南アフリカ概論(前期用)

1月7日

12回目でした。

この辺り、毎日体を崩さないようにするだけでいっぱいいっぱい、毎回ブログを書くのもなかなか。

もう1週間が経って、授業の前々日になってしまいました。何とか書いとこうと思います。

先に「アフリカの蹄」を50分余りみてもらいました。次回もそのくらい。3回にわけてみてもらうね。

著者についての新潮社のプロフィールです。

帚木蓬生

ハハキギ・ホウセイ

1947(昭和22)年、福岡県生れ。東京大学仏文科卒業後、TBSに勤務。2年で退職し、九州大学医学部に学ぶ。2018年1月現在は精神科医。1993(平成5)年『三たびの海峡』で吉川英治文学新人賞、1995年『閉鎖病棟』で山本周五郎賞、1997年『逃亡』で柴田錬三郎賞、2010年『水神』で新田次郎文学賞、2011年『ソルハ』で小学館児童出版文化賞、2012年『蠅の帝国』『蛍の航跡』の2部作で日本医療小説大賞、2013年『日御子』で歴史時代作家クラブ賞作品賞をそれぞれ受賞。『国銅』『風花病棟』『天に星 地に花』『受難』『守教』といった小説のほか、新書、選書、児童書などにも多くの著作がある。

幅広く書いてるね。次回新聞記事を印刷して持って行くね。

 

かなり走って紹介したけど、補足の意味で、アパルトヘイト体制とアフリカ人の抵抗運動に関して箇条書きにしておくね。

第二次世界大戦で大きくヨーロッパの国力が低下

→それまで抑圧されていた人たちが独立・自由を求めて闘争

→南アフリカでも、旧世代に飽き足らない若者がANC青年同盟(1943)を結成してデモやストライキなどで激しく闘争を展開

→当時の与党イギリス系の統一党は事態の収拾が出来ず

→1948年に総選挙→アフリカナーの野党国民党はアパルトヘイト(人種隔離)をスローガンに掲げ、人種によって賃金の格差をつけ、本来社会の最底辺のプアホワイト=アフリカーナーの大半の農民を優遇することを約束

→白人人口の60%のうちの大半のプアホワイトが国民党に投票→オランダ系アフリカーナーが議席の過半数を獲得

→アパルトヘイト政権の誕生

ここらくらいまで前回に話をしました。その続きです。

→体制を強化(人口登録法で人種の明確化、集団地域法で居住区を限定、共産主義弾圧法で反体制勢力を弾圧)

→アパルトヘイト政権に対抗してANCの闘争は激化

→1955年にクリップタウン郊外で全人種による国民会議、自由憲章を採択→指導者156名を逮捕して裁判にかけ、全員の死刑をはかる

→結果的には無罪

→ANCの中でアフリカ人だけで戦うという理想派(ソブクエがリーダー)とアパルトヘイトを廃止するためなら白人とも共産主義者とも共闘する現実派(マンデラ・タンボがリーダー)が1959年にANCを分裂させる(白人にとっては願ってもないチャンス、アフリカ人側の抵抗力が半減)

この辺りまでは話をしました。次回は映像とあわせて詳しく話を出来る時間があるとええけどね。

→1960年3月ソブクエがパス法不携帯で警察に出頭して法改正を迫る戦略を開始、マンデラは時期尚早と不参加

→シャープヴィル・ランガなどで警官が無差別に発砲(シャープヴィルの虐殺)

→社会は騒然、ソブクエは逮捕され、政府はソブクエ一人のためにソブクエクローズを制定してロベン島に孤独拘禁

→騒乱に乗じてANCがパス法を焼く闘争を展開

→それまでの非暴力戦略を捨てて武力闘争・破壊活動を開始

→政府は非常事態宣言を出して弾圧を強化

→国連は非難決議・経済制裁を開始

→白人政府は親書を各国に送り協力を要請→日本と西ドイツだけが要請に応じて通商条約を再締結

→見返りに白人政府は居住区に関する限り白人並に扱うという名誉白人の権利を附与

→マンデラは国外に出て資金集め・ロンドンのBBCで武力闘争開始宣言

→アパルトヘイト政権は弾圧を強化

→帰国後マンデラは逮捕され裁判にかけられる

→1964年マンデラ他8名に終身刑、以降1990年まで獄中生活。指導者は殺されるか、国外逃亡か、獄中かのいづれかで、指導者はいなくなる暗黒時代に

→日本は東京オリンピックを開催して高度経済成長の時代に突入

 

最初と授業のあとに課題を集めました。英語のクラスの分と併せて読んで、一月中に成績が出せるとええんやけどな。毎年そう言ってます。

授業の時にも言ったけど、仮説を立てて論証をするというのは、今の時期、大事なことやし、理系の人には、文系のテーマでそれが出来る稀有な機会、しっぱなしにしないで、自分のやったのを確かめたいときは、いつでも連絡しぃや。

前期で切れてしもうて、来年から南アフリカ概論もそれ以外の学士力発展科目も持たないけど、英語のクラスでは、引き続き、同じようにやるつもりです。ま、お節介のボランティアをやめて、頼まれた地域の英語のクラスに専念(ま、工学部の2クラスと医学科の4クラスは、ずるずるボランティアが続きそうやけど。)というところかな。

また、あした。

たま

アフロアメリカの歴史と音楽(前期用)

まとめてみると、結構いろいろやったわけやね。

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<アフロアメリカの歴史と音楽(前期用)>

概要

毎回映像を観てもらい、歌も聴いてもらうつもりです。発表や議論も期待しています。楽しみながら、いろいろと考える機会になれば嬉しいです。

授業では映像や資料をたくさん使い、映画も見てもらうつもりです。楽しくやれるといいね。今までの価値観や歴史観を自分のために問い直し、自分について考える貴重な時間になればと願っています。

僕のブログは「ノアと三太」https://kojimakei.jp/tamaで、今まで書いたものなども載せています。クラス専用のページを使う予定です。アクセス制限をかけています。

ユーザー名( c2018aaa ) パスワード( c9ZB )

メール:tamadayoshiyuki@gmail.comもどうぞ。

評価と課題

評価には懐疑的ですが、提出物(自己紹介、感想、課題など)と授業への関わり(発表、コメント、討論など)を総合的に評価する予定です。課題の提出がない時は未受験です。

<1回目>

4月12日

第1回目の授業でした。たくさん受講してくれてありがと。楽しくやれそう?

今日は受講者を決定するだけで精一杯でした。何とか決まってよかったです。ほんとは全部引き受けられるとええんやけど。

世の中の仕組みや、第3世界と先進国の関係と日本の位置、大学や学生、授業についてなどいろいろ話をしました。

金や権力を持っている人たちの都合で世の中がまわっていて、法律も自分たちのために作り、給与体系も自分たちに都合のいいようにこしらえ、その体制を維持するためには、たとえば人身売買(奴隷貿易)もするし、ただ働きをさせる(植民地支配)も何憚ることなくやってのける、その体制を守るための武器も開発し、ほぼ永遠に放射能を出し続ける核兵器も作って、実際に日本で人体実験までしてしまった、そんな話をしました。

この500年の侵略で一番厚かましかったひとたちの母国語が英語、そんな話もしました。

奴隷貿易でため込んだ資本で産業革命を起こし、生産の手段を変えて農業から工業へ変換を遂げた中で生まれた産業資本家はアメリカの北部に定住、それまで独占状態だった南部の荘園主、奴隷商たちと、奴隷制(安価な労働力)を巡って国を二つに割って戦争、それが南北戦争、法的には奴隷は解放されたものの経済的な差はさほどなかったので戦争でも決着がつかずに、奴隷が実際に解放されて市民権を得たのは1950年代、60年代の公民権運動を闘ったあとでした、そんな流れを辿ろうと思っています。

ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」のウェブの映像と、ニューポートジャズフェスティバルでの「聖者の行進」のトランペット演奏だけは何とか観て、聴いてもらいました。

白人に押しつけられた賛美歌、聖歌、スピリチュアル(霊歌)、ゴスペルなどの教会音楽からブルース、ソウル、ポップス、ラップなどの流れのなかで、それぞれの代表的な歌や演奏の映像も毎回観て、聴いたもらえると思います。

What a Wonderful Worldの音声ファイルを参考ファイルに置いておきます。ダウンロードして聴いてや。

僕の一方的な話やなくて、みんなにも参加して貰っていっしょにやっていこ。次回は名簿も出来そうなので、名前を確認したあと、毎回何人かにどうして授業を取ったかとか、何を望んでいるかとか、授業の感想とか要望とかについて聞きたいと思っています。

発表については、①アメリカのテレビドラマ「ルーツ」について、②奴隷貿易について、③英文A Short History of Black AmericansのSlave tradeの日本語訳。誰かやれへんか。

歌もたくさん聴いてもらうけど、歌ってくれたり演奏してくれたりも大歓迎です。僕は歌えないので、歌ってくれると嬉しいです。

今日は説明する時間はなかったけど、課題についても解説したいと思います。

配ったプリント:自己紹介用紙(次回出してや)授業と評価と課題について(一枚半と2枚目の裏に英文)、What a Wonderful WorldとNewportとJazz Festivalについての記事

手伝ってくれはった基礎教育事務室の工藤さんと宮川さん、地位資源創成学部の井上さんと上野さんにも感謝です。

<2回目>

4月19日

2回目の授業でした。

最初にこれから話をする大まかな内容について話をしました。一方的に僕が話すばかりにならないように、発表してもらう内容なども話しました。

①(ヨーロッパ人が来る前にアフリカ大陸に巡らされていた)黄金の交易網について→応用生物岩切くん、山田くん

②(ヨーロッパ人による侵略の始まりと言われる)キルワの虐殺→電子物理蓮田くん(発表は無理なので、課題で、らしいです。)

③(アングロ・サクソン系のイギリス人ながら一番アフリカの歴史を見通せていたと思える)バズル・デヴィドソンが(1983年にNHKで放映された)「アフリカシリーズ」について→希望者なし

 

④(叔母さんから聞いた話を元に7代遡って自分の祖先を捜し当ててそれを本にした)アレックス・ヘイリーか「ルーツ」(本・テレビドラマ)→応用生物高橋くん

 

 

⑤今日は言わなかったけど、英文(A Short History of Black Americans)→誰かやってや

大まかな話の内容は

①(イギリス人入植者の繁栄の基礎となった)奴隷貿易と(大農園主=寡頭勢力を潤した)奴隷制1:イギリス人入植者の繁栄の基礎となった奴隷貿易と2:奴隷制

②南北戦争(北部の産業資本家と南部の寡頭勢力の妥協が生み出した奴隷解放と北部の先導で強行した再建期と寡頭勢力の巻き返しの反動

③(実質的な権利を求めた)公民権運動とその後

です。

次回は発表を聞いて、次の発表者を決めて、時間があれば、今日始めた僕がアメリカに行った時の話の続きをしたいと思います。その中でニューオリンズとメンフィスの映像も紹介出来ると思います。

それでも時間があれば、「アフリカシリーズ」と「ルーツ」の一部を紹介出来れば。

配ったプリントはなし、です。

また、来週に。

まだ集めた自己紹介は読めてないけど、週末に読みたいと思っています。

<3回目><4回目>?

