いつも書いている「つれづれ」はこのカテゴリー。

つれづれに

つれづれに:永谷園俳句

カレンダー4月 子犬とチューリップ

(小島けい画、休載中で紹介出来なかったので)

 3月末の原稿を書いている時に、娘が応募してみたらと応募要領のリンク先を送ってくれていた永谷園が主催する俳句大会に、俳句を送った。元々詩心は遺伝子の中に組み込まれてはいないようだし、一時は俳句も詠んではいたが、最近はあまり句が出てくる気がしなかった。それでも2月28日の締め切り日に、4句送った。50万円が賞金だそうだ。原稿を送っている新人賞の賞金も50万円が多い。17文字と40×30×80=96000字の賞金が同額、ま、そんなものなのかも知れない。

ブロッコリ 哀れ葉をほぼ 鳥に食われて

鳥が来て ブロッコリーの 葉を食って

鳥が来て 大根の芽も あっと消え

鳥たちよ 来ては欲しいんだが やや微妙

カレンダー4月元 子犬とチューリップ(3号)

 妻も娘も送ったらしく、妻には1次で選ばれたと種類が届いていた。背景を説明して送って欲しいということらしい。修論が山之内獏だし、卒業後は詩の出版社で働いていたらしいから、元々筋金入りである。社長と合わなくて辞めてなかったら、私との接点は、たぶんなかっただろう。

今回はその頃一人でツアーに参加したモンゴルで見たゴビの砂漠の空を詠んだらしいが、私は宇宙の分が選ばれると思っていたけどね、と妻は言っていた。当時は、モンゴルは共産主義バリバリで、日本から行くのも難しい国だったらしい。シベリア鉄道の列車の中で、妻が新潟港で描いた船のスケッチを見た憲兵の顔色が変わり、別室に連れて行かれたという。港や船も軍事施設が理由だったと聞く。たまたまNHKのお偉いさんがいて、事なきを得たらしい。

カレンダー3月きいちゃんとクリスマスローズ

(小島けい画、休載中で紹介出来なかったので)

 妻も娘も、詩のセンスは抜群である。私にはその手の遺伝子が組み込まれていないらしい。

50万円が送られてくるといいんだが。50万円は3月締めで送った新人賞と同じ額である。17文字と40×30×80=96000字と。

カレンダー3月元 きいちゃんとクリスマスローズ(SM)

つれづれに

つれづれに:ブログ再開

庭のイリス(植え替え前)

 ブログ再開、である。

休載し始めてから、だいぶ月日が経った。梅が散り、水仙が終わり、桜も散って、今は庭にイリスが咲いている。

3月末の原稿は3週間ほど前に仕上げていたが、ウェブで送ったのは締め切り日の当日である。30×40文字で96枚、400字原稿用紙に換算して300枚までだったので、287枚にまとめた。コロナ騒動で使うようになったズームを使って4人が定期的に集まって討論する形式を取った。出版社が売れると判断するかどうかだから、工夫するしかない。

イリス(小島けい)

 脱稿したあと、「脱稿」のタイトルでブログを更新しようと書き始めたが、書けないまま残っている投稿の元である。

「脱稿した。一週間以上前のことである。予想より、少し早めに終わったと思う。これで、胸の辺りにあった塊りが何とか形になった。しばらく休んだら、ブログも再開できるだろう。

そのまま校正と修正を始めたが、ぱたりと止まってしまって、また始めたのは一昨日13日である。ここ2日ほどは、風邪気が入って体調も不安定である。私より一つ上の医者が、妻に、歳を取ると出来なくなることが増えるねえ、としみじみ話したと言っていたが、同年代として実によくわかる。妻に言わせれば、今までいろいろやって来てたんでしょうね、私は体が強くないからずっと同じペースだから、出来なくなることが増えるということはないわねえ、だそうである。

それでも、最終の見直しをして、20日前後には投稿することになりそうである」

「小島けい個展 2009に行きました。」(2009年9月25日)

 そのあと、すぐにブログを再開するつもりでいたが、そのまま9月末締め切りの原稿を書き始めてしまった。そのあとも、そのまま10月末締め切りの原稿を書き始めて、しばらく前に仕上がってしまった。今は読み直して、修正しているところである。

それで、ブログの再開となった。今度は次の新しい作品のために、私の生まれた年から1年毎に、同時期に起こったことを比較して書いてみようと思っている。次作は「比較編年史」がタイトルになりそうである。

私、日本、アメリカ、アフリカ、南アフリカ、コンゴ、ケニアと並べようかと思っている。アジア、南米、ソ連、中東なども比較対象に入ればいいのだが、全くの力量不足である。コンゴとケニアもインプットされたものが乏しいので、たぶんウェブに頼ってインプットしたあと少し体に定着すれば使いものになりそうだが、先行きは出版社が売れると判断するかどうかと同じで、先行きは全く見えない。

修作のつもりでブログに書いてみたい。

「私の散歩道2014~犬・猫・ときどき馬」6月(企業採用分)→「私の散歩道~犬・猫・ときどき馬~一覧(2004年~2022年)」

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つれづれに:半ばを過ぎても

先週の木曜日にあった梅まつりの幟と掲示

 休載予定を書いたあと、→「構想は」(1月10日)、→「インタビュー」(1月13日)、→「半ば」(1月26日)、→「半ばを過ぎ」(2月5日)を書いて、また今回である。10の山を越えて下りに入り、あと2、3日で最後から3つ目の山を登れそうである。それでも、一つ一つ出来ることは済ませて進まないといけないので、やっぱり時間はかかる。大体先は見えてきたが、それでも終わってみないとどうなるかはわからない、といったところか?

