英語 Ra2(2)

19日(木=月曜日振替)3-4(10:30:-12:00)7回目でした。

<今日>

①発表:アパルトへイト政権の誕生(山口さん)、アパルトへイト政策(川越くん)、1955年の国民会議(菅付さん)、1960年シャープヴィルの虐殺(角田くん)

<次回>

①映像:アパルトヘイト政権、アフリカ人の抵抗運動

②ジンバブエの話→参考ファイルに置いてある「2020後地域1資料②」4、5ジンバブエの話、を予め読んでおくとわかり易いと思います。

山口さん、川越くん、菅付さん、角田くんはみんな内容の濃い発表で感心しました。発表もうまいし、分かり易かったねえ。

********

まとめの意味で、アパルトヘイト体制とアフリカ人の抵抗運動に関して箇条書きにしておきます。

第二次世界大戦で大きくヨーロッパの国力が低下

→それまで抑圧されていた人たちが独立・自由を求めて闘争

→南アフリカでも、旧世代に飽き足らない若者がANC青年同盟(1944)を結成してデモやストライキなどで激しく闘争を展開

→当時の与党イギリス系の統一党は事態の収拾が出来ず

→1948年に総選挙→アフリカナーの野党国民党はアパルトヘイト(人種隔離)をスローガンに掲げ、人種によって賃金の格差をつけ、本来社会の最底辺のプアホワイト=アフリカーナーの大半の農民を優遇することを約束

→白人人口の60%のうちの大半のプアホワイトが国民党に投票→オランダ系アフリカーナーが議席の過半数を獲得

→アパルトヘイト政権の誕生*山口さんの発表

→体制を強化(人口登録法で人種の明確化、集団地域法で居住区を限定、共産主義弾圧法で反体制勢力を弾圧)川越くんの発表

→アパルトヘイト政権に対抗してANCの闘争は激化

→1955年にクリップタウン郊外で全人種による国民会議、自由憲章を採択→指導者156名を逮捕して裁判にかけ、全員の死刑をはかる(叛逆裁判)菅付さんの発表

→結果的には無罪

→ANCの中でアフリカ人だけで戦うという理想派PAC(ソブクエがリーダー)とアパルトヘイトを廃止するためなら白人とも共産主義者とも共闘する現実派ANC(マンデラ・タンボがリーダー)が1959年にANCを分裂させる(白人にとっては願ってもないチャンス、アフリカ人側の抵抗力が半減)

(小島けい画)

→1960年3月ソブクエがパス法不携帯で警察に出頭して法改正を迫る戦略を開始、マンデラは時期尚早と不参加

警察署に出頭するソブクエとPACのメンバー

→シャープヴィル・ランガなどで警官が無差別に発砲(シャープヴィルの虐殺)角田くんの発表

シャープヴィルの虐殺

→社会は騒然、ソブクエは逮捕され、政府はソブクエ一人のためにソブクエクローズを制定してロベン島に孤独拘禁

→騒乱に乗じてANCがパス法を焼く闘争を展開

→それまでの非暴力戦略を捨てて武力闘争・破壊活動を開始

→政府は非常事態宣言を出して弾圧を強化

→国連は非難決議・経済制裁を開始

→白人政府は親書を各国に送り協力を要請→日本と西ドイツだけが要請に応じて通商条約を再締結

→見返りに白人政府は居住区に関する限り白人並に扱うという名誉白人の権利を附与

→マンデラは国外に出て資金集め・ロンドンのBBCで武力闘争開始宣言

→アパルトヘイト政権は弾圧を強化

→帰国後マンデラは逮捕され裁判にかけられる(リボニアの裁判)

1964年マンデラ他8名に終身刑、以降1990年まで獄中生活。指導者は殺されるか、国外逃亡か、獄中かのいづれかで、指導者はいなくなる暗黒時代に

→日本は東京オリンピックを開催して高度経済成長の時代に突入

*********次回はこの辺りの補足の話もするつもりです*****

*****Zoomトーイック4*****

7回(Part 1~Part 7各partずつインテンシブに)を12月、1月と試験後の2,3月に7回の予定で、目下資料を作成中、連休中には完成して案会するつもりです。メールくれれば招待状と要領を案内します。

来週、また。

クラス名簿

2020年後期 英語 Ra 2 (3)クラス名簿(31名)

30200038 生田 志潤 イクタ シジユン
30200087 植村 尊 ウエムラ タケル
30200148 小野 拓海 オノ タクミ
30200173 加知 倫太朗 カチ リンタロウ
30200205 川越 晴登 カワゴエ ハルト
30200214 河野 晃輝 カワノ コウキ
30200308 齋藤 優奈 サイトウ ユウナ
30200317 坂元 美琴 サカモト ミコト
30200360 重山 夕美 シゲヤマ ユウミ
30200371 篠原 小伯 シノハラ コハク
30200384 下條 帆乃佳 シモジョウ ホノカ
30200399 菅付 彩友 スガツケ アユ
30200447 恒吉 実於 ツネヨシ ミオ
30200454 角田 楓 ツノダ カエデ
30200472 堂薗 翔永 ドウゾノ シヨウエイ
30200520 戸島 脩太 トジマ シユウタ
30200579 永松 日向 ナガマツ ヒナタ
30200582 中屋敷 香波 ナカヤシキ カナミ
30200597 原田 佳純 ハラダ カスミ
30200603 東久保 光汰 ヒガシクボ コウタ
30200612 日田 快希 ヒタ ハルキ
30200627 平井 優季 ヒライ ユキ
30200704 福留 駿佑 フクドメ シユンスケ
30200742 本田 拓哉 ホンダ タクヤ
30200759 待山 功星 マチヤマ コウセイ
30200795 松山 峻平 マツヤマ シユンペイ
30200807 間野 壱晴 マノ イツセイ
30200821 宮崎 琉奈 ミヤザキ ルナ
30200869 山口 澪夏 ヤマグチ ミオカ
30200898 吉田 晴紀 ヨシダ ハルキ
30200926 JIANG TIANCHENG コウ テンセイ

