来週13日(木)は休講です。
12月6日(書き込みは7日)
今日は奴隷市、奴隷が荘園で働く場面と奴隷の逃亡の場面の映像をみてもらい、Deep River, Go Down, Moses, Joshua Fit the Battle of Jerico, John Brown’s Bodyを聴いてもらいました。そのあと、奴隷の逃亡、蜂起からやがて南北戦争に至った経緯をざっと。
クンタキンテが鞭を打たれて無理やり英語の名前を言わされてたけど、今世紀でも背中に鞭打ちのあとが残って人がいたらしいもんねえ。
みんなには過去の話かも知れないけど、このあと話することになる1963年のワシントン大行進は、僕が中学生の時の話やもんね。
南部の大荘園主(民主党を作って代弁者をワシントンに送って、代々大統領にしてコントロール)と、奴隷貿易で潤った資本で産業化の結果生まれた北部の産業資本家(共和党を結成)が奴隷制を巡って起こした市民戦争=南北戦争の話と、3%の支配階級=大荘園主が奴隷所有者と大半の労働者階級=奴隷と貧乏白人の間にカラーライン(人種隔離政策、南アフリカの場合はアパルトヘイト)を引いて人種差別(賃金格差)を利用した実態について確認しました。
北部(共和党)が担いだリンカーン(写真↓)が大統領になって南北合一のために戦争はしたものの経済力が拮抗していたために最終的な決着はつかずに、北部の自由な黒人の参戦の見返りに出した奴隷解放令だけが残り、元奴隷にとっては体制が変わる(賃金が上がる)ことはなく、奴隷が小作という名前に変わっただけでした。
北軍の黒人兵士はJohn Brown’s Bodyを行進曲として歌ったそうです。
(そのあとは)北軍の占領政策は行われたものの北軍が去ったあとの南部の寡頭勢力の反動は凄まじく、1896年の隔離すれども平等という最高裁の判決を引き出してしまいました。
カラーラインを維持するために、奴隷制で貧乏白人を奴隷狩りや奴隷の調教師に雇ったように、貧乏白人を利用してリンチやKKKで元奴隷を締め付け続けました。
次回はリーディングの問題(From the Ground Up)を坂元さんにやってもらってから、今日の話の続きです。歌の映像を観てもらう時間はなかったので、出来ればゴスペルの歌の映像を楽しんでもらえればと思っています。場所もあるんで、遠慮無しないで、音楽に合わせて踊ってや。踊りの好きな人が多いみたいやし。音楽に合わせて体が動いている人もいるもんなあ。
今年は再来週に1回、年明けに4回、一年生ももうすぐ終わりやなあ。2年生はインターンシップの面接も終わったみたいやし、3年生も就職活動に向けていろいろやってるみたいやな。この前は制服着てる人が地域の事務室か学部長の部屋の方に歩いて行ってたけど。