英語 Ra2(2)

2月1日(木)3-4(10:30:-12:00)15回目、最終回でした。つき合ってくれてありがと。感謝しています。

写真(作業中)

小島けいカレンダー「私の散歩道2021~犬・猫ときどき馬~」2月

高校7年3か月(うち2年は大学院)、大学非常勤5年、医科大・医学部28年、非常勤1年、語学教育センター5年、46年3か月、大学に小説を書くために来たのに、長かったねえ。

来た当時の宮崎医科大学(ホームページより)

案内:→Zoomトーイック4Zoomシンポジウム2021

<今日>

① Disrupting the Assembly Line (福留くん、しっかりやって来てくれてありがと。)とエイズの解説

②一人一人からコメント

生まれ戦後間もなくの話や高校、大学の時の話、教員として高校に行った時のことや、母親の借金のことなど。少ししか時間が取れなかった取れなかったね。

小説の1作目で少し書いたけど、売れるかどうか、僕が選ぶわけやないんで、どうやろね。ペンネームは不破次郎。

③ひとりひとりから授業の感想。

いろいろ聞かせてくれてありがと。4月からは授業なしです。科研があと一年あるんで、部屋は使えるらしいです。先週退職届と、再雇用なしの書類にサインを求められました。

頼まれて引きうけ、10年ほどのんびりやって下さい、という話やったのけど、退職届と、再雇用なしの書類にサイン、とはねえ。僕がそんなに厄介な存在やったんやろか、と思ったりして。

作家として売れても、大学には顔出さんでえ。ま、売れてから言ってくれ、と言われそう。

元気で、ね。

1989年、医科大に来た翌年のミリアム・トラーディ講演会(同時通訳をして40度の熱を出しました。英語が体に合ってないみたい。今もそうやけど、40年以上も授業をしたなんて、ねえ。人生何が起こるかわからんよねえ。)

Zoomトーイック4

<Zoomトーイック案内>

*課題や試験が終わって一段落する2月終わりか3月初めから開始予定、日程が決まったら連絡。
それまでに先ずはPart1を自分で繰りり返しやって、Zoomトーイック4では答えを確認、分かり難かったことや質問でお互いに確かめ合う。自分でやれない部分を質問などや、他の人の反応などで確認する。

*資料(4冊分7種類のテスト)は可能な限り開始時までに参考ファイル↓に置いてるんで、順次繰り返してやっておくと成果が出ると思う。Part 5(zip)は置いてあります。

2018年後期 南アフリカ概論(後期用) →
https://kojimakei.jp/tama/topics/classes/c2018b/c2018sab/okiba/upload.html
(ユーザー名: c2018sab  パスワード:G9mr )

*2回目からは月1回の予定で。

*まだの人は先ずは650、それから800、最終的には全員900を目標に。800まではつき合います。

*できる限り質問、疑問をお互いに共有して、広く、深く力をつけられると、変動なくスコアが取れるようになると思う。

参加する人はメールをもらえれば招待状を送ります。

Zoomシンポジウム2021

Zoomシンポジウムについて

多文化多言語教育研究センターの玉田、寺尾、杉村の3人で初めてのZoomシンポジウムを行ないます。
科研(玉田)のタイトル「アングロサクソン侵略の系譜」の流れで、第二次世界大戦直後の体制の再構築に関連する話です。

2月20日(土)10:0~12:00

玉田吉行「体制再構築の第一歩―ガーナとコンゴの独立時」

寺尾智史「列強による分断の果てに――赤道ギニアのビオコ島、アンゴラ飛地のカビンダの現代史」

杉村佳彦「マオリの都市化―戦後不況を乗り越えて得たもの―

司会:中原愛(地域資源創成学部2年)

今回は参加者10~20人くらい、積極的に意見や質問をしてもらえるようにと考えています。

連絡をもらえば招待状を送ります。tamadayoshiyuki@gmail.com

玉田吉行

クラス名簿

2020年後期 英語 Ra 2 (3)クラス名簿(31名)