 

英語 Ra2(2)

次回は19日(木=月曜日振替)で、来週16日(月)は授業なし(大学祭後片づけ予定日)です。

11月9日(月)3-4(10:30:-12:00)6回目でした。

<今日>

①簡単な英語での解説と残りの映像(ナタールの砂糖黍畑で働く少年)

②「遠い夜明け」(縮刷版)

③映画の感想を何人か

④次回発表者決定:アパルトへイト政権の誕生(山口さん)、アパルトへイト政策(川越くん)、1955年の国民会議(菅付さん)、1960年シャープヴィルの虐殺(角田くん)

<次回>

①発表:アパルトへイト政権の誕生(山口さん)、アパルトへイト政策(川越くん)、1955年の国民会議(菅付さん)、1960年シャープヴィルの虐殺(角田くん)

②映像:アパルトヘイト政権、アフリカ人の抵抗運動

③時間があれば、ジンバブエの話を少々

************

2020後地域1資料②.docxと②今回までの歴史のまとめと③「遠い夜明け」の解説

2020後地域1資料②.docx

参考ファイルに2020後地域1資料②を置きました。1,2「遠い夜明け」、3「コシシケレリアフリカ」、4、5ジンバブエの話、6ラ・グーマとミリアムさんの新聞記事、7名誉白人の新聞記事記事です。

今回までの歴史のまとめ

たくさんの人に発表してもらってテキストでも確かめたんで、だいぶはっきりして来たかな。

ヨーロッパ移住者がアフリカ人から土地を奪って課税して安価なアフリカ人労働者の一大搾取機構を打ち立てた・・・辺りまでを年代順に箇条書きにしてまとめておきます。

*1652年にオランダ人が到来
*1795年にイギリス人がケープを占領
*1806年にイギリス人が植民地政府を樹立
*1833年にイギリス人がケープで奴隷を解放
*1835年にボーア人が内陸部に大移動を開始(グレート・トレック)
*1854年頃には海岸線のケープ州とナタール州をイギリス人、内陸部のオレンジ自由州とトランスバール州をオランダ人、で棲み分ける
*南アフリカは戦略上そう重要ではなかった
*金とダイヤモンドの発見で状況が一変、一躍重要に
*1867年キンバリーでダイアモンドを発見
*1886年1ヴィトヴァータースランド(現在のヨハネスブルグ近郊)で金を発見
*1899年金とダイヤモンドの採掘権をめぐって第二次アングロ=ボーア戦争(~1902)
*イギリスの勝利。
*1910年南アフリカ連邦成立(イギリス人統一党とアフリカーナー国民党の連合政権、統一党が与党、国民党が野党)

「遠い夜明け」の解説

冒頭の強制立ち退き

この映画を作ったのは監督のリチャード・アッテンボロー。「ガンジー」や「コーラスライン」で超有名な監督です。「ガンジー」でも暗殺の場面を最初に持ってきました。冒頭に典型的な場面を持って来るのが好きなようです。今回の場合は、スラムの強制立ち退きの話を南アフリカの典型的な場面として衝撃的に持って来ていました。英文テキストの中にも以下の文を紹介しています。日本語訳も貼っておきます。

******************

The bantustan policy meant that Africans were to be prevented from living permanently in the white areas. Ruthless, forced evictions took place to force ‘surplus labour’ to move from the towns to the bantustans. Crossroads outside Cape Town is only one example of this policy.

バンツースタン政策は、アフリカ人を白人地区で永住させないという意味のものでした。冷酷で、強制的な立ち退きが、「余剰労働力」を町からバンツースタンに強制的に移動させるために強行されました。ケープタウン郊外のクロスローヅはこの政策の一例です。

REFERENCE 3 参照3

We can hear the news of Radio South Africa about the 1978 Crossroads eviction in the following scene of Cry Freedom.
Newscaster: “This is the English language service of Radio South Africa. Here is the news read by Magness Rendle. Police raided Crossroads, an illegal township near Cape Town early this morning after warning this quarter to evacuate this area in the interests of public health. A number of people were found without work permits and many are being sent back to their respective homelands. There was no resistance to the raid and many of the illegals voluntarily presented themselves to the police. The Springbok ended . . .”

米国映画「遠い夜明け」の以下の場面で、1978年のクロスローヅの立ち退きについての南アフリカのラジオニュースが出てきます。
ニュースキャスター:「こちらは南アフリカラジオの英語放送です。
マグネス・レンドルがニュースをお伝えします。公衆衛生の見地から、その地域を空け渡すように勧告を出したあと、今朝早く警察は、ケープタウン郊外の不法居住地区クロスローヅの手入れを敢行しました。多くの人が労働許可証を持たず、それぞれのリザーブに送り返されています。手入れに対して全く抵抗の気配もなく、不法滞在者は自発的に警察署に出頭していました。放送を終わります・・・。」

強制立ち退きのあったところは空港のマークがある道路を挟んだ向かい側にあるCrossroadsというスラムで、冒頭の夜明けのシーンで映っていた山は海側CAPE TOWNの文字の下辺りのTable Mountain、上のケープタウンの写真で見えるtable Mountainは、ロベン島(Robben Island、ソブクエやマンデラが収容されていた監獄のある離れ島、今は観光名所の一つになってるようです。)のある北側からケープタウンを撮したものです。