<5回目>

今日はいい天気で、行き帰り雨に難儀せずに済みました。沖縄はすでに梅雨入りらしいので、そのうち、また雨の季節が来そう。
薊(あざみ)が終わって、そろそろ紫陽花(あじさい)の季節。

4月26日の3回目授業の詳細は書けずじまい。黄金の交易網(岩切くん、山田くん)、「ルーツ」(高橋くん)と話をいろいろ、やったと思います。

5月1日の4回の授業は急遽休講にしました。申し訳ないです。

5月10日

5回目の授業でした。

「アフリカシリーズ」と「ルーツ」を紹介、英文のslave tradeを岩切くんがやってくれました。

最初にユッスー・ンドゥールのオブラデオブラダとジャパンツアーのインタビューと1994年のウッドストックの冒頭の紹介と、1990年のニューヨーク発のCopy Meを聴いて、観てもらいました。

「アフリカシリーズ」では、シリーズの前半(ヨーロッパ人が来るまで)の中から、西アフリカ、砂漠を越えて西アフリカの品ものをエジプトの都カイロまで運んで外の世界を結んでいたトワレグ人、カイロ、キルワの虐殺の映像を観てもらいながら、ヨーロッパ人の侵略が始まったあたりまで話をしました。

「ルーツ」では、30周年記念のDVD版の全体の紹介、クンタ・キンテの誕生、クンタ・クンテの戦士としての教育の場面、を観てもらいました。

次回は「ルーツ」の教育の場面の続き、出帆の前の奴隷船、奴隷狩り、奴隷船の場面をみてもらうつもりです。時間がありそうなら、奴隷市の場面も。

それから、英文のSlaveryの部分を読むつもりです。

配ったプリントは3枚、①ユッスー・ンドゥール、②「アフリカシリーズ」と「ルーツ」、③アフリカ系アメリカの歴史①です。

また、来週に。

課題の説明をまた出来なかったけど、プリントに詳しく書いているつもりなので読んで下さい。わからない時は、いつでもメールか直接かで聞いて下さい。
来週、少し話をしようと思いますが、質問があれば遠慮なく、どうぞ。

<6回目>

授業があった日に書いておこうと思い、次の日にも同じことを思いながら土曜日になってしまいました。気持ちを途切らせずに続けるのはなかなか難しいです。
授業前に色々準備して授業をして、そのあとブログを更新するのは、結構きついです。気持ちが途切れると、書かないページが借金のように増えていく(働き出してからは借金の経験はないけど)ので気持ちも滅入ります。

5月17日

6回目の授業でした。

英文のSlaveryの部分を読むの、すっかり忘れてました。栗田くん申し訳ないです。来週は映像のあと、忘れずに。みんなも目を通して来てや。

最初に少しヨーロッパの教会音楽とアフリカ系アメリカ人の音楽の話をしてから、「ルーツ」の続き、出帆の前の奴隷船、奴隷狩りの場面をみてもらいました。

そのあと、聖書の話などをしたあと、Amazing Grace(ニュージーランドのヘイリーの音声と白鳥英美子の映像)を紹介しました。
High Noon(真昼の決闘)の中で教会で聖歌隊(Choir)が歌うThe battle Hymn of the Republicを観てもらったとこらで時間切れでした。

次回は「ルーツ」の続き、奴隷船の場面をみてもらったあと→英文のSlaveryを読み→歌の続きThe battle Hymn of the RepublicとDeep Riverなどを紹介しようと思っています。

奴隷市、クンタ・キンテの逃亡などはその次です。

配ったプリントは2枚、①Afro-American songs(B4表)とThe battle Hymn of the Republic(B4裏)、② Deep River, Go Down, Moses, Joshua Fit the Battle of Jerico(B4表裏)

また、来週に。

Amazing Grace、日本人(米良さん、中島美嘉、本田美奈子など)、アメリカ人(Mahalia Jackson, Barbara Hendricks, etc.)などいろんな人が歌ったCDがあって、希望があれば音声ファイルを参考ファイルに置けるよ。掲示板かメールで知らせてや。

<7回目>

5月24日

7回目の授業でした。

今日はいい天気でした。

薊(あざみ)はほぼ終わって、紫陽花(あじさい)の季節です。下は額紫陽花(がくあじさい)。梅雨が始まるんかなあ。

「ルーツ」の続きを観てもらい、英文のSlaveryの部分を栗田くんがやってくれました。

「ルーツ」は奴隷船の場面。ハリウッドはすごいのを作るよね。そりゃー、莫大な資本を出した人は回収せんとあかんからね。それでも、空前のヒット、1977年は1年中繰り返し放映されてたそうやから、やっぱりそれだけ根の深い問題で、日常でも大きな問題なんやろな。
僕はその頃、テレビとは無縁やったから、「ルーツ」を知ったのは1983年ころ、修士を取って高校を辞めて大阪工大で非常勤をやらしてもらったとき(夜間3コマ、1コマ18000円、合計48000円が一月の全収入、の就職浪人の時代です)、世話をしてくれはった先輩の小林さんがLL教室でテレビから録画したのをダビングさせてもらいました。「アフリカシリーズ」もそうやけど、今となってはものすごく貴重な映像です。

小林は一般教育の英語の教授で、予算を取ってLL教室に助手(昼は夜間の学生、夜は昼間の学生)を確保して授業を手伝ってもらっていました。僕もLL教室を使わせてもらったんで、その3人の学生にはお世話になりました。今も毎年年賀状が届きます。3人は自分たちで判断をしてテレビを録画したり、当時話題になっていた映画のビデオをビデオショップから借りてダビングしてくれたり。その映像は今も使っています。

栗田くんの日本語訳はほぼ完璧、すごいねえ。

補足しながら英文を読んでいて、時間切れでした。

その前に奴隷貿易、大農園経営で金持ちになった大農園主が奴隷制を保持するために代弁者として代々民主党から大統領を首都のワシントン(南部の一番北の端)に送り込んだ話や、奴隷貿易で蓄積した資本で産業革命を起こして台頭した産業資本家の話、その両者が労働力(奴隷)を巡って国を二分して戦争をした話(南北戦争)の話などを、黒板に地図を書いて説明しました。

次回は英文の続きと、「ルーツ」の続き(奴隷市、農場の様子、クンタ・キンテの逃亡)と歌の続き(The battle Hymn of the RepublicとDeep Riverなど)です。

蓮田くんが、John Brown’s Bodyを歌ってくれるそうです。楽しみやなあ。

僕もジョン・ブラウンと英文の続き、歴史の解説②のプリントを用意しときます。

配ったプリントは「ルーツ」の感想、です。

次回、1回目の課題といっしょに出してや。人数がそう多くないので、課題は出来るだけ早く読むつもり、やけどどうやろな。

また、来週に。

<課題を郵便受けに入れた人に>

今日研究室に行ったら、郵便受けに結構課題と感想文が入っていました。教育実習で提出日に来られない人のようですが、連絡もメモもなく、本文に説明もないようです。

最初に配った課題のプリントでも書いたように、提出日の授業時に直接手渡して下さい。出されたものは、学生支援課の工藤さんにお願いして、返却します。

4月に期日は示してあるし、教育実習の日程もわかっているわけやから、郵便受けに黙って出すというのは、あり得ないと思います。

そもそも教育実習は公欠扱いではないので、担当者によっては欠席を認めてない人もいます。学部から配慮の要請は来ていますが、決めるのは担当者です。要は、受ける側の気持ちの問題でもあるんやないやろか。

実際、予め断って先週の授業で出した人もいるし。試験に代わるものやから、僕は出されたものを評価するしかないわけです。お互いのために出席は取らないと言ってあるし、出されたものがないと成績は出せないよね。お互いに事情がわかったうえで授業をやり、みんなは授業を受けているんやから、気持ちの通う付き合いをしようや。

今日提出していた人は、教育実習に行くとするといつか立場が教員になる可能性も高いわけで、立場を逆にして考えるとええんやないやろか。

試験に代わる課題の提出日が決まっていて、その日に教育実習があって出席出来ない場合、どうすればいいか。もし気持ちがあるなら、黙って郵便受けには入れないやろ、と思うけど。

単位を出さへんでと言ってるわけやないけど、黙って郵便受けに入れる、はないと思う。

<8回目>

5月31日

8回目の授業で、後半に入りました。
きのうは書けなかったんで、今日は書いてとかないとね。来週は予備日で授業がないので、会うのは再来週やもんね。

1回目の課題と「ルーツ」の感想文を集めました。

最初に「ルーツ」の続き、奴隷市、農場の様子、クンタ・キンテの1回目の逃亡の場面を観てもらいました。

英文については、最初は一人で逃亡したが、やがてグループで反乱を起こすようになり、1959年にはジョン・ブラウンの蜂起があって、白人社会に衝撃を与えたという流れを解説しました。
そのジョン・ブラウンを称えたJohn Brown’s Bodyを工学部の蓮田くんが歌ってくれました。感激やね。100点つけとくでえ、ほんま。

歌の続きはまずディオンヌ・ウォーイックのThe battle Hymn of the Republic、司会はフィドラー(Fiddler)役のルイス・ゴセット・ジュニアでした。
ポール・ロブソンのDeep Riverを紹介したところで時間切れ。

次回はGo Down, Moses, Joshua Fit the Battle of Jericoを聞いてもらい、今日配ったプリントにある奴隷解放(南北戦争)と反動、について。

それでも時間があれば、The battle Hymn of the Republicの続きとゴスペルの紹介を。

一つの山が奴隷貿易と奴隷制、2つ目が南北戦争と反動、3つ目が公民権運動、次回から2つ目に入ります。

配ったプリントは英文(奴隷解放と反動、B4表)とJohn Brown’s Body(B4裏)、英文(奴隷解放と反動、B4表裏)

忘れてなかったら、紹介したもののファイルがなかったマンディンゴの奴隷市と大農園での奴隷売買、主人公単独の逃亡の場面を観てもらうつもりです。

課題は出来るだけ早く読むつもりやけど。

また、来週に。

<9回目>

6月14日(17日の日曜日になってしまいました。)

9回目の授業でした。
先週は予備日で授業がなかったし、授業の終わったあとにまた書けなかったんで、何とか書いとかないとね。

最初に三つの山の話

①が奴隷貿易と奴隷制、
②南北戦争と反動、
③公民権運動とその後

を大枠で辿ったあと、

南部の大荘園主と、奴隷貿易で潤った資本で産業化の結果生まれた北部の産業資本家が奴隷制を巡って起こした市民戦争=南北戦争の話と、3%の支配階級=大荘園主が奴隷所有者と大半の労働者階級=奴隷と貧乏白人の間にカラーライン(人種隔離政策)を引いて人種差別(賃金格差)を利用した実態について再確認しました。

北部(共和党)が担いだリンカーン(写真↓)が大統領になって南北合一のために戦争はしたものの経済力が拮抗していたために最終的な決着はつかずに、北部の自由な黒人の参戦の見返りに出した奴隷解放令だけが残り、元奴隷にとっては体制が変わる(賃金が上がる)ことはなく、奴隷が小作という名前に変わっただけでした。

北軍の占領政策は行われたものの北軍が去ったあとの南部の寡頭勢力の反動は凄まじく、1896年の隔離すれども平等という最高裁の判決を引き出してしまいました。

カラーラインを維持するために、奴隷制で貧乏白人を奴隷狩りや奴隷の調教師に雇ったように、貧乏白人を利用してリンチやKKKで元奴隷を締め付け続けました。

 

その文脈で、畜産草地の松浦さんと中田さんがKKKの成り立ちやその後について詳しく発表してくれました。非常にわかりやすく、しっかりとまとめられてたね、今回も。

少ししか時間がなかったけど、スピリチュアルの続きでGolden QuartetのGo Down, Moses,とJoshua Fit the Battle of Jericoを聞いてもらい、1990年にBSで放送されたゴスペルの旅の冒頭、元巨人選手クロマティの地元マイアミの教会の紹介の場面を見てもらったところで時間切れでした。
次回はその続きで、ゴスペルをたっぷり観て、聴いてもらうつもりです。

反動の時期の映像も少々紹介して、公民権運動に繋げたいと思っています。1950年、60年代の公民権運動は資料も多いし、リトルロックの高校事件、キング牧師(写真↓)、バスボイコット運動、マルコムX、ワシントン大行進など、調べて発表して欲しいと思っています。

この土日も、課題読めなかったなあ。8コマの授業でアップアップ、です。

また、来週に。

<10回目>

6月21日

10回目の授業でした。あと5回になってしもうたね。歌を聴いて、公民権運動とその映画を観てもらって、時間切れになるかもね。

今日は歌をたっぷり聴いてもらおうと思ってたけど、five penniesの中のThe Battle Hymn of the RepublicとWhen the Saints Go Marching inの二つだけしか紹介できなかったね。全体の流れを掴んでおいてもらおうと、配ったAfro-Ameican Songsの英文プリントを読んで解説しました。二冊書いた英文の本のうちの2冊目の4章で書いたものです。

次回は、

①ニューポートジャズフェスティバルでのルイ・アームストロングのトランペット演奏とマへリア・ジャクソンを観て、聴いてもらってから、

②ルイアームストロング(環境ロボ1年の北條くん)とマへリア・ジャクソン(環境システム4年の岡くん、あとから言いに来てくれました)の発表を聞いて、

③クロマティのゴスペルのミシシッピ→メンフィス→ニューオリンズを観て、聴いてもらうつもりです。

ルイアームストロングとビリーホリデイの歌も聴いてもらえるかも。

そのあと1896年の「隔離すれども平等」の最高裁での判決の話をしたあと、1954年の公立学校での人種隔離は違憲という最高裁の判決やその辺りの世界情勢も紹介出来ればと思っています。

前回も書いたけど、リトルロックの高校事件、キング牧師、バスボイコット運動、マルコムX、ワシントン大行進を調べて、誰か発表せえへんかな。

50人足らずしか来てないみたいなので、去年配ったCDを配れそうです。今まで観て、聴いてもらった映像ファイルや音声ファイルを入れてあります。気に入ったものは何回も聴いてもらえると思います。

また、来週に。

<11回目>?