30200038 生田 志潤 イクタ シジユン
30200087 植村 尊 ウエムラ タケル
30200148 小野 拓海 オノ タクミ
30200173 加知 倫太朗 カチ リンタロウ
30200205 川越 晴登 カワゴエ ハルト
30200214 河野 晃輝 カワノ コウキ
30200308 齋藤 優奈 サイトウ ユウナ
30200317 坂元 美琴 サカモト ミコト
30200360 重山 夕美 シゲヤマ ユウミ
30200371 篠原 小伯 シノハラ コハク
30200384 下條 帆乃佳 シモジョウ ホノカ
30200399 菅付 彩友 スガツケ アユ
30200447 恒吉 実於 ツネヨシ ミオ
30200454 角田 楓 ツノダ カエデ
30200472 堂薗 翔永 ドウゾノ シヨウエイ
30200520 戸島 脩太 トジマ シユウタ
30200579 永松 日向 ナガマツ ヒナタ
30200582 中屋敷 香波 ナカヤシキ カナミ
30200597 原田 佳純 ハラダ カスミ
30200603 東久保 光汰 ヒガシクボ コウタ
30200612 日田 快希 ヒタ ハルキ
30200627 平井 優季 ヒライ ユキ
30200704 福留 駿佑 フクドメ シユンスケ
30200742 本田 拓哉 ホンダ タクヤ
30200759 待山 功星 マチヤマ コウセイ
30200795 松山 峻平 マツヤマ シユンペイ
30200807 間野 壱晴 マノ イツセイ
30200821 宮崎 琉奈 ミヤザキ ルナ
30200869 山口 澪夏 ヤマグチ ミオカ
30200898 吉田 晴紀 ヨシダ ハルキ
30200926 JIANG TIANCHENG コウ テンセイ

 

英語 Ra2(2)

1月25日(月)3-4(10:30:-12:00)14回目、次回が最終です。

<確認>「招かれざる客」と授業の感想(参考ファイルに置いてある「招かれざる客感想」、「地域授業の感想」をダウンロード)来週の最終授業までにWebClassの「招かれざる客感想」、「授業の感想」に置いてや。)

<今日>

①「招かれざる客」:父親との対面の場面から最後まで、全部観てもらえたねえ。映画の一番の論点やった結婚については、みんなの意見や感想を聞きたかったなあ、ほんま。僕自身や子供二人の結婚の話もしてみたかったような。主人公と父親の遣り取り、聞き取りをしてテキストの附録に入れてあるので、その部分の日本語訳も貼っとくね。僕は父親と話をする、という範疇にない親子だったんで、父親とは話をしたことがないけど、主人公が言うように黒人としてではなく一人の人間として、というのはずっと思って来たから何か気持ちはわかるなあ。映画の解説も↓)→親子の遣り取り日本語訳

映画解説:「招かれざる客」(1967) GUESS WHO’S COMING TO DINNER

【解説】「アメリカ上陸作戦」のウィリアム・ローズのオリジナル・シナリオを、「愚か者の船」のスタンリー・クレイマーが製作・監督した。撮影は「手錠のままの脱獄」のサム・リーヴィット、音楽は「真昼の衝動」のデヴォル。出演は、これが遺作となった「おかしな、おかしな、おかしな世界」のスペンサー・トレイシー、「いつも心に太陽を」のシドニー・ポワチエ、「去年の夏突然に」のキャサリン・ヘップバーン、そのほか、キャサリン・ホートン、セシル・ケラウェイなど。

シドニー・ポワチエ

サンフランシスコ空港で飛行機から降り、タクシーに乗った若いカップルが、人目をひいた。だが、人々のぶしつけな視線など気にしないかのように、黒人青年と白人女性は親しげに語り合っていた。青年はジョン(シドニー・ポワチエ)といい、世界的に著名な医師。女性の名はジョーイ・ドレイトン(キャサリン・ホートン)。2人はハワイで知り合い、互いに愛し合う間柄となったのである。ジョーイの母クリスティ(キャサリン・ヘップバーン)は、娘の婚約者が黒人であることを知り、驚いたが、娘の嬉々とした様子に、動揺は次第に喜びに変わっていった。だが、父のマット(スペンサー・トレイシー)は、そうはいかなかった。新聞社を経営し、人種差別と闘ってきたマットも、自分の娘のこととなれば、話はちがってくるのだ。ジョンは、学界でも有数な人物であり、近くジュネーブの大学院に迎えられることになっているということは、マットも知ってはいるのだが、黒人と白人との結婚には、想像を絶する困難がある。結婚を許しながらもマットは割り切れなかった。ジョンのジュネーブ行きの時間が迫っており、2人はその前に、互いに両親の了解を得たがっていた。息子の見送りと嫁に会うため、ジョンの両親プレンティス夫妻が空港に着き、ジョーイは出迎えたが、夫妻は嫁が白人であることを知り愕然とした。やがて、夕食の時が訪れた。ジョンとジョーイ、ドレイトン夫妻、プレンティス夫妻。そしてドレイトン夫妻の友人であるライアン神父。母親同士は結婚には賛成だったが、父親同士は反対し、とくに、マットは頑固だった。だが、そのマットも、若い2人のどんな困難にも立ち向かおうとする真剣さとその情熱に、かつての自分の青春を見、その尊さに気づき、2人の結婚を認めた。一同はそろって、夕食の席に着くのだった。(http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD8577/index.html