ビコとドナルドウッズの出会いの場面

いつ見てもかっこいいなあと思います。当時南アフリカではロケ出来なくてジンバブエの首都ハラレで作られたんやけど、ウッヅがビコを訪れた場所には行ったことがあるんで、余計に親しみが持てるんかも。日本語字幕で観てもらったけど、英語字幕で再現しときます。

Cry Freedom_The first meeting

Woods: Steve Biko? Are you Steve Biko?
Biko: l am. l would have met you in the church, but, as you know, l can only be with one person at a time. lf a (third) person comes into the room, even to bring coffee, that (breaks) the (ban)… And the (system) – the police – are just across the road. But, of course, you would (approve) of my (banning).
Woods: No. l think your (ideas) are (dangerous), but, no, l don’t (approve) of (banning).
Biko: A true (liberal).
Woods: lt’s not a title l’m (ashamed) of, though l know you (regard) it with some (contempt).
Biko: l just think that a white (liberal) who (clings) to all the (advantages) of his white world – jobs, housing, education, (Mercedes) – is perhaps not the person best (qualified) to tell blacks how they should (react) to (apartheid).
Woods: l wonder what sort of (liberal) you would make, Mr. Biko, if you were the one who had the job, the house, and the (Mercedes), and the whites lived in (townships).
Biko: lt’s a (charming) idea. lt was good of you to come, Mr. Woods. l wanted to meet you for a long time.

Mercedesはマーサディーズと発音、意味はメルセデス・ベンツ。ドイツ車で金持ちのシンボル。医者ややくざがよう乗ってる車で、医学科の駐車場ではよう見かけるねえ。

ビコ役のデンデル・ワシントンデンデル・ワシントン

ビコと自己意識

今日映画で観たように、ビコは合法的に殺されたけど、それだけ体制に脅威だったということやろな。
裁判の中でビコがEven in this environment we must find a way to develop hope for themselves, to develop for this countryと言ってたけど、ほんとすごいよね。前の方Even in this environment we must find a way to develop hope for themselvesは僕でも言えるので、ま、授業でずっと言い続けて来たつもりやけど、あとの方to develop for this countryは、言えないもんね。この国のやってきたことを考えると、恥ずかしすぎて、国に希望を紡ごうと言う気にならんもんなあ。今日も何度も言ったけど、こう言わないといけないのは悔しいね。
自己意識については、ビコとマルコム・リトルに焦点を当てて書いたことがあります。ビコを引用して書いた部分です。

*****************

白人優位・黒人蔑視

奴隷貿易に始まる西洋諸国の侵略によって、支配する側とされる側の経済的な不均衡が生じましたが、同時に、白人優位・黒人蔑視という副産物が生まれました。支配する側が自らの侵略を正当化するために、懸命の努力をしたからです。支配力が強化され、その格差が大きくなるにつれて、白人優位・黒人蔑視の風潮は強まっていきました。したがって黒人社会は、支配権を白人から奪い返す闘いだけでなく、黒人自身の心の中に巣食った白人優位の考え方を払しょくするという二重の闘いを強いられました。アメリカ映画「遠い夜明け」で広く知られるようになったスティーヴ・ビコは、ある裁判で黒人意識運動の概念について質問されたとき、その「二重の闘い」に言い及んで、次のように述べています。

基本的に「黒人意識」が言っているのは黒人とその社会についてであり、黒人が国内で二つの力に屈していると、私は考えています。まず何よりも黒人は、制度化された政治機構や、何かをしようとすることを制限する様々な法律や、苛酷な労働条件、安い賃金、非常に厳しい生活条件、貧しい教育などの外的な世界に苦しめられています。すべて、黒人には外因的なものです。二番目に、これが最も重要であると考えますが、黒人は心のなかに、自分自身である状態の疎外感を抱いてしまって、自らを否定しています。明らかに、ホワイトという意味をすべて善と結びつける、言い換えれば、黒人は善をホワイトと関連させ、善をホワイトと同一視するからです。すべて生活から生まれたもので、子供の頃から育ったものです。[I Write What I Like (New York: Harper & Row, 1986), p. 100.神野明他訳の日本語訳『俺は書きたいことを書く』(現代企画室、 一九八八年)が出ています]

南アフリカを本当の意味で変革していくためには、先ず何よりも黒人ひとりひとりが、厳しい現状に諦観を抱くことなく、自らの挫折感とたたかい、自分自身の人間性を取り戻すべきだと、ビコは説きました。自己を同定するために自分たちの歴史や文化に誇りを持ち、次の世代に語り伝えようと呼びかけました。そして、経済的な自立のための計画を立てて、実行に移しました。

↑ホームページにはpdfをダウンロード出来るようにしてましたが、今回ブログに書きました。リンクしておきます。→「自己意識と侵略の歴史」

*****Zoomトーイック4*****

試験直前Zoomトーイックはきつくて中止にさせてもらったけど、試験が終わってから1月末まで、たぶんZoomトーイック4(7回:Part 1~Part 7各partずつインテンシブに)くらいでやれたらと思っています。用意出来たら授業でも言うんで、スコアをあげたい、本格的にやってみたいと思う人は、どうぞ。今回参加予定やった人8名にも案内のメールを送るつもりです。メールくれれば招待状を送ります。

来週、また。

クラス名簿

2020年後期 英語 Ra 2 (3)クラス名簿(31名)