<12回目>

7月5日

雨ばっかりで鬱陶しい日が続くねえ。前期もあと3回、今回もその日に書けずに、日曜日になってしまいました。大きなクラスでは来週に2回目の課題を集めて、授業が終わる頃には成績をつけとこうと思ってるけど、そううまいこと行くかな。毎年引き摺って引き摺って、へたすると成績が出るのがお盆過ぎになったり。

12回目の授業でした。

公民権運動の映像とニューオリンズの映像を中心にみてもらいました。

1954年の最高裁での公立学校での人種隔離は違憲判決に従って、実際に黒人の高校生が白人の高校に入学する際に起こったアーカンソー州リトルロックの高校事件を題材にした映像「アーカンソー物語」(Crisis at Central High)をみてもらいました。
白人の狂気、PTAの凄まじさ、今の時代にはほとんど見られない光景やけど、僕が受けた大学院での日教組の反対運動や、入学する1年前の東大安田講堂での学生と機動隊の攻防など、身近にあった光景です。
(僕が諦観を抱き世の中に関心を持てなくなった入った大学でさえも、まだ学生運動のなごりで、授業をしないで毎日クラス討議→学舎封鎖(写真↓神戸市外国語大学旧学舎)→機動隊による排除を冷ややかに眺めていました。)

黒人生徒の入学を阻止するのために州兵が出動、それを大統領命令で州兵を連邦政府軍の配下に置いて、今度は連邦政府軍が出動、それまでは考えられなかった天と地が逆さまになったような事態、公民権運動の間はずっとそんな状態が続いていたようです。
その大学版のミシシッピ州立大学、アラバマ大学事件とワシントン大行進の映像も観てもらいました。

マルコムXの映像と、映画マルコムXの冒頭だけ紹介しました。
歌は、ニューオリンズのゴスペルとマヘリア・ジャックソン、それにメンフィスのエルビスプレスリー。

最後にワシントン大行進で歌ったマヘリア・ジャックソンのWe Shall Overcome。

今日聴いてもらえなかったビリー・ホリデイのStrange Fruitと、シカゴ・ブルース、ソウル、We Are the Worldは紹介したいね。

次回は、先に2回目の課題を一人一人顔を見ながら集めてから、「招かれざる客」(Guess Who’s Coming to Dinner)。2時間ほどの映画なので最後まではいけないけど、観てもらえるところまで。(主演シドニーポワチエ↓)
毎回来てくれてるのが30人あまりやから、そう時間はかからないと思うけど、それ以外の人が問題やな。
今回は前にも言ったように、基本的には次回の提出日で直接受け取るのが原則、受け取るのは遅くても最後の授業の時まで。
2回目にしっしょに出したりとかも含めてあんまりええかげんなのは(出すのは勝手やけど)、成績は出さないつもりです。後期も持つつもりなんで、後期出直してや。(後期が最後かも)

配ったプリント:We Shall Overcome(B4表裏1)、Strange Fruit(B4表裏1)

12日(木)に、また。

<13回目>

7月12日(前日の書き込みになりました。)

ブログ、最後あたりになって、なかなか手こずってるなあ。授業のこのページは大体その日に書けてたのにねえ。

あしたと来週で終わりです。何とか最終日までに成績をつけようと思っているんやけど、なかなか思い通りにならないね。金土日、ある人に書く手紙でかかりっきり。書きたいことは胸の辺りにあって、書いていくうちにだんだんと書きたいことがはっきりして、一応全部吐き出してから、手を入れる、大体そのような要領で書くことが多いみたいです。
アレックス・ラ・グーマ(ラ・グーマのAnd a Threefold Cordとその翻訳『まして束ねし縄なれば』の表紙絵の原画です。奥さんに描いてもらいました。最近画像を取り込みました。↓)は、書き始めるときすでに頭のなかに全部が出来ていて、それをタイプライターに向かって書くだけ、毎回そんな風に書いていたそうやけど、人それぞれやからなあ。
13回目の授業でした。

「招かれざる客」(Guess Who’s Coming to Dinner)を途中まで。白人若い女性の家にロサンジェルスから結婚予定の相手の両親が来るところで終わりました。

次回はその続きで最後まで。そのあと公民権運動、その後の映像を少しと、まだ紹介していないStrange Fruitと、シカゴ・ブルース、ソウル(『ブルーズ・ブラザーズ』のなかから一曲、We Are the Worldはを紹介したいけど時間足らんやろなあ。CDの中に入れてあるんで、時間がないときは、観て聴いてや。

「公民権運動、その後」、シカゴ・ブルース、ソウル(『ブルーズ・ブラザーズ』のなかから一曲)、We Are the Worldのプリントは用意しています。

19日(木)に、また。

<14回目>

7月19日

実質的な最終授業でした。
『招かれざる客』(Guess Who’s Coming to Dinner)の最後までと、コメントを10人ほどでした。

次回はその続きで最後までコメントが聞けるとええね。

時間があれば、『招かれざる客』の主人公シドニー・ポワチエの映像を少々、「公民権運動、その後」の映像を少々→Strange Fruit→シカゴ・ブルース、ソウル→『ブルーズ・ブラザーズ』のなかから一曲→映画『上流社会』のジャズシーン→We Are the World、それでも時間があれば、Contemporary gospelを1曲、それと映画『マルコムX』のエンディング曲Revolution。

『招かれざる客』のジョンと父親の遣り取りのtranscrptionと日本語訳です。A Short History of Black Americansの引用に使いました。

The color line issue was brought into Hollywood in order to let the world know that the United States was supporting the Civil Rights movement; Guess Who’s Coming to Dinner was made. In the film a young black professional marries a young white woman whose father is a rich liberal newspaper owner. The young man and his father have a fierce dispute. It was a fight between the young and the old generation:
合衆国は公民権運動を支持していると世界に知らせるために、人種差別の問題をハリウッドに持ち込みました。「招かれざる客」です。映画では、黒人の若い医師が、父親が金持ちでリベラルな新聞社の社長である若い白人女性と結婚します。その若者と父親が激しく言い争いをします。その議論は新しい世代と古い世代の戦いでした。

“Father: Well, I don’t care what your mother says. Maybe she’s gone haywire, too. This is between you and me. Son: That’s the first thing you said that makes any sense because that’s exactly where it’s at . . .
父:「そうだな、お前の母さんが何を言おうが気にしない。たぶん母さんも混乱している。これはお前と私の問題だ。」
息子:「初めてまともなことを言ったね、これでまともに話せる……。」
Father: Yeaah what I mean to say . . .
父:「うーん、私が言いたいのは……。」
Son: No, you said what you had to say. You listen to me. You say you don’t want to tell me how to live my life, so what do you think you’ve been doing? You tell me what rights I’ve got or haven’t got and what I owe to you for what you’ve done for me. Let me tell you something. I owe you nothing. If you carried that bag a million miles, you did what you were supposed to do. Because you brought me into this world and from that day you owed me everything you could ever do for me. Like I will owe my son if I ever have another. But you don’t own me. You can’t tell me when or where I’m out of line or try to get me to live my life according to your rules. You don’t even know what I am, Dad, you don’t know who I am. You don’t know how I feel, what I think. And if I tried to explain it the rest of your life, you’ll never understand. You are thirty years older than I am. You and your whole lousy generation believe the way it was for you is the way it’s got to be and not until your whole generation has lain down and died will that dead weight of you be off our backs. You understand you’ve got to get off my back, Umh, Dad, umh, Dad, you’re my father. I’m your son. I love you, I always have and I always will. But you think of yourself as a colored man. I think of myself as a man, umh, now, I’ve got a decision to make and I’ve got to make it alone and I’ve got to make it in a hurry, so would you go out there and see after my mother?”
息子:「いや、父さんの言いたいことは充分に聞いた。今度は僕の番だ。父さんは僕がどうやって生きていくべきかを指図したくないと言ってるけど、今まで父さんは何をして来たと思ってるの?父さんは僕にどんな権利があって、どんな権利がないのかを言ってきたし、父さんがして来たことに僕がどれほど恩があるかを話して来たよね。じゃ、言わせてもらうね。僕は父さんに借りはないよ。父さんがかばんをずっと運んでたとしても、それは父さんの仕事だったからだよ。父さんは僕をこの世に生み出したから、その日から、できる限りのことを僕のためにする義務がある。同じように、僕に子供が出来たら、その子に義務があるからね。でも僕は父さんのものじゃない。僕がいつどこでコースを外れるかは父さんが口出し出来ないし、父さんのルールに従って僕を生きさせようとしてもだめだよ。父さんは本当の僕を知らない。父さんは僕が誰なのかも知らない。僕がどんな風に感じて何を考えているかも知らない。そしてもし、僕が一生かかってそれを説明しようとしても父さんには分からないよ。父さんは僕より30も年上だ。父さんたちのようなこちこちの世代は、重荷を下ろして死ぬまで自分たちのやり方が一番だと信じて疑わないんだよ。父さんは僕らの背中から荷物を取り除かないといけないと分かっているんだよ。うーん、父さん、うーん、父さんは僕の父さんで、僕は父さんの息子だよ。大好きだよ。これまでも好きだったし、これからもずっとだよ。だけど父さんは自分を黒人として考えてる。僕は自分を人間として考えてるんだよ。今や僕は決めないといけなし、一人で決めないといけないし、それも一人で、急いでね。だから父さん、向こうに行って母さんをよろしく頼めないかな?」

配ったプリント:「公民権運動、その後」(B4表裏2)、シカゴ・ブルース(B4表裏1)、ソウル(『ブルーズ・ブラザーズ』のなかから一曲)(B5表1)、We Are the World(B4表裏1)、「授業についての感想」(B5表1)、「『招かれざる客』の感想」(B5表1)

感想2つは次回持って来てや。

来週に、また。

<15回>

最終回は、公民権運動その後の映像を何本かと、デンゼルワシントン、シドニー・ポワチエの映像、それと何曲か聴いてもらったような。本当はひとりひとりコメントを聞きたかったんやけどなあ。

<アフロアメリカの歴史と音楽の成績について>

授業で、これはないやろ、こんな授業ならしたくない、と思ったように、課題を読んでもほぼ読む内容のないのが多かったです。授業を聞いてくれてたんやろか。人に授業料を払ってもらって考える豊かな時間をもらっておきながら、それはないやろ、そう思いました。
最初にも言ったように、僕は定年退職しています。国立大には65歳以降専任として採用する制度は以前はなかったんやけど、独立行政法人になってからいろいろ大学独自の判断で規定を変えて制度的に新しいことが出来る裁量が増えてるようです。僕は定年した年の終わりに、新学部(地域資源創成学部)を手伝ってもらえないかと、学長、教育担当副学長、事務局長(所謂トップスリー)から頼まれました。非常勤ではいやなのでと言うと規定を変えるからと言われました。頼まれたのは新学部を手伝って、だけやったんで、今持っている医学科1年生の英語の2クラスと学士力発展科目3クラスは、僕のお節介です。
もちろん、授業でも言ってるように、今の受験に向けた中学や高校では欠落している、自分や社会について考える大学での空間は大事やとずっと思ってきたし、折角大学まで来たら、インプットした個々の大量の情報を使って論理的に、客観的に述べるという知的な作業は大切やと思ってもきました。大学でそんな空間を共有できる立場にいるわけやから、それを大事にしよう、今まで考えなかった分野で学生一人一人の意識下に響くようなことをしよう、と思って30年以上やって来ました。集めた新聞や雑誌の記事も書いたテキストも配るプリントも毎回書くブログも配る資料やコメントなどもすべてそのためやと思っています。毎回8クラスのブログを書くのも、もちろん大量のプリントを印刷刷るのも、大量の課題を読むのも、大変です。でも、あんまり仕事やと思ってやってこなかったのは人間が好きみたいやし、授業も嫌いでないようなので、続いて来たかも。案外僕には向いているんかも、と思ってきました。