②エイズ発表:History of AIDS Discovery (宮崎さん、日本語訳、しっかりしてたねえ。)

<次回>

① Disrupting the Assembly Line (福留くん、今日は時間がなくてごめんなさい。次回はよろしく、ね。)

②エイズの解説

③ゴスペルの女王マへリア・ジャクソンの歌とWe Are the Worldは、せめて聴いてもらいたいけど。あんまり歌を聴いてもらえんかったんで。南アフリカの話も欲張ったからなあ。

④一人一人からコメントを聞きたい。

⑤時間が残ってれば、何か話出来たら。

親子の遣り取り日本語訳

REFERENCE 7 参照7

The color line issue was brought into Hollywood in order to let the world know that the United States was supporting the Civil Rights movement; Guess Who’s Coming to Dinner was made. In the film a young black professional marries a young white woman whose father is a rich liberal newspaper owner. The young man and his father have a fierce dispute. It was a fight between the young and the old generation:

合衆国は公民権運動を支持していると世界に知らせるために、人種差別の問題をハリウッドに持ち込みました。「招かれざる客」です。映画では、黒人の若い医師が、父親が金持ちでリベラルな新聞社の社長である若い白人女性と結婚します。その若者と父親が激しく言い争いをします。その議論は新しい世代と古い世代の戦いでした。

“Father: Well, I don’t care what your mother says. Maybe she’s gone haywire, too. This is between you and me. Son: That’s the first thing you said that makes any sense because that’s exactly where it’s at . . .

父:「そうだな、お前の母さんが何を言おうが気にしない。たぶん母さんも混乱している。これはお前と私の問題だ。」

息子:「初めてまともなことを言ったね、これでまともに話せる……。」

Father: Yeaah what I mean to say . . .

父:「うーん、私が言いたいのは……。」

Son: No, you said what you had to say. You listen to me. You say you don’t want to tell me how to live my life, so what do you think you’ve been doing? You tell me what rights I’ve got or haven’t got and what I owe to you for what you’ve done for me. Let me tell you something. I owe you nothing. If you carried that bag a million miles, you did what you were supposed to do. Because you brought me into this world and from that day you owed me everything you could ever do for me. Like I will owe my son if I ever have another. But you don’t own me. You can’t tell me when or where I’m out of line or try to get me to live my life according to your rules. You don’t even know what I am, Dad, you don’t know who I am. You don’t know how I feel, what I think. And if I tried to explain it the rest of your life, you’ll never understand. You are thirty years older than I am. You and your whole lousy generation believe the way it was for you is the way it’s got to be and not until your whole generation has lain down and died will that dead weight of you be off our backs. You understand you’ve got to get off my back, Umh, Dad, umh, Dad, you’re my father. I’m your son. I love you, I always have and I always will. But you think of yourself as a colored man. I think of myself as a man, umh, now, I’ve got a decision to make and I’ve got to make it alone and I’ve got to make it in a hurry, so would you go out there and see after my mother?"

息子:「いや、父さんの言いたいことは充分に聞いた。今度は僕の番だ。父さんは僕がどうやって生きていくべきかを指図したくないと言ってるけど、今まで父さんは何をして来たと思ってるの?父さんは僕にどんな権利があって、どんな権利がないのかを言ってきたし、父さんがして来たことに僕がどれほど恩があるかを話して来たよね。じゃ、言わせてもらうね。僕は父さんに借りはないよ。父さんがかばんをずっと運んでたとしても、それは父さんの仕事だったからだよ。父さんは僕をこの世に生み出したから、その日から、できる限りのことを僕のためにする義務がある。同じように、僕に子供が出来たら、その子に義務があるからね。でも僕は父さんのものじゃない。僕がいつどこでコースを外れるかは父さんが口出し出来ないし、父さんのルールに従って僕を生きさせようとしてもだめだよ。父さんは本当の僕を知らない。父さんは僕が誰なのかも知らない。僕がどんな風に感じて何を考えているかも知らない。そしてもし、僕が一生かかってそれを説明しようとしても父さんには分からないよ。父さんは僕より30も年上だ。父さんたちのようなこちこちの世代は、重荷を下ろして死ぬまで自分たちのやり方が一番だと信じて疑わないんだよ。父さんは僕らの背中から荷物を取り除かないといけないと分かっているんだよ。うーん、父さん、うーん、父さんは僕の父さんで、僕は父さんの息子だよ。大好きだよ。これまでも好きだったし、これからもずっとだよ。だけど父さんは自分を黒人として考えてる。僕は自分を人間として考えてるんだよ。今や僕は決めないといけなし、一人で決めないといけないし、それも一人で、急いでね。だから父さん、向こうに行って母さんをよろしく頼めないかな?」

