つれづれに:明石城(2022年7月1日)

2022年6月30日つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:明石城

 7月(↓)になった。今年の梅雨はかなり短かったと聞く。週末から一週間ほどあまり天気がよくないようなので、その期間に植え替えないままの胡瓜を5本、植え替えてしまおう。今の陽射しだと、植え替えても即枯れてしまいそうだから。昨日、陽が沈みかけのころに畑に出て畝も準備済みである。

青い街2:「私の散歩道2022~犬・猫・ときどき馬~」7月

 親子3人で転がりこんだ「中朝霧丘」(6月17日)の家の辺りも坂の多いところだった。東隣りの神戸市は更に坂が多く、傾斜のかなりきつい坂も少なからずある。6年間通った神戸市外国語大学や隣の神戸大学も、大学院入試でもみくちゃにされた甲南女子大(→「分かれ目」、6月11日)も、坂の途中にあった。年寄りや足の弱い人には、住みやすい街とは言い難い。家の周りの道路はほとんど舗装されていて、坂を北の方の登れば神戸市の伊川谷町で、1966年に出来たらしい神戸学院大(↓)があった。

 歩いて行ける範囲内である。後にその大学に非常勤に行くとは思わなかった。土曜日の一日3コマの授業を頼まれて、周りが畑や田んぼだらけの道を自転車で通った覚えがある。宮崎に来てからは一度も行ったことがないので当時と比べようがないが、辺り一帯はすっかり住宅地に変貌しているのではないか。

 大学6年間は利用した自宅からの最寄り駅と阪急に乗り換える三宮駅とのちょうど真ん中辺りに明石駅があったので電車が通過してはいたが、わざわざ降りて魚の棚に行ったり、明石城公園内を歩いた記憶はない。明石より少し西寄りの田舎町から見たら、「明石」(6月16日)は神戸の手前の冴えない小さな街だと考えていたからか。明石駅の一つ西の西明石駅までが複々線だったので、西明石駅か明石駅で空いた各駅列車に乗り換えることもあった。その時、明石駅の高架のホームからは明石城(↑)や、日本標準時東経135度の子午線上に建つ天文科学館(↓)がよく見えた。高架駅の営業開始が1964年らしいので、今と同じ光景を何度も見たはずである。

 山の中の大学まで行くのに時間がかかったとはいえ、毎日授業(→「教室で」、5月21日)と「ホームルーム」(5月24日)と課外活動(→「顧問」、5月30日)に一杯一杯だった時に比べれば、ずいぶんと贅沢な時間だった。子供との時間や買い物や散歩の時間もぐっと増えた。基本は自転車と徒歩だったが、バスと電車を使えばほとんど不自由を感じなかった。家から自転車で少し南に行って国鉄と私鉄の線路を渡れば大蔵海岸(↓)で、海岸線を東に行けば舞子や須磨の海岸である。須磨まではだいぶ距離があったが、舞子までは自転車だとそう時間はかからなかったので、時々でかけた。舞子ヴィラにはしゃれたレストランもあって、家族ででかけた。

 海は宮崎のほとんど水平線だけの日向灘とは違って船も行き交い、淡路島も見え、水もとてもきれいとは言えなかった。海岸線沿いは国道2号線付近は頻繁に行き交う車で空気も汚れていたが、慣れればそれもなかなか、妻などは毎朝朝霧駅横のマンション(↓)近くの坂から海を見て、今日も海は広い、とひとり悦に入っていた。

 毎日ばたばたと時間に追いまくられていたので、自由な時間は何よりだった。自転車で明石城公園まで行って、歩いて城跡の階段(↓)を昇り、ぐるーっと公園内を歩いて回ることが多かった。大学に通う途中の明石駅で乗り換えた時に高架の駅のホームから見ていた明石城側から、逆に駅のホームを眺める日が来るとは思ってもいなかったし、明石に移り住むとも思ってもいなかったが、住んでみるとそれなりにいい所だったように思う。
次は、魚の棚、か。