つれづれに:カナダの人(2024年1月12日)
つれづれに:カナダの人
青島の海岸道路でしばらく英語でしゃべったのはカナダの人だった。(→「年が変わり」)その時に話した内容と、別れて戻ったあとに届いたメールからすると、バンクーバーに住んでいて、今回は福岡から2週間のサイクリング旅行に来て、白浜から戻る途中に青島海岸で写真を撮っている私に話しかけたということである。
何度もサイクリングに行っているようで、スマートフォンに保存している写真を見せてくれた。最初に観たのは、今回行った宇佐神宮(↑)と鵜戸神宮の写真だった。宇佐は大分県の北部で国東半島の付け根辺りにあって、宇佐神宮の名前は聞いたことがある。関西に寝台特急(↓)で行っていた時期があるので、日豊本線の宇佐駅はその度に眺めていた。半日もかかる長旅で、なかなか大変だった。神戸から小倉まではそう長く感じなかったが、小倉から東海岸沿いの宮崎までの5時間はきつかった。
自転車は折りたためるもので、飛行機や新幹線にも載せて運ぶらしい。私も自転車に乗ってあちこち出かけていたので、親近感が湧いたのかもしれない。阿蘇に登った時の話もした。(→「阿蘇に自転車で」)
最初、何故か大学のバスケットボールのチームメイトを誘って下関まで行った。友人は優等生で後に一流電気メーカーに入り、ニュージャージーの海外勤務もしている。アメリカに行った時に海外勤務だったので、家まで押しかけた。「迷惑やったやろな」と反省する。テントを張りながら、1週間で→「関門海峡」を渡った。帰りの記憶がないので、たぶん、フェリーに乗ったような気がする。
関門トンネル
一度は煮詰まったころで、「一番暑い時期に中国山脈の→「生野峠」(↓)を越えよう」と思いつき、八月の初めに出かけた。一度も降りずに生野峠を越えたが、それだけの体力があったということだろう。鳥取砂丘で寝袋で寝て、兵庫県の日本海側の海岸線を回った。地図にはないが、うねった坂が急で、大きな声を出しながら、踏ん張って自転車をこいだ。「今度は一番寒い時期に淡路島から室戸岬を経て、高知の足摺岬に行こう」「そのあとは日本海側を北海道まで」と考えていたが、行けずじまいである。体力的に行くのは無理だが、あの時感じた衝動がまた来るような気は、しない。
メールにも書かれているがデザイナーをしているようだ。爽やかな青年である。最初見たときは外国人だと思わなかった。メールの姓を見ると、中国系のようである。それで、外国人だと思わなかったのだろう。自然に英語で話せたのはよかった。久しぶりに英語を使ってみようと思ったのだろう。メールの遣り取りは、しばらく続くかも知れない。