クラス名簿

2020年後期 英語 Ra 2 (3)クラス名簿(31名)

30200038 生田 志潤 イクタ シジユン
30200087 植村 尊 ウエムラ タケル
30200148 小野 拓海 オノ タクミ
30200173 加知 倫太朗 カチ リンタロウ
30200205 川越 晴登 カワゴエ ハルト
30200214 河野 晃輝 カワノ コウキ
30200308 齋藤 優奈 サイトウ ユウナ
30200317 坂元 美琴 サカモト ミコト
30200360 重山 夕美 シゲヤマ ユウミ
30200371 篠原 小伯 シノハラ コハク
30200384 下條 帆乃佳 シモジョウ ホノカ
30200399 菅付 彩友 スガツケ アユ
30200447 恒吉 実於 ツネヨシ ミオ
30200454 角田 楓 ツノダ カエデ
30200472 堂薗 翔永 ドウゾノ シヨウエイ
30200520 戸島 脩太 トジマ シユウタ
30200579 永松 日向 ナガマツ ヒナタ
30200582 中屋敷 香波 ナカヤシキ カナミ
30200597 原田 佳純 ハラダ カスミ
30200603 東久保 光汰 ヒガシクボ コウタ
30200612 日田 快希 ヒタ ハルキ
30200627 平井 優季 ヒライ ユキ
30200704 福留 駿佑 フクドメ シユンスケ
30200742 本田 拓哉 ホンダ タクヤ
30200759 待山 功星 マチヤマ コウセイ
30200795 松山 峻平 マツヤマ シユンペイ
30200807 間野 壱晴 マノ イツセイ
30200821 宮崎 琉奈 ミヤザキ ルナ
30200869 山口 澪夏 ヤマグチ ミオカ
30200898 吉田 晴紀 ヨシダ ハルキ
30200926 JIANG TIANCHENG コウ テンセイ

 

英語 Ra2(2)

1月18日(水)3-4(10:30:-12:00)13回目でした。

小島けい2021年カレンダー「犬、猫、ときどき馬」1月ノアちゃん(白浜在住)

<今日>

①映像:1954年の公立学校での人種差別違憲最高裁判決→1957年リトルロック高校事件1963年アラバマ州立大学事件→ワシントン大行進→「招かれざる客」途中まで(40分ほど、主人公と父親との遣り取りの場面まで)

The civil rights leader Martin Luther KIng (C) waves to supporters 28 August 1963 on the Mall in Washington DC (Washington Monument in background) during the “March on Washington". King said the march was “the greatest demonstration of freedom in the history of the United States." Martin Luther King was assassinated on 04 April 1968 in Memphis, Tennessee. James Earl Ray confessed to shooting King and was sentenced to 99 years in prison. King’s killing sent shock waves through American society at the time, and is still regarded as a landmark event in recent US history. AFP PHOTO (Photo credit should read -/AFP/Getty Images)

 

②エイズ発表者決定:History of AIDS Discovery (宮崎さん), Disrupting the Assemble Line (福留くん)

公民権運動の英文は目を通すと流れがわかり易いと思います。日本語訳→BLACK POWERの日本語訳

この辺りはメールマガジンに書いたことがあります→「アフリカ系アメリカ小史④公民権運動」「モンド通信 No. 70」、2014年6月10日)

<次回>

①映像:「招かれざる客」(続き)

②エイズ発表:History of AIDS Discovery (宮崎さん), Disrupting the Assemble Line (福留くん)

参考ファイルに「2020後地域1資料③AIDS.docx」をアップロードしています。その中の「1:History of AIDS discovery」と「3-c:Disrupting the Assembly Line」を読みます。「1―b: History of AIDS discovery」はその画像、「3: Targeting a Deadly Scrap of Genetic Code」はDisrupting the Assembly Lineが載っている元の文、「3-b:Targeting a Deadly Scrap of Genetic Code」はその画像です。

BLACK POWERの日本語訳

BLACK POWER ブラック・パワー

Following the First World War there were 70 lynchings within a year. In 1919, there were 25 bloody race riots in the United States. In some towns returning black soldiers were beaten and forced to discard their uniforms. Mobs burned homes of black people. Segregation grew. In the violent Chicago race riot, millions of dollars worth of property was destroyed and many people were killed.