30200038 生田 志潤 イクタ シジユン
30200087 植村 尊 ウエムラ タケル
30200148 小野 拓海 オノ タクミ
30200173 加知 倫太朗 カチ リンタロウ
30200205 川越 晴登 カワゴエ ハルト
30200214 河野 晃輝 カワノ コウキ
30200308 齋藤 優奈 サイトウ ユウナ
30200317 坂元 美琴 サカモト ミコト
30200360 重山 夕美 シゲヤマ ユウミ
30200371 篠原 小伯 シノハラ コハク
30200384 下條 帆乃佳 シモジョウ ホノカ
30200399 菅付 彩友 スガツケ アユ
30200447 恒吉 実於 ツネヨシ ミオ
30200454 角田 楓 ツノダ カエデ
30200472 堂薗 翔永 ドウゾノ シヨウエイ
30200520 戸島 脩太 トジマ シユウタ
30200579 永松 日向 ナガマツ ヒナタ
30200582 中屋敷 香波 ナカヤシキ カナミ
30200597 原田 佳純 ハラダ カスミ
30200603 東久保 光汰 ヒガシクボ コウタ
30200612 日田 快希 ヒタ ハルキ
30200627 平井 優季 ヒライ ユキ
30200704 福留 駿佑 フクドメ シユンスケ
30200742 本田 拓哉 ホンダ タクヤ
30200759 待山 功星 マチヤマ コウセイ
30200795 松山 峻平 マツヤマ シユンペイ
30200807 間野 壱晴 マノ イツセイ
30200821 宮崎 琉奈 ミヤザキ ルナ
30200869 山口 澪夏 ヤマグチ ミオカ
30200898 吉田 晴紀 ヨシダ ハルキ
30200926 JIANG TIANCHENG コウ テンセイ

③1980年の初めにアフリカを見直す動きが出たことについて、少し。戦後80年代の初めまでアメリカが無茶苦茶をしてた時代が中国が力をつけて来たために変化が起きたと関連づけて話をしました。その再評価を映像で残してくれたのがバスル・デヴィドスン。1983年には日本でもNHKで「アフリカ・シリーズ」として放送されました。その映像をいろいろ紹介すると思います。前期もエボラの話で、コンゴの独立やコンゴ危機、レオポルド2世のコンゴ自由国、植民地分割とベルリン会議などを紹介しました。課題図書に入れた『アフリカの過去』と『アフリカ史入門』もついでに少々。そのついでに野間さんの『差別と叛逆の原点』、楠原彰さんの『アパルトヘイトと日本』も。どちらも画像にしてるんで、いつでもどうぞ。

④映像:ダイヤモンドの発見とセシル・ローズ→バンツースタン→カラハリ砂漠に暮らすサン人→ズールー人とズールー戦争→金鉱山(1972年頃と1987年)→ナタールの砂糖黍畑で働く少年

*バンツースタン:アフリカ人からいい土地を奪い、不毛の地をあてがってそれを最初はreserveと呼び、国際的に非難を浴びるとbantustanに呼び方を変え、更に非難が強くなると、今度はhomelandと呼び方を変えて行ったけど、すべて草も生えないような不毛の土地、先に映像を見てもらいました。国連の職員が密かに隠し撮りをしてその映像を反アパルトヘイト運動をしている人たちに配信、僕も大阪のこむらど委員会の下垣さんからビデオテープを送ってもらいました。タイトルはDimbaza(墓場)。今回観てもらったのはその一部です。

「2020後地域1資料② .docx」を参考ファイルに置きました。

1:アフリカ史再考②:『アフリカシリーズ』

2:遠い夜明け、ドナルト・ウッズ、デンゼル・ワシントン

3:コシシケレリアフリカ

4:My stay in Harare, 1992

5:アフリカは遠かった・ジンバブエの旅

6:南アフリカ文学、南ア女性作家

7:名誉白人

<次回は>

①(先に)「遠い夜明け」

②残りの映像

*********

試験直前Zoomトーイックはきつくて中止にさせてもらったけど、試験が終わってから1月末まで、たぶん7回(Part 1~Part 7各partずつインテンシブに)くらいでやれたらと思っています。用意出来たら授業でも言うんで、7日の試験でスコアをあげたい、本格的にやってみたいと思う人がいれば、どうぞ。今回参加予定やった人6名にも案内野メールを送るつもりです。メールくれれば招待状を送ります。

カレンダー11月「いちょうと子猫」です。水、木と気温が下がるみたいで、また冬になっていくなあ。宮崎は温かいので銀杏並木のきれいなところが少ないけど、北の寒いところの銀杏並木は迫力ありそうやな。猫は寒がりなんで、こんなのんびりと二匹が銀杏並木の近くに座ってなさそうな気もするけど。それが、絵では可能なんやな。

パリなどでは第二波で大変らしいねえ。全国的にGOTO何とかを使って色々移動してるみたいやね。毎年神武さんに馬を出してる牧場の人が、神武さんはなしですが、シーガイヤの観光用の馬乗り(園内5000円、外乗15000円)がえらい繁盛してて助かってます、と言ってはったね。生協の人は、宮崎から行く人が少なくてフライトの予約などの仕事がほとんどありません、と言ってはったから、都会の人が普段は行けないシーガイヤのような豪華なホテルに押しかけてるみたいやねえ。第二波の事態にならんとええのにね。

来週、また。

英語 Ra2(2)

11月2日(月)3-4(10:30:-12:00)

5回目でした。

<今日>は先に

①(試験対策2:Reading)Zoomトーイック3 Part 5の101~130のうち101~104と文法的な解説。その分は参考ファイルに→「Zoomトーイック3_R_P5解説_文法.zip」を置いてるんで、どうぞ。文法問題は、比較的スコアを上げやすいんで、たくさん問題にあたるとええと思うよ。過去問をやると、フレーズが大事とわかるんで、『金のフレーズ』も役に立つかも。

