目に」(2月2日)、→「2月に入り」(2月1日)、→「トランプ2」、(1月30日)、→「トランプ1」(1月29日)、→「ソウル」(1月28日)、→「経済篇2」(1月24日)、→「経済篇1」(1月19日)、→「南北戦争のあと:政治篇」(1月17日)、→「2026年1月半ば」(1月16日)、→「畑12月」(2025年12月25日)、→「畑11月」(11月10日)、→「日常」(10月29日)、→「10月も半ばを過ぎて」(10月19日)、→「久しぶりに」(8月30日)、→「比較編年史1950⑤南アフリカ」(5月2日)、→「1950①私」(5月15日)、「②1949日本」(5月2日)、→「比較編年史①1949私 」(4月30日)、→「永谷園俳句」(4月26日)、→「ブログ再開」(4月25日)、→「しばらく」(12月28日)、→「柿干せど」、→「アフリカ小史」「ZoomAA第7回目報告」、→「腸腰筋」、→「原言語」、→「分かれ目」、→「修学旅行」、「『つれづれに』一覧」→(2023年~2018年)(2026/3/17更新)、→(2018年~2007年)、→(2006年度)、→(2005年度)

▲ 連載中、→「比較編年史一覧」(2025年5月17日~)→「ZoomAA一覧」(2023年12月15日~)、連載済「エボラ・コンゴ関連」「南アフリカ関連」「エイズ関連」、→「アフリカ小史関連」

▲ 2026年カレンダー 

表紙  リリちゃんと百合(3号)Cover Riri chan & Lily

3月:リッキーくんとタンポポ(3号)

2026202520242023

▲ これまでのカレンダーを更新しました(2026/1/7)→「私の散歩道~犬・猫・ときどき馬~一覧(2004年~2026年)」Calendar List(2004~2007は私製です

▲ 書いたもの→「2021年11月Zoomシンポジウム最終報告」続モンド通信40、2022年3月20日)

「『ナイスピープル』と『最後の疫病』 」(2月20日)、→「アフリカとエイズ」(1月20日)、→「ケニアの歴史4:モイ時代・キバキ時代 ・現連立政権時代」(12月20日)、→「ケニアの歴史3:イギリス人の到来と独立・ケニヤッタ時代 」(11月20日)

▲ →「アングロ・サクソン侵略の系譜一覧」(2018年12月~)

▲ 続モンド通信38(1月20日)→「続モンド通信一覧」(2018年12月~)、「モンド通信一覧」(2008年12月~2016年9月)

● 小島けいのblogから:

*→「<お知らせ> 2021年 小島けい個展案内」

*new!私の絵画館:→「ラッキー(ミックス犬)とブルーポピー」4月20日)英訳付き(Lucky (Mutt) & Blue Poppies in English

「観覧車」(1月20日)、→「康太郎くん(ダックスフンド)」(12月20日)、「雪之丞くん(ペキニーズ)とおもちゃ」→(11月20日)、「子馬(ジャスミン)とコスモス」→(10月20日)、→「私の絵画館一覧」(2018~)

*エセイ:「⑯:アリスの小さな“きせき”」2021年12月20日

「⑮:月は友だち?」11月20日)、→「⑭:秋にはコスモス・・・・」(10月20日)、→「⑬:中秋の名月に」(9月20日)、→「小島けいのエセイ一覧」

▲ 「書いたもの一覧」を更新しました。(2021/4/26)

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