第一次世界大戦のあと、一年間に70件もの私刑が行われました。1919年には25件もの血生臭い暴動が合衆国で起こりました。帰還した黒人兵が殴られ、無理やり制服を脱がされた街もありました。暴徒が黒人の家に火をつけました。人種隔離はひどくなりました。激しいシカゴの人種暴動では、何百万ドルもの価値がある資産が破壊され、多くの人が殺されました。

Civilized men believed violence should be no solution to their problems, so the N.A.A.C.P. (the National Association for the Advancement of Colored People) kept working for equal enforcement of the laws of the Constitution, particularly for the black citizen who did not have legal equality or full protection by the police. Little by little, black people have seen these objectives come more and more into being, largely through the Supreme Court’s affirmation of the great provisions of the Constitution.

教養のある人たちは暴力で問題を解決すべきではないと信じていましたので、N.A.A.C.P.(全米黒人地位向上協会)は憲法の条項を平等に施行するように、特に法的に同等ではなく、警察に充分には守ってもらえなかった黒人市民のために働き続けました。主に憲法の偉大な条文を最高裁判所が支持する形で少しずつ、それらの目標が実現していきました。

In those states where the tax money of black people was spent for beautiful state universities to which blacks could not go, the lawyers of the N.A.A.C.P. convinced the Supreme Court that this should not be , and in 1954 the Court declared it wrong. The right of all children to a full and equal education without discrimination was upheld. Though there were big clashes between blacks and whites in some high schools and universities, black students were finally able to attend the former white schools.

黒人が納めた税金が自分たちが行けない美しい州立大学のために使われていた州では、N.A.A.C.P.の弁護士が最高裁判所にそれが違憲だと訴え、1954年に裁判所はそれが違憲だという判決を出しました。子供たちが人種差別されることなしに完全で平等な教育を受ける権利が支持されました。高校や大学で黒人と白人との間で激しい衝突がありましたが、黒人生徒はとうとう以前の白人学校に通えるようになりました。

Again, through the N. A. A. C. P., restrictive covenants denying black people the right to buy homes anywhere were broken down. Segregation in interstate travel was declared against the national interest. The Urban League had great effect in opening up to black workers employment in plants, factories, offices, and shops where formerly no black people had worked.

再びN.A.A.C.P.を通じて、黒人がどこでも家を買えるという権利を否定する土地制限契約が破棄されました。州を越えて旅行をする際の人種隔離は国の利益に反するという判決が出されました。都市同盟は以前は黒人労働者が誰も働けなかった施設や工場や事務所や店で黒人が雇われ働くようになる道を開くのに大いに影響を与えました。

Meanwhile, books by black writers began to be published in increasing numbers, and to be translated abroad. Black music, from jazz to the symphonies of William Grant Still, has been heard around the world. Joe Louis became the heavyweight champion of the world, Jackie Robinson became a member of the Dodgers, and black music is still traveling.

一方では、黒人作家の本がますます出版され、国外で翻訳され始めました。ジャズからウィリアム・グラント・スティルの交響曲まで黒人音楽は世界中で聴かれるようになりました。ジョー・ルイスはヘビー級の世界チャンピオンになり、ジャッキー・ロビンソンはドジャースの一員になり、黒人音楽はなお広がり続けています。

In the so-called 'Civil Rights Movements’ many black people were active in the struggle for equal rights. Resistance took various forms, ranging from a bus boycott, to student sit-ins, a freedom ride and so forth.

いわゆる「公民権運動」では、多くの黒人が平等な権利を求めて活発に戦いました。抵抗はバスボイコット運動から学生の座り込み運動、バス乗り入れ運動など、様々な形を取りました。

These acts were led by some outstanding men, including Malcolm X and Martin Luther King Jr.