でも、今回みたいなことがあるとぷつんと切れるよね。ま、今回だけやないけどね。
それで、すでに後期も取りやめたし、来年も持たないつもりです。大学の一方的なやり方にも切れてしまうところもあって、約束した新学部の卒業生の出る来年まではいようと思っています。

本当は、10月から医学部の学部長を引き受けさせられる片岡さんみたいに、まだ子供ですからもう一度チャンスを与えて下さい、という寛容さがあればいいんやろなあ。解剖の授業を受けた医学科の1年生が調子に乗って兎を解剖してネットに載せたのが問題になり、関係した学生8人全員を退学にという教授会での強硬論の流れを一言で変えてしまったもんなあ。結局首謀者が停学二年他は停学一年、首謀者の一人が卒業後自殺したと聞いてるけど、他は医者になってるねえ。全員僕の選択授業を取ってくれたこともあって知ってるけど、ちょっとおかしいのが多かったねえ、正直医者にはならん方が患者のためやと、今も思ってるから、本当のところ、何がよかったのはわからんけどね。

今回は、最後の授業が終わる週に成績をつけ終えるとつもりやったけど、今日(25日)まで引き摺ってしまったなあ。
140人も登録があったのに、成績を出したのは41人、16人は再試対象です。かなりええかげんやったと思うけど、最初に配ったプリントを読んで、再試期間にしっかりとしたものが提出されれば成績を考えよと思います。

大体、1枚や2枚で、インプットした個々の大量の情報を使って論理的に、客観的に述べるという知的な作業が出来るわけがないやろ。授業に来て提出物を出してるだけで成績をつけてる人も多いんで。(もし内容でチェックしたら、半分以上は不可ややろと思う)

授業料払って授業を受けてるんやから、出席で縛られるのに慣れるのはよくないと思うけどねえ。それと同じように、たいして内容のないのに、実質が伴ってないのに、成績を出さないと成り立たない大学って、必要あるんやろか、とほんまに思うねえ。

後味の悪い授業でした。でも、成績をつけるまではやりました。まだ登録と再試の扱いが残ってるけど。

今さらやけど、普段はだいたい講評については、以下のようなコメントをつけています。

ある一定の基準以上やなあと思えるのは満点、少し工夫すれば満点は秀(大学の規定では九割以上)。満点と秀は以下の通りです。

仮説がないか、はっきりしないもの、調べたものをまとめたもの(いわゆるレポート)、本を読んでの感想、になっているものや、絶対的に量が足りないもの、課題図書を最低1冊は読むなどの基本的な事項を満たしたないのが多かったと思います。ま、それでも、単位はまかしといてや、と言った通り、成績はつけました。
大学では、インプットした個々のインフォーメーションを使って、論理的に、客観的にものを述べるというのは大事なことなので、一つのきっかけにしてもらえたならうれしいです。英語で書いている人もあました。十分に読めるので、自信を持っていいと思います。

本来、書くものは、何をどう書くか、相手に伝えるか、が最終的には善し悪しの決め手になるので、読んだあと、ずーんとこっちに伝わって来るのが、やっぱり一番かな。日本語で書いても英語で書いてもそれは同じやと思います。
ただ、評価には懐疑的な僕としては、この評価が正しいという自信はやっぱりありません。ただ、毎年たくさん読むので、横に並べられる分、レベルの区別は可能なような気がしてるけど、それもどうやろ、ま、そんなところで、毎年うろうろしています。

今年の4月から4年間、「文学と医学の狭間に見えるアングロ・サクソン侵略の系譜ーアフロアメリカとアフリカ」で科研費をもらってるので、侵略の系譜のなかで残された文学などについてアフロアメリカでも継続的に書こうと思っています。

進路や英語についても、僕で役にたてることがあるときは、来年までは養育文化棟328、医学科3S17の研究室がありますので、いつでもどうぞ。
8月の初めに、海洋4年の山脇くんが東京海洋大の院の入試問題を見て下さいと来てました。去年アフロアメリカの歴史と音楽を取ってくれたそうです。同じく授業を取ってくれた教育文化学部の立本さんは教員採用試験のお手伝いをして今福岡で教員をしています。川越くんは慶応の院に決まったけど、お金を貯めてからというので大分に戻ってクロネコヤマトで働いています。それからも続きそうな人たちに出会えたのは、この授業お蔭なんやろけどなあ。

やった授業が一覧出来るように授業一覧は作っておきます。最後のプレゼントです。

アフロアメリカの歴史と音楽(前期用)

授業で、これはないやろ、こんな授業ならしたくない、と思ったように、課題を読んでもほぼ読む内容のないのが多かったです。授業を聞いてくれてたんやろか。人に授業料を払ってもらって考える豊かな時間をもらっておきながら、それはないやろ、そう思いました。

最初にも言ったように、僕は定年退職しています。

国立大には65歳以降専任として採用する制度は以前はなかったんやけど、独立行政法人になってからいろいろ大学独自の判断で規定を変えて制度的に新しいことが出来る裁量が増えてるようです。

僕は定年した年の終わりに、新学部(地域資源創成学部)を手伝ってもらえないかと、学長、教育担当副学長、事務局長(所謂トップスリー)から頼まれました。非常勤ではいやなのでと言うと規定を変えるからと言われました。頼まれたのは新学部を手伝って、だけやったんで、今持っている医学科1年生の英語の2クラスと学士力発展科目3クラスは、僕のお節介です。

もちろん、授業でも言ってるように、今の受験に向けた中学や高校では欠落している、自分や社会について考える大学での空間は大事やとずっと思ってきたし、折角大学まで来たら、インプットした個々の大量の情報を使って論理的に、客観的に述べるという知的な作業は大切やと思ってもきました。大学でそんな空間を共有できる立場にいるわけやから、それを大事にしよう、今まで考えなかった分野で学生一人一人の意識下に響くようなことをしよう、と思って30年以上やって来ました。集めた新聞や雑誌の記事も書いたテキストも配るプリントも毎回書くブログも配る資料やコメントなどもすべてそのためやと思っています。毎回8クラスのブログを書くのも、もちろん大量のプリントを印刷するのも、大量の課題を読むのも、大変です。でも、仕事やと思ったことはなく好きなことをやってると思ってやって来られたのは、たぶん人間が好きみたいやし、授業も嫌いでないからかも、案外僕には向いているんかもなあ、と思ってきました。

でも、今回みたいなことがあるとぷつんと切れるみたいやね。ま、今回だけやないけどね。他のくらすのもいっしょに重なったんかも。
それで、すでに後期も取りやめたし、来年も持たないつもりです。大学の一方的なやり方にも切れてしまうところもあって、長くて、約束した新学部の卒業生の出る来年までやろなと思っています。

本当は、10月から医学部の学部長を引き受けさせられる片岡さんみたいに、まだ子供ですからもう一度チャンスを与えて下さい、という寛容さがあればいいんやろなあ。

解剖の授業を受けた医学科の1年生が調子に乗って兎を解剖してネットに載せたのが問題になり、関係した学生8人全員を退学にという教授会での強硬論の流れを一言で変えてしまったもんなあ。普段はすべての議題を入れても2時間はかからないのに、一つの議題だけで、めずらしく3時間ほど教授会で話し合いました。

結局首謀者が停学二年他は停学一年、首謀者の一人が卒業後自殺したと聞いてるけど、他は医者になってるねえ。全員僕の選択授業を取ってくれたこともあって知ってるけど、ちょっとおかしいのが多かったねえ、正直医者にはならん方が患者のためやと、今も思ってるから、本当のところ、何がよかったのはわからんけどね。

今回は、最後の授業が終わる週に成績をつけ終えるとつもりやったけど、今日(25日)まで引き摺ってしまったなあ。
140人も登録があったのに、成績を出したのは41人、16人は再試対象です。かなりええかげんやったと思うけど、最初に配ったプリントを読んで、再試期間にしっかりとしたものが提出されれば成績を考えよと思います。

大体、1枚や2枚で、インプットした個々の大量の情報を使って論理的に、客観的に述べるという知的な作業が出来るわけがないやろ。授業に来て提出物を出してるだけで、(めをつぶって)成績をつけてる人も多いんで。(もし内容できちんとチェックしたら、半分以上は不可ややろと思う)

授業料払って授業を受けてるんやから、出席で縛られるのに慣れるのはよくないと思うけどねえ。それと同じように、たいして内容のないのに、実質が伴ってないのに、成績を出さないと成り立たない大学って、必要あるんやろか、とほんまに思うねえ。

後味の悪い授業でした。でも、成績をつけるまではやりました。まだ登録と再試の扱いが残ってるけど。

今さらやけど、普段はだいたい講評については、以下のようなコメントをつけています。

ある一定の基準以上やなあと思えるのは満点、少し工夫すれば満点は秀(大学の規定では九割以上)。満点と秀は以下の通りです。

仮説がないか、はっきりしないもの、調べたものをまとめたもの(いわゆるレポート)、本を読んでの感想、になっているものや、絶対的に量が足りないもの、課題図書を最低1冊は読むなどの基本的な事項を満たしたないのが多かったと思います。ま、それでも、単位はまかしといてや、と言った通り、成績はつけました。
大学では、インプットした個々のインフォーメーションを使って、論理的に、客観的にものを述べるというのは大事なことなので、一つのきっかけにしてもらえたならうれしいです。英語で書いている人もあました。十分に読めるので、自信を持っていいと思います。

本来、書くものは、何をどう書くか、相手に伝えるか、が最終的には善し悪しの決め手になるので、読んだあと、ずーんとこっちに伝わって来るのが、やっぱり一番かな。日本語で書いても英語で書いてもそれは同じやと思います。
ただ、評価には懐疑的な僕としては、この評価が正しいという自信はやっぱりありません。ただ、毎年たくさん読むので、横に並べられる分、レベルの区別は可能なような気がしてるけど、それもどうやろ、ま、そんなところで、毎年うろうろしています。

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今年の4月から4年間、「文学と医学の狭間に見えるアングロ・サクソン侵略の系譜ーアフロアメリカとアフリカ」で科研費をもらってるので、侵略の系譜のなかで残された文学などについてアフロアメリカでも継続的に書こうと思っています。

進路や英語についても、僕で役にたてることがあるときは、来年までは養育文化棟328、医学科3S17の研究室がありますので、いつでもどうぞ。
8月の初めに、海洋4年の山脇くんが東京海洋大の院の入試問題を見て下さいと来てました。去年アフロアメリカの歴史と音楽を取ってくれたそうです。同じく授業を取ってくれた教育文化学部の立本さんは教員採用試験のお手伝いをして今福岡で教員をしています。川越くんは慶応の院に決まったけど、お金を貯めてからというので大分に戻ってクロネコヤマトで働いています。これからも続きそうな人たちに出会えたのは、この授業お蔭なんやろけどなあ。

やった授業が一覧出来るように授業一覧は作っておきます。最後のプレゼントです。

英語 Ma1(2)

まとめてみると、結構いろいろやったわけやね。成績も出して、一段落。
課題の講評のところでも書いたけど、これで授業で会うのはほぼ終わりかな。地域資源創成学部の手助けをと言われてるので、今の3年生が卒業する来年度までになるかな。宮崎を離れる準備もしないとね。

******************

<英語 Ma1(2)>

概要

毎回映像や資料をたくさん使い、映画を見てもらったり、歌を聴いてもらったり、楽しくやれるといいねえ。今までの価値観や歴史観を自分のために問い直し、自分について考える貴重な時間になればと願っています。

ERなどの映像を使って、臓器移植、エイズとアメリカ、エボラとアフリカなどを切り口に、いろいろと考えてもらえる機会になるような授業が出来ればと思っています。医学用語の演習と試験(1~4章)もやるつもりです。発表も積極的にやってくれると嬉しいです。

ブログ:「ノアと三太」:https://kojimakei.jp/tamada。アクセス制限をかけています。

ユーザー名( c2018ma11  )パスワード(  7rX8  )