②英文の続き(恒吉さん)

恒吉さんの要約は簡潔でわかりやすかったね。日本語訳は末尾に貼っときます。細かいところは較べてチェックしてや。↓

③映像:バンツースタン:アフリカ人からいい土地を奪い、不毛の地をあてがってそれを最初はreserveと呼び、国際的に非難を浴びるとbantustanに呼び方を変え、更に非難が強くなると、今度はhomelandと呼び方を変えて行ったけど、すべて草も生えないような不毛の土地、先に映像を見てもらいました。国連の職員が密かに隠し撮りをしてその映像を反アパルトヘイト運動をしている人たちに配信、僕も大阪のこむらど委員会の下垣さんからビデオテープを送ってもらいました。タイトルはDimbaza(墓場)。今回観てもらったのはその一部です。

→カラハリ砂漠に暮らすサン人、ダイヤモンドの発見とセシル・ローズ、ナタールの砂糖黍畑で働く少年(課題図書にも入れているバスゥル・デヴィドスンの映像「アフリカ・シリーズ」)

<次回は>

①(先に)「遠い夜明け」

②残りの映像

*********

試験直前Zoomトーイックはきつくて中止にさせてもらったけど、試験が終わってから1月末まで、たぶん7回(Part 1~Part 7各partずつインテンシブに)くらいでやれたらと思っています。用意出来たら授業でも言うんで、7日の試験でスコアをあげたい、本格的にやってみたいと思う人がいれば、どうぞ。今回参加予定やった人6名にも案内野メールを送るつもりです。メールくれれば招待状を送ります。

カレンダー11月「いちょうと子猫」です。水、木と気温が下がるみたいで、また冬になっていくなあ。宮崎は温かいので銀杏並木のきれいなところが少ないけど、北の寒いところの銀杏並木は迫力ありそうやな。猫は寒がりなんで、こんなのんびりと二匹が銀杏並木の近くに座ってなさそうな気もするけど。それが、絵では可能なんやな。

パリなどでは第二波で大変らしいねえ。全国的にGOTO何とかを使って色々移動してるみたいやね。毎年神武さんに馬を出してる牧場の人が、神武さんはなしですが、シーガイヤの観光用の馬乗り(園内5000円、外乗15000円)がえらい繁盛してて助かってます、と言ってはったね。生協の人は、宮崎から行く人が少なくてフライトの予約などの仕事がほとんどありません、と言ってはったから、都会の人が普段は行けないシーガイヤのような豪華なホテルに押しかけてるみたいやねえ。第二波の事態にならんとええのにね。

来週、また。

*********

日本語訳

THE GROWTH OF MINING CAPITAL 鉱山資本の成長

The first diamonds were discovered in the area which later was to become the Kimberley diamond fields.

まず初めのダイヤモンドは、その後キンバリー・ダイヤモンドの産地になる地域で発見されました。

The diamonds on the surface were soon depleted. A more costly technique was then required to exploit diamonds under the surface. This furthered capital concentration, i.e. the concentration of ownership in fewer hands. In 1888 all diamond mines were controlled by a company called de Beers Consolidated, which before the turn of the century controlled 90% of world production. The company was in the hands of the British imperialist Cecil Rhodes, who also was Prime Minister in the Cape colony.

地表のダイヤモンドはすぐに堀り尽されました。その後、よりお金のかかる技術が地下のダイヤモンドを開発するために必要とされました。これは更に資本の集中を促しました、つまりより少数の手の中に所有権が集中したわけです。1888年には、ダイヤ鉱山が全てデ・ビアスと呼ばれる会社によって支配され、20世紀になる前には世界生産の90%をその会社が支配していました。その会社は、イギリスの帝国主義者であり、ケープ植民地の首相でもあったセシル・ローズの手中にありました。

THE CONFLICT BETWEEN THE BRITISH AND THE BOERS 英国人とボーア人の対立

The Boers had every reason to be suspicious of British capital. They viewed the railway with apprehension; it wound northwards from the Cape, and charged heavy freight fees and duties in the harbour. The Boers wanted to keep the gold-rich areas for themselves, and they looked for allies. The rivalry between the European imperialist powers in `the scramble for Africa’ gave the Boers a new chance to get rid of their dependence on the British harbours. With German and Dutch capital a railway line was built from Transvaal to the Mozambican coast.

ボーア人がイギリス資本を信用しないのには充分な理由がありました。ボーア人は、不安な思いで鉄道を見ていました。それはケープから北の方へ延び、通行料金と港での税金を課しました。ボーア人は自分のために金の埋蔵量が豊かな地域を維持したかったので、同盟国を探しました。アフリカ争奪戦でのヨーロッパの帝国主義列強間の競争は、ボーア人にイギリスの港の依存を取り除く新しい機会を与えました。ドイツとオランダの資本で鉄道がトランスヴァールからモザンピークの海岸間に建設されました。

The ruling Boers in Transvaal tried to channel income from the British-owned mines there to themselves. The tense situation between the Boers and the British led to the second Anglo-Boer War in 1899. It ended in 1902 with victory for British imperialism. Cruelties were committed on both sides, but the concentration camps set up by the British for Boer women and children left especially bitter scars.