これらの運動はマルコムXやマーチン・ルーサー・キング・ジュニアを含む優れた指導者に導かれました。

Malcolm X gave emphasis to the self-consciousness of black people like Steve Biko in South Africa and had a profound influence, especially on intellectuals and the younger generation.

マルコムXは南アフリカのスティーブ・ビコのように、黒人の自己意識を強調し、特に知識人や若い世代に深い影響を与えました。

REFERENCE 6 参照6

Just before his assassination in New York on Friday 21, 1965, Malcolm X talked about Afro-American history, in which he referred to the invented term 'Negro’:

ニューヨークでマルコムXが暗殺される直前の1965年21日金曜日に、アフリカ系アメリカ人の歴史について話しましたが、その中で、巧妙に作り出された「ニグロ」という言葉に言及しました。

“The worst trick of all is when he names us Negro and calls us Negro. And when we call ourselves that, we end up tricking ourselves. . . .We were scientifically produced by the white man. Whenever you see somebody who calls himself a Negro, he’s a product of Western civilization – not only Western civilization, but Western crime. The Negro, as he is called or calls himself in the West, is the best evidence that can be used against Western civilization today. One of the main reasons we are called Negro is so we won’t know who we really are. And when you call yourself that, you don’t know who you really are. You don’t know what you are, you don’t know where you came from, you don’t know what is yours. As long as you call yourself a Negro, nothing is yours. No languages – you can’t lay claim to any language, not even English; you mess it up. You can’t lay claim to any name, any type of name, that will identify you as something that you should be. You can’t lay claim to any culture as long as you use the word Negro to identify yourself. It attaches you to nothing." (Malcolm X on Afro-American History)

「中でも最も質(たち)の悪いのは、白人が私たちにニグロと名前をつけ、私たちをニグロと呼んでいることです。そして私たちが自分自身をそう呼ぶ限りは、自分たちをだますことになってしまいます……私たちは科学的に白人たちによって作られました。自分自身をニグロと呼ぶ限りは、その人は西洋文明の産物であり、西洋文明だけではなく西洋の罪の産物なのです。西洋でニグロと呼ばれ、自分でも自分のことを二グロと呼ぶのは、今の西洋文明に反して使われる最適な証拠です。私たちがニグロと呼ばれるのは、自分たちが本当は何者であるかを知ろうとしないからでもあります。そして自分自身をそう呼ぶとき、自分が本当は何者なのかを知りません。自分が何であるか、どこから来たのか、何が自分のものなのかも知りません。自分自身をニグロと呼ぶ限り、自分のものは何もありません。どんな言葉も自分の言葉だとは言えません。英語も自分言葉だとは言えません。自分が混乱するだけです。名前は自分のお存在を証明してくれるものですが、どんな名前も、どんな種類の名前も自分の名前とは言えません。自分自身を証明するためにニグロという言葉を使う限りは、どんな文化も自分の文化だとは言えません。自分をニグロと呼ぶ限りはあなたが属するものは何もありません。」(マルコムXによるアフリカ系アメリカ人の歴史)

Martin Luther King Jr. delivered his 'I Have A Dream’ address at the Lincoln Memorial in August, 1963. (See Appendix Afro-America 2) On that day more than 250,000 people, black and white, marched against racial discrimination in Washington. It was just a hundred years since Lincoln had signed the Emancipation Proclamation.

マーチン・ルーサー・キング・ジュニアは1963年8月にリンカーン記念堂で「私には夢がある」という演説を行ないました。(付録アフロ-アメリカ2を参照)その日、25万人以上の黒人や白人がワシントンで人種差別に反対してのデモ行進を行ないました。それはリンカーンが解放宣言に署名してからちょうど100年後のことでした。

クラス名簿

2020年後期 英語 Ra 2 (3)クラス名簿(31名)