メール:tamadayoshiyuki@gmail.com

評価と課題と発表

評価には懐疑的やけど、提出物(感想、課題など→6割)と授業への関わり(発表、コメント、討論など→1割)、医学用語の試験(3割)を総合的に評価する予定です。

課題は二つ(①と②)を、期日までに(1回目は5月30日、2回目7月11日)提出。

仮説を立てての論証文(課題図書を最低一冊は読む)を二つ。
英語での発表(自己紹介、関連の話題などで。)
<発表について>

自己紹介か、何かの話題での英語での発表。授業時間内に出来ない人は、研究室で個別に。あとで発表と感想を提出して下さい。

<1回目>

4月11日

第1回目の授業でした。楽しくやれそうやろか。

新学期が始まっての最初の授業、後期が終わってから成績を出すのにやっぱり一月ほどかかり、同時に医学用語のプリントと地域資源創成学部と工学用のトーイックのプリントを作って印刷、それから大きなことが飛びこんで3週間ほどかかりっきり、ゆっくりホームページから切り替えてもらったブログの準備も出来ないまま授業も開始、毎年毎年ばたばた、宮崎も31年も、こんなに長くいるつもりやなかったんやけどなあ、ずっとそう言い続けてるみたい。

国の体制についてや大学のことなど、いろんなことをしゃべり、ブログを案内して、最後に来週の予定を確認して終わりでした。ERは佐々木くんが、用語の専門家・専門分野は金子くんが発表してくれます。

USBはウィルスをまく手伝いをして大変な思いをしたんで使いません。自分のパソコンを持って来るか、参考ファイル(ファイル置き場)に発表するものを置いて僕のパソコンで発表してや。

用語は僕が日本語を言うので、Terminologyを言ってくれればいいです。あとでみんあで発音練習もするつもりです。必要なら解説もしながら。

後期でする予定の5章、15章や他の章も今の時期に一気にやってみたい人がいれば空き時間にでも時間を取るよ。他のクラスでもやりたい人がいれば、その人もいっしょに僕の部屋でつき合うつもりです。

次回は、早う名前が覚えられるように、全員の簡単な自己紹介(いろいろしゃべってもらえると有り難いけど)→発表のサンプルに僕がアメリカに行ったときの話を英語で→佐々木くんのER、金子くん用語→ERの臓器移植に関する映像での紹介(聞き取り用と新聞記事などを用意しときます)

課題については解説出来なかったので、それも次回に。

配ったプリント:自己紹介、自己紹介用紙(次回出してや)、授業と評価と課題について、用語(Pronunciation of Terms2枚、演習編1枚、演習の解答1枚)、用語他3枚

The Language of Medicineは購入して持って来てや(先輩からもらう人も忘れずに持って来てや)。1章を見てもらいながら具体的にどのように授業でやるかを解説します。

筆記試験については、別所が言う通り、演習用のシートのように、定義を見て用語を日本語と英語で答えるのが現実的には無難かも。definition→terminologyは大変やろけど。みんなで決めたことに従います。次回少し時間を取るので結論を出してや。

課題の資料は用意するんで、いつでもどうぞ。

今日も言ったけど、先輩から安易にもらったりするより、自分で探す、自分で書く方が自分のためになると思うよ。自分のためにやった人は、後輩から聞かれても決して押しつけがましく(先輩面して)言わないで、自分でやった方がええよと言うと思うけどね。

今日は授業のあと少し用事を済ませ、南部さんと獣医学科の中野さん(現在学科長)のところに行って2時間。後期の2年生で、あなたらと同じような形で獣医学用語の授業を3コマやることになりました。資料はThe Language of Medicineの出版元からVeterenary Medical Terminologyを取り寄せ、それに医学用のを加えてある程度形にした1章のサンプルを持って行きました(作るのに1か月ほどかかったけど)。実際には後期までにスキャンしてOCRにかけてテキストを作らんとあかんので、また大変そう。医学科のは6年かかったけど、今回はそれをだいぶ利用できそうやけど。

31年前に農学部に非常勤で行って以来、獣医学生のために何か出来ひんかなあと思っていたんで、少しでもお役にたてそうでよかったです。学士力発展科目の大きなクラスに獣医学科のほとんどの人が受けに来てくれているんで(医学科と違って結構な単位数を取らないとあかんので)、最近は余計にその思いが強くなっていました。定員が一学年30人で教員の数も少なく、獣医用の英語まで気を配れる人が実際にはいないのが構造的な問題みたいやけど、今回はJICAの経験のある他のプロジェクトで雇用されている助教の人がメインになってやれるようなので、その人と南部さんんと協力して、誰がやっても学生が獣医学用語をやれるように、体制を作っていけたらと思っています。

EMPを臨床や基礎の人と協力してやったように、獣医の基礎や臨床の人と協力してやれるといいのになあと思っています。今日は帰ってすぐ、寝不足が続いていたんでそのまま寝てしまってたので、こんな時間になりました。

また、来週に。

<2回目>

昨日のうちに書き込めなくて申し訳ない。
昨日は授業のあと2年生が部屋に来てて2時間ほど、そのあと獣医科の野中さん(科長)、兼子さん(助教)と南部さんとで2時間。帰って疲れ果てて、6時頃から寝て、二時に目覚めて、また寝て6時、まだすっきりせんけど、来週が終われば連休で一休み、みたいやね。

もう2週目、大体慣れた頃やろか。1週目2週目は怒濤の毎日、大きなクラスは今日の2つ目のメンバーの確認が済んで、やっとスタート、来週が終われば連休で一息かな。定年退職4年目、退職前とほぼ同じようにやれるのは、有り難いことなんやろな、がこの頃の口癖です。一年契約なんで、病気をしたら終わり、それが定年前と大きく違うところ、病気せんようにせんとなあ。

最初にThe Language of Medicineの使い方の解説。授業は例文の解説と発音練習なんかをやるけど、それまでに解説、例文、練習問題、Pronunciation of Termsをきちんと繰り返してやっとく方が自分のためになると思う。他の大学に行ってる人に聞いたらわかるけど、教養の英語で医学的な内容、それもこの段階で医学用語を本格的にやってくれるとこはたぶんあらへんから。そりゃ、医学をやってない文系の教員が頭のいい(といわれる)生意気な(僕といっしょ)学生相手にせんとあかんのやから、大抵はしようとは思わへんわな。英語科の教員はいわば統合の産物で、教養の教員やなくて専門の教員やから。僕が言うのもなんやけど、大事にした方がええと思うよ。

専門分野の用語を金子くんが。発音のチェックや発音練習など。ま、こんな初歩の初歩は今だけしか出来んけどね。やっていくうちに自然に慣れていくと思う。

それから佐々木くんのERの発表、おもしろかってねえ。うまい。
最初の方は用語を実際の場面で使っている例としてERを使うつもりです。

さっそく次回はカーターが実習に来た初日の場面とドクヘリで運ばれて手術を受けて脳死状態になる場面は観てもらうつもりです。

他に中国系のインテリの母親から母子感染された子供の治療を巡ってロスとグリーンがやり合う場面(エイズ)や、最後の方のシリーズでアフリカに行く場面なども紹介するつもりで準備しています。

次回はどこかで、今回紹介出来なかったLouis ArmstrongのWhat a Wonderful Worldを聴いてもらつもりです。アフリカ系アフリカ人の話は歴史を読んで少しやろうと思っています。

それと、自己紹介も含めたコメントも言ってもらうつもりです。早う名前も覚えられるとえんやけど。

時間があれば、発表のサンプルとしてアメリカに行ったときの話をしようと、今年度版の自己紹介のファイルもちょっと前に作っています。

5月の終わり頃が一回目の課題の提出なんで、資料早めに探しや。*がついてる分や英文は用意出来るんでメールででも直接にでも伝えてくれれば出来るだけ早く渡せるように準備するよ。遠慮なく。先輩にもらうより、自分の医師で意志で選択する方がええやろと思う。

配ったプリントはなし。

自己紹介の用紙は読む時間がなかったけど、週末に読んで、面接などで必要なら連絡するね

また、来週に。その次は金曜日の振替で一回飛ぶね。

<3回目>

4月25日

3回目の授業でした。

今日はいい天気やったねえ。山藤もきんぽうげも終わり、薊が目に入り始めました。薊を4本摘んで来て、南部さんの部屋に2本持って行きました。とげがたくさんあるので、取るのに結構気を遣います。もうすぐ4月も終わるねえ。

ブログをチェックしたあと、そのままウェブのフリー辞書英辞郎(和英・英和)、ウェブスター(米英語)、ロングマン(英英語)の紹介。

3つのリンクは、トップページのcommunityの掲示板に貼ってあります。

実際に覚えた用語をどのように使うかの例としてERの1シリーズの第1話カーターの初日の一部を観てもらいました。河野くんが読んでくれて、用語の解説もつけたしました。発音もちゃんとしてるし、きちんと読めるねえ。

ERVIAの脳死患者の場面を観てもらいました。聞き取りをするのは最初の場面だけやけど。

ERI1AとERVIAの映像ファイルを参考ファイルに置いときます。

来週は、1章の解説と発音練習、消化器系(2種類)のチェック(兼子くんと柏谷くん)、ERVIAの聞き取り(佐々木くん)、出来ればコメントの続き、です。
アメリカに行ったときの話も出来たらええけど、また時間が足りなさそう。

配ったプリント:ERI1A、臓器移植とERVIAの聞き取り。

面接、連休明けで堪忍してや。

また、再来週に。

南部さんが獣医科の野中さん(科長)、兼子さん(助教)を案内してくれます。

<4回目>

4回目の授業でした。

今日は雨が降らなくて助かりました。沖縄は梅雨入りやそうやから、そのうち雨の天気が続くようになるねえ。
連休で一回抜けて2週間空くと、随分と前に会ったような。このあとは、合同授業も含めて週に二回あったと変則的やけど、夏休み前まで一気に、やね。

日程を確認しときます。支援課の濱さんがポータルサイトにアップしてくれはったみたいですが、ここでも書いときます。

<用語の日程>

5月16日→1章筆記試験
5月23日→2章演習
5月30日→2章筆記試験(合同授業、6月6日休講の分)
6月13日→3章演習
6月20日→3章筆記試験
6月27日→4章演習
7月 4日→4章筆記試験(合同授業、7月18日休講の分)

<休講・合同授業の日程>

6月6日、7月18日→休講

5月30日4コマ目、7月4日4コマ目→合同授業

1章の解説と発音練習、それとERVの聞き取り(佐々木くん)しか出来ませんでした。早いし、雑音もすごいので、難しいね。

チェックするパワーポイントの音声が出なかったんで、来週は音が出るようにしときます。参考ファイルにERVの聞き取りの続き(今日プリントを配り忘れたんで、次回渡します)の音声ファイルmp3を置いときます。(映像はでかすぎるし、マックの人は再生がうまく出来ないみたいなんで)

今日はする時間の余裕がなかったけど、消化器系(2種類)のチェック(兼子くんと柏谷くん)もやろ。

そのあと、臓器移植法が通って以来初めて臓器移植が行われた時のBSのニュースも見てもらおうと思っています。(穴あきのプリントの分です)そっちの方は、ERに比べるとわかりやすいと思うよ。

ほんとは臓器移植について発表してもらうつもりやったけど、今日少し話をしたエイズ治療薬をめぐっての二人の医師の意見の対立の場面と、抗HIV製剤の保険の適用を受けられない患者の場面を見てもらおうと思っています。エイズやエボラにも時間を取りたいんで。

少なくとも複製のメカニズムと、症状についてのHuman Biologyからの抜粋は読んでもらいたいと思っています。

エボラについては、ERのシリーズの後半で、カーターがコンゴに行って大変な思いをする話は紹介したいです。それに付随するニュースや映像も音楽も紹介するつもりです。歴史や政治背景もやれるといいのになあ。
先週、エイズのプリントといっしょにエボラのプリントも印刷してもらっています。

あれもこれもと思うけど、授業でやれるのは時間が限られてるし、どこまでやれるやろねえ。

来週、また。

授業を見に来てくれた南部さん、野中さん、兼子さんを協力して、獣医学科で用語が出来るようにテキストなどを作ろうと思っています。

<Ma1 (2) 医学用語の筆記試験について>

試験について書いときます。

試すわけではないので、インプットする手段として使ってもらえれば嬉しいです。

形式は演習シートの様式

Meaning (Definition) / (Medical terminology) /(医学用語)

1 Inflammation of the gland / (     ①     ) /(     ②     )

 

のDefinitionの中から20題、それに①terminology、②医学用語を書く、という形式でやるつもりです。

お互いにわかったうえで、利用して下さい。

別所だけでなく、ソンクラやアーバインに行った人は、初めの頃は行ったあと必ず部屋に報告に来てくれてました。例外なく、後輩には試験をして下さいと言ってました。

看護学科の報告会に行ったら、私たちは出来なかったけど、みんなはしっかりやって行って下さいというのが多くて、えろう腹を立てて帰って来ました。2年も準備期間があるし、僕らも出来ることはしたのに、それはないやろ、だからそれを見るのが嫌で以降の報告会には行っていません。