前回書いてから、2回白浜にマッサージを受けに行った。どちらの日も冷たくてきれいに晴れていたので、海の色が濃かった。冬の海である。最近は野球のキャンプが来ているので、車が多い。先日はAコープの駐車場に駐車禁止の立て看板が出ていた。レッカー車の記述が入っているので、だいぶ迷惑しているんだろう。近くの球場で試合があると、近くの駐車場に無断駐車する人が多い。メディア関係者や観光客を当てにしているホテル関係者や飲食店や土産物屋なども多いらしく、年中行事になっている。試合の日は、歩いて駅に向かう人も多い。

曇り空と、青島参道(上)、白浜定位置(中)、白浜サンクマール(下)

 先週の土曜日に好燐梅の梅見の行事が開かれたようだが、花は咲いていたんだろうか?先週も昨日の日曜日にも同じところで梅の写真を撮ったが、花はまだ一つも咲いていなかった。前は舗道で、海風の通り道になって、気温が上がらないからだろうか?

好燐梅の梅の樹は、南向きの山肌に植えられているので、陽当たりもよく気温が幾分高いのかも知れない。

何年か前に好燐梅の梅を観に行った時の写真

 加江田川の橋を渡って、青島への旧道に入る手前にも梅の樹が1本ある。その樹も、せいぜい2分咲き(↓)くらいだった。1枚写真を撮った。

今の時期が1番寒いようである。昼に陽が照っても、なかなか気温が上がらない。他は雪が降っているところが多い。広島からもらったメールにも「雪が降り始めたと思ったら30分でうっすら一面白くなってきました」と書かれてあった。

食べられるものが足りないのだろう。青島近辺にも猿が出ているらしい。人間が山を荒らすせいである。駆除に賞金をかけたりしたという話も聞くが、人間が一番怖い。申し訳ない気もちになる。

家の畑にも例年以上に鳥たちがやってくる。今年の狙いはブロッコリーの葉である。かなり食われてしまった。大きくなった分は何とか実をつけてはいるが、植え替えたばかりの葉っぱは、哀れ茎だけになっている。少し大きくなりかけた大根の葉も、見事にやられている。鳥さんたちは大歓迎だが、ブロッコリーの実も、大根も気になる。早く温かくなってくれるのを祈るばかりである。

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つれづれに:半ばを過ぎ

小島けい画

 3月末か4月末かに投稿するつもりで休載予定を書いてから、→「構想は」(1月10日)、→「インタビュー」(1月13日)、→「半ば」(1月26日)に続いて、また書いている。経過報告である。全体の構造がはっきりと見えてきて、半ばを過ぎたという感じがしている。13の山を設定して8つを終え、9つ目の半ばあたりである。ただ、先は見えても、一つ一つ踏んで進んで行かないと最後までは行き着けないので、それなりに着実に時間はかかる。全体像が見えなかったときよりは、早く済みそうな気配もするが、終わってみないとわからない。

一昨日は久しぶりに雨だったからか、腰の左側と右の頸の上辺りに鈍い感じで痛みがあった。気圧の関係からだろう。腰を痛めたあと、まだすっかりはよくなっていないので、これも時間がかかりそうである。じっくりと指を入れてもらえるので、助かる。

それに片道1時間ほど、自転車をこげるのも有難い。帰り道で、水仙を摘んで帰った。今年は枯れ草の中に咲いていた。

小島けい画

 曇り空だったからか、いつも見る青い海の感じはなかったが、曇り空の下の海もそれなりによかったので、何枚か写真を撮った。

青島参道(上)、白浜定位置(中)、白浜サンクマール(下)

 梅が咲いているか確かめてみたが、まだ蕾の段階のようだ。

咲いている時期に一昨年に撮った写真

 自治会の回覧板に、今週の土曜日に好燐梅の梅見の行事が開かれるとパンフレットで見かけた。行ける範囲に入っているということだろう。自転車で二人で出かけたことがあるが、踏切近くの掲示を見て近くにいた人に場所を尋ねたら「遠いですがね」と宮崎のイントネーションで言われた。行ってみたら、その言葉に嘘はなかった、こいでもこいでも着かないし、ほんとに遠かったねえ、と妻が言っていた。いまでもこの時期には「遠いですがね」と宮崎イントネーションで言ってみては、二人で時々笑っている。

何年か前に好燐梅の梅を観に行った時の写真