30200038 生田 志潤 イクタ シジユン
30200087 植村 尊 ウエムラ タケル
30200148 小野 拓海 オノ タクミ
30200173 加知 倫太朗 カチ リンタロウ
30200205 川越 晴登 カワゴエ ハルト
30200214 河野 晃輝 カワノ コウキ
30200308 齋藤 優奈 サイトウ ユウナ
30200317 坂元 美琴 サカモト ミコト
30200360 重山 夕美 シゲヤマ ユウミ
30200371 篠原 小伯 シノハラ コハク
30200384 下條 帆乃佳 シモジョウ ホノカ
30200399 菅付 彩友 スガツケ アユ
30200447 恒吉 実於 ツネヨシ ミオ
30200454 角田 楓 ツノダ カエデ
30200472 堂薗 翔永 ドウゾノ シヨウエイ
30200520 戸島 脩太 トジマ シユウタ
30200579 永松 日向 ナガマツ ヒナタ
30200582 中屋敷 香波 ナカヤシキ カナミ
30200597 原田 佳純 ハラダ カスミ
30200603 東久保 光汰 ヒガシクボ コウタ
30200612 日田 快希 ヒタ ハルキ
30200627 平井 優季 ヒライ ユキ
30200704 福留 駿佑 フクドメ シユンスケ
30200742 本田 拓哉 ホンダ タクヤ
30200759 待山 功星 マチヤマ コウセイ
30200795 松山 峻平 マツヤマ シユンペイ
30200807 間野 壱晴 マノ イツセイ
30200821 宮崎 琉奈 ミヤザキ ルナ
30200869 山口 澪夏 ヤマグチ ミオカ
30200898 吉田 晴紀 ヨシダ ハルキ
30200926 JIANG TIANCHENG コウ テンセイ

 

英語 Ra2(2)

今日は2020年後期の英語 Ra2(2)にチェックを入れました。

来週は成人の日で休み、次回は18日(月)です。

1月6日(水)3-4(10:30:-12:00)12回目でした。2021年です。

<今日>

①映像を交えながら奴隷制→南北戦争→再建期→反動、映像としては、クンタの2回の逃亡、南北戦争直後の農園と奴隷小屋の様子、金持ち層に雇われた貧乏白人(KKKの実態)など。最後にリンチにあって吊された黒人(Strange Fruit)を歌ったジャズシンガーのビリーホリデイを紹介しました。

人種の問題を金持ち層が利用した構図を理解すれば、実は人種問題の本質は階級の問題だと気づけると思います。つまり、人類の歴史は持てるもの=金持ち(英語ではthe robber, the haves)が持たざるもの=一般大衆(the robbed, the haves-not)をいかに搾取して来たかの歴史でもあったし、あるわけです。

Black Lives Matterもその構図をきちんと理解しない限り見えて来ない、ということになるんかな。

前回話をした南アフリカの問題も、このアメリカの問題も、根っこは同じということやろなあ。

最初アフリカ系アメリカ人の作家の小説が理解出来ないので歴史を辿り始めたけど、最初にアメリカのこの構図に気付き、そのあと南アフリカで同じ構図が見えて来たときに、人間ていつの時代もおんなじことを繰り返して来たんやなあ、と溜息が出たと言うか、そんなところです。

今日解説した南北戦争時の構図の画像

今日チェックした英文の日本語訳→EMANCI PATION, REACTIONの日本語訳

この辺りはメールマガジンに書いたことがあります→「アフリカ系アメリカ小史③再建期、反動」「モンド通信 No. 69」、2014年5月10日)

<次回>

①映像:公民権運動と映画「招かれざる客」

EMANCI PATION, REACTIONの日本語訳

EMANCI PATION 奴隷解放

Through the slave trade and slavery the plantation owners in the South realized enormous profits. They wanted to keep the system going on while the capitalists in the North wanted to abolish slavery to create a free labor market.

奴隷貿易と奴隷制を通して南部の荘園主は莫大な利益を得ました。荘園主は奴隷制度を続けたいと思っていましたが、北部の資本家は奴隷制を廃止して自由な労働市場を創り出したいと思っていました。

In 1860 Abraham Lincoln became President. That is, the capitalists in the North succeeded in sending their representative to Washington D.C. as the president of the nation, so the South immediately left the United States and established a new government, the Confederate States of America. Shortly after, in 1861, the Civil War began.

1860年にエイブラハム・リンカーンが大統領になりました。それはつまり、北部の資本家が自分たちの代表を一国の大統領としてワシントン特別区へ送り込むことに成功したということです。その結果、南部は直ちに合衆国を脱退して南部諸州連合という新しい政府を創りました。そのすぐあとの1861年に、南北戦争が始まったのです。

At first, the South (the Confederate Armies) was stronger economically, but the North (the Union Armies) won the fight with the help of the freed black men in the North. The black men joined the ranks in the battlefield after Lincoln promised to abolish slavery if the battle was not ended by the first day of January, 1863. The war continued till 1865, and the Emancipation began. (See Appendix Afro-America l)

最初は南部(南部諸州連合軍)が経済的に優勢でしたが、北部の自由な黒人の助けを借りて北部(共和国軍)が戦いに勝ちました。1863年1月1日までに戦争が終わらなければ奴隷制を廃止するとリンカーンが約束したあと、黒人は戦場の戦列に加わりました。戦争は1865年まで続き、奴隷解放が始りました。(附録アフロ-アメリカ1を参照)

REACTION 反動

After the war, the Union Armies occupied the South temporarily and the period historians call the 'Reconstruction’ began. For a while freedom was wonderful for black people in the South. There appeared some black Representatives from the South in the Congress. Blacks held city and state offices.