医学科の場合、最初は用語に苦労したという報告もあったけど、The Language of Medicineをやり出してから、用語の話は出なくなりました。TAなど急性疾患が多いとか狂犬病の患者は日本では診られない貴重な症例だとか、内容的なことが増えました。

授業も出ずに単位を取った僕が、出席せなあかんやろと言っても信憑性がないけど、行って用語やっててよかったという人たち口を揃えて言うんやから、やっぱり今の時期にインプットする方がええ気がするね。僕とソンクラやアーバインに行った人たちからのみんなへのエールやと言えるかも。

出来れば、terminologyからdefinitionを口に出して言う練習が出来れば一番ええと思うけどね。

来週試験をしたあとその次の週まで一週間あるんで、2章の解説→用例→練習問題→Pronunciation of Terms、特に最後にPronunciation of Termsを覚えるまでに3回用語の確認を繰り返す、その作業が大事なんで、やっとくといいと思います。

7月の2週、3週やと前期試験まで少しあいてるので、その間に後期でする5章、15章をやっとこうと思う人は、授業と同じ要領でよかったらつき合うで。

5章、15章は量があるので、一回やっとくと後期にやるときに馴染みやすいし、骨の試験もそう負担を感じずにやれるんやないやろか。2年で解剖をやるときに一年でやっといてよかったという声をよく聞くね。過年度生で既修得単位を申請して授業に来なくて医学用語をやらなかった人が、やといたらよかったなあと言ってました。

<5回目>

5月16日

5回目の授業でした。三分の一が終わってしまったわけやね。

授業があった日に書いておこうと思い、次の日にも同じことを思いながら土曜日になってしまいました。気持ちをと切らせずに続けるのはなかなか難しいです。

授業が終わったあと、自転車で街に出て用事を済ませ、夕方木花で地域の3年生と進路の話、休学して留学をするようなので、トーイックの対策や行き先の選び方など。休学して最低一年は滞在するようで、ずっと考えていたそうで。
帰ってから4月から名古屋大に行っている卒業生に連絡を取りました。休学してアメリカに一年留学してトーイック対策も経験済みなので。「名古屋での暮らしにもすっかり慣れ、来月発表する論文を昨日提出し少しほっとしているところです。優秀な先輩が多いので先輩方に必死でくらいついています。とても面倒見のいい先輩方で充実した日々を送っています。」とのこと、相談に乗ってもらえそうです。

まずは日程の確認を。

来週は→2章の演習

再来週5月30日は→2章の筆記試験(4コマの合同授業の最初に)4コマ目の合同授業はエボラの話をと思っています。

1章の筆記試験をやりました。採点して来週解答編のプリントといっしょに返します。

今回ERを中心に始めたんで、カーターの研修初日から始まって、カーターのコンゴ訪問で終わろうと思っています。その間に、前回観た臓器移植とエイズの話を挟んで。

それでエイズのプリントを用意して行き、おおまかな話をしました。もう一回整理しときます。自分で読んでみてや。Natureを読むのが初めての人もいるやろけど、結構難しいよ。
エボラのところでは、インパクトファクターの強いThe England Journal of Medicineのpaperも配るつもりなんで、折角医学部に入って来て医学のことを全然せえへんと文句を言ってる人も、是非読んでや。よう出来る人は、「医学部に入って来て医学のことを全然せえへんと文句を言ってる人」は専門が始まってもしませんよ、と言ってたけど。

臓器移植のBSのニュースを観てもらったけど、ERに比べたら聞き取りやすかったやろ。前回の分とBSのニュースを含めたtranscriptionのプリントを持って行ってたのに、帰って部屋でバッグを開けたら底に残っていました。次回配ります。音声ファイルも参考ファイルに置くんで、聞くのに慣れたい人はやってみる価値はあると思うよ。

配ったプリントのところでも再確認するけど、次回はHuman Biologyからの抜粋Immune System and Mechanisms of Defenseの9.10 Immune deficiency: The special case of AIDSは読みたいと思っています。

次回は2章の演習→コメント→消化器系(2種類)のチェック(兼子くんと柏谷くん)→The Specail Case of AIDS(河野くん)。

そのあと、エイズに関するERの映像を二つ、時間があれば、エボラの話を始めます。プリントは用意しています。

配ったプリント

①臓器移植2種類、当日の記事と少しあとの社説(B4表裏)、

②エイズに関するERの映像のtranscription二つ(B4表裏、B4表)、

③Targeting a Deadly Scrap of Genetic Code(多剤療法で劇的に変化があった患者の話B4表とHistory of AIDS DiscoveryB4裏、

④エイズ治療元年とHIV治療「一日一錠」)B4表裏、

⑤ 9 Immune System and Mechanisms of Defense表裏2表(B4)と免疫の仕組み、血液の種類、HIV構造図(B4)計3枚

⑥ As They See It表裏1

⑦Nature(表)と、エイズが問う「政治の良心」(裏)

⑤の9.10 Immune deficiency: The special case of AIDSは読むけど、それ以外もさっと目を通しときや。

③はNewsweekの記事で一般向けやけど、それまでエイズ=死だった世界が一変したような記事で、目を通す価値はあると思う。History of AIDS Discoveryは、授業でも触れてけど、1994年にアジアで始めて開かれた世界エイズ会議(横浜)の特集記事です。2000年に入ってから未知の病の治療に当った医師などへのインタビューも含め様々な映像が盛り込まれたThe Age of AIDS(45分×4本)のドキュメンタリーがBSで放映されました。その映像も併せて2ギガ近い容量やけど、インタビューなどを聞き取りパワーポイントもリンクさせてあります。今まで作ったファイルの中でもたぶんいい出来映え、希望者がいたらいつでもコピーするで。

⑥は、病気をもっと多いきな視野で総合的にみようというアメリカの医師の提言、これからみんなには一番大事なことやと思うので、是非読んで欲しいものの一つです。全文も画像にしているので、いつでもコピーは可。科研費をもらってる間に巡り会った本で、いい本やなあと感動して読みました。

⑦はNature、是非。

来週、また。

<6回目>

5月23日

6回目の授業でした。

雨も何とか上がって、しばらく天気のいい日が続くみたいやね。薊(あざみ)はほぼ終わって、そろそろ紫陽花(あじさい)の季節。下は額紫陽花(がくあじさい)

 

先に日程の確認です。

来週は

①4コマ目が合同授業(1コマ目は通常の授業)
②課題1回目の提出
③2章の筆記試験(4コマ目の最初に)

です。

先に1章の用語の答案用紙を返しました。おーし、こんだけ利用してくれてるんやったら、2章~4章も作らなあかんな、と思ったかどうかは微妙なところやね。やってない人も結構いたし。お互い、やれることはやれるとええけどね。

2章の演習とHuman Biologyの9.10 Immune deficiency: The special case of AIDSの要約を河野くんがやってくれました。しっかり出来てたんで、付け加えることはないね。

HIV/AIDSの動画、Communityの中の掲示板にサイトのリンクをはってあるのを少し見てもらいました。一昨年transcritionを作ったんで、必要ならメールでファイルは送れます。
Newsweekの記事の中のDisrupting Assembly Lineをさっと解説しました。一般向けなので、だれにでもわかるように書いてあるけど、医学生には物足りんかも。

コメント、消化器系(2種類)のチェックはまた出来なかったね。

次回は、エイズに関するERの映像を二つとHistory of AIDS Discoveryをみてから、エボラの話を始めます。プリントはその時に配ります。

最初は1995年のCNNを使って、Listening Comprehension Practiceをやってみるかな。

4コマ目はカーターがコンゴに行った話ERIX9B、それを見てもらう前にコンゴからの電話を受けて、前からずっと考えていたボランティアに行く決心をして、恋人を振り切って出発する場面も紹介するつもりです。
その次の時間に、一度アメリカに戻ってから同僚の死の知らせを聞いてまたコンゴに出かける話もみてもらえればと思っています。

配ったプリント:3章の演習用、解答用、1章の筆記試験の別バージョン、ERV1とBS Newsのtranscription

来週で8回目、半分をこえて後半に入るなあ。早いもんやなあ。名前もしっかり覚えられないまま、後半やもんな。

また、来週に。

<7・8回目>

5月30日2コマ目と4コマ目

7・8回目の授業でした。後半に入ったわけです。

まずは日程の確認を→再来週6月20日(水)4コマ目合同授業(7月18日の代わり←ゲストさんの試験)

2コマ目は1回目の課題を集めて、エイズの残りとエボラを少々。
4コマ目は合同で、2章の筆記試験とカーターの行ったコンゴの話、ERIX6「悪夢」を見て、1995年のCNNの映像を使ってListening Comprehension Practice。

次回(来週の6月6日水曜日は授業がなくて、13日水曜日)は、

① コメント
② 3章のチェック
③ エボラの新聞記事(B5表)(菊川さん)
④ CNNのtranscritionのチェック(誰かやらへんか)

(時間があれば)

→1976年の一回目のエボラ騒動の映像
→アメリカ映画「アウトブレイク」の紹介

2コマ目のエイズに関するERの映像は二つ、逆転写酵素阻害剤のAZTしかなかった、2シリーズの、たぶん1994年頃の映像と(自分が医者や親の立場だったらという想定で、意見を少々)、カーターがコンゴに行った直後の、たぶん2002年か2003年の映像(保険を使えずに薬代を払えない人がエイズを発症したあとに薬代が無料になるという患者の話)でした。

そのあと、ざっとHistory of AIDS Discoveryを解説して、少しだけ関連の映像を見てもらいました。
エボラは話は、Hot Zoneからコピーした地図を見てコンゴの地理をざっとみてから、2回目のエボラ騒動の翌日の新聞記事を紹介、それで時間切れでした。

4コマ目は

最初は1995年のCNNを使って、Listening Comprehension Practiceをやってみるかな。

4コマ目はカーターがコンゴに行った話ERIX9B、それを見てから1995年のCNNを使ってのListening Comprehension Practice。
モブツが首都が緊急事態なのに北部の村に行った理由を中心に聞きました。A mission, President Mobutu says will have to be (financed) by other countries, not his.が手がかり。A missionが派遣された国際医療チームのことで、その費用を他の国が出すべき(Other countries will have to finance a mission)

2コマ目に配ったプリントは:

ザイールからケニアまでの地図(B4表)・ジンバブエインフレ(B4裏)→次回読む新聞記事にコンゴのインフレの話が出て来るので参照

2回目のエボラ騒動の翌日の新聞記事(B5)→次回読む分です

1
1回目のエボラ騒動の聞き取りシート(B4表)・CNN聞き取りシート(B4裏)→次回チェックする分です

2回目のエボラ騒動の翌日の新聞記事(B4)・南アフリカの週刊新聞のエボラの特集記事→さっと解説した分です

The New England Jouranal of Medicineのエボラ再発についての論文(B4表裏2)→インパクトファクターの高い論文、この時期背伸びしてでも読んでみる価値はある

映画Outbreakの聞き取りシートとtranscrition(表)・2014年のエボラの新聞記事(B4裏)

4コマ目に配ったプリントは:

リンガラ音楽について・パパ・ウェンバ(B4表裏)→次回曲を紹介するつもりです

コンゴ東部で戦闘再開(B4表)・コンゴ 反政府組織と戦闘続く(B4裏)→映画に出て来たような現実の光景

1回目のエボラ騒動の聞き取りシートとtranscrition(B4表)・日本語訳(B4裏)

1976年の1回目のエボラ騒動、1995年の2回目のエボラ騒動CNN、映画Outbreakの音声ファイルを参考ファイルに置いておきます。ダウンロードして自分やってみぃや。

また、来週に。

3コマ授業が目一杯にあって、合間に人に会い、少し間に買いものして、終わってから木花でちょっとごたごた(語学教育センターのことで)、そのあと印刷、なかなかハードでした。帰ってからこのページを書くのも大変、しかし書かないとたまるばかりで、明日になればもっときつくなりそうやし。毎日毎日こんな状態が続くねえ。何もすることがないよりは、いいんやろけど。