トランスヴァールを支配するボーア人は自分たちの方に、イギリスに所有された鉱山からの収入を向けようと努力しました。ボーア人とイギリス人との間の緊張した状況は1899年の第二次アングローボーア戦争を生みました。1902年にイギリスの帝国主義者の勝利で戦争は終了しました。双方で残虐行為が行われましたが、イギリス人がボーア人女性と子供用に建設した強制収容所は、ボーア人に特に酷い傷跡を残しました。

The Boers traditionally had two enemies: the indigenous Africans, whose cattle and land they coveted and whom they tried to make into slaves, and British imperialism, which was out to exploit the riches of South Africa. But when it came to exploiting the Africans, the Boers made common cause with the economically superior British.

昔からボーア人には二つの敵がありました、欲しがっていた家畜を奪い、奴隷に仕立て上げたその土地に住んでいたアフリカ人と、躍起になって南アフリカの冨を搾り取ろうとするイギリス帝国主義でした。しかし、アフリカ人を搾取するという点では、ボーア人は経済的に優位だったイギリス人と共通の大義がありました。

THE UNION OF SOUTH AFRICA AND RESERVES 南アフリカ連邦とリザーブ

During the Boer War the British government had claimed that its objective was to protect the Africans. But in the peace treaty the whole question of the political future of the Africans in South Africa was left in the hands of the Boers and the British colonialists. In May 1910 the Union of South Africa was created, which meant that the British government handed over all political power to the whites in South Africa. It was only the negotiated product of the Boers and the British colonialists with their common cause of exploiting the Africans.

ボーア戦争の間じゅう、英国政府は戦いの目的はアフリカ人を保護することだと言っていました。しかし、平和協定を結ぶときには、南アフリカのアフリカ人のこれからの政治に関してはすべての問題をボーアじんとイギリス人植民地主義者の手に収めたままにしてしまったのです。1910年の5月に南アフリカ連合を創設しましたが、それは英国政府が政治的な権利をすべて南アフリカの白人に引き継いだということだったのです。アフリカ人を搾取するという共通の目的のためにボーア人とイギリス人植民地主義者が作り出した妥協の産物に過ぎなかったのです。

The first Union parliament created the African reserves through the Native Land Act in 1913, which made previous practices the law. Whites were forbidden to buy or rent land in the reserves, and Africans could neither buy nor rent outside the reserves. The only exception was the Cape province where, for some time, Africans were still allowed to purchase land. The law meant that 78% of the population was supposed to live in reserves comprising only 7.3% of the area of the country.

最初の連邦議会は1013年の原住民土地法でアフリカ人リザーブを創設しました。それは今までの慣習を法制化したものでした。白人にはリザーブ内の土地を買うこと、借りることが禁止されました。アフリカ人はリザーブ外では土地を買うことも借りることも出来ませんでした。唯一の例外はケープ州で、暫くの間はアフリカ人が土地を購入することが許されました。法律が意味するところは、人口の78パーセントが国土の僅か7.3%からなるリザーブに住むことになるということでした。

For a farming people to be deprived of their land was a hard and bitter blow, which at once strengthened opposition. The South African Native National Congress, which changed its name to the African National Congress (ANC) in 1925, was formed in 1912 to unite the Africans in defence of their right to land and to demand political rights. When the Land Act was still in preparation, a delegation of leading Africans was sent to London. Their mission was fruitless and the African leaders were beginning to realize that no solution to their plight could be found in London.

農民が土地を奪われれば大打撃で、すぐに反対運動が起きました。1912年、土地の権利を守り、政治的な権利を求めるために、そののち1925年にアフリカ民族会議(ANC)と改名する南アフリカ原住民民族会議が創設されて、アフリカの結束をはかりました。土地法がまだ準備段階のうちに、アフリカ人指導者の代表がロンドンに派遣されました。派遣の成果もなく、アフリカ人指導者はロンドンにでは自分たちの窮状の解決策は見出せないと悟り始めていました。

The 1913 Native Land Act was in force until 1936. That year a new law, the Native Trust and Land Act, extended the area of the reserves to 13.7%. This law was in force till all the apartheid laws were abolished in 1991. This law was the foundation of the apartheid regime’s land consolidation for the `homelands,’ the so-called Bantustans.

1913年の原住民土地法は1936年まで効力がありました。その年に新法原住民信託土地法が制定されて、リザーブの範囲が13.7パーセントにまで拡大されました。この法律はすべてのアパルトヘイト法が廃止される1991年まで有効で、アパルトヘイト政権が力を入れたホームランド、いわゆるバンツースタン政策の根幹でした。

クラス名簿

2020年後期 英語 Ra 2 (3)クラス名簿(31名)

30200038 生田 志潤 イクタ シジユン
30200087 植村 尊 ウエムラ タケル
30200148 小野 拓海 オノ タクミ
30200173 加知 倫太朗 カチ リンタロウ
30200205 川越 晴登 カワゴエ ハルト
30200214 河野 晃輝 カワノ コウキ
30200308 齋藤 優奈 サイトウ ユウナ
30200317 坂元 美琴 サカモト ミコト
30200360 重山 夕美 シゲヤマ ユウミ
30200371 篠原 小伯 シノハラ コハク
30200384 下條 帆乃佳 シモジョウ ホノカ
30200399 菅付 彩友 スガツケ アユ
30200447 恒吉 実於 ツネヨシ ミオ
30200454 角田 楓 ツノダ カエデ
30200472 堂薗 翔永 ドウゾノ シヨウエイ
30200520 戸島 脩太 トジマ シユウタ
30200579 永松 日向 ナガマツ ヒナタ
30200582 中屋敷 香波 ナカヤシキ カナミ
30200597 原田 佳純 ハラダ カスミ
30200603 東久保 光汰 ヒガシクボ コウタ
30200612 日田 快希 ヒタ ハルキ
30200627 平井 優季 ヒライ ユキ
30200704 福留 駿佑 フクドメ シユンスケ
30200742 本田 拓哉 ホンダ タクヤ
30200759 待山 功星 マチヤマ コウセイ
30200795 松山 峻平 マツヤマ シユンペイ
30200807 間野 壱晴 マノ イツセイ
30200821 宮崎 琉奈 ミヤザキ ルナ
30200869 山口 澪夏 ヤマグチ ミオカ
30200898 吉田 晴紀 ヨシダ ハルキ
30200926 JIANG TIANCHENG コウ テンセイ

