つれづれに:烏瓜(からすうり)
先日、清武の量販店に焼酎(しょうちゅう)を買いに行ったあと、久しぶりに烏瓜(↓)を採って持って帰ってきた。途中の清武川の土手でたくさん実がぶら下がっているのが目に入って、つい採ってしまった、というところである。焼酎は、妻の個展に出品して下さったお礼に畑でできた瓢箪南瓜(ひょうたんかぼちゃ)といっしょに送る予定である。東京では売ってない20度の霧島は、お酒の好きな人には好評らしい。
絵は仕上がったあと注文して下さった人に送り届けていたから、お願いして個展会場まで宅配便で送ってもらっていた。会場の真ん中に飾って、好評だったと聞く。トイプードルの愛らしさ(↓)をたくさんの人に観てもらえた。
展示した絵は、個展が終わった日に全部宅配便で自宅に送ってもらっているので、その絵にお礼を添えて持主の元に戻すというわけである。絵は来年のカレンダーの中の一枚になり、また楽しませてくれる。
ちょうど今年のカレンダーの11月の絵(↓)に烏瓜が入っている。
宮崎に来た80年代の終わりから数年間は、烏瓜と通草(あけび)を採ってきては、妻が絵を何枚も描いた。当時は花を中心に描いて、カレンダーに入れていた。上のカレンダーの絵は、その時に描いていた烏瓜の絵の一枚に、家の猫にも入ってもらい、この原画が出来上がった。
「私の散歩道2009」10月(企業採用分)
宮崎に来る前から横浜の出版社の雑誌に書かせてもらっていたが、妻に頼んで書いてもらっていた挿画をみて出版社から装画の依頼が来た。烏瓜も装画の材料になった。
→村越一哲『三方原』(装画/からすうり)
大阪工大(↓)で世話になっていた先輩から、ある日「出版社の人があんたに会いたい言(ゆ)うてるけど、会(お)うてみるか?」と言われた。よくわからなかったが、新幹線で横浜まで会いに行った。いきなり縄文時代の話をし始めて、何時間かその話が続いた。その時は特に何かを頼まれたわけではなかったが、しばらくしてから雑誌の記事を書くように薦められた。宮崎に来てからは雑誌の記事に加えて、大学のテキストや翻訳などを次から次に言われて、小説を書くどころではなかった。定年退職したあとも、しばらくその状態が続いた。
大阪工大(→「大阪工大非常勤」、2022年7月11日 )
妻の装画も、その延長上にあった。今はその出版社の人も亡くなって、私は小説を書いている。今は5冊目である。目途があるわけでないが、売れると思ってくれる出版社があれば、その原稿がお金にかわる予定である。生きてるうちに、とは思うが、自分が決めるわけではないので、未定である。教授になったときも、自分が決めるわけではないので、未定だった。
宮崎医科大学講義棟(→「英語科」、2022年8月22日)
*烏瓜は ウリ科のつる性多年草で、巻きひげで他の物にからむ。夏の夕方に、きれいな白い色の花が開く。果実は楕円形で、秋に赤く熟す。漢方では根を利尿剤や鎮痛剤に使用するらしい。
今日も白浜の鍼灸整骨院に自転車で行けたのは何よりだった。白浜の海も秋から冬の海にかわりつつあった。