今週の日曜日は自治会の一斉清掃、長いこと住んでると自治会の役員がまわってきて、へたすると会長を押しつけられそうでした。
そのときは辞めるつもりやったけど、やってくれる人が現われて。結局安全衛生の係、年に2回の清掃に、防犯灯の管理やら何やら結構することがあるようです。
すでに連絡網などのプリントも三種類こしらえした。清掃の当日に配るペットボトルも300本ほど、とても自転車で運べる代物ではないので、運ぶのを手伝ってもらいました。清掃区域の地図をラミネートコートしたり、ほんまええ加減にせいやと言いたくなります。
何より月に一回水曜日の夜に役員会、そんな余裕はないのにねえ。
3月末から4月一杯は、大きなことが舞い込んで、その合間に授業と授業の準備としたという感じでした。
後期が終わってからすぐに地域資源創成学部で使うトーイック用のプリントと医学科で使う医学用語のプリント(結構な数でした)を予め用意しといてよかったとしみじみ思いました。

きのうの晩は会長を引き受けてくれはった人から電話、ごみの苦情があったので木曜日の八時前にその班のごみの集積所に立っておこうという話でした。外部の人か新しく入居された人かが出したごみの分別が出来てなくて集めてもらえないままに放置されているからという苦情が班長さんから入ったからやそうです。
ま、いろいろあるよねえ。いっとき生活する学生の立場は、そんな煩わしいこととは無縁でいられて、ええよねえ。

<9回目>

6月13日(17日の日曜日になってしまいました。)

9回目の授業でした。
先週は授業がなかったし、今回の授業の終わったあとにまた書けなかったんで、何とか書いとかないとね。

最初に日程の確認、

6月20日(水)は、2コマ目は通常通り、4コマ目に合同授業(7月18日の代わり←ゲストさんの試験)、合同授業の最初に3章の筆記試験。

コメント(何人か言ってもらったかいな)、3章のチェック、エボラの新聞記事(菊川さん)の途中まで。

次回は新聞記事の続きと、1976年のエボラ騒動と「アウトブレイク」→独立とコンゴ危機→植民地時代(レオポルド2世のコンゴ自由国)→ベルリン会議・植民地分割と映像を観てもらい、1996年のザイール崩壊とカビラについて少し解説をして、時間切れかな。

4コマ目は、3章の筆記試験のあと、ヨーロッパ人が来る前のアフリカの話です

最後にERの感想文を出してもらいました。

配ったプリントは:

①The neo-colonial stage: Mechanism and realities Chapter 3 Comtemporary issues 2 Zaire’s Turmoil(B4表裏1と表1)→次回曲を紹介するザイールの崩壊とカビラ(写真↓)についてです。

②The Colonization of Africa(B4表裏2)→合同授業でするヨーロッパ人が来る前のアフリカの話です。目を通しておくとわかりやすいです。(日本語訳がいる人はメールででも掲示板ででも連絡してくれれば、メールで送るか参考ファイルに置くよ。)

③は①の日本語訳です。少し解説したけど、結構引用文もあって難しい内容なので、日本語訳がある方がええと思って印刷を頼みました。日本語訳(B4表裏1、表1)

④Looking Back in Anger: Life in Mobutu’s Zaire(B4表1)→モブツ圧政時にボランティアに鯉の養殖に行っていたアメリカ人青年の見た実態を書いた記事。

⑤少し解説をした歴史かデヴィドソンと元タンザニア大統領ニエレレの記事(B4表裏1)

⑥ Africa and its Descendants 2 Chapter 2 The neo-colonial stage: Mechanism and realities(B4表裏3)→2冊目の英文の1章で全体の半分を占めています。今の新しい形態の先進国の搾取構造について書きました。日本ではめったにお目にかかれないと思います。難しいので、日本語訳がいる人はメールででも掲示板ででも連絡してくれれば、メールで送るか参考ファイルに置くよ。

また、来週に。

<10・11回目>

6月20日1コマ目と、4コマ目(合同授業)

1コマ目が10回目の授業でした。

コメントは斉藤くん、齋藤さん、坂本くん、佐々木くんでした。一巡はしたんかな。
それから、エボラの新聞記事(池邉さん)続きを読んで時間切れでした。英語の意味や、文章の背景などを考えながら読んでいると、結構時間がかかったねえ。次回以降の残りの時間で

①ヨーロッパ人が来る前のアフリカから、奴隷貿易でアフリカ人が連れて行かれたアメリカの話をブラックミュージックを軸に辿る、か

②アウトプットの機会を出来るだけ増やせるように、一人ひとりに英語での発表(自己紹介、自分の町の紹介、何かテーマを決めてのまとまった話など、それぞれが工夫をして英語でのプレゼンテーションをする、か

を選んでや、と聞いたら①ということやったんで、The colonization of AfricaとA Short History of Black Americansは必ず読んで来てや。

4コマ目は、3章の筆記試験のあと、

ERX(この前の続きでカーターがルーカーの死体を引き取りに再びコンゴに行く話)→独立とコンゴ危機→植民地時代(レオポルド2世のコンゴ自由国)→ベルリン会議・植民地分割の映像を途中まで観てもらいました。

次回は、①4章のチェックのあと、②1976年のエボラ騒動と「アウトブレイク」の映像を見て(それでエボラ・コンゴ関係は終わり)、②ヨーロッパ人が来る前のアフリカから、奴隷貿易でアフリカ人が連れて行かれたアメリカの話をブラックミュージックを軸に辿ります。ブラックミュージックの資料は用意しておきます。

配ったプリントは:

The colonization of Africaの日本語訳(B4表裏2B4表)とA Short History of Balck Americans(B4表裏2)

また、来週に。

<附録>

読んだEbola virus returns Zaire into world’s spotlightの日本語訳を貼っときますので、細かいところは参照してや。

The Ebola virus outbreak in Zaire has refocused attention on the vast nation of 40 million people in the heart of Africa that has lurched from one crisis to another since independence from Belgium in 1963 (sic).ザイールでエボラウィルスが発生して、1963年(原文のまま)のベルギーからの独立以来、数々の危機に揺れ動いて来た中部にあるアフリカ4000万人の広大な国に再び注目が集まりました。

The virus, for which there is no known cure or vaccine, has killed at least 64 people.
治療薬もワクチンも知られていないウィルスは少なくとも64人の死者を出しました。

Many Zaireans are openly angry at the government of President Mobutu Sese Seko, who has ruled unchallenged for most of the past 30 years and, according to critics, salted a way (sic) a personal fortune estimated in billions of dollars.
批評家によれば、多くのザイール人が過去30年間無投票で当選し、不正にためこんだ個人の資産が数十億ドルにのぼるといわれるモブツ・セセ・セコ大統領の政府に公然と腹を立てています。

Opposition commentators and independent journalists blame the frequency of epidemics and lack of resources to deal with them on corruption and mismanagement of the wealth of a country blessed with just about every strategic mineral known to man.
反対派の批評家やフリーのジャーナリストは、流行病が頻繁に起こるのも、取り扱う資源が不足するのも、既知のあらゆる戦略的に重要な鉱物資源に恵まれている国の富の管理ミスと賄賂のせいだと指摘しています。

“Mismanagement of public resources that leads to poor management of the environment create opportunistic factors for the birth and spread of epidemics,” lamented an editorial in the opposition newspaper Le Palmares.
「環境の管理不備に繋がる、公共資源の管理ミスが日和見的な要因を作り出して、流行病を発生させたり、広げたりしている。」と反対派の新聞ル・パルメール(Le Palmares)の社説は嘆いています。

“Health facilities are in a deplorable state. We have been heading for disaster for a long time,” Lambaert Mende, spokesman for Zaire’s chief opposition leader Etienue Tshisekedi said.
「医療関係施設は悲惨な状況です。私たちは長い間、大災害が起きてもおかしくない方向に向かって進んできました。」とザイールの野党指導者エティニュエ・ツィセケディ(Etinue Tshisekedi)のスポークスマン、ランバエルト・メンデ(Lambaert Mende)は言いました。

Corruption has eaten deep into the fabric of Zairean society and government and even quarantine measures announced to keep the Ebola virus from the capital of five million people are being undermined by bribery, Kinshasa city officials say.
賄賂はザイールの社会と政府に深く染み込んでおり、500万人が住む首都をエボラウィルスから守るために発令された隔離手段でさえも賄賂がきく有様です、とキンシャサ市職員が言います。

Public workers are owed several months salary and bribery has become a way of life.
公務員は何ヶ月分もの給料を払ってもらえず、賄賂は生活の一手段となってしまっています。

The virus is stretching Zaire’s decrepit medical services, already hard pressed, to cope with the scourge of AIDS, which has hit Zaire harder than most countries.
ウィルスはザイールの老朽化した医療機関に広がっており、医療機関はたいていの国よりも激しくザイールを襲っているエイズ禍の対応追われています。

Zaire’s political problems began early: Katanga, which today is the mineral-rich province of Shaba, made a disastrous attempt at secession, 11 days after independence from Belgium. It was forced back after three years of bloody conflict.
ザイールの政治の問題は早くに始まりました。鉱物の豊かな現シャバ州であるカタンガ州はベルギーから独立した11日後に、不幸な結果に終わった分離工作が謀られました。その分離工作は血まみれの闘争の3年後に強行されました。

The second largest country in sub-Saharan Africa. Zaire has rich farm and watered by the Zaire river, formerly River Congo.
サハラ以南のアフリカで2番目に大きい国ザイールには豊かな農場があり、旧コンゴ川のザイールの川から水の恵みを得ています。

The country is blessed with some of the best copper deposits in the world but the engine of its economy, the state mining collosus Gecamines, has virtually ground to a halt.”
その国は世界でも有数の銅の埋蔵量を誇っていますが、経済のエンジンである国営巨大鉱山会社ゲカマイン(Gecamines)は、事実上操業を停止しています。

Copper production dropped from a peak of 500,000 tons to under 50,000 tons in 1994. Cobalt production slumped too.
1994年には、銅の製造量は最盛期の50万トンから5万トン以下にまで落ち込みました。コバルトの製造量も同じようにひどく落ちみました。

The government has dissolved three core companies in the Gecamines group and not said what will become of the state company, which generates over 70 percent of its hard currency.
政府はゲカマイン(Gecamines)グループの中の3つの中心会社を解散させ、硬貨の70パーセント以上を製造する国営会社の先行きについては言及していません。

The World Bank, International Monetary Fund and creditors led by former colonial power Belgium abandoned Zaire long ago.
世界銀行も国際通貨基金も旧宗主国ベルギーが仲立ちをする債権者たちも、ザイールをずっと以)前に見捨てています。

With inflation running close to five digits, the government has periodically reverted to printing mountains of worthless money.
インフレ率が5桁近くなりつつあるインフレで、政府は定期的に価値のない紙幣を山のように印刷するようになっています。

The capital Kinshasa is still recovering from waves of looting by unpaid soldiers in 1991 that forced France and Belgium to send troops to evacuate Europeans.
首都キンシャサは、ヨーロッパ人を退去させるための軍隊派遣をフランスとベルギーに強いた、給料を払ってもらえない兵士たちによる1991年の数々の略奪行為から何とか立ち直ろうとしているところです。

The United States, which propped up Mobutu during the Cold War as a bulwark against communism in Africa, has been at the forefront of pressure for democracy in Zaire.
アメリカは、冷戦の間アフリカで共産主義に抗する防波堤としてモブツを支援してきましたが、今は最前線に立って、ザイールでの民主主義を求めて圧力をかけています。

<12回目>

6月28日(水曜日に書き込むのが土曜日の今日になってしまったね。8コマの授業が終わると、もちろん時間がないわけでないけど、一気に書けない時が多いね。書けないとあとがきつくなるのにね。やっと11週目が終わって、あと4週(みんなは3週)。それにしても4月に入ってから、日の過ぎるのがやたらに遅い気がするなあ。でもあと4週、何とかやれることはやっておかないとねえ。)

12回目の授業でした。

筆記試験を返し、今回もコメント言ってもらえずに、4章のチェック、1976年のエボラ騒動をみてもらったあと「アウトブレイク」の映像の途中まで。次回はその続き、密輸入したチンパンジーからエボラウィルスがアメリカに侵入して沢山の人が感染してパニックになって行く過程を途中まで。
1976年のエボラ騒動についてはtranscriptionと日本語訳、ザイールに行くまでの飛行機の中での遣り取り(①)、感染した村でのアフリカ人との会話(②)と、最後に観てもらったあとの場面、エボラウィルスの顕微鏡でのチェック(③)についてはtranscriptionと聞き取りシートのプリントも配ってあるんで、mp3を参考ファイルに置いておくんで自分でやってみるとええね。このあたり、結構早いし医学用語も出てくるから、おもしろいし、きっと役に立つと思うけどね。ま、出来てしまうとなにげないものに見えるかも知れないけど、聞き取ってファイル作るの、僕の英語力からすると、一応大変やったんやけどね。