戦争の後、北軍は一時的に南部を占領し、歴史家が「再建期」と呼ぶ時代が始まりました。暫くは南部の黒人にとって自由な時間は素晴らしいものでした。議会には南部出身の黒人の代議士が現われました。黒人が市や州の役人にもなりました。

Then reaction set in. The plantation owners regained their power after the Occupation Armies left the South. The vote was taken away from the freedmen in many states. The Ku Klux Klan began to ride. Jim Crow cars made their appearance on the railroads. Black churches and schools were burned. White teachers were driven away from the South. Freed with nothing, the former slaves were poor and often hungry.

そして反動が始まりました。南部から占領軍が去った後、荘園主は再び力を取り戻しました。多くの州で、解放された黒人から投票権が取り上げられました。クー・クラックス・クランが馬に乗って出没し始めました。人種差別列車(ジム・クロー)が鉄道に出現しました。黒人の教会と学校は燃き打ちにあいました。ユダヤ系白人の教師が南部から追い出されました。何も自由にならないまま、かつての奴隷は貧しく、大抵は腹を空かしたままでした。

Just after the war most slaves had little choice; they stayed at the same plantation as sharecroppers. The situation had not changed for most black people.

戦争直後は大抵の奴隷にはほとんど選択肢はなく、小作人として同じ農園に留まるしかなかったのです。ほとんどの黒人にとって、状況は変わりませんでした。

ミシシッピ州の小作人

The power of reaction was so strong that in 1896 the highest court in the land ruled by a majority of eight to one that the Fourteenth Amendment, which granted citizenship rights to blacks, ensured only separate but equal accommodations.

反動の力は非常に強く、1896年には最高裁判所で8対1の多数決をもって、黒人に市民権を賦与するという14条修正令が「分離すれども平等」という調整案を保証するものに過ぎないということを可決しました。そして、の施設を保障しました。

From 1890 to 1920, more than 2,000,000 black people left the South for the North, looking for their Promised Land.

1890年から1920年にかけて200万人もの黒人が「約束の地」を求めて南部を後にして北部に移動しました。

クラス名簿

2020年後期 英語 Ra 2 (3)クラス名簿(31名)

30200038 生田 志潤 イクタ シジユン
30200087 植村 尊 ウエムラ タケル
30200148 小野 拓海 オノ タクミ
30200173 加知 倫太朗 カチ リンタロウ
30200205 川越 晴登 カワゴエ ハルト
30200214 河野 晃輝 カワノ コウキ
30200308 齋藤 優奈 サイトウ ユウナ
30200317 坂元 美琴 サカモト ミコト
30200360 重山 夕美 シゲヤマ ユウミ
30200371 篠原 小伯 シノハラ コハク
30200384 下條 帆乃佳 シモジョウ ホノカ
30200399 菅付 彩友 スガツケ アユ
30200447 恒吉 実於 ツネヨシ ミオ
30200454 角田 楓 ツノダ カエデ
30200472 堂薗 翔永 ドウゾノ シヨウエイ
30200520 戸島 脩太 トジマ シユウタ
30200579 永松 日向 ナガマツ ヒナタ
30200582 中屋敷 香波 ナカヤシキ カナミ
30200597 原田 佳純 ハラダ カスミ
30200603 東久保 光汰 ヒガシクボ コウタ
30200612 日田 快希 ヒタ ハルキ
30200627 平井 優季 ヒライ ユキ
30200704 福留 駿佑 フクドメ シユンスケ
30200742 本田 拓哉 ホンダ タクヤ
30200759 待山 功星 マチヤマ コウセイ
30200795 松山 峻平 マツヤマ シユンペイ
30200807 間野 壱晴 マノ イツセイ
30200821 宮崎 琉奈 ミヤザキ ルナ
30200869 山口 澪夏 ヤマグチ ミオカ
30200898 吉田 晴紀 ヨシダ ハルキ
30200926 JIANG TIANCHENG コウ テンセイ