英語 Ra2(2)

お詫び:前回3回目授業はカテゴリーをRa1(2)=前期の分=にチェックを入れてたんで、書いてたのに見えてなかったみたいです。申しわけないです。今はチェックし直したんで、確認出来るよ。その日のうちに書くようにしてるんで、見えない場合、誰かメールしてや。今回は今日書いたのをみんなと同じところから見て初めて気がつきました。(普段はブログの更新サイトからしか見てないんで。)

10月26日(月)3-4(10:30:-12:00)

4回目でした。

もうすぐカレンダー10月も終わりです。

<今日>は

①(試験対策1:Listening)Zoomトーイック3 Part 1の1~6

②transcriptionの発表:福留くん

①何個かヒント:Directionの間に絵を見て描写のsentenceを3~4個さっと思い浮かべる、broucherなどわからない単語があっても前後で類推する。一度やったのを繰り返してやる。出来れば、速度を速めて繰り返して聞く。6題の解説と音声は参考ファイルに→「Zoomトーイック3T1_Part1.zip」

②福留くんは何回も聞いていいところまでいってることが多かったね。a little bit ofとかin a couple of hoursとか何個の単語が塊になっているのを聞き取るのは難しいけど、慣れるとそうでもないんで、聞いて慣れていくとええね。ゆっくりわかりやすく理解してというクラスルームイングリッシュに慣れても、実際の役には立たんから、最初わからなくてもナチュラルなスピードと表現に慣れていこ。

transcriptionと日本語訳は末尾に貼っときます↓

<次回は>

①(試験対策2:Reading)Zoomトーイック3 Part 5の101~130

参考ファイルの資料のZoomトーイック3 Part 5 Reading Test 101~130(105~107ページ):reading問題は予めやっとく方が効果的やと思うよ。

②(今日出来なかった)英文の続き:資料①S4のTHE GROWTH OF MINING CAPITAL, THE CONFLICT BETWEEN THE BRITISH AND THE BOERS, THE UNION OF SOUTH AFRICA AND RESERVES(恒吉さん)

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試験直前Zoomトーイックは10月31日(土):リスイング、11月3日(火、祭日):リーディングの午前10:00からです。参加する人はどうぞ。メールをくれれば招待状を送ります。

今回は中原さんの意見に沿って考えました。試験後も継続するつもりです。試験後は、準備が出来たらまた案内します。

「試験に関係なくやるのもいいとも思います。月1でも定期的にやっていただけたらモチベが続きます。
今回の試験まで2回程度でしたら、内容をしっかりやるより高得点をとるコツとかリスニング問題に絞るとか 短期的でも効果のあるものはどうでしょうか。
特に紙の試験を初めて受ける新入生も多いでしょうし。」

きのう鳥さんたちの分に何個かを残して、実を取りました。150個ほどありそうで、やっと剥けたのは33個。枝から切るときに、左手も切ってしましました。切れる剪定鋏でぶちゅっとやって、かなり痛かったです。右足の捻挫と言い、左手の深い切り傷と言い、がたがたですねえ。

来週、また。

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San Francisco

Any (city) that will (take) your (heart) as (downpayment) on a (good) (time) has to be (amazing). Welcome to San Francisco!

These are the (first) (sounds) of a (perfect) (morning). The (dawn) (chorus) from (Pier) 39, (sealions) (defending) (territory). You have to be (early) to (catch) this (dreamy) (mood), because in a (couple) of (hours), (Fisherman’s) (Wharf) (changes) (dramatically).

Each day (sees) an (invasion). Ten and a (half) (million) come each year to (Pier) 39 (alone) to walk, eat or just (gawk) at the (buskers).

Some are (good), others (well).., but it doesn’t (matter). This is a (city) where there is no (cardinal) (sin) and (tolerance) is the (virtue).

Of (course) many people, (including) me, are (here) to (buy) a (little) (bit) of San Francisco they can (take) (home) (with) (them). (Something) they’ve (already) (seen), or (something) they (hope) to see. The (Golden) (Gate), (for) (instance), as a (pencil) (sharpener), a (little) (bit) of (domestic) San Francisco (architecture).

But, did you (know) there are (at) (least) ten (popular) (songs) (celebrating) this (fantastic) (city)? So why not go for the (double)? A (musical) (cable) (car).

Any city that will take your heart as downpayment on a good time has to be amazing. Welcome to San Francisco!

楽しいときに自分の心を手付け金として置くような町なら、どんな町でもすばらしいに違いありません。(もう一度来るという約束として自分の心を前金に置いておきたくなるほど、サンフランシスコはすばらしい町)サンフランシスコへようこそ。

These are the first sounds of a perfect morning. The dawn chorus from Pier 39, sealions defending territory.