次回は4章の筆記試験(やっと最後やね)、それからアウトブレイクの続きと、ヨーロッパ人が来る前にアフリカと、ヨーロッパ人の略奪の始まり、奴隷貿易くらいまで行けたらと思っています。そのあとは、奴隷貿易で連れて行かれたアフリカ系アメリカ人のその後をブラックミュージックを軸に辿りたいと思っています。たくさん曲を聴いてもらえるとええね。

エボラ・コンゴに関連させて、モブツの独裁政権(第二次世界大戦後再構築された先進国の多国籍企業による資本投資、貿易による搾取の典型)
→その体制をやり始めた独立とコンゴ危機(アメリカの介入)屋→植民地支配(ベルギーのレオポルド2世のコンゴ自由国とベルキーの植民地)
→アフリカ争奪戦と植民地分割
と辿って来たけど、次回はヨーロッパ人が来る前のアフリカの歴史をさっと辿りつもりです。アフリカ大陸に張り巡らされていた黄金の交易網(数々の王国が栄えていた西アフリカと外部の世界を繋いでいたトワレグ人=サハラ砂漠を渡ってエジプトまで岩塩、金などの交易品を運んだ人たちと当時の世界の貿易の中心地だったエジプ、東アフリカのスワヒリ商人(アフリカ南部と外部を繋いでいた人たち)、1505年のポルトガル人によるキルワ(当時の貿易の拠点であったタンザニア沖合の島)の虐殺、奴隷狩り、奴隷船の映像をみてもらおうと思っています。
The colonization of Africaを読んでおくとわかりやすいと思います。そのあとの歴史についてはA Short History of Black Americans。どちらも日本には入門書的な英文はないので、出版社の人の薦めで書かせもらいました。

課題図書に紹介してあるThe Strugglu for Africa, 12 Million Black Voices, The Groly of Negro Historyなどを軸に書きました。

配ったプリントは:

3章の筆記試験の解答と、4章の解説と演習用のプリント。

また、来週に。

<13回目>

7月4日

雨ばっかりで鬱陶しい日が続いて、被害もようさん出てるなあ。前期もあと2回、このブログ、水曜日までの分は大体その日に書いてきたけど、今回は日曜日になってしまいました。でももうあと2回で当分は書かなくても済みそう。
大きなクラスも医学科も来週に2回目の課題を集めて、授業が終わる頃には成績をつけとこうと思ってるけど、そううまいこと行くかな。毎年引き摺って引き摺って、へたすると成績が出るのがお盆過ぎになったり。
まだ4回目の採点が終わってないけど、ま、なんだかんだと言いながら、4回も筆記試験をやったし。別所が「医者になっても医学用語は要るんで、後輩には試験をしてやって下さい」と言いに来てから、毎年試行錯誤しながらやって来たけど、筆記試験も今年で終わりに出来るとええけどなあ。
アーバインに行って肌で感じた勢いで僕の部屋まで来て言ったとは言え、あんまり人のことに口出しはしない別所に言われて、筆記試験はしない僕が筆記試験をやって来たけど、もうそろそろ終わりかな。

みんなは後輩のために、別所とおんなじように、言えるんやろかなあ。

授業では紹介しなかったけど、別所がアーバインに行ってときにメールで送って来た分を英語科のホームページにすぐに紹介してたのがあるよ。更新も大変やけど、行く前に僕の部屋に話をしに来て、大抵は向こうから興奮気味に送って来てたなあ。↓(2010年度分です)
songkla diary・Irvine diary – ソンクラ・アーバイン通信

13回目の授業でした。

4章の筆記試験のあと、ソンクラの話を少ししてから、Youssou N’Dourのオブラデオブラダ(音声のみ)と1990年のニューヨークのスタジオからのCopy Me(映像)→サリフ・ケイタ。

エボラのところで、

モブツの独裁政権(第二次世界大戦後再構築された先進国の多国籍企業による資本投資、貿易による搾取の典型)
→その体制をやり始めた独立とコンゴ危機(アメリカの介入)屋→植民地支配(ベルギーのレオポルド2世のコンゴ自由国とベルキーの植民地)
→アフリカ争奪戦と植民地分割

と辿って来たけど、今日はヨーロッパ人が来る前のアフリカの歴史をさっと辿り始めました。

アフリカ大陸に張り巡らされていた黄金の交易網のうち

数々の王国が栄えていた西アフリカと外部の世界を繋いでいたトワレグ人(サハラ砂漠を渡ってエジプトまで岩塩、金などの交易品を運んだ人たち)と当時の世界の貿易の中心地だったエジプト、東アフリカのスワヒリ商人(アフリカ南部と外部を繋いでいた人たち)と1505年のポルトガル人によるキルワ(当時の貿易の拠点であったタンザニア沖合の島)の虐殺の映像を紹介しました。
エボラのところでも言ったバズル・デヴィドスン(写真↓)のアフリカシリーズとアレックス・ヘイリーのルーツも冒頭だけ紹介。

次回は、2回目の課題を集めてから、奴隷狩り、奴隷船、奴隷貿易の映像とブラックミュージックを軸にアフリカ系アフリカ人の歴史を辿りたいと思っています。
この前も書いたけど、The Colonization of AfricaとA Short History of Black Americansは目を通しておくとよくわかると思います。特に奴隷貿易に関してはThe Colonization of AfricaのThe first colonialists(1~2ページ)を読んでおいてや。
11日に、また。
18日はゲストさんに遠慮して先に合同で授業をしたので、授業はなしです。

<14回目> ?

<15回>

ひとりひとりからコメントを聞きました。時間が余ったら、ジンバブエに行ったときの話をとも思ってたけど、そんな心配は要らんかったね。べつに、とか、とくに、とか言われなくてよかった、ほんま。普段は少々白け気味の時もあったけど、全員来てくれてたな。じわっと、嬉しかったような。

<1/2回目の課題の講評、成績について>

えろう苦戦しました。実質的にはそう時間はかからないはずやけど、なかなかギアが入らず、ながいこと苦戦しました。まだ、アフロアメリカの歴史と音楽が残ってるけど。あんまりいいかげんやったんで、授業をやってる途中に切れて、後期は持たないことに、来年も持たないと思います。あんまり姑息なことが続いたし、来てる人も、せっかくお金を出してもらって機会をもらってるのに、姑息なことは医学科や獣医科のっ専売特許やろ、といいたくなるような。今年は事務の工藤さんや宮川さんの忠告に従って人数制限をしたので特に一年生の人で取れなかった人がたくさんいて、ほんとうに申しわけないと思ったんやけど。来た人にそう言いたかったこともあって。ま、おかげで英語の6クラスを合わせても去年の南アフリカの概論1クラス分450くらいしかなかったけど、気持ちが重たかったねえ。でも、あと1クラス、大量に落とすつもりなら、慎重に行かんとねえ。

ひとりひとり丁寧に読みました。

評価については、ある一定の基準以上やなあと思えるのは満点、少し工夫すれば満点は秀(大学の規定では九割以上)。満点と秀は以下の通りです。

全般にはそれぞれ課題をやってたと思います。ただ、仮説がないか、はっきりしないもの、調べたものをまとめたもの(いわゆるレポート)、本を読んでの感想、になっているものもあったと思います。半分くらいは英語で書いてました。十分に読めるので、自信を持っていいと思うよ。
基礎でも臨床でも、インプットした個々のインフォーメーションを使って、論理的に、客観的にものを述べるというのは大事なことなので、一つのきっかけにしてもらえたならうれしいです。

本来、書くものは、何をどう書くか、相手に伝えるか、が最終的には善し悪しの決め手になるので、読んだあと、ずーんとこっちに伝わって来るのが、やっぱり一番かな。日本語で書いても英語で書いてもそれは同じやと思います。
ただ、評価には懐疑的な僕としては、この評価が正しいという自信はやっぱりありません。ただ、毎年たくさん読むので、横に並べられる分、レベルの区別は可能なような気がしてるけど、それもどうやろ、ま、そんなところで、毎年うろうろしています。

1回目

満点

柏谷泰吾「『アフリカの蹄』のおいて『作田が本来の目標である心臓外科医としての学びを一時断念し、命を懸けて、白人の極右翼組織の陰謀に水痘病にかかった黒人の子供達を助けようとしたのも無理はない」
勝田公弥子「~ヨルーバ人について『もしヨルーバ人の移動がなければ、今の世界は違うのか』~」
加藤利佳子「物事の成功は忍耐力の賜物である」(英文)
川下創大、"The Campaign proposed by Marcus Garvey may have validity"
河野駿「チャーリーが警官を殴った後に笑えてきたのは当然だ」
菊川澪「ロナルド・ポールズがスージー・マイアーを刺殺したのも仕方がない面がある」桑田誠司「サッチェル・ペイジがスレイブ・マーケットの跡地に見入ったのは当然である」

加世田樹「死にたがる病人を生かすべきか」
上別府司「何故中絶は法律により禁止されていたのか」
清成千尋「学生は、アフリカについて知る必要がある。」
桐山京介「南アフリカの根本的な構造変革は如何にしてなされるのか」
「『ナイスピープル』 それでもギルバートは生きるべきか。」
合原圭祐「ピート(黒人)が命の聞けんがあることがわかった上で白人の看守に事実を伝えたのは仕方のないことである」(英文。日本語訳つき)
古賀俊之介、"It is natural that food problems will not be solved in Africa"
崔慧瑩「人種差別廃止は可能か」
齊藤友彦「『ナイスピープル』において、ドクターGGが妊娠中絶を喜んで引き受けた理由について」
Koya Sasaki, “Lion against the wind"

2回目

満点

勝田公弥子「シエラレオネの子ども兵士 ~教育環境を整えることが平和構築への近道である~」
Rikako Kato, “It is a matter of course that the release pf slaves was done"
川下創大「黒人患者たちが医師よりも魔術師に縋ることがあるのも妥当と思える背景」
河野駿、"LOVWE IS NOT COMPLETED"(趣旨は違う気もするけど、力作やと思うよ。)
菊川澪「作田が葛藤を抱えながらアフリカで勤務するのも無理ないことである」
工藤隆之介「・ナイスピープル ムングチ医師のコンボ元少佐への対応は正しかったのか ・この国の医療は日本と比べてどうなのか」
合原圭祐、"THE SLAVE MASTER WEDWIN EPPS WAS FEELING A SLIGHT GUILT WHEN HE WAS TORTURING HIS SLAVE"
古賀俊之介、"It is natural that food problems will be not be solved in Africa"
齋藤友彦「エチオピアが独立を保持できたことについて」
Koya Sasaki, “inevitability the Maasai people accept the author of 'Distant Scenery Having Flowers'"

柏谷泰吾「人種差別が起こってしまうことは理解出来ないわけではない」
加世田樹「富裕層による崩壊の可能性」
上石泰成「ギチンガ医師がハリマを殺し、ギルバートを殺したのは仕方がない」
北爪舞、"It may well be
said that Charlie knocked the police out."
桑田誠司「サッチェル・ペイジが野球を続けたのは必然である」
兒玉昴也「アフリカにおける人種差別の考察」
崔慧瑩「地球上からエイズを撲滅するのは可能か」
在津侑正「アパルトヘイトはなんだったのか」

成績について

成績は課題(7割)と医学用語(3割)とプラスαでつけました。(家からは登録できないので、あとで木花の研究室に行って登録しときます)

このあと、毎回の授業の分を集めて全部の授業の内容が見られるように授業一覧を作っておきます。

後期は授業で会わないし、来年くらいで終わりになるやるから、実質的なお別れになりそうやねえ。

獣医学用語のテキストを獣医学科の助教の兼子さんとと、南部さんの三人でこしらえています。後期の2年生の専門の時間に4コマ、獣医学用語の授業をするつもりです。ま、お節介やけど、今からまた準備が大変そう。

兼子さんと学科長の野中さんと南部さんが、医学用語の授業をしたとき、見に来てくれはったやろ。獣医科で今後専門の人が獣医学用語をやれるように手助けだけしとこうと思っています。たぶん全国でも初めてのケースになると思うけど、少しでも学生の役に立てれば嬉しいけどね。