これらは完璧な朝の最初の音です。ピア39(第39埠頭)から聞こえる夜明けのコーラス(鳴き声)は、海驢(あしか)たちが陣地の取り合いをしているのです。

【解説】fとlは日本語にない音(おん)なので、聞きにくいかな。lは上あごに下をつけて、fは下唇を噛んで発音すると近い音が出るようです。あしかの鳴き声がコーラスに聞こえ、海驢が縄張り争いをしている様子を言っています。映像を見ると、一目瞭然です。

Dawn:夜明けは知っていましたか。音は聞き取りにくいかな。

Pier 39は有名な観光地で、飲食店が一杯。87年の暮れに家族で行った時も、どこも満員で、人の少ない所に入ったら、メキシコ料理店でした。

You have to be early to catch this dreamy mood, because in a couple of hours, Fisherman’s Wharf changes dramatically.

この夢のような雰囲気を味わうためには早起きしなければなりません。2時間の間に、漁夫の波止場(フィシャーマンズウォーフ)は劇的に変化しますから。

【解説】catch mood は雰囲気をとらえる、味わう。a couple of は2。Fisherman’s Wharfも有名な観光地、僕は行ったことありませんが、観光客は、映像にあったゴールデンゲイトブリッジと中華街などに行くようです。

Fisherman’s wharf

Each day sees an invasion. Ten and a half million come each year to Pier 39 alone to walk, eat or just gawk at the buskers.

毎日たくさんの人が訪れます。第39埠頭だけでも、毎年1500万人の人がやって来て、散歩したり、食事をしたり、道で芸をしている人をぼんやり見と眺めたりします。

【解説】sees an invasion:侵入を見る→たくさんの人がどっと押し寄せる。Ten and a half million:十とその半分の五、つまり1050万

Some are good, others well.., but it doesn’t matter. This is a city where there is no cardinal sin and tolerance is the virtue.

立派な人もいれば、十分な人もいます。でも、そんなことは問題ではありません。ここは、世俗的な罪がなく、寛容が美徳である町なのです。

【解説】ま、何でも許される、街角で音楽をやろうが芸をやろうが、誰もとがめ立てしたりしない、自由な雰囲気の街ですよ、くらいの意味でしょう。cardinal sin:(神に対して)人間の、肉欲なども含めた世俗的な 罪のこと。tolerance:寛容、許すこと。virtue:徳、道徳的な基準。この箇所はちょっと難しいかな、抽象的な言葉(cardinal sin, tolerance, virtue)が並んだせいでしょう

Of course many people, including me, are here to buy a little bit of San Francisco they can take home with them. Something they’ve already seen, or something they hope to see. The Golden Gate, for instance, as a pencil sharpener, a little bit of domestic San Francisco architecture.

もちろん、私も含め、多くの人が、家に持って帰られるサンフランシスコの小さなおみやげを買いにここにやって来ます。何かすでに見たもの、あるいは何か見たいもの。たとえば、鉛筆削りとしての、ミニチュアのアメリカ風サンフランシスコ建築物としてのゴールデン・ゲイトです。

【解説】a little bit: 小さなもの。The Golden Gate: 多分、ゴールデンゲイト公園にある門。

a little bit of: この場合は、多分小さなもの、ミニチュア。domesticはforeignに対する言葉で、ここでは外国風でなく、アメリカの建築様式を指すようです。

But, did you know there are at least ten popular songs celebrating this fantastic city? So why not go for the double? A musical cable car.

しかし、この素敵な町を祝う人気のある歌が少なくとも十曲もあるのをご存知ですか。そこで、一石二鳥は如何ですか。オルゴール付きのケーブルカーなどはどうですか。

【解説】why not: ~はどうですか。go for the double:一石二鳥のもの、この場合、坂の多い街の名物ケーブルカーに、音の出るオルゴールの付いたもの。元は野球用語、ダブルプレイ。

どうやったかな?聞き取れた?

聞き取れても、実際にはその場で、聞き取れた言葉をつなぎ合わせて想像して理解するのが大切、何回も聞けるわけではないので。

言葉は、結局総合的なものやから、やっぱり時間がかかるけど、まず、するための、したいと思う必然性が大事、かな。

クラス名簿

2020年後期 英語 Ra 2 (3)クラス名簿(31名)

30200038 生田 志潤 イクタ シジユン
30200087 植村 尊 ウエムラ タケル
30200148 小野 拓海 オノ タクミ
30200173 加知 倫太朗 カチ リンタロウ
30200205 川越 晴登 カワゴエ ハルト
30200214 河野 晃輝 カワノ コウキ
30200308 齋藤 優奈 サイトウ ユウナ
30200317 坂元 美琴 サカモト ミコト
30200360 重山 夕美 シゲヤマ ユウミ
30200371 篠原 小伯 シノハラ コハク
30200384 下條 帆乃佳 シモジョウ ホノカ
30200399 菅付 彩友 スガツケ アユ
30200447 恒吉 実於 ツネヨシ ミオ
30200454 角田 楓 ツノダ カエデ
30200472 堂薗 翔永 ドウゾノ シヨウエイ
30200520 戸島 脩太 トジマ シユウタ
30200579 永松 日向 ナガマツ ヒナタ
30200582 中屋敷 香波 ナカヤシキ カナミ
30200597 原田 佳純 ハラダ カスミ
30200603 東久保 光汰 ヒガシクボ コウタ
30200612 日田 快希 ヒタ ハルキ
30200627 平井 優季 ヒライ ユキ
30200704 福留 駿佑 フクドメ シユンスケ
30200742 本田 拓哉 ホンダ タクヤ
30200759 待山 功星 マチヤマ コウセイ
30200795 松山 峻平 マツヤマ シユンペイ
30200807 間野 壱晴 マノ イツセイ
30200821 宮崎 琉奈 ミヤザキ ルナ
30200869 山口 澪夏 ヤマグチ ミオカ
30200898 吉田 晴紀 ヨシダ ハルキ
30200926 JIANG TIANCHENG コウ テンセイ